第5話 三人の希求兵
ヒラクたちが乗る海賊船は、一路北を目指していた。
大陸の黒い影が水平線をはうように姿を現してからもさらに時間は経過する。
そしてやっと接岸し、上陸した北の大地は真っ白な雪におおわれていた。
雪の中、ノルドに上陸したヒラクたちを三人の希求兵たちが迎えた。
「印を残したのは君だね」
歩み寄ってきたハンスに一人の青年が神語で声をかけた。
手にはウナルベが残してきた棒切れを持っている。
オリーブ色の髪と瞳を持ち、前髪を額で切りそろえ、後ろ髪を一つに束ねているその青年は、仕立てのいい服を薄汚いマントの下に隠していたが、礼節をわきまえた人間であることは振る舞いをみればよくわかる。
「俺の名はハンス。ここで水夫として働いていた。お互いに、生活のにおいってのがしみついてるよなぁ。大方あんたは城にでも入り込んでいたんだろう?」
「ええ、そうです。私は城で働いています。トーマと呼んで下さい。どうぞよろしく」棒切れを手に持つ青年は礼儀正しく会釈した。
トーマと名乗った青年とハンスが握手を交わすと間にもう一人入ってきた。
「俺はヴォルフ。神帝国では大工をしていた」
ヴォルフと名乗った男は顔中ヒゲだらけでずんぐりとした体型で、おそらくハンスやトーマと同じぐらいの年なのだろうが、見かけはずっと老けていた。
「この方が勾玉主様か?」
そう言ってヒラクを見たのは鎧姿の背の高い兵士だ。
ハンスが「そうだ」と答えると、兵士はヒラクの前で片ひざをつき、頭を垂れた。
「私はギルベルト・ワイスと申します。お目にかかれて光栄です」
ヒラクはジークのことを思い出した。堅苦しい話し方がそっくりだ。
ジークも神帝国の兵士だった。
そして勾玉主であるヒラクを探し出し、メーザへと連れ出した。
ヒラクにノルドの外に世界があることを教えたのはジークだった。
ヒラクは、今ここにジークがいないことに胸の不在を痛めていた。
「勾玉主様?」
ギルベルトと目が合い、ぼんやりとジークのことを考えていたヒラクはハッとした。
ギルベルトの藍色の瞳はジークの緑の瞳とはちがう。
「あ、ごめん。おれはヒラク。ヒラクって呼んでよ」
「はい、ヒラク様」
あっさりと呼び方を変えるギルベルトを見て、やはりジークとはちがうのだと、ヒラクは少し寂しいような気持ちになった。
ジークにとって、ヒラクはずっと「勾玉主」でしかなかった。ジークがヒラクの名を呼んだのは、勾玉主としてではないヒラク自身に心を開いた時だった。共に旅をして、信頼を重ねて、絆が生まれた結果だった。
勾玉主がヒラクだったからではなく、ヒラクが勾玉主だからこそ、ジークは命を捧げる覚悟でヒラクを守ってきたのだ。
そのジークが今はいない。
ヒラクは表情を曇らせて黙り込む。
そんなヒラクをちらりと見て、ハンスは空気を変えるように言う。
「ところで、希求兵はおまえらだけなのかい?」
「はい。色々と事情がありまして……」トーマが言うと、
「とにかく話は中でしよう」ヴォルフが港の倉庫を指差した。
暗い倉庫の中でヴォルフはランプに火をつけた。
海賊たちは寒さでガチガチと歯を鳴らす。
波の飛沫で濡れた衣服が素肌に貼り付いて凍りつくようだった。
見かねたヴォルフは切り株をくりぬいて灰をしきつめた火鉢と毛布を持ってきてやった。倉庫で暖を取るために希求兵たちが使っているものだ。
海賊たちは濡れた衣服を脱ぎ捨て毛布にくるまり、火鉢を囲んで震える体を寄せ合った。
「おまえら海賊か?」
ヴォルフは神語で話しかけたが、言葉のわからない海賊たちは、誰も何も答えない。
「海賊かって聞いてるんだよ」
ヴォルフは世界語で言った。
「そうだ。文句あるか」
キッドが前に出てきて言った。
「ひでぇ、なまりだな。あいつらの仲間か?」
「あいつら……って」
「先に来た海賊たちを知ってるのか?」
キッドを後ろに退けて、カイはヴォルフにつめ寄った。
