Scene 死とはなんなの?生きるのはなぜなの?

 その日の晩はご飯とお風呂を済ませた後は自分の部屋のベッドで天井を眺めながらボーッとしていた。もうすぐ受験生だというのに勉強もしないで。岳人が虹を渡って行ってしまってからまだ何日も経っていないのに、ここ最近はとても忙しかったような気がするわ。たいしたことはなにもしていないくせに。体を置き去りにして心だけがすごいスピードで走っているような感じ。お母さんの心の病のこと、果歩ちゃん、美羽ちゃんをはじめクラスのみんながとても親切だったこと、ついさっき先生と喧嘩したこと。亮君があたしを守ってくれたこと。


あの場に彼が現れてくれること自体が大きな驚き。あの穏やかな彼がさっきはとても力強く男らしくそして大人びて見えたことも驚き。その彼にあたしはなにか今までとは全く異なる気持ちを抱いているのは間違いないの。元から好意は持っていた。その気持ちが成長して恋にでもなったのだろうか。しかし胸がドキドキするわけでもないし、彼のことを思い出してニヤニヤしてしまうわけでもない。思いつく限りの言葉で表現するならば親近感を抱くようになった。


親近感?あたしと亮君が?それはどうにも間違った表現ではないか。日々を怯え、怖れ、暗い気持ちで俯いて生活しているあたしとあの優しくて勇敢で逞しい亮君が親しみ、近い存在だとはどうしても思えない。自分で出した答えに自分で問いかける必要があったわ。


恋ってなんだろう。愛とは違うものなのだろうね。あたしはこれまで自分の愛の対象は岳人だけだと思っていた。他の家族や友達に対して岳人のような気持ちで接することなど申し訳ないが不可能なことだ。もちろんお父さんもお母さんも、果歩ちゃんも美羽ちゃんも他の友達も大切だ。大好きだ。だけど、当然それらの人達に恋をしているわけではない。では、恋の対象とは誰なのか。無理やりパズルに合うピースを探すとそれはやはり亮君なのかもしれない。色々考えたけど、所詮あと一年半もすればこの世を去っていくあたしには恋の問題など気にする必要はないのかもな。なんだか馬鹿馬鹿しくもあるけど、とても寂しいことなのね。

 

それにしてもあと一年半なのか。近頃ますます自分の寿命が残りわずかなことなどあまり気にならなくなっていた。なにしろ毎日が辛いのだ。常に恐怖感や不安感に囚われた心。何故か関節などに痛みを感じるようになってからさらに一日一日を過ごすことが辛くなってきたのよ。毎晩カウントダウンは続くけど、自分の死期を確認しても、「ああ、そう言えばそうだった。」くらいにしか感じなくなっている。


終わりへの時計が動き始めてから約一年と七か月。あの頃は目を瞑って眠りにつくのも怖かった。毎日ひとつずつしか減っていかないのに、数字を見ていちいち震えた。あとこれだけ生きられる、あとこれしか生きられない。数字を見てあたしが感じることは、安心したり怖くなったり、あっちこっちへと心地が揺れていた。生きたいと思っているのか、あきらめてしまったのかも定まっていなかった。 


なぜ最近はあまり関心が無い…。


それはあたしのカウントダウンが初まってから今に至るまで、結局「死ぬということ」、「死後のこと」、「生きるということ」を理解出来てもいないし、自分の中で纏めて整理することももちろん不可能であり、それらのことを考えるのをやめてしまったからなのかもしれない。


当初のあたしは、死は死神のようなものによって手渡されるようなものだと思っていた。死神はあたしの寿命という場所で大きな鎌を持って待っている。死神の元へあたしは確実に毎日一歩ずつ近づいていく。しかし、時間が経つにつれて、死とははたしてそんなに怖ろしいものなのか疑問にさえ思うようになってきた。あたしの寿命という場所で待っているのが死神なのか、もしかしたら天使なのかも疑わしい。仮にそこにいるのがやはり死神だったとしよう。そうだとしてもヤツはあたしに対してその日が来るまでなにもすることは出来無いのだ。あたしとの出会いを早める為に、歩み寄ることも、暴れることも、もちろんあたしを殺めることも。


それでは逆に、果たして生きるということはそんなに素晴らしいことなのか、尊厳のあることなのか、幸せなことなのかも疑問に感じるようになった。あたしの中の真理は残された時間を穏やかに過ごしていくことのみだった。しかし、さっきも言ったけどそれがとてもきついのだ。辛いのだ。きっとあなたにはなぜ、なにがそんなに辛いのか想像もつかないでしょう。分かってもらえないでしょう。だってあたし自身だって分からないのだもの。比較的心の具合の良いときは暗かった自分の心理なんて克明には思い出せない。辛かったということは思い出し、推し量ったりすることも出来るけど、なににそんなに震えていたのか、なぜその程度のことで落ち込んでいたのか、彼女の気持ちは全く理解に苦しむのよ。またその逆も然りだ。具合の悪いときは良かったときの自分なんて思い出せない。良いときのイメージを頭に浮かべてそれに近づきたいのだが、比較的具合のいい彼女の心理が想像できない。なぜそんなに元気でいられるの?あたしたちは同じひとつの人間じゃないの?


あたしが死神に鎌で首を落とされるとき、あたしはなにかしらの痛みや苦しみを感じるのかな?痛いのも苦しいのも嫌だ。病気で長く苦しむのも、車に轢かれて身体が痛むのもごめんだ。殺人にあう?怖いだろうし痛いだろうけど一瞬ですむのかな。意外といいかも。


比較的調子のいいときのあたしと具合の悪いときのあたしの両者が共有している意識は自殺だけはしないように、ということ。確かデッドの話では自分の意思で死ぬことは出来るはずだ。だけどあたしはきっとしない。それは別に倫理観などというものに咎められているという訳ではない。痛みも苦しみも嫌いなあたしには適切な自害の方法が思いつかない。それに自殺するからには遺書がいるだろう。いらないとしてもあたしは書きたいし。だけど、今のあたしにはまともな遺書は書けない。自分の辛さを伝えることも、自らの気持ちや心を理解してもらえる様な文章は書けるわけない。もしも、誰が読んでもあたしの自殺を納得してくれるようなものが書けたらそれを残して死んでもいいかもしれないのに。


あたしが自死出来ない最後の理由。あたしがどんな形であれ自殺をしようものなら色々な人に迷惑をかけるのが明白だからだ。自分の部屋で自殺でもしようものなら、賃貸であるこの家のオーナーにも迷惑はかかるだろう。気が狂った女が自殺した物件なんか二度と借り手はつかないだろうし。もちろん両親だって大変だ。例えば、手首を切ったり、首を吊ったりなんかしたら、あたしの部屋を綺麗に戻す為には専門の清掃業者に頼む必要があるだろう。相当なお金がかかるのではないか。電車に飛び込んでも、電車に乗っている人達は予定がくるうだろうし、あたしが飛び込む瞬間をまだ幼い子供なんかに見せるわけにはいかない。それにやっぱりお金もかかるだろう。誰にどのくらい払わなくてはいけないかなんてまるで知りもしないけど。要は結局お金なのか?そうかもしれない。死ぬことだって金次第だ。ちょっと極論すぎたね。もちろんお金以外でも迷惑はかける。睡眠薬を医者に出してもらって大量服用したら、薬を処方した医者にも迷惑がかかる。その医者を信用して心を開いて一緒に病気を治そうと頑張って来た患者にもショックを与えてしまうだろう。まあこんなところがあたしの自殺が出来ない言い訳だ。(

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あたしは蝶になりたい(花) 三鷹たつあき @leciel2112

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