Scene 悪魔よりきしょいもの
「遅くまで待たせてすまないな。まあ、座ってくれ。」
そう言いながら彼は手元の書類をパラパラとめくりだした。あたしのこれまでの模試や定期テストの成績を見ているのだろう。彼がなにかを口にする前にあたしが先に切り出した。話の主導権を彼に握られて余計な話になるのが嫌だったからね。
「先生。あたし第一高校を受けようと思います。」
県内最優秀の高校だ。
「もう少し頑張らないと学力が足りないのは自覚していますがどうしても受けたいんです。滑り止めに私立を2校くらい受けようと思っていますが、具体的にはどこを受けるかは決めていません。自分の成績の分析も出来ていると思っています。数学と理科は比較的安定していい成績がとれていますが、英語と社会が少し苦手だと思っています。それから…。」
俯いたまま早口で話をするあたしを制止して先生の言葉が割り込んでくる。まじでうざい。
「まあまあ。慌てるな。そんなに慌てる必要はない。でも先生も第一校を受験することは賛成だ。確かに合格安全圏内とは安易には言えないが、これからの頑張り次第でなんとかなるだろう。ところでどうして的間は第一校に行きたいんだ?」
あたしは少し戸惑ったが、こんな質問も来るのではないかと思い、あらかじめ考えておいた理由、いや、言い訳を話した。
「正直、これと言った理由はありません。ただ、いい高校に入っていい大学を出ておけば将来の選択肢が広がると思っています。」
残念ながらこの答えでは彼は納得しないよね。
「うん。確かに将来の選択肢は広がるかもしれない。だけど、そういった理由で進んで行けるのは高校に入学するまでだ。第一校はもちろん、最近の高校では二年生になると文系クラス、理系クラスに分かれる仕組みを採用している学校が多い。何故か。なるべく早い段階で生徒個々の持つ才能を見つけ出し、その個性を強くするためだ。今の世の中はなにかの分野におけるスペシャリストを求めている。もしくはその道のプロフェショナルを求めている。」
かなりイライラする。しかし、なにも気が付かずにデッドとはまったく違う顔の悪魔は雄弁に続ける。
「だから、全教科の成績がある程度平均以上に、でいいのはせいぜい高校一年生までなんだ。それから先は自分が社会でなにをするべきか、なにをしたいのかビジョンをはっきりと持つ。具体的な、可能な限り数値的な目標を持って生きることが大事なんだ。数値的な目標を持つということはだな…。」
変な汗が額に溜まってきたのを鬱陶しいと感じている。膝の上に置いた拳を強く握り締めることで、自分を無理やり抑えつけなければいけない。
「設定した目標が100だとすると今の自分はどれだけ目標に近づいているのかを明確にすることが大事だと言うことだ。80なのか、それともまだ70までしか到達していないのか。自分の現在地をしっかり確かめて、目標に向かって進んで行くことが大事だと言うことだ。先生がいつもしつこく言っているだろう。はっきりとした具体的な将来の目標や夢を持てと。的間には中々理解されにくいときもあったが、今なら分かってくれるんじゃないのか。」
そう言って彼は俯くあたしを覗き込み、とても気持ちの悪い笑みを浮かべた。だからあたしはキレた。あまりにキショかったから。理由はただそれだけ。両の掌で机を強く叩いてあたしは立ち上がった。
「もういいです!あたしは先生みたいにデジタルに生きているわけじゃないの。これからもそんな風にはなりたくないの。なんであたしが先生の理想とか幻想の話をおしつけられなくてはいけないの?」
怒りにまかせて立ち上がった割にはどんどんと流暢に彼を非難する言葉が続けて湧いて出た。
「あたしが第一校に行きたい本当の理由はね。お母さんやお父さんが世間から後ろ指差されるのが嫌だからなの。本当は高校なんてどこにも行きたくない。だけど高校にも行かなければ親が笑われるでしょう。恥ずかしい思いもするでしょう。だからあたしは第一校に行きたいの。自分の親が世間に馬鹿にされるのが嫌だから出来るだけお嬢様の学校にいきたいだけなの。」
ここまで言われれば熱血単細胞な悪魔にも火がついた。
「なんだお前は。お前は両親の為に高校に行くのか。自分の為にではないのか。何故、自分の将来に夢が持てない。お前は自分が幸せになるために生きているのではないのか。」
「あたしは親の為に生きている訳じゃない。だけど、あたしのために生きている訳でもない。ただ、生まれてきたから、なんとか生きているの。」
ついに熱血単細胞も勢いよく立ち上がった。せっかく生徒の為に時間を削って相談に乗ろうとしてやっているのに、問題の生徒がこんな態度ではキレるのは当然なのだろうか。
「俺はお前のことを真剣に考えてやっているんだ。もっと明るい未来に辿り着けるように。お前も、もうちょっとしっかりしないといけないのではないか?死んだ弟さんの分もしっかりと生きていかなければいけないのではないのか!?」
もう、あたしの血管は音をたてて完全に切れてなにかが弾けて頭の中に広がった。圧力の上がりすぎたガスの容器が爆発するかのように。
