11/15 お題「猫」
生首との旅も残り半分を切った。
訳のわからない指令で、人間か怪異がわからないものを凌ぎつつ、
腹を括った以上、俺は玉舎に情を移さない努力を諦め、やれることはできるだけしてやろうと思った。
そうはいっても、生首にしてやれることもできることも少ない。
せいぜい飯を食わせて、道で気になるものがあると言ったら立ち止まり、スマートフォンで観たがった動画を見せてやるくらいだ。
今回の宿は民泊に近い古風な宿だった。
竹を描いた襖は黄ばんで、壁には傷やどこかの学生がペン先で彫った落書きがある。
和室なのに座椅子はメッシュ地の蛍光グリーンで、金属のラックにクリーニング屋から無料でもらえるハンガーがかかっている。
実家暮らしの浪人生のような部屋だ。
布団に玉舎を転がしながら、俺はスーツをハンガーにかけた。
「ろくな宿が取れなくて悪かったな。トコジラミがいないだけマシだと思ってくれ」
「いいじゃん、こういうのも面白くって! 友だちの実家に泊まりに来たみたいだよね!」
俺は少し笑う。枕に首を乗せて部屋を眺める玉舎は、うつ伏せになっている普通の人間に見えた。
「
「ネカフェだとお前を洗ったり飯食わせたりする場所がないからな」
俺は灰皿を畳に置き、玉舎との間に寄せる。煙草を咥えてから玉舎にも一本与えて順番に火をつけた、
「元々寝食に拘りがないんだ。お前が来てから三食食べてまともな場所で寝るようになったよ。生首といる方が健康的なのも変な話だけどな」
「いやー、おれに感謝してほしいっすね」
「窓から捨てるぞ」
俺は玉舎の煙草を指で叩いて灰を落とす。
「今日は何か食いたいものあるか」
「どうしようかなー、ここって素泊まりだよね?」
「ああ、外行って決めるか」
玉舎は少し悩んで言った。
「今日食いたいもんじゃないんだけどさ」
「うん?」
「何か昨日ふっとコーラとドーナツ食いたいなと思ったんだよね」
「ドーナツとコーラ? コーヒーじゃなくて?」
俺が眉を顰めると、玉舎は真剣な顔で頷いた。
「甘いもんと甘いもんは合わないだろ」
「それがいいんだよー。コンビニのドーナツじゃなく、普通の店で売ってるやつを砂糖いっぱいのダイエットじゃないコーラで流し込むのがさー」
「聞いてるだけで胃がもたれそうだな」
「閑田くんもやってみな?」
「今度な。流石にこの辺に店はないだろ」
「覚えてたらでいいよ!」
玉舎は一拍置いて困ったように笑った。
「閑田くんさあ、おれがいなくなってもちゃんと飯食って寝なよ? こんな仕事で身体壊したら大変じゃん」
俺は聞こえないふりをして煙を吐いた。
スマートフォンを開くと、玉舎が見た動画の履歴があった。聞いたことのない配信者が炭酸水にメントスを入れて爆発させる動画だった。
俺には何が面白いのかわからないが、玉舎はゲラゲラ笑っていた。
もし、学生時代に玉舎と同じクラスだったらこんなに関わりはなかっただろう。
せいぜい移動教室や行事で少し話して、親密になることも揉めることもなく、当たり障りのない会話だけする仲で終わったはずだ。
元々お互い気が合うような人種じゃない。一ヶ月間だけの期限付きの関係だから上手くやれているんだ。このまま終わるのが一番綺麗な形かもしれない。
俺が煙草を揉み消すと、玉舎が首を伸ばした。
「あ、見て! 閑田くん、猫がいる!」
窓の外を見ると、物干し竿が出しっぱなしで枯れ草も生え放題の中庭に、一匹の黒猫がいた。
でっぷりと太って腹が地面につきそうだ。
「どこまでも友だちの実家みたいだな」
俺は苦笑して窓を開けた。
夕暮れの冷たい風が吹き込む。中庭には、破れたプラスチックのジョウロや先端の赤い花の鉢植えなどが打ち捨てられていた。
俺は玉舎を抱えて、サンダルをつっかけて外に出る。枯葉が靴下越しに足を突いた。
黒猫が俺たちに寄ってくる。
「可愛いね! 閑田くん、犬派? 猫派?」
「どっちでもないけど、犬よりは猫の方がいいかな」
「っぽいわー」
「インドア派って言いたいんだろ」
「言ってない、言ってない!」
猫は客に慣れているのか、俺が手を伸ばすと後頭部を差し出した。俺は軽く撫でてみる。パサパサした毛に砂が絡んでいた。
「野良にしては慣れてるしよく太ってるな」
「太ってるっていうか、子どもいるんじゃない?」
よく見ると、歪に膨らんだ腹は、確かに妊娠しているようにも見えた。猫は五匹くらい同時に産むと聞いたことがある。この身体にそれほどの命が詰まっているのが不思議だった。
猫は俺の膝に前足をかけ、玉舎の髪にじゃれついた。俺は少し玉舎を持ち上げる。
「引っかかれるなよ」
「大丈夫、大丈夫!」
猫は玉舎の髪に爪を絡ませた後、俺を見上げた。
風にヒケが揺れ、猫が口を開く。
「じゃあさー、双子だったら片方はヒロトが名前つけてよ」
女の声が聞こえた。
俺は驚いて猫を見下ろす。確かに声はこの赤い口から聞こえた。
玉舎は顔面蒼白になっていた。湖で男女の死体を見たときと同じ顔だった。
猫は何事もなかったように俺から離れ、中庭を抜けて、壁の穴から去っていった。
俺は無言でその場に立ち尽くした。
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