第7話 海賊の親子
カイルは崩れかけた城壁の内側の回廊を走り続けた。
その後をキッドが追う。
城壁は塔と塔で結ばれている。
崩れ残った塔の上階の狭間から神帝国の守備兵が矢を放ち、壁を越えようとするルミネスキ兵への攻撃を続けている。
城壁に囲まれた敷地の中央には神帝の居館があり、それとは別に独立した建物が前庭を挟んで両側に建っている。
東側の建物の一部は兵舎として使われ、城壁の東の塔とつながっている。カイルはその東の塔の地下を目指していた。
さきほどまで巨人が暴れまわっていた場所であるため、東側の壁は瓦礫の山と化していた。
塔の一部も損壊し、頂上部の屋根は吹き飛び兵舎を直撃したようだ。
兵舎に人がいる気配はない。
崩れ落ちた場所を狙って城内に侵入してきた数名のルミネスキ兵たちが、瓦礫の下敷きになった神帝国兵の持ち物を物色している。
カイルは壊れた壁の影に隠れてルミネスキ兵たちの様子をうかがいながらキッドに言う。
「俺が矢を射て連中をひきつけている間に、おまえは東の塔をめざせ。おそらくあの塔の中におまえの母親がいる」
「なんで、そんなことわかるんだよ」キッドは少し警戒して言った。
「俺もあそこに囚われていたからだよ」
「おまえが……?」キッドは驚きと困惑の目でカイルを見た。
「いいから早く行け」
カイルはそう言って、弓に矢をつがえた。
「おまえ、大丈夫なのかよ」キッドは心配して言った。
「わけないさ。あいつらはただの物取りだ。おそらく他のルミネスキ兵はもうとっくに中央の建物に向かっている。今のうちに母親を連れ出して、早くここから逃げるんだ。行け!」
カイルの言葉で弾かれたようにキッドは東の塔に向かって駆け出した。
それと同時にカイルはルミネスキ兵たちに向かって矢を放った。
キッドは振り返ることなく塔に向かって走る。
厚い壁を持つ頑丈な作りの東の塔も巨人にとっては玩具のようで、頂上部はもぎとられ、かろうじて塔として残った部分には縦に大きな亀裂が走っていた。
キッドは瓦礫の山によじのぼり、亀裂から塔の中に入った。
あわてて外に出ようとしたのか、牢番らしき男が塔の入り口で血を流して倒れている。
キッドは男が腰につけていた鍵束を奪うと、螺旋階段を駆け下りた。
地下牢の鉄格子の向こう、高窓から差し込む光の中を埃と塵が舞っている。
鎖のついた手枷で壁にはりつけられた格好のグレイシャの姿がほのかに明るい薄膜のような光の中に浮かび上がる。
「頭領!」
鎖にぶらさがり、うなだれるグレイシャのそばに駆け寄ると、キッドは持っていた鍵で手枷を外した。
拘束が解けたグレイシャは崩れ落ちるように床に倒れこんだ。
「頭領、頭領、生きてるのか! しっかりしてくれ!」
キッドは倒れたグレイシャの体を抱き起こして呼びかけた。
「……キッドなのかい?」
グレイシャは薄く目を開けてキッドを見た。
額から流れた血が髪の毛にこびりつき、黒く変色して固まっている。
「おまえ、生きていたのか」グレイシャは弱々しく笑った。
「頭領こそ! 俺、助けに来たんだ。絶対生きているって思ったんだ」
キッドはうれしいのか悲しいのかよくわからない気持ちで大きなアーモンド型の目から涙をあふれさせた。
「とにかく、ここを出よう。俺につかまって。さあ!」
キッドは手の甲で目を拭い、グレイシャに肩を貸して立ち上がらせようとするが、グレイシャはぐったりと体をあずけたまま動かない。
「どこか痛いのか? 立てないのか?」
キッドはおろおろとしながら、グレイシャの顔をのぞきこむ。
「……あたしのことは放っておいてくれ」
グレイシャはかすれ声で言った。
「頭領のあたしが一人おめおめと生き残って帰るわけにはいかないんだよ」
「一人……って、他のみんなは?」
キッドが聞くと、グレイシャは力なく首を横に振った。
「首謀者があたしだってことを吐いた途端、ここまで連れて来られた他の連中は一人残らず殺されたよ。あいつらを助けるはずが、まったく逆なことをしてしまったのさ」
かすれた声を震わせて、つらそうに語るグレイシャにキッドはかける言葉もみつからない。
それでもこのままグレイシャを置いていけるはずもなかった。
「頭領、とにかく海賊島に戻ってきてくれよ。頭領がいないと島は荒れちまってたいへんなんだ」
「もうあたしは頭領なんかじゃないよ。戻る場所なんてない」
「そんなことねぇよ。アニーだってすごく心配してるんだぜ。頭領が帰ってくるのを待ってるんだ」
キッドは必死になって言うが、グレイシャは肩を落としてうなだれたまま、立ち上がろうとしない。
「頭領、頼むよ、立ってくれよ! 頭領……頭領……」
のどの奥にこみ上げてくる熱いものと一緒にキッドは言葉を吐き出す。
「……母さん!」
グレイシャはハッとして顔を上げた。
キッドはぼろぼろと涙をこぼしながら、激しい眼差しでグレイシャを見た。
