11/27 お題「物語」

 避ける間もなく、首無し死体は俺の目の前に迫っていた。

 暗闇の中、歪な手が花のように開く。


 まずい。俺は考えるより早く玉舎たまやを庇った。重い衝撃が肩を貫き、背中に走る。

閑田かんだくん!」

 突き飛ばされて壁にぶつかった俺に、首無し死体は悠然と歩み寄ってきた。


 俺は壁にもたれたまま玉舎を腹に抱えるようにして隠す。禍々しい緑の非常灯に、首から上がない男の身体が浮かび上がった。


 無数の火傷と捻ったような傷跡で変色した腕が振り上げられた。

 頬骨に破れるような衝撃が走り、脳がぐらつく。思わず声を漏らした瞬間、容赦なく顎を殴りつけられて、噛んだ舌から鉄錆の味が溢れた。


 首無し死体は何度も俺に拳を振り下ろす。後頭部の痛みが熱に変わり、意識が朦朧としてきた。

 鳩尾を踏み抜かれて、俺は思わず身を逸らした。玉舎が腕から転げ落ちる。

「玉舎!」

 叫んだつもりだったが、血と痛みで喉が掠れてほとんど声にならなかった。


 首無し死体は玉舎を掴み上げると、自分の頭のあった辺り掲げた。玉舎の髪がもがくように揺れる。

 呼吸をするたびに肺が痛んで視界がぐらついた。


 俺は震える手で首無し死体の足首を掴む。顔もないのに、彼が憎悪の目で俺を見下ろしたのがわかった。


 首無し死体は玉舎を放り捨てた。

 生首が宙に飛び、非常灯にぶつかって火花を散らす。壁でバウンドした玉舎が何かのスイッチに衝突し、ブザーの音が鳴り響いた。ショートして消えた非常灯の緑に変わり、壁のランプの赤い光がぐるぐると旋回する。

 首無し死体は玉舎の方に向かった。


「やめろ!」

 彼は俺の声に反応し、ない顔をこちらに向けた。首無し死体は足首を掴む俺の手を蹴りつけた。ぱき、と小枝を折ったような軽い音がした。



 首無し死体は呻く俺をもう一度蹴って仰向けに転がし、俺に馬乗りになった。

 石を乗せられたような重さと冷たさだった。彼は俺の首に手を伸ばす。氷が触れたような感触。首無し死体は両手で俺の首を締め上げた。


 苦しいより先に、万力のような力で首の骨が折れそうになる。

 気道が塞がれて喘ぐことすらできなかった。喉から空気が搾り出され、唇の端から唾液が漏れる。


 首無し死体が一瞬身じろぎした。

 彼が身体ごと自分の脚を見下ろす。血染めのジーンズのふくらはぎに玉舎が噛みついていた。


「そいつはさあ、違うだろ!」

 小さな生首だけの玉舎が必死に食らいつきながら叫ぶ。

「お前、おれなんだろ! 恨んでんのも殺してえのもわかるけどさ! そいつだけは違うだろ!」

 首無し死体は肘で玉舎を弾き飛ばした。赤い光を反射する床に玉舎が転がる。



 玉舎を呼ぶ声すら出ない。首無し死体は再び俺の首を絞める手に力を込めた。ミシミシと嫌な音が脊髄から脳に伝わる。


 首の切断面の先に赤いランプの輝きが見えた。

 顔があればどんな表情を浮かべていただろう。これが本当に玉舎の身体なのか。あの底抜けに明るくて馬鹿みたいにうるさい男が、こんな風になってしまうのか。


 霞む視界で俺は自分の首を絞める手を見下ろす。

 指が両手で四本しかない。赤い光の中の手の甲には穴が空いて乾いた血がこびりついていた。


 初めて会ったときの玉舎は、こうなった理由には長い話があると笑って言った。

 聞かなくても今ならわかる。


 死臭が漂う首無し死体を覆う無数の傷跡。ペンチで抉り取ったような傷。はんだごてで焼いて癒着した皮膚の引き攣れ。無作為に切り付けてから反対に縫い合わせたような縫合痕。


 この世の全てを恨むのもわかる。顔は傷付けられなかったから、玉舎は昔の気のいい男のままなのだろうか。全ての苦痛を味わった身体はこう成り果ててしまったのか。



 意識が遠のいてきた。

 俺は震える手を伸ばし、首無し死体の手首を掴む。

 視界が黒く塗り潰された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る