11/9 お題「つぎはぎ」
美術館を出てから予約したビジネスホテルの一室に辿り着くまでのことは、あまり記憶にない。
三年前、失踪したと思っていた俺の父親がこの土地にいたという。しかも、トランクを抱えて、仕事があると言っていたらしい。
借金まみれの男が美術鑑賞を仕事にできると思えない。おまけに別の仕事があると急にいなくなった。まるで、今の俺と同じだ。
父は高飛びしたか、死んだと思っていた。だが、もしかしたら、借金を返すために俺のように怪しい仕事に手を出していたんじゃないか。
父はまだ生きているのだろうか。それとも、俺が切り抜けたような死線をうっかり抜け損ねて、死ぬより酷いことになったか。
「
俺は
机に乗せた玉舎の周りには、カップ麺の醤油スープとくちゃくちゃの麺、謎のブロック肉やネギの欠片が散乱して酷いことになっていた。俺のワイシャツの袖も醤油でびっしょりだ。
「何でこんなことになってんだよ!」
俺は慌てて玉舎を持ち上げた。玉舎の首から伸びた麺がだらりと垂れて、温い暖房の風に踊った。
「閑田くんが飯食わせてくれるつって……トイレから洗面所行くのかと思ったらそのまま……」
玉舎は気まずそうに眉を下げた。全く記憶にないが、俺の手元には濡れた割り箸が転がっていた。
俺はこめかみを摩り、溜息をついた。
「机は後回しだ。とりあえずお前の髪と顔を洗うぞ。俺の服も」
スープ塗れの手で玉舎を抱える。玉舎がモゾモゾと動いて俺を見上げた。
「閑田くん、大丈夫? 美術館出てからずっとぼんやりしてるっていうか……何かあった?」
「何でもねえよ」
俺は気もそぞろなまま玉舎と自分のシャツを洗った。眠りにつくまで玉舎は何度か話しかけてきたが覚えていない。
明け方、着信音で目が覚めて、携帯の電源を落とし忘れていたことに気づいた。
今回の指令は「同業者三人との合流」だった。
指定されたのは、ホテルから三十分ほどバスに揺られた後、降りて十分ほど歩いた坂道だった。
目印として送られてきた画像はこぶだらけの大木だ。
そんなもの目印になるかと思ったが、いざ降りてみると確かに他に何もない。葉を落とした木々が針のように枝を広げる、陰鬱な山道だった。
「木が目印ってすげえ田舎だよね! おれの地元も田舎でさー、スーパーがバス停の名前になってたりしたんだけど、その店潰れちゃって……」
トランクから響く声に、俺は曖昧に相槌を打つ。
玉舎は少し黙ってから言った。
「閑田くん、今日の仕事休んだら?」
「そんな訳にはいかねえだろ」
「でもさー、心配だよ。また変なこと起こったとき、今の状態じゃ対処できなさそうだし」
「心配してもどうにもならねえよ」
「まあ、おれにできること何にもないけどね」
「そういう意味で言ったんじゃねえよ」
向こうからふたつの人影が見えて、俺は会話を打ち切った。
坂道を下ってきたのは俺と同じくらいのスーツ姿の男女だった。ふたりとも銀のトランクを持っている。
男の方がスマートフォンを見せて軽く会釈した。
「あのー、待ち合わせって言われたんですけど、合ってます?」
俺は「たぶん」と答えて会釈を返した。茶髪のマッシュルームカットで美大生のような雰囲気だった。
女の方は無言で頷くように頭を下げた。まくったシャツの袖から傷だらけの手首が見えた。
男が俺ににじり寄る。
「同業者なんですよね? 始めてから結構長いんですか? 僕今回が二回目で、こんな訳わからない仕事だと思わなくて……見ます? すごいんですよ」
俺が答えるか迷ってるうちに、男は自分のトランクを開けた。現れたのは白く細い人間の手首だった。俺が思わず目を見張ると、男は口角を上げた。
「すごいですよね。そちらって何運んでるんですか?」
「生首」
今度は男が目を見張る番だった。
「本当ですか? そっちもすごいですね。この仕事ってみんなこんな感じなんですかね? そちらは……」
男が視線をやると、女は虚な目で答えた。
「肝臓」
「え、肝臓って、臓器の肝臓ですか? 大丈夫なんですか?」
「大丈夫だけど、たまに変な汁が垂れるから吹いてる」
男は大袈裟に驚き、女は頭をふらふらと揺らした。手首に肝臓か。俺が割り当てられたのが玉舎でよかったと思った。
男は再び俺に寄ってきて話し出した。
「生首って喋るんですか?」
「まあ……」
「それちょっと怖いですよね?」
「どうかな……」
「僕のは手首なんで喋りませんけど、指で文字を書いたりしてくれるんですよ。名前もわかりました。
まるでドッグランでペットの自慢をする愛犬家だ。
男は俺のトランクを見つめた。
「そっちも見ていいですか?」
俺が断る前に、女が口を挟んだ。
「私がこの中で一番ベテランだと思うけど、この仕事で大切なのは無駄に馴れ合わないこと」
冷たい口調に、男は口を噤んだ。
ちょうどそのとき、坂の上からスーツにトレンチコートを着た男が降りてきた。
「お待たせしてすみません。招集をかけた
俺たち三人は同時に姿勢を正した。
丁寧な口調とは裏腹に男の姿が禍々しかったからだ。
米村の鼻には学生が家庭科の授業で初めて縫った雑巾のような粗雑な縫合痕があった。
近づいてくると、首にも耳にも同じ縫い痕があるのがわかる。明らかにカタギじゃない。
米村は「楽にしてください」と笑った。歪な縫い痕が上下した。
「仕事を始めてからもうすぐ十日ということで、まず進捗を確認いたします」
米村は俺とふたりを一列に並べ、それぞれのトランクを開くように言った。
まず女のトランクの中身を確かめ、納得したように頷く。次に茶髪の男のトランクを眺めると、「想像以上にいい経過ですね」と褒めた。男は訳もわからずにはにかんだ。
最後に俺のトランクを覗く。米村は眉を顰めた。
何事かと思って俺も玉舎を見る。玉舎は薄く目を閉じ、乾いた唇を半開きにして沈黙していた。俺が見てもゾッとするほど死人だった。
米村は怪訝な顔で言う。
「いつもこんな風ですか?」
玉舎の意図はわからないが同意することにした。
「まあ……」
「喋らないんですか?」
「別に……」
米村は落胆を露わにした。
「君が一番有力候補だと思っていたんですが仕方ありませんね」
男の言葉の意味がわからず、俺は沈黙を返す。
米村は俺たち三人の前に立ち、手を組み替えた。
「明日は簡単な試験がありますので、同時刻ここに来てください」
そのとき、俺は米村の左手の一点に目を奪われた。
親指の付け根から手の甲にかけて、火傷痕がある。父の手にあったものと同じだ。
昔ストーブで火傷したらしく、ふざけて「ユーラシア大陸みたいだろ」とよく言っていた。
自分の目が信じられなかった。
米村は俺の視線に気づいてふと笑うと、手の甲を隠して言った。
「ユーラシア大陸みたいでしょう」と。
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