第4話 北の大陸ノルドへ

 ヒラクは緑の髪をなびかせながら、三本マストの快速帆船に揺られて、じっと北の方角を眺めていた。


 マストの先端にはそれぞれ、赤、青、黄色の細い旗が掲げられ、縦に張られた三角帆の色は鮮やかな緑色だった。


「しかし、こんな目立つ船で、敵地に乗り込んで行くことになるとはな」


 赤いバンダナをしたカイが策具を操りながら大声でぼやく。


「しかたねぇだろ。俺たちの船はこれしかねぇんだから」


 抜け落ちた髪と同じ緑のニット帽をかぶるキッドは荒れ狂う波のしぶきを受けながら、体を震わせて叫んだ。


「あーっ? なんだってぇ?」


 カイは叫ぶが、波が船に打ちつける音と、冷たい風の轟音で、会話が途切れ途切れになる。


「慣れた船が一番さ。それにこれだけの逆風の中を進める船はこの船以外にはないだろう」と黄色いバンダナのリクが叫ぶと、


「常に帆の向きを変えてかなきゃねぇんだから休む暇もねぇ」と青いバンダナのクウは疲れきった様子で文句を言った。


 今、ヒラクたちはノルドを目指して北の海上で船に揺られている。


 ヒラクたちが戻ってきたときの海賊島はすっかり様変わりしていた。


 遠浅の海の青の陰影と白い砂浜の対比の美しい島には殺伐とした空気が漂い、のんびりと浜辺でくつろぐ老人や波とたわむれる子どもの姿も今ではもう見られない。


 グレイシャがノルドに出発してからすでに数カ月は過ぎていた。


 グレイシャはもちろん、彼女が引き連れていった海賊たちは誰一人戻ってきていない。


 島は再び海賊たちの無法地帯となり、新しい頭領の座を巡り、島に残った男たちは小競り合いを続けていた。


 そんな状況の中、自らも命を狙われることとなったキッドは、ノルドへ向かうヒラクについて島を出ることを決意した。


 三兄弟はまだ体力も回復しない状態だが、キッドを逃がす目的で船を出した。


 結果的にヒラクに力を貸すことになったが、ノルドへ行ってどうするかはまったく考えていなかった。


「南の次は北か……」


 クウは寒さでかじかむ手に息を吐きながらぶつぶつと文句を言う。


「いいじゃねぇか! これこそまさに海の浪漫だろう!」


 綱を引きながらカイはやけくそ気味に叫んだ。


「なあ、頭領は無事だと思うか?」


 二人に向かってキッドは尋ねるが、クウとカイは急に黙って、聞こえないふりをした。


「無事だよな! きっとみんな無事だよな!」


 がなり立てるキッドの肩にリクは手を置いた。


「戦況がどうなったのかはわからない。ただ、エルオーロから出た船は、補給船すら戻ってきていないというのは事実だ」


「でも、向こうは今は冬ってやつなんだろう? 寒くて身動き取れなくなってるだけじゃねぇのか」


「身動きが取れなくなる前に、頭領たちは帰ってくる予定だったんだ」


 リクの救いのない言葉に、キッドはどうしようもない怒りを覚えた。


「じゃあ、頭領や他のみんなは無事じゃないっていうのかよ。歴戦の海賊たちだぞ。ちょっとやそっとのことでやられるわけねぇよ。無事に決まってる。無事だって信じろよ!」


 キッドはリクにつかみかかり、激しく肩をゆさぶって叫んだ。

 リクは、ぶらさがるようにしがみつくキッドの顔を見下ろした。

 グレイシャによく似たキッドの鋭い目には不安の色がある。


 リクはキッドの頭に手を置いた。

 すっかり髪が抜け落ちてしまっているキッドは、毛糸で編んだ暖かそうな帽子をすっぽりとかぶっている。


「まずは自分が無事で帰ることを考えろ。おまえにだって待ってる人間はいるんだってことを忘れるな」


 リクは帽子の上からキッドの頭を軽く叩いた。キッドの帽子はセーラが編んだものだ。


『急いで編んだからうまくできなかったけど、帰ってきたらちゃんと直してあげる』


 そう言って自分を送り出したセーラのことを思い出したキッドは、怒りもどこかに消え失せて、しんみりとした気持ちになった。


「あーあ、俺にも編んでもらいたかったぜ。まさかここまで寒いとはな」


 そう言ってリクはくしゃみをした。


 リクだけじゃなく、カイもクウも寒そうに肩を縮めている。


 三兄弟は防寒のために服を多めに着こんではいたが、温暖な気候に慣れ親しんでいるため、寒さはことのほか堪えた。


