無敵のワクチン

我那覇キヨ

無敵のワクチン

「何書いてるの?」

 正面の席で目を覚ました彼女が聞いた。

 わたしは吊り革に捕まりながら、スマホの画面から目を離して答える。

「小説書いてる。ごめんね。横浜までで書いちゃうから」

「また書き始めたの? もう賞に出さないって言ってたから寂しかった。嬉しい」

 これはちゃんと説明したほうがいいなと思って、わたしは書きかけのファイルを保存して閉じる。

「うーん……。どう言ったらいいかな。やめた理由だけど、賞に出すっていうのは、賞の傾向を調べて望まれてる作風やジャンルを想定して、それに合いそうな形で自分に書ける話ができないかなって考えるんだ。で、それだとどうしても自分の書きたい話にならない。だからやめた。もちろん、実力が足りてないなっていう自覚もあるけど」

「そうだったんだ。きみの書いた話面白かったけど……」

「ありがと。でも、知ってる人の書いた話は面白く感じるものなんだよ。この人にこんな側面があったんだ、みたいな面白さも込みで読むから」

 彼女はなおもそれだけじゃないと思うけどなぁと言ってくれたので、わたしはもう一度お礼を言った。

「で、そのあと、サークルに所属して合評会に合わせて書くのもやったんだけど、これもテーマを決めてから書くし、合評するにあたって文字数制限もあるからね。練習にはなるけど書きたいものを書くことにはならないなと思ってやめた。このことは言ってなかったかも知れないけど」

「ふうん。色々やってたんだね」

「サークルっていう場を維持するためには定期的な合評会は必要だし、職業作家になるならお題をこなす能力を磨くのは大事だと思うけどね。その時のわたしには合わなかった。タイミングが違えばもっと続けたなと思うくらいには、いい人達だったけどね。」

「じゃあ今書いてるのは締切ナシの趣味のやつってこと?」

「うーん……ちょっと違うんだ。変わったコンテストがあって、文字数以外の規定がないやつなんだ。他に変わったところとして、最初の選考以降は選考過程が公開されてるのが面白い。一回戦、二回戦って感じで、選考ごとに作品を書いてジャッジされる。」

「へえ変わってる。でもそんなのでコンテストになるの? 本にしたり作品集にしたりとかできないんじゃない?」

「そう。できない。」

「じゃ、勝っても名誉だけ?」

「名誉だけ。でもそれでいい。好き放題書いて、集まった連中も好き勝手に読んで。それで各々勝った負けたとか言いながらジャッジの発表を待つのが楽しい。昔やってたゲーセンの格ゲー大会みたいで」

「出た。なんでも格ゲーに例えて理解するマン!」

 彼女がいたずらっぽく笑う。

「人生の一番多感な時期をそこで過ごしちゃったんだから、仕方ない」

「ケンカになったりしないの? その、ゲーセンじゃなくてコンテストの方だけど」

「ケンカになってるやつもいる。わたしから見てもわかる範囲でいるんだから、運営は苦労してると思う。このコンテストで儲かることはないんだけど、苦労に見合うだけの価値を感じてるから続けてるんだろう。その心意気がいいね」

「そういうの好きだよね。きみ」

「うん。楽しい。それにちょうどいい話が書けそうなんだ」

「どんな話?」

 いつもだったら「書けたら一番に読んでもらうよ」と返すんだけど、この時はしばらく考えた。停車駅で降りる人がいて、ちょうど彼女の隣の席が空いたからわたしも座ることができた。

「なんかさ……あと二ヶ月じゃん。予定日」

 彼女のおなかを見ながらわたしは言う。

「うん」

 彼女はおなかの上に置いた手で膨らみをさする。

「無事に産まれてくれたら、それだけでいいよってことしかないんだけどさ。でも、迎えるわたしたちの方は準備しときたいじゃん。いらっしゃい、こっちは楽しいぞって。で、どう伝えようって考えたらさ、すごく難しくって。頑張って報われると嬉しいとか、大成功したらハッピーとか、そういうことじゃないよなって。その究極ってなんだろうって考えた時に、なんにもならなくたって楽しいぞ、ってそれを書いてあげられたら、無敵だなって」

「あ、だからそのコンテストに出すんだ」

「そうそう。勝っても負けてもなんにもないコンテストに、なんにもならなくたって楽しいぞって話でリングにあがろうかなって」

 ふうん、と言うと彼女は続けた。

「この子に贈る物語で、野蛮なお祭りに?」

「勝ち抜いたら面白いじゃん」

 彼女が笑った。わたしの胸に甘い痛みが訪れる。

「ほら、最近多い『無敵の人』ってさ、自分がなんにもならなかったから不幸だみたいな意識があってあんな風になるわけじゃん。で、この物語はその『無敵の人』に勝つ無敵なの。『なんにもならなくたって楽しいぜ』ってね。そういうのを贈ってあげたいんだ」

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