11/21 お題「飾り」
好きなことだけしようと言ったはいいが、思うほどできていない。
指令は変わらず入ってくるし、月末に港に行くことを思えば長距離の移動もできないし、手も足もない
映画館に行って、飯を食って、指令に出向いた先の観光地には必ず立ち寄った。それくらいだ。
十年ほど前に潰れたスーパーマーケットの清掃という特別指令を受け、埃とガラスの破片まみれの入口を箒で掃きながら、俺は何をやってるんだろうと思った。
もうすぐ約束の日が来る。そう思うとぼんやりとした焦りが募ってきた。
「
俺と一緒に掃除をしていた若い男が手招きする。俺はトランクと箒を両手に提げて向かった。
鉄の扉を開けると、かつてスタッフの事務所だったらしい部屋が現れた。
机とスツールは錆だらけで転がって、積み上がった書類の山が死人の皮膚のように茶色く変色していた。
男がゴム手袋に包んだ手で隅の棚を動かす。埃が舞い上がった。
「これ、何でしょう」
棚の後ろから現れたのは黒ずんだ人形だった。元は店に飾られていたのだろうか。
近づいてみると、埃よりもっと濃い匂いが漂った。炭だ。火の気もないのに、この人形だけ元の形がわからないほど念入りに焼かれている。
よく見ると、釘で壁に打ち付けてあった。
「触らない方がいいでしょうね」
「でも、可哀想じゃないですか?」
「ずっとそのまま置いておいて何事もなかったなら何もしない方がマシですよ」
俺は短く答えて清掃に戻る。男はまだ人形を眺めていた。下手なことをしたら人形より可哀想な目に遭うのが常だ。
雑巾で扉を拭いていると、扉に十年前の日付のシフト表が貼られていた。こういうものを見ると、ただの廃墟にもそこで生きる人間の姿があったことを思い出してしまう。
玉舎にも、こいつらにも人生があった。側から見たら吹けば飛ぶような、想像する価値がないものだとしても。
最近の俺はくだらないことを考えすぎだ。俺は無心で清掃を終え、先に廃墟を出た。
依頼人から金の封筒を受け取ってスーパーマーケットを後にしようとしたとき、悲鳴が聞こえた。
さっきの男のものだ。破れた自動ドアのガラスから焦げくさい匂いが強く漂った。
あいつは人形に触ったのだろう。言わんこっちゃない。
俺は何も考えないように足早に去った。
しばらく歩くと、通りがやたら賑わっていた。
何かの祭りなのか、枯れた並木通りの左右にクロスをかけたテーブルが並び、人々が何かを売っている。フリーマーケットのようなものだろうか。
俺は道端の人通りが少ない方に避け、トランクを半開きにした。
「フリーマーケットか何かみたいだ。見ていくか?」
顔を覗かせた玉舎がニヤリと笑う。
「いいね。じゃあ、ほしいもんあったら言っていい?」
「何だよその面」
「一番変なもの買いたいんだよね。閑田くんがお店のひとと喋ってんの見たら面白いじゃん」
俺は久しぶりにトランクをめちゃくちゃに振った。玉舎の悲鳴も久しぶりだ。
フリーマーケットにはハンドメイドのアクセサリーから呪物としか思えない飾りのようなものまであった。
玉舎は一番隅で黒いレジャーシートを広げていた老人の方に行きたがった。老人が手彫りしたと言う仏像の説明を十五分ほど聞かされ、玉舎はその間ずっと忍び笑いを漏らしていた。
買ったものはトランクに一緒に入れると言ったら大声で玉舎に止められた。老人が驚いて辺りを見回したせいで、俺は走って逃げる羽目になった。
わざとトランクが揺れるように大股で走ってやった。
冷たい風が身体に絡み、枯れた並木が高速で流れ去っていく。俺は気づかないうちに笑っていて、それ以上に玉舎がデカい声で笑っていた。
こんな時間は残りわずかだ。
宿に着いてから、俺はふたつ並んだベッドの片方にトランクを広げた。
玉舎がゲラゲラ笑う声が溢れる。
「やばかったね! だって、あの爺さん仏像の説明するときは宇宙とか真理とか言ってたのに、おれが喋った途端めちゃくちゃまともに驚いてたもん」
「お前マジで覚えとけよ……」
俺はスーツの上着をハンガーにかけ、ポケットに入れていたものをベッドに放り投げた。
「閑田くん、何か買ってたん? いつの間に? 全然気づかなかった」
玉舎は転がるようにトランクから出て俺を見上げる。
「ピアッサー。三百円で売ってた」
「マジで? 空けるの?」
「まあな。心境の変化だ」
玉舎はしばらく真剣な顔をして黙っていたが、やがていつもの軽薄な笑顔に戻った。
「いいじゃん! でも、めっちゃ痛いよ?」
「わざと脅してるだろ」
俺は白い紙の包みからピアッサーを出した。四角形のプラスチックはあまりに軽く、人間の身体に穴を空けるものとは思えなかった。
玉舎は俺が痛がるのを期待するように眺めている。
俺は奴を喜ばせないよう、さっさと耳朶にピアッサーを当て、一息に押した。
かすっと気の抜けた音が漏れ、甘噛みされた程度の感覚が走った。
「何だ……?」
俺は何度もピアッサーを押す。これで急に針が出たら嫌だなと思ったが、うんともすんとも言わない。
玉舎が眉を下げて言った。
「閑田くん、あのね、三百円のピアッサーはそりゃ駄目だわ……」
「マジかよ、相場なんてわかんねえよ……くそ、覚悟決めたのにな」
俺がピアッサーを投げ捨てると、玉舎は声を上げて笑う。身体がなくても仰け反って笑っているのが想像できた。
狭い部屋に笑い声が反響して、玉舎はしゃくり上げるような息を漏らした。
「いやー、こういうのも経験じゃん? いや、可哀想だなー、一回覚悟決めたのになー」
「うるせえよ」
俺が小突くと、玉舎はごろんと転がって天井を向いた。紐のような飾りのピアスが枕で跳ねた。
玉舎はしばらく転がってから、俺を見上げた。
「じゃあさー、おれのピアス一個あげようか? いつか本当に空けたとき用に」
「お前のを?」
「たくさんあるし。閑田くんに何か返したいつったじゃん? 好きなのとっていいよ」
玉舎は少し首を傾けて、右耳を見せる。
俺は髪を避けて玉舎の耳朶に触れた。
「じゃあ、この鉛玉みたいなやつ……」
「鉛玉って! いいよー」
俺は言われるがままに慎重にピアスを外す。薄い耳朶が破れそうで、自分に穴を空けるときより緊張した。
「つけてんの見たかったなー。でも、駄目かー。今空けてもファーストピアスは一ヶ月くらい外せないから間に合わないな」
俺は聞こえないふりをして外したピアスを握った。手の平に転がった鉛玉は気が抜けるほど軽かった。
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