「指がかじかんで演奏に支障をきたすでげす」


 蛇腹屋が冷たくなった楽器を胸に抱えて下甲板から上がってきた。


 蛇腹屋だけでなく、南から戻ってきたゲンの仲間たちも船に乗っていた。

 キッドを守ろうとしたゲンの遺志を継いでついてきたのだ。


 他にもキッドの仲間たちが乗っている。

 キッドを次の頭領にと押したため、海賊島の紛争に巻き込まれて行き場を失ってしまった連中だ。


 寒さにこらえながら、それぞれ持ち場について働く仲間たちの姿にキッドは申し訳ないような気持ちになる。


 南多島海で多くの仲間を失った傷がまだ癒えていない。

 こうして仲間たちを巻き込んでしまうことにためらいを感じる。


 それでもキッドは後悔を口にすることはなかった。

 ヒラクをそばで見ていると、迷いや怖れも吹き飛ぶような気がした。


 ヒラクの澄んだ瞳は、まっすぐに北をみつめている。


 やがて、白く濁った空の下、波間にかすんでノルドの地が広がるのが見えてきた。


「ハンス、どうだった?」


 ヒラクはマストから降りてきたハンスに声をかけた。


「戻ってきやしたぜ」


 ハンスがそう言ってからしばらくすると、船をめがけて大きな翼の化け物が急降下してきた。


「どっこらしょっと」


 甲板に下り立ったのはウナルベだ。


 イノシシの前足を上げ、鳥の後ろ足で着地すると、ウナルベは翼を閉じて、ごろんと横になって言う。


「あーもう疲れた疲れた! 水ちょうだいよ、水!」


 ヒラクは揺れる甲板の上を体を左右に大きく揺らしながら、バケツにためた水を運ぶ。


 こぼれて半分以下になったバケツの水を見て、ウナルベは文句を言いたそうな顔をしたが、ヒラクは気にもとめずに話しかける。


「で? どうだった? 誰かに会えた? 無事上陸できそう?」


「会えないよ。誰もいなかった」


 ウナルベが言うと、ヒラクはがっかりした顔をした。


「へぇ、誰もいなかったのかい?」ハンスが間に入ってきた。


「ああ、誰もいないよ。だからあんたの言ったとおりに棒切れを差して帰ってきたよ」


「上出来、上出来」ハンスは満足そうに笑う。


「いいの? 誰もいなかったんだよ?」


 ヒラクは納得いかない様子でハンスに言った。



 ヒラクたちは、かつて自分たちがメーザに向かって船出した場所を目指していた。

 ハンスが水夫として働いていた小さな港だ。


 その港はノルドの南西にあり、南東の神帝国の港とは距離があるが、神帝国が建国されるまで、この港から多くのネコナータ人がノルドに入り込んできた。


 新しい港ができてからは倉庫だけが利用され、新港から荷物が移送されてくる以外、船の出入りはない場所だ。


 新港に比べるとうらぶれた雰囲気で働く人間の数も少ない。

 そのため、いつからか希求兵たちが勾玉主に関して集めた情報や手がかりを残していく場となっていた。


 ハンスは、そこに現れるかもしれない仲間と連絡をつけるため、ウナルベを先に行かせたのだ。


「誰もいないっていうことは、誰かいたっていうことでさぁ」


「どういうこと?」ヒラクはハンスに聞き返す。


「俺たちは、互いに希求兵であるということを知ることがないように、決して顔を合わせないようにしてるんでさぁ。だから人の気配が少しでもあれば、隠れる癖がついている。働く人間が一人もいねぇってのは妙だが、それでも今の状況で希求兵がそこにいないって方がありえない」


「なんでそんなことわかるの?」ヒラクはハンスに尋ねた。


「勾玉主があそこから船出したことは希求兵ならとっくに誰もが知ってることでさぁ。そして、神帝との決戦のときには勾玉主は再び戻るといわれてる。それを迎えるのも希求兵の役目なんですよ」


「そっか。おれたちと一緒にメーザまで行った人たちももうとっくに戻ってるもんね。きっとおれたちを待ってるはずだよね」


 ヒラクの言葉をハンスは風と波の音で聞こえないふりをした。


 ヒラクをメーザに運んだ船は神帝国へは戻っていない。船長を含め、すでに神帝国で家族を持った者たちは、勾玉主を守る任務より、神帝国人としての生活を選んだ。しかし、それは許されないことだった。彼らはハンスにより粛清された。


