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学校に向かう身支度の最中、自然とテレビのリモコンを手に取っていた。最近の日課になっている、朝のニュースチェックだ。昨日は雨が降っていないので、新たな事件は起きていないだろうが、今までの事件について続報があるかもしれない。だが、その考えは甘かった。
今朝も同じく、辛気臭い顔で新たなニュースを読み上げるニュースキャスター。昨日に引き続き、新たな犠牲者が増えたと報道している。
「どうして……」
庭へと続くカーテンを開け、掃き出し窓を開く。今日は昼から雨予報だったので、今はまだ前は降っていない。だが、庭の砂利石が湿っている。父の趣味で並べられている観葉植物の葉から、水滴が滴っている。生暖かい風が部屋の中に吹いてきて、雨あがりの濡れた土の匂いを感じる。
「まさか、降ったのか。寝てる間に」
くそ、完全に油断していた。天気予報が外れることなんて珍しくない。ましてやここは雨神市。雨ばかり降る湿った街だ。だいたい、昨日江崎の前で魔法を披露した時も、たまたま予報にない雨が降ったじゃないか。
「……ふう」
強く拳を握りしめながら、胸のもやを吐き出すようにため息をつく。起きてしまったことは仕方ない。時間は巻き戻らない。後悔するよりも、今は次のことを考えなければいけない。
「……とりあえず、学校行くか」
今回の事件についても、沢田なら何か知ってるかもしれない。テレビでは今も最新の事件についてニュースキャスターが話している。遺体の損傷が激しいが、今回の被害者は一人で、現場近くには被害者のものと思われる血に濡れた財布が落ちていたらしい。その中には身分証明書が入っていたらしいが、その名前は公表されなかった。
「よお、灰夜。おは──」
「今朝のニュース! 何か知ってるか?」
教室に入って沢田を見つけるなり、僕は自然と走り寄っていた。
「い、いきなりだな。にしても灰夜がこんな大きな声を出すとは。教室中に響いたぜ、今の」
言われて辺りを見回してみると、クラスメイト達は一様に僕を見ていた。
「あ、ああ、悪い。それで、沢田はまた何か知ってるかと思ってな」
「知ってるは知ってるけど……そうだな、ここじゃあれだから場所を変えようぜ。たまには一限からサボってもいいだろ」
そう言って沢田はそばにいた男子を捕まえて、「成美先生が来たら、俺と灰夜は体調が悪いから保健室行ってるって言っといて」と言伝した。
教室を出て、沢田は階段を一段飛ばしで登っていく。
「おい、保健室は下だぞ?」
「……灰夜ってさ、時々天然なとこ見せるよな。保健室行ったら保健医がいるだろ? 誰もいない屋上に向かってんの」
そうして屋上へと出るやけに重たい扉を開けて、灰色の雲に覆われた空の下に出る。
周囲を囲む銀色のフェンスに沢田は背を預け、憂鬱な顔つきで俯いている。いつものようなふざけた態度は今日はお休みらしい。
「……昨日殺されたのはな、秋瀬透(あきせとおる)って言う大学生だ」
「……秋瀬?」
「そう、うちのクラスの秋瀬の兄貴だ」
「……」
僕以外の人間はどうなろうが興味がない。どうでもいい。少し前の僕なら、淡々とそう感じていたのだろう。だが、今の僕にはそう考えることができなかった。
「透さんには昔から世話になってな。秋瀬とは幼馴染だからさ。ガキの頃から遊んでもらってた。まあ中学に上がったあたりから、グレた連中と付き合い始めてたけど、それでもいい人だったよ。俺が一人で夜の街でほっつき歩いてるのを見かけたら、毎回声かけてくれた。何度か飯を奢ってもらったりもしたっけな。そんで毎回同じことを言うんだよ。『俺みたいになるなよ』って」
葬式には顔を出すつもりだよ、と言いながら沢田は空を見上げた。雲に覆われた灰色の空からは、今にも雨が降り出しそうだ。いや、もしかしたらすでに降り始めたのかもしれない。なぜなら、上を見上げたままの沢田の頬に一粒の水滴が流れていたからだ。
「ま、そういうことで秋瀬は当然休み。ついでに雪月も休みだってさっきクラスのやつから聞いた。俺もこのままサボっちまおうかなー」
