11/14 お題「月」
暮れ方の土産物通りは、既に人影もまばらだった。
そこかしこでシャッターが閉めたり、看板をしまう音が響いて、拒絶されているような気分になる。
中央に設置されたクリスマスツリーの電飾が、アーケードの飴色のガラスに反射していた。
缶チューハイ片手に大笑いする学生の群れとすれ違い、俺は指定された温泉施設に急いだ。
暗い商店街に入り、通行人がいないのを確かめて、俺はトランクを少し開ける。
「今日は二連続で大変だねー」
「まあ、午前中の指令も何事もなく終わったしな」
「でも、温泉に行けなんてすごいよね! 休暇じゃん!」
「仕事だよ」
はしゃいでいるのか、トランクがゴロゴロ揺れた。あれから徐々に玉舎は元の騒がしさを取り戻している。
「何でもいいか、楽しんできなー!」
「何で他人事なんだよ」
「だって、流石に生首連れて大浴場は入れないでしょ」
「貸切風呂があるんだよ」
「え、じゃあ、おれも行けるってこと? その分のお金もらってる?」
「この前の特別指令の報酬は現金で支給されたからな」
玉舎は考え込むように唸った。
「それ
「訳のわからない仕事でもらった金なんかとっとと使っちまえばいいんだよ」
それから玉舎はずっと騒がしかった。もう少し落ち込んでいてもいいのにと思った。
指定された宿は全国各地に支店がある大型の温浴施設で、温泉のスーパーマーケットのような雰囲気だった。城を模した外観に真新しい自動ドアがあって旅情も何もない。
受付で専用の鍵を借り、奥の貸切風呂に進む。昭和風の籐の籠が並ぶ脱衣所を、暖房の風がかき混ぜていた。
俺が服を脱いでいると、半開きのトランクから玉舎が目を出した。
「閑田くん、ちゃんと食べな。見てて寂しくなってくるよ……」
俺は久しぶりにトランクをめちゃくちゃに振った。
貸切風呂は、商業化された外観からは想像できないほどそれらしい雰囲気があった。
小さな風呂からこんこんと湧き出る湯が檜の板を濡らし、簾の隙間から見える藍色の空を写していた。
「すごいね! 温泉来たの何年ぶりだろ! てか、最後に行ったのもこんなすごいとこじゃなかったけど!」
俺は落ち込む前よりも騒がしさを取り戻した玉舎を抱えて風呂に入る。
洗面台で洗うときと違って注意しなければ沈ませてしまいそうで不安だ。後頭部に手を添えながらゆっくりと入ると、俺の腕と玉舎の髪が水中で屈折した。
「今更聞くけど、お前風呂に入れて大丈夫だよな?」
「平気平気! 気持ちいいよね!」
「身体がないのにわかるのかよ」
「首の断面から染み込んでくる感じするよ!」
「本当に大丈夫だよな?」
玉舎を抱えているせいで、腕の上部がが湯に浸からず肌寒い。肩から上だけ冴え冴えとした風が吹き付け、生首になったらこんな気分かと思った。
玉舎が薄く目を閉じて言う。
「本当七、八年ぶりだよ。おれ温泉入っちゃ駄目だったからさー」
俺は慌てて玉舎を持ち上げた。髪と首の切断面からだばたば湯を垂らして玉舎が笑う。
「違う違う、おれ刺青してたからさ!」
俺は呆れながら再び玉舎を湯に浸した。
「ヤンキーなんてレベルじゃないな。反社かよ」
「違うって! 俺の親友が彫り師やってたときあってさ、試しに彫ってもらったんだよ」
「お前が前言ってたふたりか?」
玉舎は少し間を置いてから頷いた。長い黒髪が湯を打って波紋を立てた。
「そう。
「思春期は揉めそうだな」
「閑田くん、鋭いなー! そうなりかけたことあったけどね。でも、おれが彼女作ってすぐふたりがくっついたから」
玉舎はけらけらと笑った。
「……お前の刺青、どんな柄だった?」
「何か梵字? みたいなやつ? 肩の辺りにね!」
「自分でわかってないのかよ」