 だがハンスに罪悪感はない。今も飄々とした様子で、ヒラクに言う。


「とにかく、ウナルベが残した棒の先に掘り込んだ印を読めば、その場にいる希求兵は姿を見せるはずでさぁ」


「ウナルベ、よくやったね。ありがとう」


 ヒラクが笑いかけると、ウナルベは顔がほころぶのをごまかすように口をすぼめて鼻を鳴らした。


「みんな、あと少しだよ!」


 ヒラクは甲板上の全員に向かって叫んだ。


「目指すノルドはすぐそこだ!」


 ヒラクが活き活きと叫ぶので、船の上の全員が、そこが戦場であるということも忘れて思わず歓声を上げた。


「おまえって不思議な奴だよな」


 キッドはヒラクのそばに来て言った。


「怖いって気持ちはないのかよ」


「何が?」ヒラクはきょとんとした。


「向こうはどうなってるのかとか、無事で帰れるのかとか考えないのか?」


「そんなの向こうに行ってみないとわからないよ」


 ヒラクはあっさりと言った。


「今はとにかくノルドにたどり着くのが目的だ。それしか考えてないよ」


「簡単でいいよなぁ……うらやましいくらいだぜ」


 キッドはあきれながらも感心するようにため息をついた。


「いくら考えたってわからないこともある。わからないなら、感じる心に従うしかない。その場になってみなければ、心が何を望むのかなんてわからない」


 ヒラクは決意を込めた目で、前方に広がるノルドの白い空をじっと見た。


「だからおれは会いにいく」


 寒空の下、ヒラクの言葉が凛と響く。


 そのまっすぐな視線の先にいるのは誰なのかなど今さら聞くまでもないことだとキッドは思った。


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【登場人物】

ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。北の大陸ノルドの少数部族アノイの地で生まれた。幼い頃から共に暮らしたユピはかけがえのない家族だが、ユピの中に潜む邪悪な存在による支配と洗脳に苦しむ。今は、自分の前から姿を消したユピの後を追っている。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育ち、ヒラクを心から愛する。しかし、南多島海で破壊神の剣を手に入れるとヒラクの前から姿を消す。再び神帝国に現れたユピは父である神帝を殺し鏡を奪う。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓うが、ユピに対して強い警戒心を抱いていたが、なぜかユピに従い、ヒラクの元を離れてしまう。


ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。成り行きでヒラクの旅に同行しているが、頼りになる存在。お調子者のように見えるが裏切者の希求兵を皆殺しにする非情さもある。


グレイシャ……海賊島の統領。ルミネスキ女王からも一目置かれた存在。キッドの母親。ルミネスキと神帝国の開戦により、海賊たちを引き連れてノルド大陸を目指すが、ユピが神帝国とも内通していことにより、神帝国の港への奇襲に失敗する。


キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。三年前呪術師の島に来た時から髪が四季のように変色し最後には抜け落ちるようになった。ヒラクと出会ったときは同じ緑の髪をしていた。四季の髪の呪いを解く旅としてヒラクを乗せて船を出し、やがて友情を芽生えさせる。


リク……海賊島の若い海賊。三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。海賊島でグレイシャと共にいるユピの不審な行動にいち早く気づいていた。


カイ……リク、カイ、クウ三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。


クウ……三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。戦闘になるとめんどくさがりほとんど参加してこないが、総舵手として船には欠かせない存在。


ウナルベ……破壊神の島で剣を守っていた謎の生き物。猪の胴体、鳥の翼、トカゲのしっぽを持っていた。破壊神の島から脱出する際、トカゲのしっぽを失い飛行できるようになった。ウナルベはヒラクが名づけた名前。アノイの言葉で「おばさん」の意味。


ゲン……海賊時代を知る初老の海賊。戦場からキッドを遠ざけることをグレイシャに頼まれ、キッドを南海域に留めるためにさきがけ号に乗り込むが、破壊神の島の火山の噴火でやけどを負い命を落とす。


蛇腹屋……誰とも群れない謎の海賊。手風琴を演奏する音楽家だが剣士でもあり腕が立つ。


セーラ……三兄弟の妹。母アニーに代わり家事の一切を取り仕切り、妹マリーナの面倒もみている。

 

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