第10話 邪悪な存在

 一瞬の出来事だった。


 大神官の後に続いてトーマは窓から身を投げた。


「トーマ!」


 ヒラクは窓辺に駆け寄るが、下を見下ろし確認すると、肩を落としてうなだれた。


 まだ会ってまもない関係だったが、これまでトーマが希求兵として自分のための生きてきた歳月を思うと、ヒラクはやりきれない気持ちになった。


 勾玉主である自分のためにトーマは生き、そして死んだ。


 自分についてきた仲間が旅の途中で命を落としていくことに苦しんだキッドの気持ちがよくわかる。自分を慕う者たちをすべて守れない無力さをヒラクもまた痛感していた。


 いつもなら、ヒラクの気持ちを誰よりもわかるはずのユピが、今はヒラクの心情を理解しようともしない。


「勾玉主への裏切りは死に値するものらしい」そう言って、ユピは冷然と笑う。


「そんなの誰が言ったんだよ」


 ヒラクは顔を上げて振り返り、目に涙をにじませてユピをにらみつけた。


「どうしてトーマはこんなこと……。裏切りって何? おれはそんなこと思ってない」


「彼がそう思ったんだ。そして彼は自分で自分を裁いた」


 ユピは冷ややかに言った。


「彼は自分で自分を許せなった。たとえ君が許しても、彼が彼自身を許せなければ意味がない。許せない自分を自ら裁いたんだ」


「そうさせたのはユピだろう? ユピがトーマを……」


 そう言いかけて、ヒラクは口をつぐんだ。

 すべてをユピのせいにしようとしている自分にヒラクは気がついた。

 そして自分が何のためにここに来たのかを思い出し、ユピをしっかりとみつめた。


 その目にはもう憎しみも悲しみもない。

 琥珀色の瞳には、純粋で力強い輝きがある。

 それはヒラクの勾玉と同じ清らかで澄んだ光だ。


「……おれは、真実が知りたい」


 ヒラクはきっぱりと言った。


「おれの都合で創り上げた神じゃなく、ありのままの神を知りたい。善いとか悪いとか、正しいとか正しくないとかで、世界を歪めて見たくない。ただ在るがままの世界を、神を、真実を、そのままおれは受け止めたい」


「そのためにここに来たの?」ユピは無表情で言った。


「うん。今、わかった」


 冷たい空気の中、ヒラクの声が凛と響く。


「たぶん同じことなんだ。おれがユピをそのまま受け入れようって思う気持ちと、在るがままの世界を受け入れようって気持ちはさ、きっと同じことなんだよ」


 ユピは、ヒラクの迷いのない目を見て、微かに眉をひそめた。


「君は何もわかってない」


「うん。だからこそ、知りたいって思う」


「僕はもう君の知る僕じゃない」


「これからまた知っていけばいいじゃないか」


 ヒラクが言うと、ユピの顔からは微笑が消え、表面に張った薄氷がひび割れて水があふれだすように、その表情には不安と混乱がにじみ出る。


 ユピは声を震わせて言う。


「僕のすべてを知れば、君は僕を嫌いになる。もう、じゅうぶん憎まれたはずだ。ヒラクのもとには戻れない。ヒラクがいなければ……僕に存在価値なんて……」


 ユピの足元がぐらりと揺れた。

 ヒラクは、床に両手をついてうなだれるユピのそばに駆け寄った。


 ヒラクは、ユピを慰めるように震える肩に手をのばそうとしたが、ふと思いとどまった。


「ユピ、おれは関係ないよ」


 ヒラクは手を引き戻して言った。


「おれがユピを嫌いなんじゃない。ユピは自分のことが嫌いなんだ。だからおれに好かれるわけがないって思ってる」


 ヒラクは少し言いづらそうに、それでもありったけの気づかいと優しさを込めながら、声の調子を強めて言う。


「自分で自分のことを苦しめちゃだめだよ。誰もユピを責めたりしない。責める声が聞こえるのなら、それはユピ自身の声だ」


 ヒラクの言葉にユピは顔をあげた。

 その顔は嫌悪に満ちていた。

 ユピは立ち上がり、ヒラクを忌まわしそうに見る。


「余計なことを……」ユピは吐き捨てるように言った。「いや、余計なことをしたのはこの私か。どうやら君を侮りすぎたようだ。裁きと支配の働きを理解したばかりか、そこからの解放を試みようとするとは」


