プロローグ <後編>

 プロローグ <後編>


 相変わらず冷たい雨は降り続いていた。

「さて、と。まあ、あんなもんでしょう」

 根元まで吸い切ったタバコを女が指先で弾くと、空中でそれは発火して、地面に落ちる前に燃え尽きた。くるくると傘を回しながら、座り込んだままの僕の元へと女が寄ってくる。

 今この場には、僕と赤い傘の女しかいない。僕を取り囲んでた連中は、目の前の魔法使いによって決して覆せない力関係を体と心に刻まれ、逃げるように去っていった。完全にトラウマだろう。その中でも、江崎とかいう男だけは最後まで苛立たしそうにしていたが。

 女はコートの胸元から新たに煙草を取りだし、口に咥える。指をパチンと鳴らすと、指先から青い炎が生まれ、煙草に火がついた。ため息をつくように、深く煙を吐き出しながら女は言う。

「きみぃ、魔法を使って彼らを殺そうとしてたでしょ? よくないなあ」

「……どうしてわかるんだ?」

 確かに、女のいう通り殺そうとした。だけど、既のところで止められていた。まだ僕は魔法を使ってすらいない。

「そういうのわかっちゃうんだよねえ。お姉さん、超一流だから」

「答えになってない」

「まあまあまあ。魔法使いは秘密を抱えてるものだろう? 存在自体が秘密だしね」

「どの口が言ってるんだ。私は魔法使いだ、とか宣言したかと思えば、堂々と魔法を使ってあいつらを叩きのめした。あんたも魔法使いなら、魔法を隠匿するという絶対厳守の決まりはどこにいった?」

「君もその決まりを破ろうとしていた。違う?」

 女のいう通りだった。未遂とはいえ、僕も人のことを言えた立場じゃない、か。

「私は自分が魔法使いであることを隠してないから問題ないけどね。それに彼らが言いふらしたところで周りは信じないだろう。委員会の連中以外は、だけど。あいつら面倒臭いからなあ」

 そうだ。僕たち魔法使いが正体を隠すのは『委員会』という天敵がいるからだ。奴らに目をつけられたら、魔法使いとしてどころか、人として終わりを迎えることになる。

「ま、私のことはそれこそどうでもいいか。そんなことよりだ。魔法使いとしての掟は教わってるみたいだけど、人殺しはいけないことだって教わらなかったのかな?」

「……そういうあんたはどうなんだ?」

 赤い傘に赤い髪の女。噂通りなら、コイツは連続殺人事件、天罰事件の犯人だ。すでに五件も事件は続いている。

「噂になってる。あんたは人殺しじゃないのか?」

「人殺し、か。それは否定できないね。そんな私が君に道徳を説くのは滑稽だったか」

 あっさりと人殺しであることを認めて、女はため息と共に灰色の煙を吐き出す。

「だけどね、君が助かったのは事実だよ。私があと少し遅れていたら、この場には無惨な死体が転がり、その犯人である君と私が対峙していた。君はきっと壊れていただろうね」

 つまらない結末だろう? と女が問いかけてくる。

 この女が言うには、僕が人殺しをしていたら壊れていたらしい。あんなどうでもいい奴ら、殺したところで何も感じはしないと思うが。そうつげると、女はまた深いため息をつく。

「君は自分が思っているほど捨てきれてないよ。捨ててしまったものだって、まだ拾い上げるチャンスがある。君みたいな魔法使いは何人も見てきた。つまらない結末もだ。だけど、君はまだ間に合う」

 そう言って口元を吊り上げ、女は灰色の空を見上げた。

「君は雨が好きかい?」

 唐突な問いが空から降ってくる。

「魔法が使えるからな。僕にはそれだけで、他は必要ない」 

「今の君の世界は狭いな。まるでこの湿った路地裏のように、だ。それはつまらないだろう」

 目線を下ろして再び僕を見るその瞳は、静かに燃える炎のような緋色だった。

「魔法使いにとって魔法は大きな意味を持つ。魔法は素晴らしい力だ。だけどね、この世界は魔法が全てじゃない。他にも素晴らしいものがいっぱいあるんだ。君はそれを知らない。いや、知ろうとしてこなかった」

「違う。魔法が全てだ。それ以外はいらない」

 魔法が全てじゃない?

 他にも素晴らしいものがある?

 ……何を今更だ。

 魔法以外のことなんて、三年前に捨ててきたんだ。

「君も頑固だねえ。まあ、私の言葉一つで君の生き方を変えれるとは思ってないけど。じゃあこうしよう」

 女が空に手をかざすと、雨粒と共に空から傘が降ってきた。それを手で掴み、ばっと大きな音を立てて女は灰色の傘を広げる。

「……っと、そういえば君の名前を聞いてなかったね。私は雨宮暁子(あめみやきょうこ)だ。君は?」

「……東雲灰夜(しののめはる)」

「ではハルくん。君にはこの傘を貸してあげよう」

 そう言って灰色の傘を差し出してくる。

「……これは?」

「これは魔法とは関係ない。ただの傘だよ。でもね、傘をささないと君はずっと雨に濡れたままになるだろう?」

「別に、いらない」

「まあそう言わずに受け取りたまえ。いつかまた私と出会った時に返してくれればいい」

 ほら、と微笑みながら、雨宮暁子と名乗った魔法使いは僕が手を伸ばすのを待っている。

「……どうして僕なんかに構うんだ?」

「私はつまらないことが嫌いなんだ。言っただろう? 君のような人間のつまらない結末を見てきたって。私がそんな終わりを見たくないだけ。それだけだよ」 

「……自分勝手なんだな」

 僕が苦笑すると、女は笑って応えた。

「そうよ。私は自分勝手に生きるって決めてるんだ。君も少しは自分に素直になったらどうかな?」

 その子供のような無邪気な笑顔に、なんだか何もかもが馬鹿らしくなってしまった。僕は重い腰を上げて、差し出された傘を受け取る。

「今の私はちょっと忙しくてね。君のヒーローにはなってやれないんだ。だけどね、いつか君を陽の下へ連れ出してくれる人に出会う時が、その時が必ず来る。その傘はそれまでのお守りみたいなものね」

 返却期日は無期限でいいわ、と笑いながら女は去っていった。

 

 未だ雨が降り続く空は灰色、差し出された傘も灰色だが、雨宮暁子と名乗った魔法使いは、モノクロな世界を否定するように赤色だった。

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