冗談めかしながら振り向いた沢田は、いつもの表情に戻っていた。
「にしてもさ、最近変わったなあ、灰夜は」
似たことを昨日言われたばかりだ。江崎には、つまらなくなったと言われていた。
「自分じゃわからない。何が変わったって言うんだ?」
「眼が変わったよ、眼が。前までのお前はなんていうか……うん、誇張なしに死んだ魚の目をしてた。生気がねーっていうの? 腐ってないゾンビみたいだったぞ」
「面白い例えだな。よくそんなやつにお前も構ってきたな」
「あー、第一印象は根暗で引きこもりのつまんねーやつだって思ってたぜ、ぶっちゃけるとな。でもさ、お前、雨の日だけはその瞳に色が付くんだよな。灰夜、雨の日好きだろ?」
「それはそうだけど……そんなにわかりやすかったか?」
「いや、他の連中は気づいてないんじゃねえかな。気づいてるのはせいぜい俺と、隠してるつもりで隠せてない感じでお前を気にし続けてた雪月と、あとは成海先生もだな」
「雪月と……成海先生もか?」
「ああ、あの先生、ただ厳しいだけじゃなくてしっかりと俺らのこと見てるからな。多分気づいてるぜ」
そのことに気づいてる沢田も大したやつだった。益々、僕に構ってくる理由がわからない。
「なあ、灰夜。俺らが初めて話した時のこと覚えてるか?」
「……いや、だいぶ前だしな」
「ま、だろうな。あれは中一の時で、お前が何故か知らんが顔中アザだらけで学校に来た時のことだ」
それはおそらく五年前、江崎との一件があった後のことだろう。
「いつもと変わらない無表情で淡々と授業受けててよ、昼休みについ声をかけたんだよ。それどうしたんだって。今でも思い出すと笑っちまうよ。無表情のままでさ、『階段から落ちた』って言ったんだよ。嘘つくにもベタすぎるだろ? んなわけあるかいって反射的に突っ込んじまった。お前は迷惑そうにしてたけど、俺はお前が面白いやつだと思った。だからお前の友達になることにした」
そんなやりとりがあったような気が……しないでもない。残念なことに、正直言って覚えていない。
「それから一方的に絡むようになってさ、途中から気づいたんだよ。こいつ、避けてるなって」
「それはお前からか?」
「いーや、俺だけじゃない。あらゆることからだ。正確に言えば避けてるって言うより、我慢してる、抑えてるって感じかな。とにかくお前は、色んなことを抱えて内に閉じ込めてる気がしたんだ。だから俺は構い続けることにした。いつか、その化けの皮を、凝り固まった外面を剥がしてやろうって思ってな。ま、その役目は俺じゃなくて、他にいたみたいだけどな」
「そうか……。悪かったな、期待に添えなくて」
「ん? 別にんなことねーよ。俺じゃなくても誰でもよかったんだ。ちょっとは悔しい思いはあるけどな。ま、何はともあれお前は変わった。少しづつだけどな。──なあ灰夜。そろそろいいんじゃないか? 自分の好きにしてさ」
「自分の好きに……?」
「そうだよ。人生なんて短いもんだぜ? 長くてもせいぜい百年かそこらだ。それに、唐突にあっけなく終わりを迎えることもある。だからさ、自分のやりたいように、後悔しないように好きにしたらいい。そうすればさ、お前はもっと面白いやつだって、周りの奴らも気づくさ」
そう言って沢田は握り拳を真っ直ぐこちらに向けてくる。
「死ぬ時になって後悔しないようにさ、素直になろうぜ、親友」
沢田は、僕の唯一の話し相手だった。唯一の知り合いだった。そう、ただそれだけ。そう思ってきた。そう考えてきた。そうやって、他人との関わりから逃げてきた。
もっと素直になれ、と沢田は言う。自分の心に、素直に。
そうだ。そうだったんだ。僕は逃げていたんだ。灰色の世界に閉じこもり、色とりどりのカラフルな世界から、逃げていた。
『世界には素敵なものがいっぱいあるんだ』
思い出される女の言葉。すでに答えを教えられていたんだ。それに気づくことからも逃げてきた。沢田も、雪月も、僕に手を差し伸べてくれていた。それを払いのけて、ひたすらに逃げてきた。そんな自分が嫌だったから、だから僕は──
