第2話 巨大な偶像

 ルミネスキの艦隊がノルドの港に姿を見せたのは、海賊たちから遅れて十日後のことだった。


 港を占拠しているはずの海賊たちの姿はなく、ルミネスキ軍は待ち構えていた神帝国軍の一斉砲撃を受けた。


 海賊たちの奇襲が失敗に終わったことは明らかだ。


 砲弾をかいくぐって、艦隊がさらに迫ると、港の神帝国兵たちが一斉に火矢を放った。

 マストや帆に引火して燃え上がる船もあったが、艦隊はそのまま港に向かって突進していく。


 炎上する船から次々とルミネスキ兵が上陸する。

 迎え討つ神帝国兵との戦闘が港で繰り広げられる。


 神帝国の兵士たちのほとんどが闘いなどには無縁の農民や職人たちだった。


「助けてくれ!」農民出身の若い兵士が叫び声を上げる。


 隣の青年も「まだ死にたくない!」と泣き叫びながら、剣を落として逃走を始めた。


 周囲は味方の血で滑りやすくなっており、多くの民兵が走りながら転倒し、起き上がる間もなく踏みにじられていった。

 

 狂乱の渦の中、命を落とす兵士たちの死体が港のあちこちに散らばった。


 さらにルミネスキの第二軍が到着し、機能喪失した神帝国軍は退却を余儀なくされた。砲兵隊はすでに戦闘不能な状態にあった。

 ルミネスキの第一軍は兵力を三分の一失い、無傷の者は稀だったが、計画が狂ったにも関わらず、第二軍との合流を果たし、神帝国への進軍を続行した。


 海上での補給船の喪失により食糧が底をつき、騎兵団は食糧難に苦しむ歩兵隊を置き去りにして先を急いだ。行軍中、傷病兵の数は日に日に増加し、犠牲者も増え続けた。


 十五日間の進軍後、騎兵団は神帝国の堅固な都の外壁が見える丘に到達した。外壁の外ではノルドの土着民たちが郊外の町を形成し、神帝国の下層民として暮らしていた。


 騎兵団は郊外の町をあっという間に占拠したが、下層の民が備蓄していた食糧はすでに神帝国兵により外壁の内に運び込まれていた。

 飢えたルミネスキの兵士たちは、下層民の家々から数少ない食糧をあさり、略奪の限りを尽くした。あちこちで娘たちの悲鳴が聞こえ、子どもは狂ったように泣く。


 歩兵隊が到着したとき、郊外の町はすでに略奪され尽くされ、残されたのは荒廃した景色だけだった。


 ルミネスキ兵は攻勢を強化しようと試みたが、神帝国の大砲はルミネスキ軍の数の優位を無に帰す威力を持っていた。大型帆船さえ沈める石弾は、兵士たちにとっても大きな脅威となっていた。