「ああ。俺は町を抜けて新港の様子を探りに行っていたからな。ルミネスキの軍勢が押し寄せてくるっていうんで、この旧港と新港を連日行ったり来たりしていたのさ」
「ちょっと待て」
リクがヴォルフとカイの間に割って入った。
「神帝国はルミネスキが攻めてくることを知っていたのか?」
「じゃあ、頭領たちは敵が待ち構える中に飛び込んでいったってことか」
クウは顔をこわばらせた。
「そんな……」キッドは愕然とした。
「それで? 海賊たちはどうなったの?」ヒラクはヴォルフに聞いた。
「ほとんどの連中が海上の衝突で命を落したようです。港で捕まった連中もおそらくもう……」
「助かった人もいるの?」ヒラクが言うと、
「頭領か? 頭領は無事なのか?」キッドがおおいかぶせるように言った。
「さあな。誰のことを言っているのかはわからないが、捕まった連中はどいつもこいつもひどい態度だった。城にひっぱっていかれるまでさんざん悪態をついていたからな。無事でいられるのかどうか」ヴォルフは淡々と言った。
「城に連れて行かれたのか」リクは確かめるように言った。
「敵の動向を探るためです」トーマが言った。
「じゃあ、神帝国側は、ルミネスキが攻めてくることは知っていても、くわしくは何も知らなかったってことか」ハンスは考え込むように言った。
「一年ほど前のことです」トーマは神語で話し始めた。「エルオーロから積荷を運ぶ船でノルドにやってきた商人たちがいました。彼らは勾玉主様と一緒に連れ去られた神帝国の皇子の伝言を伝えに来ました」
「ユピの?」ヒラクは敏感に反応した。
「その者たちは皇子をルミネスキまで商船で連れて行ったと言っていました。そして皇子の伝言を伝えるためにノルドまできたと。神帝の側近である大神官がその者たちと会いました。皇子から得た報酬の倍の要求が当然通ると思っていたようでしたが、結局その商人たちは残らず処刑されました」
「死んじゃったの? どうして?」ヒラクは驚いた。
「そこで何が話されたのかはわかりません。ですが、それから神帝が敵の襲来におびえるようになり、半年ほど前から軍帥の勧めで東の城砦に移り住むことになったのです。私には、このことと皇子の伝言が無関係とは思えません」
「ユピが……」
ヒラクはユピのことが気になってしかたなかったが、ハンスはまったく別のことを考えていた。
「軍帥は、俺たちがメーザへ向かった後も、失脚することはなかったんだな……」
ハンスは腑に落ちないといった顔であごの辺りの無精ひげをなでつけた。
神帝国は大神官と軍帥という二大勢力によって成り立っている。
神王の再来とされる神帝を神として信仰を強化して民衆の支持を集めたのが大神官であり、軍事力を強め、神帝の力を誇示してきたのが軍帥である。大神官と軍帥は互いに対抗心を持ち、常に牽制し合っていた。
「あくまでも神帝を神王の再来として信仰対象とする大神官側と、皇子を新しい神帝の座に据えようとする軍帥側は、権力の座を巡り、対立しているかのようにみえました。ですがそれは見せかけです」
「どういうことだ?」ハンスはトーマに聞き返した。
「まずはあなたがおっしゃったとおり、軍帥側が皇子を神帝の地位に擁立しようとした件を大神官側が追及しなかったことが理由として挙げられます。神帝が城砦に移り住むことになったときも、大神官は反対もせず、城常駐の兵士の半数近くを城砦の警護にあたらせることにも異を唱えることはなかったのです」
「妙だな」ハンスは言った。「少なくとも軍帥は神帝国に潜り込んだ希求兵の存在を知っていたし、兵士の中に他に潜り込んでいる奴もいることぐらい予想もついたはず。なのに洗い出しもせず、皇子の行方を追うこともしなかったってのもおかしなこった」
「それは私も考えた。だから城砦への移動は希求兵を洗い出すための罠ではないかとも思った」ギルベルトが言うと、
