第八章

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 カントリーエレベーターの屋上で座り込んでいると、近衛有明が階段を上ってきた。水色のビキニにサンダルをつっかけた姿は、場違いにもほどがあった。

「お待たせ」近衛はさらに場違いなあいさつをしてくる。「なぁんか稀に見る凄腕の狙撃だと思ったら、アンタだったのか。アタシが鈴木社長を始末しなかったから、ってことかい?」

 瑠璃は動く気力がなく、座り込んだまま近衛をちらりと見た。

「ルール破りは気に入らなくて。……すいません」

「別に謝るこたぁないさ」

 ないのか。

「前も言ったけど、アタシも好き勝手やってるからね。こうやってケンカ売られるのなんて珍しくも何ともないよ。むしろアタシは、おかげでいいことが二つもあった」

「いいこと? 何ですか」

「一つは、狙撃の暗殺法である【理法】を初めて見たことさ。理屈と膏薬はどこにでもつく――だっけか。まさに、銃弾を好きなところへ思うままに着ける――即ち着弾させるわけだ。噂には聞いたことがあったけど、まさか壁越しでも通用するとはね」

「思うままどころか、全部よけられたあげく、弾き返されて相棒を壊されちゃいました」

 腕の中で鉄くずと化しているリー・エンフィールドを抱きしめて、瑠璃はくすん、と洟をすすって泣いた。

「近衛さん。私のこと、ここで殺してくれませんか。もう、どこにも向ける顔がありません」

「普通ならそうするんだろうけど、アタシがいいって言ってるんだからいいじゃないのさ」

 湿っぽい瑠璃の声とは反対に、近衛の声はあくまでも明るい。

「それにはっきり言うけど、アタシにかすり傷を負わせるだけでも大したもんだよ、その相棒。悪いけど、その年寄りの狙撃銃をブッ壊さないとアタシも危なかったんだ。――落ち込んでるならウチに来なよ。採れたてのトマトでナポリタン作ってやるからさ」

 近衛が瑠璃の肩に手を置こうとすると、瑠璃はあえてそれを払い、かるく睨みつける。

「ナポリタンはご馳走になります。でもそれじゃ足りません。――ついでに、気になることがいくつかあるから教えて下さい。少しは悪いと思ってるのなら」

「おう、いいよ」

 瑠璃に睨まれて、近衛はちょっとひるんでいた。

「さっき踊ってたあの音楽、なんですか」

「ジャネット・ジャクソンだよ。知らない? わりと一世を風靡したと思うんだけど――そうか、アンタまだ小さかったか、あるいは生まれてなかったかな」

 そういえば何歳なんだろう、この姐さん。

「知らないです、そんな人」

「マイケル・ジャクソンの妹だよ」

 マイキーの妹と聞いたら、さすがの瑠璃もああ! と声を上げそうになったが、反応するのは癪なので表情には出さないでおいた。

「あのダンスはなんですか。【農法】と踊りは何か関係があるんですか?」

「田楽」

「ああ!」

 けっきょく声が出てしまう。そうか、農業とダンスにはそんな繋がりがあったか。

「最初に壁越しに撃った時は、どうやって避けたんですか。外した後ならいざ知らず、私の【理法】なら、気付かれる前の一発が命中しないなんて考えられません」

「コツがあるのさ。なんかアタシを狙ってる視線を感じたから、こう、身体をブルブル震わせてね」

 言いながら、近衛は半ばおどけるように「ブルブル~」と言って手足を揺らして見せる。バカみたいな仕草だった。

「どうしてそれが……」

「的が、動いたりブルブル震えたりしてると狙いを定めにくいだろ? 特に融通の利かないスナイパーは、狙ってる箇所が不安定っていうだけですぐ惑わされるのさ」

 融通が利かないという言葉は、妙に刺さった。「ルール破りは気に入らない」とさっき近衛に言い放った瑠璃だったが、結局そういうことなのだなと納得する。自分は融通が利かない性格で、しかもそれが原因で狙撃を外し、あげく殺されかけたのだ。

「さっき言ってた、いいことの二つめって何ですか」

「こんなことでもなけりゃ、カントリーエレベーターの屋上なんて上る機会なかなかないからね。これはある意味アンタのおかげだよ」

 言われて上を見上げると、真夏の真っ青な空と灼熱の太陽だけが目に入った。実際には、この炎天下の屋上で狙撃手としてじっとしているのは苦痛でしかないのだが、まぁそういう考え方もあるか。近衛は「いい景色だねえ」などと言いながら田園風景を眺めている。

「分かりました。じゃあ他のことはナポリタン食べながら質問させていただきます」

 瑠璃は「相棒」の残骸を抱きかかえて立ち上がった。まだ気持ちは尖ったままで機嫌の悪さは収まらないが、これはたぶん、腹が減っているからだろう。

「ついでに掃除の手伝いもちょっとだけ頼むよ。銃撃で壁は穴だらけ、床はホコリというか塵だらけだからさ」

「それについては、すいません」

 尖った気持ちのままで、それなりに素直に謝った。


 家では掃除をした。次に、畑で大玉トマトの収穫を手伝わされた。

「ちゃっちゃと作るから、少し待ってな」

 近衛は、ビキニ姿に少女のような子供っぽいデザインのエプロンを着けて厨房に立つ。なんだか裸エプロンみたいで目のやり場に困り、とりあえずテレビを観ていることにした。まるで夫婦みたいだ。