 ユピの口調が変わったことに気づいたヒラクは警戒心をあらわにして鋭い目を向ける。


「おまえ、誰だ?」


「ユピだよ」


 ユピは邪悪な笑みを浮かべて言った。


「嘘だ、おまえはユピじゃない!」


「あれ? おかしいな。僕のそのままを受け入れるんじゃなかったの?」


「だけど、おまえはユピじゃない!」


「ユピだよ。この僕も含めてユピさ。僕を否定するならば、ユピはここに存在しないことになる」


「どういうこと……?」


「ヒラク、どきな!」


 ウナルベがヒラクの前に出た。


「こいつは危険だ。何か嫌な気配をまとっている」


 ユピはウナルベを見ると、意味ありげな笑みを浮かべて、剣の入っていた真鍮の箱が置かれた鏡の前に向かった。


 ウナルベは背中を向けたユピに襲いかかろうとしたが、なぜか恐怖を感じて動けず、ただその場でうなり声をあげるだけだった。


 ユピは真鍮の箱の中から金の装飾に縁取られた鏡を取り出した。


「あっ、その鏡は!」


 ヒラクはその鏡に見覚えがあった。

 それはマイラが捜し求めていた黄金王の鏡だ。


 炎が燃え上がっているような浮き彫りの額の中に丸い鏡をはめこんだ、まぶしく輝く太陽のような形の装飾鏡は、黄金王が持っていたものに間違いない。


 ユピは鏡を重たげに胸の前で抱えながら、ヒラクとウナルベのそばに近づいてくる。


「おもしろいものを見せてあげるよ」


 そう言って、ユピは広間の中央を歩いてくると、ウナルベの前に立ち、鏡に全身を映させた。


「なんだい、この醜い化け物は……」


 ウナルベは、鏡に映った自分の姿を見て気味悪そうに言った。


「それは君自身だよ。だけど本当の君の姿じゃない」


 ユピがそう言った途端、鏡からまぶしい光が放たれた。

 ウナルベは目をつぶり、後ずさりする。


「だめだよ、ちゃんと見なきゃ。これは神を映す鏡なんだ。君の真実の姿がここに映し出されるよ」


「あたしの……真実の姿……?」


 ウナルベはおそるおそる目を開けた。

 その光の中にある影をしっかり見ようとウナルベは鏡に近づいていく


 そして鏡から放たれる光と同じ光がウナルベの全身から放たれた。

 まるで光に溶け出すようにウナルベの全身の形が失われていく。


「ウナルベ、そっちに行っちゃだめだ!」


 トーマの最期と重なって、ヒラクは思わず叫んだ。


「ウナルベ! ウナルベ!」


 ヒラクの言葉で、ウナルベは光の中で形を取り戻す。


「ヒラク……」


 ヒラクの方を振り返ったウナルベは、完全に姿を取り戻していた。

 そして光はすべて鏡に吸収されて消え失せた。


「ウナルベ!」


 ヒラクはウナルベに抱きついた。


「なんだい、あんた、気持ち悪いね」


 そう言いながらもウナルベはどこかうれしそうだった。


「……そういうことか」


 ユピは鏡を下に置き、水面に映る自分の姿を眺めるように見下ろした。


「名前か……」


 ユピの声は小さく、低く、震えていた。そのつぶやきには、ほんのわずかながら、動揺が感じられた。


「名前?」


 ヒラクは鋭く反応した。それが、ユピの支配と洗脳を解く鍵であることを、直感的に感じ取った。


「ユピ……」


 ヒラクがその名を静かに呼ぶと、ユピは一瞬、目を見開いた。

 そして生気のない唇に、白く華奢な指が無意識のうちに触れた。

 不安に陥った時のユピの癖だ。


「ユピ……」


 ヒラクは再び名前を呼んで近づいていく。


 その瞬間、割れたガラス窓から冷たい風が吹き込み、室内に雪が舞い込んだ。 

 ヒラクは寒さにぶるっと震えたが、目の前に立つユピからは目を離さなかった。


 舞い込む雪の中、ユピの顔は一瞬の不安から邪悪な笑みに変わった。

 先ほどの動揺が噓のように、ユピはヒラクを冷たい目で見つめ返す。


 しかし、ヒラクにはもはや迷いもなく、その燃えるような琥珀の瞳で真実を見定めようとしていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【登場人物】


ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピに心を支配され、一時は自分を見失い、勾玉の光を失うが、今は自分を取り戻し、これまで目を背けてきたユピをとらえる闇の正体を知るべくユピの後を追い再会。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。南多島海で破壊神の剣を手に入れるとヒラクの前から姿を消す。再び神帝国に現れたユピは父である神帝を殺し鏡を奪う。鏡と剣を手に入れたユピは勾玉主であるヒラクの訪れを待っていた。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓うが、ユピに対して強い警戒心を抱いていたが、勾玉主ではなくヒラク個人への忠誠心を抱いていることをユピに逆に利用され、ヒラクのそばを離れてユピに従った。


ウナルベ……破壊神の島で剣を守っていた謎の生き物。猪の胴体、鳥の翼、トカゲのしっぽを持っていた。破壊神の島から脱出する際、トカゲのしっぽを失い飛行できるようになった。ウナルベはヒラクが名づけた名前。アノイの言葉で「おばさん」の意味。


トーマ……神帝国の城に勤めながら潜伏していた希求兵。物腰が優雅で知的な印象。


※希求兵……ルミネスキ女王に精鋭部隊として育てられた元ネコナータの民の孤児たち。幼少の頃から訓練を受け、勾玉主をみつけ神帝を討つ使命のもと神帝国に送り込まれ、15年以上潜伏していた。


大神官……神帝を神王の生まれ変わりとして祀り上げ、神官としての権威を誇りながら軍師と共に神帝国の二大勢力として君臨していた。





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る