11/28 お題「かわたれどき」
視界が明滅する。
次々と映像が浮かんだ。
生まれ育った家、家族三人で行った旅行、失踪する前の父の顔、まだ元気だった頃の母の顔、高校の教室、すぐに辞める羽目になった職場。
走馬灯という奴か。酸欠で熱に浮かされた頭の一番冴えた部分で冷静にそう思った。
視界が爆ぜた。
暗闇の中、鮮烈な赤い光が点滅し、魚影のように空間を泳ぐ。今俺が死にかけている船内かと思った。
唇の端から泡が落ちる。
俺の目の前にいるのは首無し死体じゃない。浅黒い黒子の散った肌をした、髪の長い男だった。花火のような柄の派手なシャツも、洗いざらしのジーンズも血の汚れひとつない。
ピアスが光を反射して揺れる。
男は俺を見留めると、飲み屋で久しぶりに友人に会ったような笑顔で、俺に手を差し伸べた。
涼しい風が吹いた。
辺りが柔らかな光に包まれる。舗装の剥げたアスファルトとブロック塀の隙間から生える小さな花が見えた。
ここは、俺の住んでいるアパートの前だ。
角を曲がれば、蔦が絡んで鉢植えを置いた、錆びた鉄の階段が見えるはずだ。
通学途中の子どもの声が遠くから聞こえてきた。俺は狭い道路を緩慢に進む車の音を聞きながら、角を曲がる。
「
上から振った声に、俺は顔を上げる。
俺の部屋のベランダから
室外機に腰掛けて、大家に押し付けられたプラタナスとホウセンカの鉢植えの隙間から、当たり前のように。指先には煙を燻らせる煙草を挟んでいる。
玉舎は空いている方の手を振った。日焼けした肩に梵字のタトゥーが見えた。
やるべきことがわかった気がした。
急に呼吸が楽になり、俺は現実に引き戻された。
赤い光がどろりと垂れ、俺に馬乗りになった首無し死体を照らす。俺は盛大にえづいて逃げようとしたが、上に乗った奴が許さなかった。横隔膜が痙攣して舌がもつれる。喉奥から堰き止められていた熱い呼気が溢れて、目がチカチカした。
首無し死体は俺の首から手を離し、俺の右腕を掴んで持ち上げた。
引き千切られるかと思った。彼は顔があった辺りに俺の手首を掲げ、ライトの下に持っていく。そして、眺めるように首の切断面をぐるりと回した。
何を見ているんだ。
親指と薬指しか残っていない右手が、俺の手首を掴んでいる。
シャツの袖口には汚れが染み付いていた。
蕎麦、パンケーキのシロップ、のりたまのおにぎり、あんぱん、味噌ラーメン、茄子の煮浸し、明太子バター。
一ヶ月間玉舎に食わせていたものが地層のように。首だけの玉舎の身体にも、もしかしたら飯が流れていくんじゃないかと思って食わせ続けたものが。
玉舎の胴体は俺の手首を離すと、静かに俺の上から降りた。
押さえつけられていた腹の血が一気に流れ出して眩暈がする。身体中に新鮮な痛みが供給された。
俺は壁を頼りに立ち上がる。痛む手で痛む喉を摩りながら、玉舎の胴体を見つめた。
首無し死体は一歩後退り、俺に道を空けた。
俺はふらつきながら壁伝いに歩く。俺が真横を通る間も、玉舎の身体は存在しない顔でずっと俺を見つめていた。
腕に体重をかけるたび鈍痛が走る。手の指が折れているらしい。
俺はもつれる足で玉舎の元に向かう。玉舎は砕けた非常灯の真下に転がっていた。
「玉舎……」
玉舎はごろりと転げて俺を見た。壁にぶつけられたせいで目と頰の辺りが痣になっている。初めて会ったときみたいだ。
床の鉄板に使い古したトランクが転がっていた。
俺は片手で玉舎を掬い上げ、もう片手でトランクを
掴む。
出口はもうすぐだった。
俺は階段を這い上がり、肩で扉を押す。冷たく新鮮な空気と共に朝の光が差し込んだ。
俺は振り返り、船内を見た。
玉舎の胴体は俺を見つめていた。目がなくてもそうだとわかった。
赤いランプが黄昏時の夕陽のようで、暗闇の中の首の先に、見慣れた笑顔が隠れているような気がした。
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