 食糧が尽き、始まりつつある冬の寒さが彼らをさらに苦しめた。長い攻囲戦が不可避な状況で、ルミネスキ軍は厳しい現実に直面していた



 郊外を占拠して二十日目の朝、日の出とともにルミネスキ軍の本隊は東向きの中央門に一気に攻撃をしかけた。衰弱した馬の横腹を蹴り、ルミネスキの騎兵団が先陣を切る。


 朝日が逆光となり、門塔の砲兵たちは大砲を撃ち損じた。


「太陽神が我らを援護してくださるぞ!」


 太陽を背に浴びながら、騎兵団長が剣を高々と突き上げて叫ぶ。

 一気にルミネスキ軍の士気が上がり、兵士たちは大挙して外壁に押し寄せた。


 力づくで外門を打ち破ろうとするルミネスキ兵たちを援護するように、後方から弓隊が火矢を放つ。

 神帝国側も門塔から矢を雨のように降らせて応戦する。


 戦況は一進一退で、激しい攻防戦が続いた。


 次第に神帝側は劣勢となり、日が高くなる頃には、外壁の門の一つがルミネスキ兵たちに打ち破られようとしていた。


 その時だった。


 板金におおわれた馬に騎乗する鎧姿の装甲騎兵がルミネスキ軍の後方から襲いかかってきた。


 赤い縁取りの白いマントをなびかせた鎧姿の騎兵たちは、統率の取れた動きで一気にルミネスキ兵たちを蹴散らした。


 事態に気がついた前方のルミネスキ兵たちは何が起こったのかと混乱している。


 突進してくる先頭の騎兵の手には、神帝の旗印が掲げられていた。


 挟み撃ちをするように外門から神帝国の兵士たちがいっせいに飛び出してくる。


 精鋭のルミネスキ兵たちは、神帝国兵たちをなぎ倒し、門を突破し外壁の内側に侵入する。


 門を突破したルミネスキ兵たちは町に火を放った。


 そして神帝国の兵士はおろか、逃げ惑う町の人々さえ、容赦なく斬り殺していく。


「いいか! 奴らは太陽神に背く異端の徒だ。女子どもとて容赦はするな」


「これは神の裁きだ」


 ルミネスキ兵たちは何かに憑かれたような目で、血まみれの剣を振り上げる。


 一人のルミネスキ兵が路地に身をひそめる神帝国の女に気がついた。


 女は泣き叫ぶ赤ん坊の口を押さえてうずくまっている。


 近づく兵士に気づいた女は恐怖で声も出ず、飛び出さんばかりに目を見開いて、首を横に振り、命乞いした。


 兵士にも赤ん坊がいる。故郷では妻が待っている。それでも目の前の敵を殺せるのかと神に試されているようだ。


 ルミネスキの兵士は太陽神に己の信仰を示さねばならないと思った。


「神の御名のもとに」


 一瞬の躊躇を打ち消して、兵士は剣を振り下ろした。


 女は我が子を抱いたまま、その場に伏して動かなくなった。


 血だまりに赤ん坊が浸されていく。

 ふさいでいた手が離れても、二度と泣き叫ぶことはない。



 外壁の外も内もいまや戦場と化していた。


 燃えさかる家の中からルミネスキ兵たちは食糧や金目のものを奪い取る。


 ルミネスキ兵たちの悪魔のような所業に、神帝国の人々はひたすら神に祈った。


「神さま、助けてください、助けてください、助けてください……!」


 その祈りの声を耳にしたルミネスキ兵は、家の中に隠れていた老人をみつけ、柱の陰からひきずりだす。


 自分の祖父が無残に殺されるのを、テーブルの下で息を殺して見ていた少年は、なぜ神は祈りを聞き遂げてはくれないのかと怒りと憎しみに駆られる。それでも祈らずにいられない。


(神さま、助けてください、助けてください、助けてください……)


