第3話 巨人の手のひらの勾玉

 ノルドの北西に位置する城砦には多くのセーカの民が囚われていた。


 彼らはもともと城砦の兵士の監督の下、食糧生産や武器製造などの労働に従事するために連れて来られた。


 だが、この城砦が一人の男の居城となってから状況は一変する。いまや捕虜たちの労働場は恐るべき畜殺場と化していた。


「どうした? 怖いか? 命が惜しいのか?」


 そう言って、男は狂ったように笑った。


 大広間に連れて来られたセーカの民は五人。


 両手を拘束された男が三人、年寄りが二人、それぞれが恐怖の表情で抜き身の剣を振りかざす神帝国の兵士たちに囲まれている。


「助けてやろうか? 殺してやろうか? 余は好きにできるのだ。おまえたちの命は余の思いのままなのだ」


 乱れた白髪、骸骨に薄い皮を張り付けたようにやせこけた顔、眼球が飛び出そうな血走った目をした男が、歯茎をむき出しにしてわめきちらしている。


 重たげな毛皮のマントをひきずり、猫背になって、男はセーカの民の顔を一人ひとりのぞきこむと、その哀願の表情を見て満足そうに笑う。


(醜悪だ……。これが神帝だとはな)


 セーカの民を取り囲む兵士の一人は不快感を抱いていた。


 兵士は、他に四人いる兵士にちらりと目をやりながら、今、この場で神帝を斬ることも可能だと思った。


 それができないのは、今はまだ動くときではないと考えたからだった。


「なんだ? もう命乞いは終わりか? あきらめたのか。つまらんな。やれ」


 神帝の言葉で兵士たちの剣は一斉に振り下ろされ、広間は血の海と化した。

 壁には赤い飛沫が散り、空気には鉄の匂いが広がった。

 兵士たちは互いに目を合わせず、ただ黙々と彼らに命じられた役割をこなした。自分のしたことを正当化するため、目の前の狂気の男を神と思うしかなかった。


 いつもなら神帝は、これで気が済むところだが、その日はそれで終わらなかった。


「まだ足りん。まだ満たされぬ。余は全知全能の神なのだ。もっと救いを求めろ! 余にすがりつけ! 恐怖に打ちのめされろ!」


 神帝はマントを脱ぎ捨て、セーカの民の死体を踏みつけて回った。


 床に広がる赤い血が白いタイツに跳ねかかる。


「その者たちはもう死んでいます。新しい者たちをご用意しましょう」


 先ほどからうんざりとした気分でいる兵士が神帝に言った。


 泰然とした態度の兵士を見て、神帝は不快感をあらわにする。


「ずいぶんと平気な様子だな。余が恐ろしくないのか? おまえもこうなりたくはないだろう? もっと怯えろ、恐怖しろ。そして余の前にひれ伏すのだ」


(愚かな……)


 そう思いながらも、兵士は神帝の前にひれ伏し、わざとらしいまでにがたがたと震えてみせた。


「失礼があったのであればお詫びします。どうかご慈悲を。代わりにセーカの民をいくらでも連れてまいります。どうか私の命だけは……」


 その態度に神帝は満足し、口からよだれをたらしながら、下卑た笑みで兵士に命じる。


「女がいい。今度は全員女にしろ。一人一人なぶり殺しにしてくれる」


 兵士はすぐに地下牢へと向かった。

 彼の名前はギルベルトといった。

 十五年前から潜伏している希求兵の一人である。

 神帝が城砦に移り住むことになった際、警護の兵士としてこの場に潜り込んでいた。


 一週間ほど前、ルミネスキの兵が城砦に攻めてきたのを機に警護の兵士のほとんどが戦場へ向かった。


 手薄になった警護の中、神帝の命を奪うことはたやすいことだった。

 ただ、説明のつかない違和感がギルベルトの中にずっとある。


(何かがおかしい……)