 対面式のキッチンからの野菜を刻む音を聞きながら、瑠璃は尋ねた。

「近衛さんは、手裏剣も使うんですか」

「牟田口さんに聞いたのかい? そうさね、アタシの師匠が使い手だったからひと通りできるよ。――もっとも、みんな勘違いしてるけど、手裏剣は本来なんでもアリの世界でさ。投げて相手を足止めできりゃそれが手裏剣になるんだけどね。ファミコンの赤影とかハットリくんみたいな手裏剣シュシュシュってなぁ、あくまでもその一種さ」

 ファミコンの赤影という言葉の意味が分からなかった。ハットリくんは少し分かる。

「投擲術ですか。それでターゲットを殺せますか」

「殺せないね」近衛は即答した。「手裏剣術は基本的に身を守るための術だよ。それどころか、アタシが師匠から教わった【農法】っていう術は別に暗殺術の体系じゃなくて、基本は身を守るための術だしね」

「身を守る?」

 それを聞いた瑠璃は、すぐにあのジャネット・ジャクソンのダンスを思い出した。言われてみれば、あの時近衛は、ダンスによって――彼女が言う「田楽」によって――身を守っていたのである。

「身を守るというか、命を守るというか。なんつっても農法だからね、作物を守って育てるための術なんだよ。例えば霜害を防いだり……」

「だから近衛さんは、できるだけ殺さないんですか」

 瑠璃がさらに尋ねると、近衛は苦笑したように笑って、人殺しに飽きただけさ――と答えた。

「殺すことで解決することなんて、そう多かないよ。どんな形であれ、生かして反省させた方が、ナンボか社会の足しになるだろう? ――枯れる作物だって種を残す。そういう種を育てるつもりで、悪党にも反省させて償わせた方が来年の収穫にもつながるってもんだよ。その方が【農法】のコンセプトにも合ってる気がしてねえ。どうせアタシャ、このやくざな術使って生きるしかないんだから」

 調理をしながら説明する近衛の言葉を聞いて、瑠璃はある種の感慨をおぼえた。

 ――私は【農法】によって守られ、助けられたわけか。

 何から助けられたのかって? それは外ならぬ瑠璃自身が発していた殺意から、である。近衛は、瑠璃の放つ銃弾をものともせずに立ち向かってきた。本来なら、瑠璃はそれで近衛から命を奪われていたはずなのだ。それはいわば、彼女と初めて出会ったときと同じように、瑠璃が放つ殺意が撥ね返ってきたことで起こりうる未来だったのである。

 だが結果は正反対。近衛は、瑠璃にやり返すことで、逆にこうして瑠璃の命を救ったことになる。

「分かりました。じゃあ近衛さん、最後の質問ですが――結局、あなたの師匠ってどんな人なんです?」

「これは、たとえ話として聞いとくれよ」

 その質問が来るのを分かっていたかのように、近衛は野菜を炒めながら即座に返した。

「かつて、ある国の最高権力者の座に就いていた男がいた。しかしクーデターで失脚し、その座から引きずり下ろされたんだ。クーデターに伴う激しい内乱もあったんだけど、戦場でもその男はいいとこなしの有様。彼は新政権でもなんとか重要ポジションの椅子を掴もうとがんばったんだが失敗。結局、田舎に隠遁することになった。以後、そいつは政界と関わりを持つことはなく、かつての重臣が訪ねてきても追い払っていたという」

「なるほど。権力争いに飽きたというか――それもまた、自分の命を守るための逃走ですね」

「そうだね。クーデターで処刑されなかっただけでも幸運だったのに、調子に乗って新政府と関わりを持ったりすれば邪魔者扱いされる恐れもある。田舎に隠遁したというのは、実際にはそういう形で追いやられたということだったんだろう。だから彼は政治の世界からは完全に足を洗い、ずっと趣味の世界に没頭した。狩猟、サイクリング、釣り、陶芸、写真、今で言うアンチエイジング、それに手裏剣も達人の域だったっていうね。あとは家庭菜園」

「ん?」

 どこかで聞いたことがある話だ。しかも、家庭菜園というキーワードが近衛ともつながっている。田舎に隠遁した究極の暇人――?

「ちょっと待って下さい。その男ってもしかして、とく」

「まぁ最後までお聞きよ」近衛は遮って続ける。「新政府は、だいぶ力ずくなところもあったけれど、国家運営の舵取りを、大体はうまくやっていたんだ。外国との戦争にもちゃんと勝ったしね。でも新政府樹立から百年も経たないうちに、困ったことにテロが頻発して政治家が暗殺される不穏な社会情勢になった。しかも一部の暗殺計画では、国王までもがターゲットになっていたことが判明して世間は驚愕した。そこで田舎に隠遁していた彼は、自分の娘たちに云ったそうだよ。『これからの時代は、女でも身を護る術を身に付けておくように』とね。そこで彼は、自分の家族や、縁のある女性たちに、家庭菜園をヒントにした護身術を授けたんだ。それが【農法】ってこと」

「近衛さんも、その人から?」

 信じられない話だ。もしも瑠璃の想像が当たっているなら、「その男」はとうの昔に亡くなっているはずである。しかし実際にはずっと生きていて、近衛ほどの若い娘に【農法】を授けたとしたら、今は二百歳に手が届くほどの年齢だろう――もっとも、近衛も年齢不詳ではあるのだが。

 その時、瑠璃の中で、ひとつの記憶が炸裂するような衝撃をもって呼び起こされた。さっき、彼女が近衛の帰宅を見張っていた時に、玄関を訪れていた老人のことだ。小柄だが頭が大きく、鼻筋が通っており顎の小さいあの老人。どこかで見たことがある顔だと思ったが、まさか――!

「内緒だぜ、瑠璃ちゃん」

 近衛は口に人差し指を当て、並びのいい歯をむき出しにして悪戯っぽく笑った。

                                  (了)

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有明の在り方 きうり @cucumber1234

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