「どういう意味?」ヒラクは難しい顔で聞き返した。
「希求兵には勾玉主様と共に神帝を討つという目的があります。神帝に動きがあれば我々にも動きが出る。そう考えたのではないかと思ったのです」
「けど別に俺は動かなかったぜ」ヴォルフは言った。「希求兵って言ってもみんなが同じ動きをするわけじゃない」
「実際そうでした」トーマも言った。「だから予測のつかないことも起きる」
「予測がつかないことってなんだ?」
「何があったの?」
ハンスとヒラクは同時に尋ねた。
トーマは二人を見て答える。
「ルミネスキの軍勢が攻めてきたとき、神帝国の兵力は港と城、そして神帝のいる城砦に分散されていました。神帝国の城壁を突破されれば、城が陥落するのは時間の問題でした。それでも大神官は城砦の兵を呼び戻そうとはしなかったし、軍帥も動かなかったのです。それに業を煮やして動いた希求兵たちがいました。彼らはルミネスキ軍の仕業とみせかけて城砦に攻撃をしかけました」
「神帝は城砦の警護にあたっていた大多数の兵士たちをルミネスキ兵のもとへ向かわせた」ギルベルトが言った。
「希求兵たちは兵が手薄になったところを狙って神帝の首でも取ろうとしたのかい?」ハンスが聞いた。
「いや違う」ギルベルトが苦々しい顔で言う。「奴らは希求兵としてではなく神帝国の民として動いている。神帝国をルミネスキの攻撃から守ることが目的だ」
「皮肉なものだな。神帝国で家族を持ち、仕事を持ち、それぞれの役割を演じるうちに、いつのまにかそっちが本物になっちまったのさ。希求兵である前にただの人間だったってことか」
ヴォルフは火鉢の炭をたしながら言った。
ハンスはヒラクと共に船出してメーザに向かった希求兵たちのことを思い出していた。彼らも神帝国の家族の元へと戻りたがっていたがそれは叶わなかった。任務を放棄した希求兵には粛清あるのみ。それが当然と考えるハンスは今も自分がしたことが間違いだとは思っていない。
「これは裏切りだ。見過ごしたままにはできぬ」
ハンスと同様の考えをもち、あくまで希求兵としてのみ生きるギルベルトは、忌々し気につぶやいた。
「とにかく、希求兵の動きも予測できないものになっています。ましてや勾玉を手にした神王まで現れ、私たちもどう動いていいのか……」
トーマは表情を曇らせる。
「神王が現れたってどういういこと?」
ヒラクは思わず声を張り上げた。
「勾玉って赤い光を放つ勾玉? どうして神王がここに?」
「私はあれが神王であるとは思っていません。だが確かに神王の姿をしていました」
ギルベルトは城砦で見た巨人のことをヒラクに話した。
ヒラクは神帝のあっけない最期に衝撃を受け黙り込んだ。
会話が途切れたところで、しびれを切らしたキッドが叫ぶ。
「おい! おしゃべりはもうそのへんにしろ」
キッドの背後で海賊たちもイライラした様子で希求兵たちを見ていた。
彼らには神語はわからない。疎外感と焦燥感でキッドの怒りは頂点に達していた。
キッドは肩を怒らせながら大またでずかずかと希求兵たちに近づいてくると、真剣な顔つきで言った。
「俺を城に連れて行け。頭領を助ける」
けれども希求兵たちはまるでキッドを相手にしない。
キッドはカッとなり、トーマにつかみかかる。
「おい、聞いてるのかよ。俺を城に連れて行けって言ってるんだよ」
トーマはキッドの手を振り払い、毅然とした態度で言う。
「我々は勾玉主様の命にしか従わない。下がれ」
キッドは今度はヒラクを見た。
「ヒラク、こんなところでいつまでもじっとしていても仕方ないだろう? とにかくここを出ようぜ。俺は城に行きたいんだ!」
まるで癇癪を起こした子どものようにキッドは地団太踏んでわめきちらす。
ヒラクは静かに目を閉じ、胸にこぶしをあてた。
指の隙間から光があふれだす。
ヒラクがこぶしを開くと手のひらには透明な光を放つ勾玉があった。
