Day22 呪文

 それからは夜通し、黄金こがねとの他愛もない話に興じた。使用人達は遅くとも夕方には屋敷を離れるので、元々静かな部屋は耳を澄ませば月光の降る音まで聞こえそうな静寂で満たされるのだが、今日は違う。酒もないのに朗らかに語る黄金こがねは元々気質が明るいのだろう。小さな失敗談や日常に笑うたび、再び載せられたティアラが落ちないか心配になったものの、それ以外は愉快な時間だった。

 フィンガーボウルで水を飲んだ話の後、不意に挟まれた沈黙で黄金こがねがふと、

「……あの、うちの蔵にある、尽きることない金塊はどうやってるんだい、黒鬼。実は動けて、ひっそりと補充しているとか?」

 そう言いながら自分の発言に否定的な顔をしてこちらを見る。夜な夜な金塊を咥えて飛んでいく生首はなかなか愉快かもしれないが、残念ながら真実はもっと単純だ。

「それが出来たらいいんだが、あれは勝手にそうなっているんだ。契約した者に尽きせぬ富を、と。まぁ身体を失って、石が峰の真の当主……左腕のない者だけをそう認識するようになってしまったのは、申し訳ないことだが」

 そもそも子々孫々までを支える気はなかった、とは言えなかった。わたしへ左腕を捧げたのは初代だけだと、そう思っていたが、目前の男、そしてその前の当主達も生まれる前から捧げていたと今更ながらに、黄金こがねと話しているうち気がついた。ならば約束は果たさねば。

「そういう仕掛けか。じゃあ僕が死ぬとどうなるんだい?」

 死ぬという言葉へ反射的に眉根が寄ったが、

「有限になるのさ。その時点で蔵にある金塊が消えることはないが、増えることもない。さっきも話したが、尽きせぬ富を得られるのはわたしと契約した者だけだからね」

 身体があった頃には石が峰でありさえすれば良かったのだが、悪魔の力というものは身体に宿っていたらしい。だから死ぬんじゃない、祈るような気持ちで答えたところで、遠く人の声がする。いつの間にやら夜は遠ざかっていたらしい。

 差し込んでくる薄い朝日が途端眠気を呼んだのか、黄金こがねはゆっくりと瞼を擦った。目を閉じて俯いた顔は初めて会った時よりは少し大人びたものの、やはり未分化な雰囲気をまとい、幼子のように見える。

黄金こがね

 わたしの声が自分を呼ぶものだと察して近づいてきた黄金こがねへ、もう少し頭を下げるよう強請り、殆ど腰が直角に折れ曲がったところで、ようやく近づいた額に無理矢理唇を落とした。前髪から微かに薫る石鹸と肌の温かさ。もう少し傾いたら倒れるところだった。

「……黒鬼、今のは」

 素早く身を離した黄金こがねの顔は薄明るい中でもわかるほど赤らんでいる。あぁ本当に、子供だな。

「何、ティアラの礼さ。わたしが暮らしていたところでは、こうやって子供を褒めるんだよ。いい子だね、と幸せを祈りながらね。子供はとっくに寝る時間だ……そろそろ帰りなさい」

 むしろ起きる時間かもしれないが。それから、

「ティアラはここに置いておくには高価過ぎる。わたしには無粋な手を払いのけることが出来ないし、黄金こがねのところで保管してくれ。また持ってきてくれればいいから」

 諭すように続けると、やや沈黙を挟んでから渋々と頷いた。目は納得していないものの、

「僕はいい子らしいから、黒鬼の言うことを聞くよ。だから、その、」

 ティアラを懐へ戻しながら言葉を濁す。どんな無茶な要求をするつもりなのかと、目を逸らさずに待っていれば、

「……またしてくれるかい」

 続く要求はあまりに些細なものだった。耐えきれずに吹き出すと、憮然としつつも健気に返事を待って黙っている。

「勿論だ。黄金こがねがいい子にしていれば、必ず。……だからまた、来てくれ」

 自分の言葉に魔力があれば、と今ほど願ったことはない。魔女が唱えていた呪文のひとつでもわたしが使えたのなら、まだあどけなさの残る子を守ることが出来たかもしれない。

 この国では言葉に神が宿るという。主の手を取ったことはなく、アステカの神からも見放された身だが、この国の神ならば聞いてはくれないだろうか。縋る気持ちで紡いだ言葉に黄金こがねは、今までで一番美しい、完璧な笑顔で応えた。そのまま再度瞼を擦り、ゆっくりと踵を返す。

 別れ際に言葉を発しないのはいつものことだった。黄金こがねの顔は賑やかだと、わたしが常に言っていたからかもしれない。それがもしや、自身の運命を知っていたからだとしたら。遠ざかる背にもう一度、また、と祈りを込めて呟いた。これが呪文となって黄金こがねを守るように。

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