第3話 恋い焦がれた推しの生存ルート
激しく弾ける雷の音が、アンナの鼓膜を劈いた。
闇色の炎が、アンナの体を取り巻いた。
肺も凍らせる冷気が、アンナの関節を錆び付かせる。
虚空を切り裂く風の刃が、アンナの皮膚を切り裂いた。
だが、そのいずれもをアンナは正面から受け止め、そして魔力暴れる魔方陣の中を突き進む。
一心に、真っ直ぐに、魔力の嵐を進んで行く。
アンナは体中が引き裂かれる痛みを覚えていた。
だが、傷ついた箇所から癒やしの魔法をかけて修復していく。
魔法の嵐に揉まれて、言葉に形容することも憚れるような大怪我を負っても、アンナは身に宿る力のすべてを使って癒やした。
全ての値がカンストしているからこそ出来る、荒技だった。
「アンナ! 無茶だっ!」
オリビエ王子の悲痛な叫びが、結界内部に響く恐ろしき魔王の声によってかき消えた。
――ここまでご苦労だったシャルル! さあ! そなたの体を我に捧げよ!――
影が、シャルルの突き立てる剣を支えに立ち上る。
どこまでも邪悪な気配に身が竦む。
スチルで描かれていた魔王の影よりも何百倍も悍ましい気配。
しかし、アンナは臆さない。
「この、お前のせいで、シャルル様が封印されるのよっ!」
アンナはズタボロになりながらも、剣を構え、思いっきり、金属バットをフルスイングする要領で、魔方陣に突き立つ黒の剣をなぎ倒した。
この黒の剣が、封印されし魔王とシャルルを繋ぐ橋渡しをしていることも、アンナは知っている。
「なっ、……!」
黒の剣を失い、驚愕に目を見開くシャルル。
彼の後ろで同じく困惑の様子を見せる、魔王の影。
――何だ貴様は? どうやってこの結界内に入ったというのだっ!?――
「推しを想う力のおかげよ!」
――意味が分からんっ!――
「分かんなくたっていいわ、魔王! 今、ここで、この私が、アンタを倒すんだからっ!」
アンナはありったけの力を聖剣に込めた。
魔王を仕留めるには、今しかない。
シャルルの肉体を取り込んでいない、今しかないのだ。
アンナが前世の記憶を取り戻す以前、この逆ハーレムエンドルートを目指して自己研鑽を続けた聖女の、法力と魔力と武力と知力と魅力のすべてを込めて、聖剣の柄を力強く握った。
目映い光が、聖剣より解き放たれる。
「消えなさい、破滅の舞台装置が!」
アンナは大地を蹴った。
大きく跳躍し、力任せに剣を振るう。
白刃の刃の先にあるのは、闇を纏った魔王の額。
手応えはあった。
確信もあった。
そう、魔王を倒せるという、確信が――
剣を深く額に差し込み、アンナはそのまま渾身の力で魔王の影を切り裂いた。
刀身を包んでいた目映い光が迸り、アンナの網膜を灼いたところで、魔王の体は、闇の肉体は光に呑まれ、消えていく。
断末魔の叫びも聞こえなかった。
ただ、爆発的な光の群れが〝儀式の間〟を塗りつぶし、光が消え去ったと思った時には、もう、全てが終わっていた。
魔方陣から立ち上る魔力の嵐は消え、その場に残るのは、唖然とした様子の聖騎士たち。
「アンナ……、嘘だろう」
「凄い、聖女様一人で、魔王をやっちまったってのか……?!」
「……何という、圧倒的、力」
「お姉ちゃん、凄い、凄すぎるよっ!」
「これは唄として語り継がねばなりませんね」
それから。
「何故、だ。何故、俺を助ける?」
無事、生存したシャルル・ジャドール公爵だった。
力を失った魔方陣の中心で、力なく腰を落とす悪役貴族に、そっと微笑みかけながら、アンナは答える。
「……貴方が好きだから」
ずっと伝えたかった想いを、ここで口にする。
「シャルル・ジャドール」
聖剣を片手にオリビエ王子は冷淡に言った。
聖なる力を宿した剣は、無気力に膝を突く悪役貴族の首筋に触れている。
「王に反旗を翻し、魔王復活を目論んだ貴方は万死に値する――」
「――オリビエっ!」
アンナの声に、小さく頷くとオリビエ王子はそっと口角を緩めて笑った。
「分かってる、アンナ。だから……」
そう言って、彼は聖剣を下ろした。
「貴方はここで今、死んだ――ことにする。これから死者がどうこうしようが、僕たちには関係ない。そうでしょ?」
「オリビエ……! ありがとう!」
アンナの声は震えていた。
国家転覆、世界の破滅を願っていた彼を、王子であるオリビエが許すのだ。
「オリビエ王子、俺を許してくれるのか?」
「貴方がこの凶行に出たのは、僕たち王族の責任でもあります。貴方たち一族にした仕打ちは、過去のこととは言え、許されないことだ」
聖剣を鞘に収めて、オリビエは片膝を突いた。
そして青い瞳でシャルルを見上げる。
「どうか許してください。そして、貴方は自由に生きてください」
赤い瞳が細められ、白眉が悲痛に寄せられた。
「オリビエ王子……すまない」
絞り出すようなシャルルの声を聞き、聖騎士団のリーダーはそっと微笑んだ。