 それは勘としかいえなようなものだったが、誰かが用意した舞台の上で、演出の意図がわからずに役割をもてあましているような気分だ。




 地下牢へとやってきたギルベルトはカビ臭さと排泄物の入り混じる臭いに顔をしかめた。


 十人入るのがせいぜいの広さの牢の一つ一つに三十人以上のセーカの民が押し込められている。


 牢番から鍵を受け取ったギルベルトは手燭のランプで辺りを照らしながら、中にいるセーカの民たちの様子をうかがった。

 そして、一人の若い女に目を留め、牢の中から引きずり出そうとした。


 その時、牢の中にいた若者がギルベルトにつかみかかった。


「アクリラ、逃げろ!」


 セーカの言葉で若者が叫んだ。


 ギルベルトは自分をつかむ若者の力強く精気ある目を見て、他の囚人たちとはちがうとすぐに気がついた。


「おまえ、いつからここに潜り込んでいた」


「カイルを離せ!」


 後ろからさらにギルベルトにつかみかかってきた者がいる。

 だが二人がかりでもギルベルトの動きを封じることはできなかった。


 若者たちはギルベルトにひじと膝を一撃ずつあてられると、その場にうずくまり動けなくなった。


「どこから潜り込んだネズミだ」


 ギルベルトは後ろから飛び掛ってきた赤毛の若者の長い髪をつかんで顔を見た。気を失っている若者の鼻から血が流れ落ちる。


「テラリオ!」


 先ほど牢から引きずりだされそうになった少女が叫ぶ。


 一瞬そちらを見たと同時に、ギルベルトは背後から後頭部に打撃を受けた。

 すぐに振り返り、ギルベルトは攻撃に転じる。


「へぇ、わずかにかわされてたか」


 そう言ったのは先ほどギルベルトに鍵を渡した牢番だ。


「ああ、ハンスさん!」


 少女は牢番の顔を見て、動揺を顕わに泣きじゃくる。

 助けようとした青年たちは、少女のそばで倒れたままだ。


「だいじょうぶだ、アクリラ。それぐらいじゃ死なねぇよ」


 ハンスがアクリラに対して使った言葉はセーカ語ではなく神語だ。それはセーカでは「祈りの言葉」と呼ばれている。


 ギルベルトは素性を訝るような目で牢番の男の顔を見る。

 赤茶けた髪に黄土色の瞳というセーカの民の特徴がハンスにはない。むしろ、ハンスには、金髪に青や緑の瞳、白い肌を持つネコナータの民の特徴がみられる。


「おまえ、神帝国人だろう? こいつらの仲間なのか?」


 ギルベルトは神帝国の言語でハンスに尋ねた。


「一応な」


 そう言うやいなや、ハンスはギルベルトに攻撃をしかける。

 これ以上、ハンスは素性を探らせる気もなく、一気に仕留める気でいた。


 ハンスの一撃一撃が確実に急所を狙っている。

 ギルベルトはその動きをよく知っていた。


 一撃必殺の攻撃をかわされながら、ハンスもギルベルトがただの兵士ではないことに気がついた。それは同じ訓練を受けた者だけがわかることだった。


「……おまえ、希求兵か?」


 ギルベルトは神語で言った。

 神語は、神帝国では「禁じられた言葉」と呼ばれるており、一般の神帝国人には使えない言語だ。


 ハンスは動きを止め、同じく神語で答える。


「あんたもか。やっぱりな」


 それを聞いて、ギルベルトから殺気と闘気が薄らいだ。


「セーカの民と一緒になって何やってるんだ。こいつらを解放しようとでもいうのか」


 ギルベルトは声を潜めて言った。


「あんたこそ、警備を手薄にしてやったのに、神帝の首も取らないのかい?」


 ハンスはにやにやと笑って言った。

 その言葉にギルベルトはハッとする。


「では、ルミネスキ兵を仕掛けたのはおまえなのか? 神帝の警護をゆるめるために?」


「正確に言うと、ルミネスキ兵の仕業にみせかけたのが俺たちだったってことさ。城砦の兵を動かしたかったんでね」


「それは希求兵としての立場でしたことか?」


「いや、神帝国の民としてさ」


「それはどういう……」


 ギルベルトがさらに追及しようとしたとき、地下全体に振動が走り、天井から小石がぱらぱらと落ちた。


「なんだ? 地震か?」


 ギルベルトは辺りを警戒する。


 セーカの民たちは牢の中で押し合いながら、恐怖に悲鳴を上げている。


「おい、カイル、テラリオ、起きるんだ」


 ハンスはギルベルトに気絶させられた若者たちの体を揺さぶった。


「今のうちに牢を開けろ。ここから全員逃がすんだ」


 そう言うと、ハンスはギルベルトに目をやった。


「おまえもこんなところにいる場合じゃないんじゃないのか? 神帝に何かが起こってるのかもしれないぜ」


「おまえたちをこのまま見逃せとでもいうのか」


「ちがう。俺たちがおまえを見逃すって言ってるんだ」


 ハンスの言葉で、ギルベルトは、自分の死角にいつのまにか数人の男たちが立っていることに気がついた。すべて神帝国人だ。


「全員希求兵か」


 ハンスは肯定するようににやりと笑った。


 戦闘能力の高い希求兵を数人を相手に一人で闘えるはずもない。

 ギルベルトは悔しそうに顔を歪めた。


 その時また振動が走った。


 さきほどよりも強い揺れが建物を襲う。


 ギルベルトは舌打ちしてその場を離れた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 神帝は金の額縁にはめ込まれた円鏡を胸に抱いて城で最も防備の固い主塔へと避難していた。


