第10話 

4月、正確に言うと春という季節の中旬は非常に過ごしやすい気候だ。冬は雪が積もるらしい新瀬野と言えど、それは例外ではない。窓側に座る俺と七海は授業をする教師の特殊能力”睡魔呼び出し”で召喚された睡魔から必死に耐え、震えそうになる手でホワイトボードに書かれた文字を一言一句間違えずに書くミニゲームに挑戦中。

ちなみに、市原は開始10分で早々にゲームオーバーになってしまった。今頃、デスした時に行ける部屋でゆっくりと心地いい気分になっていることだろう。


新瀬野高校のカリキュラムは、普通の高校と比べて実践を重視している。現代文の授業では5月にディベートをするらしいし、体育も基礎基本の練習をしたら次は実戦形式で一度試合をしてみる。化学基礎を教えてくれる白衣を着た怪しげな先生は、この前市原にアンモニアを嗅がせて”屁こくなよ~”と冗談を言って皆を笑わせていた。


俺たち国際総合科は特にそれが顕著だ。世界史の授業では海外の大学が発表した論文が引用されて紹介されたり、英語の授業は1/2の確率でALTの人がやる。そのため、普通科の人たちと比べて授業内容は難しくなっていき、課題の数もそこそこある。


そんな俺たちがこの2週間で見出した、唯一の癒しは――


「あ~、お腹減ったぁ。学食の日替わり定食何かな」

「カキフライだってよ」

「やった! あたしの好物だ!」

「うちは牡蠣苦手だから購買のパンやな~」


そう、昼休みである。

オープンキャンパスみたいなイベントで学校が解放されると長蛇の列ができるレベルで人気なうちの学食は、お値打ちな価格で味が濃く量の多いモノが食べれる。そのため、昼休みになれば全校生徒が学食にダッシュして、一時の休息を得る。それ以外であれば構内にある学食のパンやおにぎりを買ったりすることもできる。グラウンドに繋がる道のベンチとかでも食べていいことになっているから、休憩時間は過ごしやすい。


……だからこそ、その時間が唯一脳を休ませることができる時間なわけで。


「はぁぁぁ~……もう意味わかんないよ~。しばらく英文集合体恐怖症になりそう」

「言わんとしていることはわかるが……もうちょっと頑張れよ」

「そうだぞ、俺ですらまだ変な記号に見えてるレベルにしかなってないんだから」

「市原、それはお前が授業中に爆睡してるのと、もとからわからないだけだろ」

「そうとも言う」


4限目が終わると、俺と七海、そして市原は屋上で昼食を食べることが日課になっていた。学校によっては屋上は立ち入り禁止になっていたりするんだが、この学校には特にそんな決まりはないそうで。さりげなく担任に聞いたら「別に汚さなければいいよ」とあっさり許可が下りた。ただ、ほとんどの人が教室外で食べるならグラウンドの方面に行ってしまうから、ここは半ば穴場のようなものだ。


「そういえばさ、二人とも部活はどうするの?」

「部活ぅ?」

「うん。ボクはもうソフトボール部に入ってるからあれだけど。昨日部活動の勧誘会みたいなのあって、色んな人に話しかけられてたじゃん。だからどっかに入るのか決めたのかな~って」


2人の発言から英語を教えてやろうかと考えていたところ、何かを察したような顔をした七海が急に話題を変えて、部活動の話をしてきた。


この学校、部活動は体育会系と文科系を合わせて14個ほど存在する。体育会系で有名なのと言えば甲子園に出場経験のある野球部、数年前にプロを輩出したテニス部に加えて、過去にJ1のチームでコーチをしていた人が監督をするサッカー部。

文科系で言えば去年のコンクールで優勝したロボット研究部に、日本最強と言われるチームを有するEスポーツ部。美人が多いと噂の茶道部やオタクが密集するアニメ研究会等。多種多様な部活動が校内では行われている。


七海は昨日よく話しかけられていたと言っているが、実際に俺が勧誘されたのはサッカー部くらい。あとはなぜか七海がいる女子ソフトボール部の方々が「マネージャーにならなぁい?」と言われ、アニメ研究会のオタクくんたちに囲まれて「君は猫耳メイドが好きそうな顔をしているね、アニメ研究会に強制入部でござる」と言われたくらいなのだが……。


