Day20 たぷたぷ

 酒が飲みたい。それも出来るだけ上等なものを。

 わたしの我儘へ嫌な顔どころか、君が望んでくれるなんてと幼子のような笑顔をした黄金こがねは次の夜に現れた時、身体が重みで傾くほどの酒と酒盃を携えていた。透明のものが多いが、琥珀や赤、白濁り、どの酒も灯りに照らされたからではなく内側から光を発しているようで、既に美味が伝わってくる。頬を緩ませると、

「どれにしようか、黒鬼。日本酒以外にも色々揃えたんだよ」

 まぁ酒器はこれだけだが、と黄金こがねは朱塗の盃をわたしの眼前へ置いた。続けて、同じものをもうひとつ。

「ほう、それは楽しみだ。しばらく飲んでいないし、黄金こがねが好きなものから飲みたいな。選んでくれ」

 最後に飲んだのは何だっただろう。未だ慣れない漢字や、懐かしい言葉の描かれたラベルの数々に目を遊ばせながら乞えば、あれこれと悩みながらも一本のボトルへ手をかけた。磨り硝子のような色味、ラベルには漢字が大きく書かれていることはわかる。器用に右手一本でそのボトルを開け、黄金こがねは盃と同じ朱塗の急須らしきものへ酒を注ぐ。

「それは何だい、黄金こがね。急須よりも豪奢だ。そもそも急須に酒は入れない気がするが」

「これは銚子だよ。正月に屠蘇を飲む時に使うものなんだが、今日はそれと同じくらいめでたい日だからね。盃も正月用さ」

 話している間に今度は銚子から盃へ酒が落ちていく。澄んだ液体から漂う馥郁ふくいくとした香が鼻をくすぐり、待ちきれなさに喉を鳴らしたのが黄金こがねにも伝わったらしい。言葉だけの乾杯もそこそこに、盃をわたしの口元へと傾けてくれた。身体のないわたし、左腕のない黄金こがね、こういう時にはもどかしくも愉快な気持ちになる。

 口に入った瞬間に、これがとても手間暇をかけて作られた上質なものであることがわかった。穀物の柔らかな香りの後、光をそのまま飲んだように澄み切った心地が腔内から喉へと滲んでいく。それがどこかに消えるまで、わたしは驚きに息をすることが出来なかった。何を言うまでもなく顔が語っていたのか、黄金こがねは満面の笑みでわたしを見ながら盃を傾ける。

「……肴になったつもりはないぞ」

 余す所なく見られていた恥ずかしさに声を上げると、

「そんなつもりはなかったが……気に入ったのなら良かった、黒鬼。僕の好きなものを、君が喜んでくれるのが嬉しくて」

 いつの間に空けたのか、また銚子を手にしている。

「あまり急いで飲むんじゃない。夜はまだ長いだろう、早く潰れられては折角の酒席が台無しだ」

 人間には限界があるのだから、口を尖らせたわたしに、

「気をつけるよ、僕としても願ってもない機会なんだからね。にしても、」

 一旦言葉を切り、黄金こがねは銚子を手にしたまま、真っ直ぐにわたしへ視線を寄越した。

「どうして急に。何かあったのか、黒鬼」

 黒曜の瞳はないはずのわたしの腹を探るよう、鋭く輝いている。それと同時に、産まれた時から尽きせぬ富のため、わたしと会うために育てられた男の目には純粋な気遣いが浮かんでいた。わたしなんかを心配するより、自分の心配をしておくれ。予感は確信には至らず、言葉にせずにいれば実現しないかもしれない、そんな思いが言葉を歪ませる。

「何、そろそろ腹を割って話そうと思っただけだよ。わたしに腹はないが、黄金こがねにはあるだろう」

 嘘偽りはなく、真実でもない言葉に黄金こがねは確かに、と目を瞬かせて銚子から酒を注いだ。

「黒鬼に隠し事なんかしてないけれどね。僕は君が好きだ、だからこうして会いに来ている。産まれた時から刷り込まれたからじゃない。当主に産まれたことには感謝しているんだ。いい加減、僕の言葉を信じて欲しいな」

 もう何度も繰り返した話だ。偽りの感情を自分のものだと錯覚している、わたしの言葉を黄金こがねは一度たりとも認めなかった。わたしにも、呟けば盃が唇を濡らす。二度飲んでも、最初の驚きそのままの味がする名酒。窓辺へ視線をやると、垣間見える空はまだ漆黒を保っている。夜は長い。

「それは出来ないな、今日こそは認めさせるよ黄金こがね

 わたしから離れれば、その首が落ちることはないかもしれないのだから。そう思いながら、話すこと自体を楽しんでいる自分も確かにここへいた。黄金こがねはお見通しだと言いたげに盃を一息で干し、

「望むところだよ、黒鬼」

 勝ち誇るよう顎を上げる。その腹が割られるか、たぷたぷと酒で満ちるかはまだわからない。

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