 鏡は何かに共鳴するような高い音を響かせている。


「呼ぶな、やめろ。おとなしくしろ。来るな、来るな、来るなーっ!」


 神帝は鏡を床に置き、その上にマントをかぶせて、耳をふさぐ。


 建物が崩れ落ちる音、兵士たちの叫び声、すべての音に耳をふさぎ、神帝は自分に関係のないこととしてその場をやり過ごそうとしていた。


 やがて振動と揺れは収まり、辺りは静まり返った。



 神帝がほっとしたのも束の間、静寂の中、鏡と響きあう音がどこかから聞こえてくる。


 次の瞬間、壁に亀裂が入ったかと思うと、一瞬で周囲を遮るものは消えうせて、外の景色が広がった。


 神帝の顔が恐怖に歪むのと、主塔の最上部が吹き飛ぶのは同時だった。


 天井はなく、壁も崩れ落ち、床だけがむきだしになった塔の上で、神帝は腰を抜かして失禁し、言葉も出ない様子で目の前に現れた巨大な顔を見上げていた。 


 金色の髪に碧眼の神王の姿をした巨人が塔の前に立ち、神帝を見下ろしている。


 巨人は左手を上向けて、神帝の前に近づけた。


 手のひらの上には一人の少年が立っている。


「お久しぶりです。


 そう言いながら、ユピは巨人の手のひらの上で優美に笑った。


 そばにはジークが控えている。


 神帝は混乱した表情でユピを見た。


 ユピはジークを従えて巨人の手のひらから降りると、手に持っていた剣を神帝の前に突き出した。


「ひぃっ、頼む、命だけは……」


 口から泡を吹き出さんばかりにうろたえる神帝の鼻先で、剣の刃は涼やかな音を響かせる。その玲瓏な高い響きに共鳴する音にユピは耳を傾け、床に広がるマントに目をやった。


「その汚いマントをよけてくれる?」


 ユピに言われてジークはマントを床からはぎ取った。


 ユピはマントの下から出てきた鏡をジークに持たせた。


「これは返してもらうよ。おまえにはもう必要ない」


 そう言って、ユピは再びジークとともに巨人の手のひらの上に戻った。そして振り返ると、神帝を侮蔑するような表情を浮かべ、青い瞳を細めて冷たく笑う。


「言い間違えたようだ。もう必要ない」


 その言葉で巨人は手のひらを神帝の前から遠ざけると、右手で塔を打ち砕いた。


 その様子をギルベルトは崩れ残った城壁の見張り台の上から見ていた。


「何だ、あれは、神王? まさか」


 巨人は天を突くような姿で立ち、その目は遠くを見据えていた。その姿は、まるで古代の神話から抜け出してきたように圧倒的だった。


 その巨人の左の手のひらから赤い光が放たれる。


「あれは何だ? 手のひらの光……まさか、神王の手には勾玉が?」


 ギルベルトは呆然とした表情で巨人の姿を見つめ、その背後に隠された意図を探ろうとしていた。ハンスの言葉も気になり、次の行動を決めかねている。


 やがて巨人は城砦を離れ、西に向かって歩き出した。


 鏡と剣を手にしたユピは、全身から赤い光を立ち上らせていた。


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【登場人物】

ヒラク……この物語の主人公。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。自らの勾玉の光により「破壊の剣」をみつけたが、ユピに持ち去られてしまう。ユピの後を追うように、勾玉の光が示す先、神帝国へと向かう。


ユピ……神帝国の皇子であり、謎の多い美少年。神帝国を追放されてヒラクと共に育ち、ヒラクを心から愛しているが、その内には闇を秘めている。ヒラクの勾玉に固執する。


ジーク……勾玉主を見つけ出すために集められた希求兵の一人。長年神帝国に潜伏していた。ヒラクを見つけ出した後は、勾玉主の従者として共に旅をする。誰よりもヒラクに忠誠を誓っていたはずだが、なぜかユピに従いヒラクの元から去ってしまう。


ハンス……希求兵の一人。流れでジークと共にヒラクの従者になる。堅物のジークと違い、お調子者で世渡り上手。海賊たちと共に神帝国をめざすヒラクに同行。


アクリラ……敬虔なプレーナ教徒の少女。セーカ編に登場。信仰していたプレーナが消滅した後、生き残りのセーカの民と共に神帝国に連行される。


カイル……セーカの青年。かつては地下のセーカを抜け出して、神帝国で暮らすことを夢見ていたが、アクリラのためにセーカに留まる。


テラリオ……カイルの親友。神帝国の皇子であるユピを利用してカイルと神帝国へ脱出することを計画していたが、逆にユピに利用される。




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