第6話
目を開けると、視界がぼやけていました。
言葉を発しようと思ったら、口から大きな泡が出ました。口の中にどろりとしたものが入り込んできます。
溺れる……。
そう思って慌ててしまいそうになったけれども、直後、脳がビリビリと震えました。
脳みそに刻まれたしわの一本一本に、電撃が走ったかのような感覚。
映像が瞼の裏側でパーンと弾けて消えます。
わたしはすべてを理解しました。
と。
わたしを満たしていた、毒々しい色をした液体が減っていき。液体がすべて床下へと消えてしまうと、正面の扉が開きます。
わたしは容器を出まして、ペタペタと足跡を残しながら歩くこと数歩。
周囲には、先ほどまで入っていた円筒状の容器が並んでいました。
その中には、頭からつま先までわたしと何ら変わらない瓜二つの存在が、無数に存在する装置の中で生まれる瞬間を待っているのが見えました。
シャワーを浴びたわたしは、出来上がったばかりのトーストをかじりながら新聞に目を通しました。
夕刊の大見出しには『銀行強盗発生。犠牲者は一人の模様』。その下には、事件の詳細が書かれていました。本日の十七時ごろ強盗事件が発生したものの、最後にはセキュリティの一部が起動し半径百メートルを更地にして終わった云々。一人の民間人が行方不明になっている云々。
そいつはわたしでした。
「行方不明じゃなくて、蒸発したんだけどね」
思わずつぶやいてしまいました。
わたしは、あの時のわたしとは違います。遺伝子レベルではそうだし、爆発に巻き込まれるまでの記憶も有しています。でも同時に、あそこで生まれたという感覚もありました。
あのわたしが死に、このわたしが生まれました。
まるで命のバトンが渡されたかのように。
トーストを食べ終えてから、わたしはマオさんに電話をかけることにしました。
「心配したんだぞっ! 連絡くらいしろ!」
開口一番叱られてしまいました。
「しょうがないじゃないですか。立てこもり犯の生き残りがいるんじゃないかって夜も眠れず」
「そりゃそうかもしれないが……。っていうか、あの爆発でよく生きてたなお前」
「地下に隠し通路があったんですよ。銀行員の方を逃がしてわたしもそこから」
「なるほどねえ。今は何にもねえ更地になってしまったが。そういや、犯人は?」
「さあ、解除してたのは見ましたけれど、必死に逃げたんでどうにも」
「そっか。まあ、あの爆発だろう。あの場にいたとしたら命はねえだろうなあ」
「ですね」
命なんてないに決まってます。だって、立てこもり犯自体が存在しない虚像だったんですから。
「どうかしたか?」
「なんでも。それより、わたしが生きててよかったですね。新聞記事には第二部隊の是非を問う声があるとかないとか書かれてますよ」
「あー、まあそうだな。でも、んなことはどうだっていいんだよ」
「それはどうして?」
「だって、お前が生きてんだしな。まずはそれを喜ぶべきだろ」
わたしは受話器を落っことしそうになりました。
よくもまあ、そんな歯の浮きそうなことを言えるもんです。感心するし……ちょっとうらやましくもあります。
おーい、という声が受話器の向こうから聞こえてきたけれども、わたしはそっと受話器を置きました。
ガチャンと控えめな音とともに、スピーカーから漏れる騒々しい声はやみました。
しばらくの間、黒電話をながめていました。その時のわたしの表情は、たぶん、お世辞にも見せられたものじゃなかったと思います。
ふうっと息を吐いて、心を落ち着かせるべく淹れたばかりのコーヒーに口をつければ、ほんのりと甘く感じるのでした。
人質代行ちゃんは今日も犯人と交渉する 藤原くう @erevestakiba
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