「わかんないけどかっけーって思ったからさ!」
俺は背を逸らして何とか浸かりながら空を仰いだ。
冬空は電気を消したように暗くなり、月が浮かんでいた。
「その、健太って奴が彫り師だったのか?」
「うん。あいつ
「大人になってからもずっと一緒だったんだな。俺に幼馴染はいないから想像つかないよ」
「上京した子とかはそんなもんだったよー。ずっと地元で遊んでたおれらみたいなのも多かったけど」
俺は少しだけ笑った。
「……休日は何してたんだ」
「何、何? 合コン始まった?」
「沈めんぞ」
玉舎は顎を上げて、濡れた檜の木目を見た。
「美優がバイトしてた居酒屋で朝まで飲んだり、カラオケ行ったり……朝まで遊んで近くに釣り堀があったから散歩しに行ったりしてたな」
「最後だけやたら情緒があるな」
「魚も寝るんだなーって思って、ふたりと別れた後ももう一回見に行って、帰りたくなくてひとりで河川敷まで歩いて、家帰って寝んの。頭痛いし朝日眩しいし寝られねーつって」
俺は頷きながら聞いていた。
僅かな沈黙の間、風が湯の上を渡って、鳥の足跡に似た波紋を起こした。
「……最後に温泉行ったのはいつだった?」
「いつだったかなー。最後じゃないけど、一番記憶に残ってるのはまだ家族が揃ってた頃、長野に旅行に行ったときかな。おれ九歳とかだったけどね」
玉舎が動くたび、濡れた髪が俺の腕を打った。
「露天風呂だったんだけど、すげえ雪降っててさ。寒い寒いって飛び込んだらめちゃくちゃお湯熱くって。それで、お湯が出てる蛇口にぶつかって背中火傷したんだよね! 大人になっても痕残ってた!」
「重傷じゃねえか」
「そうしたら、親父が慌てて雪掬って背中に当ててくれて。熱いのか冷たいのかわかんなくて。いつも殴られてばっかだったけど、あんときだけは父親らしかったなー」
玉舎は笑う。刺青も、火傷も、刻まれた身体はもうない。
「それ思い出したら、のりたまのおにぎり食べたくなってきた」
「旅行の思い出なら普通蟹とかもっと豪勢なもん思い出すだろ」
「そうなんだけどさー。車でどっか行くとき、お袋が昼間に食えるようにってラップで包んでのりたまのおにぎり作ってくれてたんだよ。味のり付きのやつ。あれが一番覚えてるんだよなー」
夜空の色を映した湯に、小さな月が揺れている。
俺が片手を伸ばすと、月は崩れて万華鏡のように散った。
玉舎に昔の話をさせなかったのは、こいつがいくら懐かしんでも二度と与えられない時間だからだ。月に手を伸ばすような行為で残酷だと思った。
それ以上に、玉舎と別れた後、俺に爪痕が残るのが嫌だ。
だが、諦めた。前の特別指令であの女詰られたせいじゃない。後悔するにはとっくに手遅れだったと気づいたからだ。
俺はきっと独りに戻って、電車から釣り堀を見かけたり、スーパーマーケットでふりかけを見たとき、今日話したことを思い出すんだろう。
仕方ない。そういうものだ。
俺は空に浮かぶ本物の月を眺めた。
温泉を出て、買い物をした後、今夜の宿に戻った頃にはすっかり湯冷めしていた。
畳張りの部屋には既に布団が二枚敷かれていた。
俺は暖房をつけ、浴衣に着替えてから、玉舎を布団に転がす。
「閑田くん、夕飯どうするの?」
「後でな」
俺はちゃぶ台に買ったものを置く。電子レンジで加熱したレトルト式の白米、ふりかけ、味のり、ラップ。
「コンビニで買えないもんばっか言いやがって……駅前のスーパーまで行く羽目になった」
「どうしたの? てか、何してんの? 図画工作?」
「うるせえよ」
俺は玉舎に背を向け、のりたまをかけた白米を割り箸で混ぜ続けた。
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