「──ああ、そういうのもアリかもしれないな。いや、もうやめるよ。──待たせたな。僕を見捨てずにいてくれて、ありがとな、親友」
拳を突き合わせて、僕は初めて沢田に笑顔を見せた。
もう少しここで呆けてるよ、と言う沢田を屋上に残し、僕は学校をサボることにした。学校を出る前に、授業の合間の時間で他クラスを除いて目的の人物を見つける。
「悪い、調べて欲しいことがあるんだ、泉生徒会長」
「ただの泉でいいわよ。それで、調べて欲しいって何を? 急ぎ?」
「ああ、急ぎの要件だ。泉は全校生徒の情報を握ってるって話、あれは本当か?」
「まあ、大体のことはね。情報は力だから。持っておくに越したことはないわ」
「それは生徒に限らず、か?」
「……まあ、そうね。大抵のことなら。何? 期末試験の予習でもしたいの?」
「いや、違う。ある人物について調べて欲しいことがある」
用件を伝えると、泉は怪訝な顔を見せた。
「別にいいけど、そんなこと知ってどうするの? メリットがわからないわ」
「大事なことなんだ。頼むよ」
頭を下げて誰かにものを頼むなんていつ以来だろうか。本当に、雪月を助けたあの日から、僕は変わっている。
「……いいわ。少し時間を頂戴。夜までには結果を伝えるわ」
「本当か? 助かるよ。ただ、僕はこれから学校をサボるから、連絡先を教えておく。結果は携帯に連絡してくれ」
電話番号を伝えて、僕は足早に校外へと向かった。まずは家に帰って準備をする。端的に言えば、アレを地下室から取りに行く。その後は雪月と合流するために病院だ。秋瀬のことも……心配だ。親しい間柄ではないが、知ってる顔が悲しんでいるのを想像すると、どうにも胸が締め付けられる。
準備を整えて、目的の大学病院に足を踏み入れた。無駄にだだ広い待合室を抜け、受付で道案内を受ける。まるで迷路のような真っ白な通路を抜け、薄暗い階段を上り、雪月と秋瀬を見つけた。
「──え、灰夜くん!?」
「……東雲? どうして」
近寄って二人の顔を見ると、どちらも目元を赤く晴らしていた。特に秋瀬の方は顕著で、今も瞼に涙の粒を浮かべている。まるで心臓を強く握りしめられたように、一瞬鼓動が止まる。
「秋瀬……ごめん、なんて言ったらいいか……」
「……フフッ、変なの。東雲が心配してくれるの? なんだ、案外いいやつじゃない」
涙を拭いながら、弱々しい笑顔を見せる秋瀬。雪月はそんな秋瀬の震える肩を、ずっと抱き抱えていた。
「お父さんがね、『楓は見ないほうがいい』って。だから最後のお別れもできてないの。後悔だけが胸を埋め尽くしてくる。昨日、私がお兄ちゃんを止めていればって」
「楓は悪くないよ。もちろん、お兄さんだって。悪いのは全部殺人犯だよ。だから自分を責めないで」
「うん、わかってる。わかってるんだけどね」
堪えきれないようで、秋瀬は再び涙をこぼした。
そうだ。奴は一人の、いや、何人もの、何十人もの日常を壊してきた。平凡でもあり、かけがえのない日常を。魔法という非日常に取り憑かれていた自分に嫌悪感を感じるが、そんな非常識側の僕にもできることがあるはずだ。
「秋瀬……気休めにもならないかもしれないけど、このふざけた事件は今日で終わるよ」
「どういう……こと?」
「先月から続いた事件は今日終わる。絶対にだ」
僕は誓ってみせた。秋瀬に、雪月に、何よりも自分の心に。
「灰夜くん……?」
「雪月、しばらく秋瀬に付き添ってあげてくれ」
「ま、待って! 一人はダメだよ! 私も行く!」
「大丈夫だ。準備をするだけだから。予報だと雨は夕方からになるらしい。その時に合流しよう」
「え、どういうこと? 二人はなんの話をしてるの?」
秋瀬は不思議そうに僕たちを交互に見ている。なんの話って、そんなの決まってる。
「殺人鬼を止めるんだよ」
「え……? そんなの無理に決まってるじゃない。ただの高校生なのに」
「いや、少なくとも僕はただの高校生じゃない」
その言葉を吐くのに躊躇はなかった。
「──僕は魔法使いなんだから」
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