「あたしはずっと昔から生きているのが苦しいんだよ。あたしに岳人の分まで生きろって?岳人の生きるは誰かが背負える程軽くはないの。醜いあたしには岳人のように生きるとか、岳人の分まで生きるとか出来ないの。重いの。あたしだけじゃない。少なくとも先生なんかは岳人の命や生き方の重さに耐えきれずに潰れちゃうんだから!」
机の上の書類やボールペンなどを先生に向かって投げつけながらあたしは泣き喚いた。吠えたと言った方が良かったかも。弱い犬が吠え続けた。キャンキャンと吠え続ける犬を制する為に数人の人物が現れた。犬は後ろを振り向かなくてもそれが誰だか分かっていたつもりだった。だけど、犬の頭と首を押さえつけて咎めたのは果歩ちゃん、美羽ちゃんの手ではなかったのよ。
「もういい。分かったから。一度落ち着こう。ほら大きく息を吸い込んで。」
亮君の声はあたしを抑圧している力ほど強いものではなかった。あたしはそれに従い静かに椅子に腰を下ろす。あたしが大人しくなったのを確認してから、彼は先生に向かって頭を下げた。
「先生。すいません。立ち聞きする気はなかったのですが、三人で的間さんを待っていたら大きな声がしたもので。」
先生も突然現れた亮君に驚いてかえって冷静になったみたいで、大きなため息をついて椅子に座った。そして一度下を向いて一呼吸置いてから顔を上げた。その顔は少し恥ずかしそうで、情けなさそうで、しかしまだ怒りを含んだ表情だった。
「的間。今日はもういい。帰りなさい。先生も興奮してしまってすまなかった。」
なんなの。その上から目線は。むかつくけどあたしは眉ひとつ動かさない。亮君がまだ肩に手を置いてあたしの細胞をひとつずつ静かに制してくれていたから。
「他のみんなもすまなかった。申し訳ない。気を付けて帰りなさい。」
先生はあたしの方ではなく、たった今進路相談室に飛び込んできた亮君や果歩ちゃん、美羽ちゃんの方を向いてそう言った。
その部屋を出る直前、あたしはちらりと先生の方を見たが、あたしの瞳孔はまだ開きっぱなしだったかもしれない。
「帰ろうよ、優江。」
美羽ちゃんがあたまをクシャっとして押さえつけてくれた。落ち着けってことだよね。きっしょい空気の漂う小さな部屋から駆け足で飛び出したわ。
「失礼します。」
四人が四人とも色々な大きさや色の声で挨拶をしながら部屋を出た。
4人揃って玄関を出たけれど、そしたらすぐに亮君から、
「じゃあ気を付けてね。」
と小さく手を振ってバイバイされるあたし達。様々な感情が混じり合ってなんすぎて、それを整理できずあたしは何を口にしていいのか分からない。なにかこう声に出したいものが鼻孔のあたりに詰まってしまっていたの。あたしの鼻詰まりに気が付いたのか美羽ちゃんが背中を軽く叩いてくれた。その勢いで詰まっていたものが口から、
「亮君、どうもありがとう。」
という言葉になって吐き出された。全然感謝の気持ちを表現出来ていない気もしたし、そもそも伝えたかったことはそれじゃなかった気もしたし。亮君は声も出さずにまた手の平を見せてくれただけで、すぐにその場を立ち去ってしまった。その後ろ姿をボーッと見ているしかかなわない。
あんなに取り乱してキレてしまった自分の姿を見られたことがとても恥ずかしかった。それに先生との会話をもし聞かれていたのだとしたら、歪んでいて低俗な性格のあたしを晒してしまったことも情けない。もちろん彼に感謝する気持ちもとても強かった。だけど、そのことをきちんと伝えられない自分は本当にちっぽけで恥ずかしい人間だ。じっと彼の後姿を見つめ続けるしかかなわないあたしは、他人から一見すれば彼に魅入っているように見えるのだろう。
「かっこいいね。優江の王子様は。」
果歩ちゃんが少し意地悪そうにかけてくれた言葉に、
「そうだね。それに比べてあたしは哀れだね。」
と真顔で答えてしまった。
「ごめんね、優江。全然そんなつもりでいったんじゃないの。」
慌てて果歩ちゃんが否定したのだが、謝らなければいけないのはあたしの方だ。それくらいは分かるのよ。
「あたしの方こそごめんね果歩ちゃん。優しくフォローしてくれたのにね。それともそんなにあたしの目はハートマークになっていた?」
しばらく前からあたしは気持ちが落ち込んでいる状態のときにでも少しの冗談と作り笑顔くらいは出来るようになっていたわ。そうまでして自分の気持ちを隠さなければならない悲しさと、まるで大人の様な態度がとれるようになったという誇らしさの両方を少しずつ感じていたわ。果歩ちゃんはあたしのリアクションに少し驚いたように目をパチパチさせて、
「なっていたなっていた。完全に恋する少女の瞳になっていたよ。」
改めて果歩ちゃんと美羽ちゃんの方に体の向きと形を正して、
「どうもありがとうね。あそこで止めてもらわなきゃきっとあたし先生のこともっと怒らせていただろうし、あたしはあたしでもっと大きな声で泣き叫び続けていたかもしれないよ。助けてくれて本当にありがとう。」
ようやく笑顔でふたりにお礼が言えた。今度の笑顔は作り笑顔じゃなかったよ。
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