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 今日は予報通りで、夕方から雨が降り始めた。

 灰色の曇天を見上げながら、昨夜に雪月と見た夜空を思い出す。雲の隙間から見えた、あの綺麗な星空を。僕が見ようともしてこなかったもの。避け続けて、逃げてきた日常。僕はそんな尊いものを守るために戦うと決めた。雪月に連れ回されていた時とは違う。今の僕は、明確に自分の意思で動いていた。


 日が半分ほど沈んだ頃。待ち合わせ場所で泉からの電話を終え、改めてメッセージを確認していると、雪月が急かしてもないのに走ってきた。

「ごめんね、待たせちゃった?」

「いや、問題ないよ」

「──ってどうしたのその顔!? 怪我してる」

 少し腫れた僕の頬を雪月が優しく撫でる。

「気にするな。馬鹿な連中を相手に聞き込みをしてたら殴られただけだ。どうやら僕はこういうのは向いてないらしいな」

 まあ、今まで人と接してこなかったからな。下手に出て話を聞き出す、なんて技術は持ちあわせていない。

「秋瀬の様子はどうだ? 大丈夫か?」

「うん、朝よりはずっと落ち着いてたよ。……結局、お兄さんがいる部屋には入れなかったけど。正直、楓は見ないでよかったと思う。私がお手洗いに離れた時ね、偶然聞こえちゃったの。人間としての形をしていない。まるで肉片の寄せ集めだって、先生たちが話してて」

 デリカシーのない医者たちだ。万に一でも外部の人間に聞かせていい話じゃないだろう。

「それに……よかったの? 楓に自分は魔法使いだって。絶対に隠さなきゃいけないことなのに」

「ああ、気休めにもならないだろうけど、少しでも気が紛れるならと思ってな。──そんなことより、だ。これから江崎を探すぞ」

「あの人を……? それなら昨日の廃工場に行けば会えるんじゃ」

「いや、病院を出た後に向かったけどもぬけの殻だった。秋瀬の兄貴はな、正確にはハイライトの一員じゃないが、その下っ端の不良グループの一員だったらしい。ゆくゆくはハイライトに入る段取りも決まってたほど江崎は気に入ってたらしい」

「じゃあ昨日の約束は……」

「ああ、あれは白紙になってるだろうな。昼間っからガラの悪い連中が街を歩き回ってる。殺人鬼狩りはもう再開されてるんだ」

「そんな! それじゃあまた誰かがやられちゃう!」

「それを止められるのは江崎だけだ。だから奴を探す。当てはもうつけてあるから行くぞ」

 その場所は五年前、僕があの男達に喧嘩を打った場所。今でも細々と営業を続けている、あの女がお気に入りのタバコ屋だった。


「いらっしゃい……て、おいおい。明らかに未成年だよね? 君たち」

「気にするなよ爺さん。買い物に来たわけじゃない。それに、前から未成年にも売ってるだろ?」

「そりゃどうかな……。歳だから物忘れが激しくてね。で、買い物じゃないなら冷やかしか?」

 雪月はキョロキョロしながら「初めて入ったー」なんて店内に興味津々の様子だ。ちなみに、雪月がタバコを咥えている絵は……全く想像できない。というか絶対に止める。

「探してる人間がいるんだ。江崎って男。ハイライトって半グレグループの頭で、金髪、目つきが悪い。唇の下と瞼の上に傷跡がある」

「ああ、あの坊ちゃんね。常連さんだよ」

「今日この店には?」

「来たよ、ついさっきね」

「さっき!? くそ、すれ違いか。その男がどこに向かったかわかるか? せめて方角だけでも」

「すぐそこだよ、そこ」

 年老いた店主は皺の多い指で店のすぐ外を指差す。

「そこの路地裏を入ったところでいつも一服してる。先は行き止まりだからね、ここから見てれば出ていくのも見える。まだ出てきてないよ」

 なんの因果か。必然か。五年前のあの場所に江崎はいるらしい。

「そうか、助かったよ爺さん」

「別にいいけどよ、なんか買ってかないの?」

「……未成年でタバコを吸うほど、道を踏み外してはいないんでね」


 灰色の壁に挟まれた狭い路地を抜けると、行き止まりに江崎はいた。雨に濡れた壁に背をつけ、ビニール傘をさしながらタバコを吸っている。

「まさか一人とはな。面倒が少なくて済む」

「あ? 一人の方がもしあの女を見つけた時にやりやすいからな。……で、何の用だ?」

「あんたの部下達をすぐに撤収させろ。また犠牲者が出る」

「それは無理だ。昨日は透がやられた。もう止まらねえよ」

「なんで! 昨日約束したじゃない!」

「約束? あれが? 馬鹿言うんじゃねえよ。あれは約束でも、ましてや契約でもねえ。お前らの勝手な提案を、俺が譲歩しながらも受け入れてやったんだ。俺が一方的に決めたことで、今日の殺人鬼狩りも俺が決めたこと。文句あるか?」

「ああ、大アリだね」

 僕は江崎に詰め寄って行く。

「あんたこそ馬鹿なのか? 相手は魔法使いなんだぞ? いくら喧嘩自慢だろうが、魔法使いには勝てない!」

 瞬間、気づくと僕は胸ぐらを掴まれていて、江崎との立ち位置が逆転していた。背中をコンクリートの壁に強く打ち付けられる。

「じゃあここで前哨戦でもするか? てめえも魔法使いなんだろ? 俺とお前、どっちが勝つかやってみるのも面白い」

「灰夜くん!!」

「待ってろ雪月!」

 今にも江崎に飛びかかりそうな雪月を手で静止する。

 ──五年前と変わらない。相変わらず獣のような目で僕を睨む江崎。壁に背を預ける僕。五年前と同じ、冷たい雨。

 だけど、僕の中身は五年前と違う。それに、僕を変えてくれた存在が心配そうにこちらを見ている。そう、僕は五年前とは違う。

「使ってみろよ、魔法ってやつを」

「……使わねえよ、馬鹿が」

「あ?」

「お前なんかには使わねえよ。僕の目的はお前に勝つことじゃない。殺人鬼を止めることだ。お前が折れるまで、とことん付き合ってやる」

「……チッ、つまらねえ。東雲、てめえの目はつまらねえ色になった。あの時のイラつく灰色の目はどこやった?」

「残念だけどな、今の僕の目には色んな色が映るようになったんだ」

 再び舌打ちをして、江崎は僕から手を離す。苛立たしげに吸い殻を壁に叩きつけると、懐から新たにタバコを取り出して咥えた。

「お前らが何時間粘ろうが結果は変わらねえ。それにな、今日は勝算がある」

「勝算……?」

「俺がここに一人でいるのはな、囮だよ。俺がここにいる情報を兵隊達に流させて、ここで俺が仕留める」

「な……自分を囮なんて。でもそんなにうまくいくわけが──」


 ぱしゃん、と水の音が雪月の言葉を遮った。


 僕も雪月も、もちろん江崎も気づいていなかった。

 いったいいつからそこにいたんだ?

 僕たちが歩いてきた路地に立つ赤い傘の女。

 その女が水たまりに足を踏み入れた音で、僕の今までの人生で最も長い夜が始まったのだった。

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