そして、再び立ち上がると、オリビエ王子は振り返る。
「さあ、帰ろうか〝
おお、と聖騎士たちの歓声が上がる。
シャルルの命が無事であったこと、寛大な処置を約束してくれたことにアンナは安堵していた。
だが、それは、彼がこの国を去るということでもある。
「オリビエ、私は……」
アンナの言葉に、オリビエ王子は強く頷いた。
「アンナ……僕たちは数多の試練を乗り越えてきた。そして、ついに魔王を倒したんだ。僕たちの絆は、誰にも引き裂けない強固なものだ。だからこそ……君の想いは分かってるよ」
白の王子オリビエの言葉を引き継ぐように、赤の騎士リュカが言う。
「ここで身を引くってわけだ、聖女様」
「……そのようだ」
彼の隣で頷く紫の暗殺者マエル。
「お姉ちゃん、ボク、別れるのは辛いけど……」
ぱたぱたと小走りに駆け寄る青の宮廷魔導士レオがアンナの手を握る。
「貴方はジャドール公爵と行くのでしょう?」
しゃらんとハープを鳴らして、緑の吟遊詩人ジュールが微笑む。
単身で魔王を打ち倒したアンナの心のうちを、彼らは理解してくれているようだった。
「さあ、行ってらっしゃい、僕たちの聖女様。貴方の幸せを僕たちは誰よりも望んでいる」
「……、ありがとう!」
アンナのこの感謝の言葉は、シャルルを許し、またアンナの自由を許してくれた彼ら聖騎士に向けたものでもあり、
この神ゲーを生み出してくれた制作者に向けたものでもあり、
そして、この世界に転生させてくれた知らぬ誰かに向けたものでもあった。
魔物も姿を消し、静寂だけが支配したジャドール城。
世界を救うべく戦った聖騎士たちの姿はどこにも見えず、あるのは荘厳な門構えの前に立つ、かつての城主ジャドール公爵。
黒の甲冑に身を包み、赤の瞳で日の出を見つめていた彼は、不意にアンナを見た。
「本当について来るのか? 爵位も領地も居城も失った男の旅だ。いくら聖女の役目を終えたとはいえ……」
「良いんです。あ、でも、シャルル様が嫌だと言うのであれば、私は……」
アンナの望みはシャルルの幸せだ。
出来ることなら側にいたいが、彼がそれを拒むのであれば、無理に着いていくつもりはない。
シャルルが、あらゆるルートから逸脱した『ホーリー・ナイツ』の世界で、自由に生を謳歌してくれるというのであれば、それで。
「お前は俺の命の恩人だ。拒む理由がない」
「じゃあ、着いていっても?」
「好きにしてくれ」
「やったあっ!」
喜びのあまり、アンナは両手で拳を握ると、朝焼けに染まる空に目がけて大きく突き出した。
体全身で喜びを表現していると、呆気にとられた様子でシャルルは呟く。
「……本当に、分からん女だな」
そして、ふ、と彼は笑ったのだ。
決して作中では見ることの出来無かった、彼の笑顔。
「……っ!」
アンナの頬がかあっと熱くなってくる。
今まで、ずっと妄想はしてきたのだ。
もし、彼が救われるルートがあったとして、彼が魔王に取り込まれることなく自由に生きることが出来るルートがあったとして、
(か、格好いいっ!)
「どうした?」
「い、いえ、何でもありません。ただ、その」
今にも過呼吸になりそうな体を落ち着かせようと、アンナは大きく深呼吸。
「凄く嬉しくて」
そう、ぽつりとこぼして、アンナははにかんだ。
「こうして見ると、聖剣を繰り、魔王を打ち倒した聖女とは思えんな。俺のような反逆者を好むとは、実に可哀想な娘だ」
「可哀想じゃないです。世界で一番幸せな人間ですよ、私は」
なんせ、死亡が確定していた推しと、一緒に旅に出ることが出来るのだ。
これ以上に幸せな人間もいないだろう。
「……さて、変わり者の聖女、アンナよ。行くぞ」
「はい!」
見たことのない風景が、アンナの視界いっぱいに広がっている。
この先に広がる世界は、もう、アンナの知る『ホーリー・ナイツ』ではないのだ。
ゲームを破壊し、どのルートでもない新たなルートを開拓してしまったのだ。
その結果、この世界がどうなるかは分からない。
魔王を打ち倒したことで、何か不都合が生まれるかもしれない。
だが、アンナのパラメーターはカンストしている。
魔王を聖なる剣で打ち倒した、聖女だ。この先の旅路も不安はない。
アンナはふとシャルルの横顔を見上げた。
月明かり色の白い髪。赤い薔薇のような瞳。
そこに宿る穏やかな色にほっと安堵して、アンナは前を見据えた。
そして強く思う。
推しを、シャルル・ジャドールを幸せにする。
絶対に――!
…………
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非攻略対象悪役貴族最推し乙女ゲーマーの転生~破滅まっしぐらな推しのためなら、ゲーム破壊もいといません!~ アズー @azyu51
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