物語は生首を持ち歩く主人公が、防波堤に座っている描写から始まる。
生首は自身が人魚であったことを告白する……
魚の姿を失った人魚は、人魚と言えるのだろうか?
生首はどうやらそれによるアイデンティティーの危機には陥っていないようだ。
自分にできなくなったことを主人公に託し、人生を楽しもうとしているようにみえる。
そもそも、主人公はなぜ生首を運んでいるのだろう?
『個性を奪われた生首を運ぶ』、これ自体、なにかの暗喩なのだろうか?
短い掌編ながらそのほのかな幻想小説風味も相まって、さまざまな解釈を誘う作品