11/19 お題「置き去り」

 冷たい風が全身をなぶる。俺が言葉を探す前に、玉舎たまやが口を開いた。


「おれさ、閑田かんだくんと同じようなバイトしてたんだ。親友ふたり、健太と美優と一緒に」

「お前が?」

「おれらの家みんなぐちゃぐちゃでさ。親のこととかでいろいろあって、金がなくって。普通の仕事じゃ生きてけなかったから。でも、詐欺とか強盗とかはしたくなくって、呪いの道具みたいな運ぶ仕事選んだ……」

 玉舎は喉を鳴らした。笑おうとして失敗したように。


「でも、しくじっちゃってさ! 使い物にならなくしちゃったんだ。で、落とし前つけろってことになって……おれら三人のうち誰でもいいから代わりになれってこと」

「まさか……」

「だってさあ、美優みゆのお腹に子どもがいてさ。双子だって。健太けんたも楽しみにしてて。父親も母親もいなきゃ駄目じゃん。だったら、もうそれしかねえじゃん! だから、おれがやるって言った……」



 俺は絶句した。

 その後のことは想像したくない。美術館にあった錆びついた凶器と、変わり果てた首無し死体。

 底抜けに明るくてよく喋るこの男を呪いの道具に変えるため、一体どれだけの悪意が必要だっただろう。


「納得してたつもりだったんだよ。あいつらが無事で幸せならそれでいいって」

 玉舎の声が上ずり、沈んだ。

「でも、船に乗せられて、ふたりが扉から出て行って見えなくなるとき『置いてかないでくれ』って思っちゃってさぁ!」

「それで……?」

「……今みたいに首だけになって船から運び出されるとき、海に何か浮かんでるのか見えて……」

 吹き付ける風の冷たさに肌が泡立つ。

「何なのか分りたくなくって、でも、この前それと同じのが湖に浮かんでて……おれを置いて逃げようとした奴みんな、ああなるってわかって……」



 玉舎はふっと息を吐き、自暴自棄のような笑みを浮かべた。

「馬っ鹿だよな! 結局おれふたりのこと殺しちゃったんだよ! だったら、最初っからおれが死ぬことなかったのにな!」


 爆発しそうなほど重たい感情が手に取るようにわかるのに、膝の上で震える玉舎は耐えられないほど軽い。俺は玉舎に手を伸ばした。



「でも、お前、ふたりを身代わりにして逃げられるようなタマじゃねえだろ……」

「わかった口聞いてんじゃねえよ!」

 張り裂けそうな怒声に思わず手が止まる。


「友だちでも何でもねえ、生きてた頃も知らねえ癖に、会って二週間しか経ってねえ癖に、お前に何がわかるんだよ!」

 触れなくても玉舎の震えが痛いほどわかった。

「わかるよ……」

「だから、何がって……!」

「会って十日しか経ってねえのに、この坂で俺のこと呼び止めてくれただろ」

「それは!」

 玉舎が言葉を詰まらせ、唇を噛み締めた。


「お前がマシだったからだよ! また他の奴に変わるよりいいってだけだ! 今までの運び屋の中で一番……おれを人間みたいに扱ってくれたから……」

「……人間だろ」

「どこがだよ……」



 俺は今度こそ玉舎に手を伸ばし、腕の中に入れた。血の染み込んだワイシャツに震えと共に温かい水が滲むのがわかった。

 玉舎は掠れた息を吐いた。

「ごめん、八つ当たりした……」

「今までしねえ方がおかしいんだよ」


 俺たちは黙ったまま座り込んでいた。

 風が木々をざわめかせる音が響いていた。それに混じる水音が玉舎に聞こえないように耳を塞いだ。

 寒気が全身を冷やして、シャツの胸に染みていくものだけが熱かった。



 玉舎が嗚咽のような息を漏らした。

「お前、ここで吐くなよ」

 玉舎を掴んで離すと、溶け出した血に混じって透明な液体が糸を引いた。玉舎は底抜けに明るい泣き笑いを浮かべる。

「汚ねえー!」

「ほとんどお前のせいだろうが」


 全身が痛くなってきた。俺は立ち上がり、落ち葉と泥を払う。

「このままじゃ職質どころか歩いてるだけで捕まるな。どっかで服洗おう。もう休みたい」

「またHOTEL坂の下?」

「ろくでもねえことばっか覚えてやがる」



 俺は玉舎をトランクに収めて、坂道を下り出した。

「玉舎」

「何?」

「残りの期間、やりたいことだけやろう。食いたいもん食って、行きたいとこ行って」

「いやー指令あるでしょ?」

「知ったことじゃねえよ。適当にこなしながらやるさ」

「閑田くんプロだよね! おれらが生きてること仲間になってくれたらよかったのになー」

「早速冗談にしてくんな。反応しにくいんだよ」



 俺はわななく膝で、寂しい坂道を慎重に一歩ずつ歩む。

「お前が生きてた間してたことも、できなかったことも、俺がやってこなかったことも全部やろう」

 トランクが傾いて、頷いたんだとわかった。



 玉舎を置き去りにしたら死ぬ呪いらしい。しっかりと手元を確かめて進む。

 仮に死なないとしてもなくても、置いて行く気はなかった。


 それも一種の呪いのようなものだ。

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