あと、言っておくが別に俺は猫耳メイドにそこまで興味はない。興味があるとすればフツーのメイドさんだ。


「俺はいまんところどこにも入る気はないな……なんかアニメ研究会からめちゃくちゃな圧をかけられたが。市原は?」

「同じく入る気はないな。放課後はバイトしなきゃいけないしな」

「バイト? もうやってるのか?」

「ああ、中華料理屋でな。平日は……っと、電話か。ちょっと待ってな」


突如、バイトについて何かを話そうとしていた市原のスマホが着信音を周囲にばら撒き始め、それを聞いた市原が「すまん」というジェスチャーをしながら階段の方へ向かっていった。にしても、あの着信音どっかで聞いた気が……。


「市原君、忙しそうだね」

「ああ。下に4人きょうだいいるんだったか」

「俺は下にきょうだいいないからなぁ……羨ましい気持ちはある」

「ボクはそもそも一人っ子だからねぇ。きょうだいがいる人が羨ましいよ」


きょうだいが羨ましいか……ぶっちゃけ、いてもそんなにいいというものでもないけどな。俺と姉さんはまだ比較的仲がいい方だと思うが、それでも一緒に住んでたらお互いに気を遣ったり何かを分けたりすることが多い。だから子供に向けて与えられたものを独り占めできる一人っ子の方が個人的には羨ましいのだが……。


「ん? 二人ともなんの話してるんだ?」

「ああ。下のきょうだいいるのはいいなって話」

「そーいうことか……」


そんなきょうだいトークをしていると、階段の方からは電話を終えた市原が戻ってきていた。なんか、少し焦ったような、そして困ったような顔をしているから今の電話で何か困ったことでもできたのかもしれない。


「確かに下のチビたちは可愛い時もあるが……色々大変だぜ? チビ同士での喧嘩とかもあるし俺としては上のきょうだいがいるか一人っ子がいる人が羨ましいけどな」

「隣の芝生は青く見えるってやつだね~……って、なんかあったの? 落ち着きがないっぽいけど」

「そう見えるか? や、まあ実際ちと困りごとが出来ちまったんだけどな」


時計を見ると、あと5分ほどで午後授業の開始時間。俺たちは弁当箱を片づけると、そのまま教室への帰路につく。その道中で市原は今あったことを話し始めた。


先ほどの電話、それはどうもバイト先である大門飯店という中華料理屋からのもので、急遽シフトに入る予定だった人が来れなくなったからヘルプで来てほしいというもの。これだけであれば、バイトに精を出す市原は「はい、行きます」の二つ返事で引き受けることができたのだが、今日はそうできない理由があった。

その理由というのが、市原がいつも「チビたち」と呼ぶ4人の下のきょうだいだ。小学生の子たちは自分たちで家に帰ってこれるが、一番下はまだ年長で保護者のお迎えが必要。だったらお迎えに行ってからすぐにバイト先に行けばいいのだろうが、小学生たちだけでは料理とかは出来ないだろう。

だったら親御さんに早く帰って来てもらえれば……と考えるが、その親御さんは明日まで出張中。そのため、本来はシフトを入れる曜日だった市原は仕事を入れなかった。


「それヤバいじゃん」

「最悪コンビニ飯でもいいんだが……財政的にもそういうわけにはいかねえからなぁ。とはいえ、店長に「他の人軒並み来られないって言うんだ! 君以外に今頼れないんだ……頼む!」って言われちまってよ」

「ちなみに、何時までのシフトなんだ?」

「忙しい時間帯だけだろうから……21時までだろうな」


なるほど……21時まで夕食なしは高校生である俺たちですらキツイ。子供たちだけでの夜遅くまでの留守番も市原からしたら不安だろう。見ている限り、頼れ追うな人も少なそうだ。だったら……。


「じゃあさ、ボクがそれまで面倒見てよっか?」

「は?」


俺が代わりに――と提案する前に、同じ考えをしていた七海がいち早く市原に提案した。そのことに一瞬驚いたような顔をした市原は我に返ると、少し苦笑いをしながら、「別にそこまでしてもらう必要はねーよ」というも、七海のプッシュは止まらない。


「ボクもチビちゃんたちに会いたかったし、丁度いいんだよ。家帰っても暇だし」

「いや、俺としてはとってもありがてぇんだけど、流石に申し訳ないっつーか。女子をそんな時間まで自分の家に招くのもアレだろ?」

「ボクの親はそんなもん一切気にしないよ……それに、多分祐樹もついてきてくれるしね」

「ああ。どっちみち俺もおんなじ提案するつもりだったからな」


その後、昼休みが終わるまで遠慮しようとする市原を俺と七海が説得しまくる攻防戦が発生したが、所詮は2vs1。俺たちのコンビネーションから繰り出される説得文句に、市原は早々に白旗を上げるのだった。

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大空に向かってハイタッチ 古河楓@餅スライム @tagokoro_tamaki

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