お題「館」12/5
三十分ほどすると、水平線の先に小さな島の輪郭が浮かび上がった。
冬の色に染まった木々で覆われた孤島は、海からこちらを覗かせた亡霊の頭のように見える。
知る人ぞ知る観光地らしいが、俺たちのような人間が呼ばれるということは、ろくでもない事情が隠れているに違いない。
徐々に島が近づくと、最初に見た印象よりも土地が広大だとわかった。島の輪郭線から突き出しているのは、ホテルやレジャー施設らしい。
薄霧に包まれてた埠頭が徐々に全貌を表したとき、汽笛が鳴り響いた。
俺はトランクを抱え、一般客が全員降りるのを見計らってから船着場に降り立つ。冷たい風が吹きつけた。
港は閑散としていた。
年季を感じる石造りの船着場は潮で汚れ、側面にフジツボがへばりついていた。
歓迎を告げるパネルも錆びつき、猿のマスコットキャラクターは雨垂れで顔が潰れて血の涙を流しているように見える。
釣りやシュノーケリングの道具を貸す個人商店もシャッターが降り、出しっぱなしの釣竿に結ばれたビニール袋が虚しく揺れていた。
一日一本の船が出発の合図を告げる。
何が起こったときの脱出手段も少なさそうだと考えていると、上ずった声が聞こえてきた。
「すみません、降ります!」
ボストンバッグを抱えた
見れば見るほどこの仕事には向かなさそうだ。
左門は俺の隣に並ぶと照れくさそうに微笑む。
「僕、どんくさくて……でも、
俺は左門と七日間も一緒にいるのかと思うと不安になった。自分でヘマを踏んで酷い目に遭うなら受け入れるが、巻き添えを食らうのは度し難い。
フェリーが見えなくなったとき、バラックじみた個人商店が並ぶ港の通りの向こうから黒いスーツの男が歩いてきた。
髪を七三に分けた、蝋人形のように青白い男だ。黒いネクタイを隠すように、長方形のボードを持っていて、葬儀場の案内人のようだと思う。
「閑田さん、左門さんですね。お待ちしておりました」
男は俺と左門の目の前で立ち止まり、慇懃に一礼した。
「おふたりにはこれから七日間、リゾートホテルの臨時スタッフとして勤務していただくことになります。私は支配人の
この男が今回の雇い主のようだが、まるで客を相手するような扱いだ。俺が会釈を返すと、少し遅れて左門が慌てて頭を下げる。
日吉は血の気のない唇を吊り上げた。
「ホテルは港から離れた場所にありますので、お車でご案内します。当館のご説明は到着次第させていただきますね」
錆びついたホーローの看板と電線が埋める港通りに、白いバンが停まっていた。
客の送迎用を兼ねているらしい社用車の腹には「ひとりひとりの夢を実現する永遠の桃源郷・日吉館」と記されていた。
日吉に促されて後部座席に乗り込むと、埃の匂いが鼻をついた。
閑散期はろくに社用車の手入れもしないらしい。左門は俺の隣に座り、大事そうに鞄を抱きかかえる。
バンが走り出すと、港町が車窓を流れ出した。
営業しているのかわからない定食屋や土産物屋に紛れて、水平線が徐々に見えなくなった。
民泊や植物公園の看板が過ぎ去り、海が完全に消えると、道の左右に木々が溢れて山奥に来たような気分になる。
バンは傾斜の激しい坂道を登り出した。
日吉はハンドルを握りながら言う。
「当館は私の曾祖父が開業いたしました。元は私有の別荘だったのですが、家族だけでなく多くの方々に楽しみの場を与えたいと、遺言に則ってホテルに改装したのです」
左門は目を輝かせた。
「素敵な方だったんですね」
「ありがとうございます。館内には曽祖父が蒐集した美術品も多く、コレクターの方々も毎年楽しみにいらしてくださるんですよ」
「そんなところで働けるなんて楽しみです」
本当に後ろ暗いところがないホテルなら、俺を雇うはずがない。左門の楽しげな横顔に疑いの色は微塵もなかった。
奴がドジを踏んで厄介事を持ち込まないことを祈るばかりだ。
左門の鞄のファスナーが半分開き、覗いた生首が鋭い視線を向けていた。この短時間でふたりの仲が深いのはわかっている。
俺がいざというとき左門を見捨てる算段をしているのかと、訝しんでいるのだろう。
俺は気づかないふりをして左門に囁く。
「バッグのファスナー開いてますよ」
左門はハッとして鞄を閉めた。生首男は恨めしげに俺を睨んでいたが、それもすぐ見えなくなった。
日吉が思い出したように告げる。
「おふたりにはそれぞれ客室をご利用いただきます。ツインルームとなっておりますのでご安心ください」
俺と左門は同時に息を呑んだ。誰にも明かしていない連れ合いがいることを、この男は知っている。
俺はスーツの下に隠したナイフを確かめた。
道の先に、西洋風の鉄柵の囲いが見えた。錆びた柵に葡萄の蔦と小鳥が絡んだ細かな彫刻が施されている。
バンは迂回して裏手に回った。
囲いの向こうに、真っ白な巨大な洋館が覗いた。庭園は赤い花が点々と咲き、中央に枯れた白い石像を有する噴水がある。
左門が感嘆の声を上げた。個人の別荘だったとは思えない規模だ。
バンが停車し、日吉が囲いの扉に取り付けられた南京錠を外す。
言われるままに庭園に足を踏み入れた瞬間、水音が聞こえた。
先程まで渇き果てていたはずの噴水から勢いよく水が流れ出し、水瓶を抱えた裸婦像を濡らした。
左門は気づいていない。
庭を進みながら辺りを見回すと、黒い制服の女が箒片手に煙草を吸っていた。
他に違和感は見当たらない。噴水には人感センサーでもついているのだろうか。
俺はトランクを少しだけ開け、
「どう思う?」
トランクの中でごろりと玉舎が転がる音がする。
「何か、ミステリで殺人事件が起きそうな場所じゃない?」
「既に生首が二個もあるしな」
玉舎はふにゃふにゃした笑い声を上げ、トランクの隙間から黒髪を垂らした。
「なあ、あれってイベントの案内か何か?」
視線を上げると、庭の花壇に埋もれるように白い看板が立てられていた。
十一月七日、フラワーフェスティバル。
先月のイベントの告知を片付ける時間もなかったのか。
そう思いつつ、どこか違和感が残った。
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