「生きてくれよ。ただ、生きていてほしいんだよ。あんたは俺の母さんなんだ。頭領だろうがなかろうが、あんたは俺のたった一人の母さんなんだよ!」
「……驚いたね。あんたがそう思ってくれていたとはね」
グレイシャは慈しむような目でキッドを見て、寂しそうに笑った。
「あんたにしてやれたことなんて何一つなかったのに……。手放して育てることでしか、幸せにしてやれないと思っていた」
グレイシャはまだ赤ん坊だった頃のキッドのことを思い出していた。
今まで見たこともないグレイシャの穏やかで優しい表情にキッドは驚き戸惑った。
それでもキッドはなぜかそんなグレイシャをどこかで知っているような気がしていた。
「あたしは最初から、あんたを次の頭領にするつもりはなかった」
グレイシャはキッドに言った。
「血なまぐさい海賊の歴史はあたしの代で終わらせるつもりだった。あんたには、平和な時代にのびのびと生きてもらいたかったんだ」
グレイシャのその想いを知っていたのはアニーとゲンだけだ。
キッドは、グレイシャが自分を遠ざけているのは、自分を海賊として認めてくれていないせいだと思っていた。
「俺、ずっと頭領に認められたいって思ってた。世界を股にかける大海賊になって、頭領を見返してやろうとも思った。だけど……」
キッドは頭領としてではなく母親として改めて目の前のグレイシャを見た。
「俺はただ、母さんの息子だってことを言いたかっただけなのかもしれない。俺の母さんは頭領だって、堂々と言いたかったんだ」
グレイシャはキッドの言葉をうれしく思ったが、その気持ちを押し殺すような低い声で突き放すように言う。
「あんたの母親をやってくれたのはアニーだ。産みの親より育ての親っていうだろう。もう十五年近く離れて暮らしているんだ。あたしはもうあんたの親とはいえないよ」
「だったらこれから親になってくれよ」キッドは声を強めて言った。「これから十五年、二十年かけて、親子になればいいじゃないか。だからこの先も生きてくれよ。生きていてほしいんだ!」
キッドはグレイシャを背負って立ち上がろうとしたが、足をよろめかせ、ひざをつき、床にはいつくばってしまった。
グレイシャは、自分よりも一回り以上小さなキッドの上におおいかぶさり、立ち上がると同時にキッドを抱え起こした。
「あたしを背負おうなんて十年早いよ。まあ、十年たってもあんたに背負われる気にはならないけどね」
グレイシャの言葉にキッドはうれしそうに笑い、立ち上がったグレイシャを見上げて言う。
「二十年先には老いぼれて、自分から背負ってくれって言うかもしれないぜ」
「言うじゃないか。そのときが楽しみってもんだよ」
グレイシャはそう言って、キッドの肩を借りながら、寄り添うようにして塔の階段を上っていった。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピに心を支配され、一時は自分を見失い、勾玉の光を失うが、今は自分を取り戻し、これまで目を背けてきたユピをとらえる闇の正体を知るべくユピの後を追う。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。南多島海で破壊神の剣を手に入れるとヒラクの前から姿を消す。再び神帝国に現れたユピは父である神帝を殺し鏡を奪う。
カイル……セーカの若者。神帝国に自由を求めた時期もあったが、プレーナ教徒のアクリラのためにセーカに留まる。プレーナ教崩壊後は狼神の旧信徒たちと共に神帝国に囚われるが、神帝国の義勇兵に解放され、彼らに加勢しルミネスキ軍と戦う。
※セーカは、水の女神プレーナを信仰するプレーナ教徒と異端とされる狼神を信仰したプレーナ教徒の末裔(狼神の旧信徒)によって構成された地下の町だった。暗躍していた狼神の使徒はユピにより壊滅。プレーナもヒラクにより消滅。セーカは神帝国に土地を奪われ、多くの人々が奴隷として神帝国に連れてこられた。
グレイシャ……海賊島の統領。キッドの母親。ルミネスキの傭兵として海賊たちを統率している。ルミネスキと神帝国の開戦により、海賊たちを引き連れて神帝国軍に奇襲を仕掛けたが失敗する。
キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。グレイシャ不在の海賊島で次期統領争いに巻き込まれ命を狙われたことで島を脱出。ヒラクに同行し、グレイシャの後を追うようにノルドに向かった。
アニー……島の連絡手段である白羽鳥の管理者。酒飲みで昼夜問わず酔っ払っている。リク、カイ、クウの三兄弟のほかに娘が二人いる。五人の子供の父親はそれぞれ誰かはっきりしない。グレイシャに惚れこみ、キッドを我が子のように育ててきた。
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