光はまっすぐに行くべき方向を示している。
三人の希求兵たちは勾玉を見て息を呑む。
「あっちにあるのは何?」
ヒラクに聞かれて、トーマはハッと我に返った。
「あちらは神帝国。城があります」
「よし、城だな!」キッドはうれしそうに言った。
「案内してくれる?」ヒラクはトーマに言った。
「勾玉の光が城へ行けと告げているのか……」
ヴォルフは神妙な顔で言った。
「やはり討つべき敵は城か……」
ギルベルトも表情を引き締めた。
「おいおい、まさかそのでっかい巨人を相手にする気じゃねぇだろうな」
ハンスの笑みがひきつった。
「いいえ。巨人はもういません。その手にある輝くものを城に運んで消えたのです」
トーマはそのときの光景を思い出しながら、はっきりとした口調で言う。
「それは赤い光に包まれた少年でした」
「……ユピだね」ヒラクは確信して言った。
勾玉の光の道筋はユピへとまっすぐ伸びていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピに心を支配され、一時は自分を見失い、勾玉の光を失うが、今は自分を取り戻し、これまで目を背けてきたユピをとらえる闇の正体を知るべくユピの後を追う。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。南多島海で破壊神の剣を手に入れるとヒラクの前から姿を消す。再び神帝国に現れたユピは父である神帝を殺し鏡を奪う。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓う。強い警戒心を抱いていたはずのユピになぜか従い、ヒラクの元を離れてしまう。
ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。成り行きでヒラクの旅に同行しているが、頼りになる存在。お調子者のように見えるが裏切者の希求兵を皆殺しにする非情さもある。
グレイシャ……海賊島の統領。キッドの母親。ルミネスキと神帝国の開戦により、海賊たちを引き連れて神帝国軍に奇襲を仕掛けたが失敗。現在行方がわからなくなっている。
キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。グレイシャ不在の海賊島で次期統領争いに巻き込まれ命を狙われたことで島を脱出。ヒラクに同行し、ノルドに向かう。
リク……海賊島の若い海賊。三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。キッドを守るため行動を共にする。
カイ……リク、カイ、クウ三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。
クウ……三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。総舵手として船には欠かせない存在。
ウナルベ……破壊神の島で剣を守っていた謎の生き物。猪の胴体、鳥の翼、トカゲのしっぽを持っていた。破壊神の島から脱出する際、トカゲのしっぽを失い飛行できるようになった。ウナルベはヒラクが名づけた名前。アノイの言葉で「おばさん」の意味。
トーマ……神帝国の城に勤めながら潜伏していた希求兵。
ヴォルフ……神帝国で大工として潜伏していた希求兵。
ギルベルト……神帝国で兵士として潜伏し、神帝の身辺警護にあたりながら動向を探っていた希求兵。
※希求兵……ルミネスキ女王に精鋭部隊として育てられた元ネコナータの民の孤児たち。幼少の頃から訓練を受け、勾玉主をみつけ神帝を討つ使命のもと神帝国に送り込まれ、15年以上潜伏していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます