11/25 お題「灯り」
冷たく硬い風が甲板を吹き渡る。ピアスを貫通させたばかりの耳朶が氷の刃を捩じ込まれたように痛んだ。
俺は噎せ返りながら立ち上がった。
船内に通じる扉が開き、先程の中年男が現れた。
男は薄い毛髪を風にそよがせながら、間の抜けた声で言った。
「
「ああ、そうだよ」
俺はポケットに忍ばせていた護身用のナイフを突き出した。刃のひっ先が指す、男の喉が上下する。
「な、何ですか……」
「
「玉……?」
「あんたに渡した生首だ」
俺は後退る男ににじり寄った。男が悲痛な声を上げる。
「下、下です! 船の中の! 米村さんが持っていって、後は知りません!」
「案内しろ」
男は跳ねるように駆けていき、鉄の扉を開けた。俺は男の首筋にナイフを突きつけながら後に続いた。
船内に入った途端、熱い空気がどっと押し寄せた。
階段は暗く、男が前を進むたび鉄板を踏み締める音が禍々しく響く。
船内は暗く、灯りひとつない。何日も放置して乾涸びた生ゴミのような匂いが充満していた。背中から汗が吹き出し、シャツが張り付く。
俺と男以外の人影はないのに、そこかしこから何かの蠢く衣擦れの音や足音が聞こえていた。
空気の暑さと生臭さに魔物の食道に呑み込まれたような気分になる。まるで地獄だ。
ナイフを握る指が手汗で滑って、俺は力を込める。こんな船で行く場所がまともなはずはない。
男が急に立ち止まった。
「こ、ここです。この先に……後は知りません」
俺はナイフを下げた。人質が通用する相手じゃないだろう。
「わかった。とっとと逃げろ」
男は俺が言い終わる前に元来た道を駆け戻った。俺はナイフを握り直し、深呼吸する。
扉を押した。
闇に慣れた目が鮮烈な光で焼かれた。
裸電球のどろりとした仄明かりの中に掲げられた玉舎の姿が目に入った。
米村は俺を見て苦笑する。出来の悪い子どもを嗜める教師のようだった。
「どうしたんですか?」
俺はナイフを低く構えて言った。
「忘れ物をしたんだよ」
男女は微動だにしない。米村は呆れたように首を振った。
「一ヶ月間よくやってくれました。特別支給も出しておきましょう。お引き取りを」
「金の話じゃねえんだよ」
俺は玉舎を盗み見る。
目と口を薄く開け微動だにしない。今さっき死体から切断されたばかりのただの生首のようだ。
俺は手の震えを抑えてナイフを向けた。
「そいつに何した」
「受け渡されてからずっとこの状態ですよ」
米村は淡々と答え、俺を睥睨した。
「閑田さん、一緒にいて情が移ったのはわかります。でも、これはもう人間じゃない、呪いの道具ですよ」
「人間だ」
「これがある限り貴方はこの一ヶ月で遭ったようなものに襲われ続ける。一般人が持っていられるものではないんですよ。これを持ち帰ってどうする気ですか」
「……ドーナッツとコーラ」
米村が目を瞬かせる。
玉舎は反応しない。スーツ姿の男女は人形のように動かなかった。
俺は続ける。
「玉舎はもうあんたたちのもんだって言うんだよな?」
「そうです」
俺は答えの代わりにナイフを構え直した。
ねっとりとした光の中で米村の影が動いた。
米村はポケットから女のような左手を抜き、拳銃を出した。マニキュアの剥げかけた指が引鉄にかかる。俺はナイフを構えながら一歩後退った。
玉舎が目と口を開いた。
「閑田くん!」
米村と男女が一瞬注意をそちらに向けた。俺は勢いのまま駆け出し、玉舎を支えている女に体当たりする。玉舎が宙に浮いた。
米村の銃が火を噴き、俺の真後ろの壁が爆ぜた。鼓膜から突き刺さった耳鳴りが脳内に染み渡る。
俺は目を瞑り、玉舎を掴んだ。玉舎を胸に抱え、俺は一気に走る。スーツ姿の男が横から飛び出した。
俺は片手でナイフを突き出す。男の手の甲を刃が掻き、赤い線が引かれた。
二発の銃声が響いた。
一発が俺の額を掠め、じりっと熱が走った。千切れた前髪が燻りながら宙に散る。
俺は玉舎を抱きかかえ、齧りつくように扉を開けた。後ろ手で閉めたドアを激しい金属音が揺らす。
俺はドアノブを握りしめ、ドアに体重をかける。
しばしの沈黙の後、悲鳴が聞こえた。
俺は思わず口角を吊り上げる。賭けに勝った。
あいつらは、玉舎はもう自分たちのものだと言った。玉舎は呪いの道具だと。
俺はそうは思わないが、悪用してやるのはありだ。
玉舎は自分を手放して置き去りにしたものを呪い殺す。
だったら、俺に玉舎を奪われたあいつらはどうなるか。
地獄に堕ちろ。
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