 神帝国人にとっての神は神王であり、その生まれ変わりとされる神帝こそが、敬うべき神だった。


 だが、彼らが今求めるのは、超自然的存在の強大かつ圧倒的な力そのものだった。


 それは、死をもって完成した神王の伝説が持つ神秘性と結びついている。そこから生れる畏敬の念が、神帝とは別の存在の彼らの神を生み出すこととなる。


 外壁の外では神帝国の騎馬兵と歩兵が入り乱れ、門からなだれこもうとするルミネスキの兵士たちを食い止めようとして闘っていた。


 暴れ狂う馬から振り落とされる神帝国兵たちの中にルミネスキの歩兵隊が突撃し、白兵戦が繰り広げられる。


 突然、大空から巨石が落ちるかのような大音響が響き渡り、そのまま地面に転がる響きと共に大地が激しく震動した。


 そして双方の兵士たちは、信じられないものを目にした。


「何だ、あれは?」


「化け物だ」


「いや、ちがう!」


 空高くそびえる巨人が戦場に近づいてくる。


 その歩みで大地はひび割れ、振動が走る。


 巨人は肌が抜けるように白く、金の髪と緑がかった青い瞳というネコナータの民と同じ特徴を持つ青年の姿をしていた。


 骨ばったほっそりとした体に羽虫の羽のようなシャツを着て白のタイツをはいている。はだけた胸元からは水がしたたり、ブーツの先まで濡れている。


 巨大な姿をした青年からは後光が射し、柔らかに波打つ髪は、金色に縁取られた黄昏時の雲のようで、たなびくマントは雲間から漏れた光のベールのようだった。


「あの方は……神王ではないか!」


 神帝国の騎馬兵の一人が叫び、馬から降りてひれ伏した。


「神だ!」


「我らの神が現れた!」


 次々と馬から降りた兵士が光を放つ巨人を見てひれ伏す。

 巨人は神帝国人のほとんどが知る絵姿の神王にそっくりだった。

 神帝国兵たちだけでなく、ルミネスキ兵たちもすっかり戦意を喪失し、呆けたように巨人を眺めている。


「何をしている! あれが神王なら我らの敵だ! 突撃だ」


 ルミネスキの兵隊長が叫ぶが、その言葉で正気に返ったルミネスキ側の兵士の中には恐怖でその場を逃れようとする者もいる。

 逃げる兵士を仲間の兵士が斬りつける。

 混乱状態で騒然とする中、大地は鳴動し、神王の姿をした巨人が迫ってくる。

 神帝国の兵士たちは救いの神が訪れたと喜んだ。


 ところが、戦場に現れた巨人は、ルミネスキ兵も神帝国兵も関係なく、虫けらのように兵士たちを踏みつけた。


 逃げ惑う兵士たちは、ひび割れた大地の隙間に落ちていく。

 両国の兵士たちの数は一気に半数まで減った。


 巨人は神帝国まで近づくと、その場に膝をつき、外壁の内側を覗き込んだ。

 巨人は家々から上がる炎をみつめ、ろうそくの火を消すように息を吹きかけた。


 突然のことに壁の内側のルミネスキ兵たちは驚いた。

 街路を逃げ惑う神帝国人たちは足を止め、巨人の顔を見上げ、歓喜の声を上げる。


「神王!」


「神王様!」


「神よ」


 神帝国の人々は、自分たちの祈りが通じたと信じて疑わない。

 だが、巨人が差し伸べた手は、救いの手ではなかった。


 巨人は炎が吹き消せないとわかると、機嫌を損ねたように右手で家を壊し始めた。ルミネスキ兵も神帝国人も関係なく、瓦礫の山の一部と化した。


 巨人は左手を軽く握って上向けている。その指の隙間から叫び声が聞こえる。


「なぜだ! 彼らは神王を信じた人々ではないか。なぜ神が、自分を信じた人々の命をその手で奪うのだ」


 巨人の指の隙間から身を乗り出して叫んでいるのはジークだった。


「神? 誰のこと?」


 そう言って、巨人の手の中で笑うのはユピだ。

 ユピはジークのそばにきて、巨人の指の隙間から下を見下ろす。


 ルミネスキ兵はその場から退却しようと外門へ引き返すが、神帝国の民は傷を負いながらも、すがるように巨人を見上げて近づいてくる。


「この巨人が神だとでも? ただの偶像だよ。神王の姿をした偽神ぎしんさ」


 ユピが言い終わるかどうかのうちに、巨人はほこりを払うように、自分の前に集ってきた神帝国人たちを右手で払いのけた。


「さてと、偽神はもう一人。鏡を返してもらおうか」


 ユピが言うと、巨人はゆっくり立ち上がり、北西に位置する城砦へと向かった。


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【登場人物】


ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピに心を支配され、一時は自分を見失い、勾玉の光を失うが、今は自分を取り戻し、これまで目を背けてきたユピをとらえる闇の正体を知るべくユピの後を追う。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。ルミネスキ女王やグレイシャにも巧みに取り入り、ヒラクの心さえも支配するが、目的は不明。破壊神の剣を手に入れると自ら剣の主と名乗りジークを連れて北へと去る。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓い、ユピに対して強い警戒心を抱いていたが、なぜかユピと共にヒラクの元を離れてしまう。


神王……かつて大陸メーザを支配した赤い勾玉の勾玉主。神王の再来と呼ばれる神帝の元に、かつての神王の民たち(ネコナータの民)が集まり、神帝国が生まれた。


★ルミネスキ王国は月の女神信仰の地であったが、最初の勾玉主である黄金王に支配され、太陽神信仰が根付く。第二の勾玉主である神王の争乱後、国を失った神王の民は神王の再来とされる神帝の元に集う。やがて神帝国が興り、ルミネスキはこれを退けんとする。新たな勾玉主ヒラクには神の導きが期待されるが、彼女はその鍵となる「王の鏡」ではなく「破壊の剣」を見つける。しかし剣はユピによって奪われる。ついにルミネスキ軍が進軍し、神帝国での決戦が幕を開けた★


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