11/4 お題「温室」

 植物園に着いた頃、空は曇り出していた。


 鬱蒼とした木々の影が更に濃くなり、息が詰まりそうな閉塞感だ。

 入り口の掲示板にはとうに終わったハロウィンのイベントと、月末から始まるクリスマスのイルミネーションの告知が貼られている。十一月は行事と行事の間の余白のような月だ。



 俺はひとり分の入場料で植物園に入った。

 人影がないのを確認して、トランクを半分開ける。ファスナーの隙間から玉舎たまやの声がした。


「ここに来てどうするか言われてる?」

「いや、見て来いって言われただけだ。ひとまず一周するか」



 俺はトランクを片手に歩き出した。

 萎れかけの薔薇が白いアーチに絡んでいる。金網に縛られたまま銃殺された捕虜の死骸を想像した。


 西洋の花に不似合いな和風の赤い橋。湿気のひどい東屋。恋人の聖地を謳う、悲しくなるほどちゃちな鐘撞堂。

 玉舎はどうでもいい感想をいちいち述べた。花に興味がない人間には辛い場所だ。



 向こうにドーム状の温室が見えた。

 水垢で汚れたガラスの向こうには南国の草花がひしめいている。


 自動ドアを潜って入ると、人工の鳥の声が鳴り響いた。

 円環になった通路に毒々しい花が並んでいる。日本の田舎にこんなものがあるとは現実感が薄くなった。


 奥は休憩スペースらしく、飲み物と菓子パンの自販機があった。俺は缶コーヒーとあんぱんを買ってベンチに座る。玉舎を隣に置いて、パンの袋を開けた。


閑田かんだくん、すごかったね。花とかたくさんあって!」

「植物園だからそりゃそうだろ」

「道端の花とは全然違うよね。何か、丁寧な暮らししてるひとが来そうだよね! 」

「感想が雑すぎるだろ」


 俺は菓子パンを千切り、玉舎の口に突っ込んだ。缶のプルトップを開け、玉舎を傾けて口にコーヒーを流し入れる。首の切断面から餡の混じった黒い水が流れ落ち、ベンチの下の金網に消えた。


 玉舎は目を白黒させていた。

「今すげえ無駄なことしなかった? おれ何度試してもこうなるよ?」

「どうでもいいんだよ。通過儀礼みたいなもんだ」

 俺はパンの残りを口に運んだ。美味くも不味くもない、あんぱんだなという味だった。

 玉舎が寂しげに笑う。

「閑田くんって、マジで優しいよね」



 俺は無視して、ガラスの天井を見上げた。川のせせらぎも羽ばたきの音も全て録音だ。おまけに擦り切れている。

「悲しくなる場所だな」

「哀愁ってやつ? 詩人だね!」

「予算がなさすぎるって話だよ。今日は三連休の中日だぞ。それなのに、誰も客がいねえ……」



 背後から視線を感じた。しまった、客がいたのか。俺は素早くトランクに玉舎を投げ込んでファスナーを閉める。


 振り返ると、真後ろに女が立っていた。

「閑田くんだよね?」

 俺が驚いて黙り込んでいると、女は苦笑した。

「私、青木あおきだよ。高校で同じクラスだった!」


 確かに女は俺と同い年くらいだ。

 茶色の長い髪、薄手のニットセーターに花柄のスカート。全く見覚えがない。

 青木と名乗った女は呆れた顔をした。


「やっぱりわからないか。私高校のときすごい太ってたもん。あれから二十キロくらい痩せたんだよ?」

「そうだっけ……」

「三年二組。出席番号六番。図書委員。修学旅行のとき、皆キャリーを持ってたのにひとりだけリュックサックで来て先生に心配された閑田くんでしょ?」

「ああ……」

「『荷物が少ないだけです、ないものは向こうで買えばいいんで』って言って、先生をビックリさせてたよね。私あのときすごい笑っちゃった!」


 青木は自然な動作で俺の隣に腰を下ろした。話の内容は全て合っている。だが、絶対におかしい。

 トランクの中で玉舎が囁いた。

「元カノ?」

 馬鹿かよ、と答えて俺はトランクを引き寄せた。



 俺が腰を浮かせると、青木も一緒に立ち上がった。女の片手には俺のものより一回り大きいトランクがあった。

「でも、偶然だよね。何してたの?」

「いや、仕事で……」

「本当? 私も去年引っ越してこっちで仕事してるんだ!」

 青木は朗らかに笑い、俺のトランクを見つめた。

「それ、仕事道具?」

「まあな……」

 俺の出まかせに、青木は更に嬉しそうにした。



 俺は足早に歩いたが、青木はピッタリとついてきた。

「ねえねえ、それ重くない? 持ってあげようか?」

「軽いから……」

「絶対重そうだよ? それに持ち手の部分壊れてない? 何かガタガタしてるよ」

「大丈夫だよ」

「こっちのトランクに替えたら? 中身空だから」

 青木は自分のトランクを掲げる。俺は更に足を早めた。左右に並ぶ禍々しい南国の花々が流れ、鳥の声と水の音が降りかかる。


 ガラスの温室から出ようとした瞬間、青木に肩を掴まれた。女とは思えない、万力で締め上げられたような痛みだった。

「待ってよ、閑田くん」

 青木は光のない目で俺を見た。

「中のひとも絶対こっちの方が居心地いいって言うよ?」


 俺は思わず女を突き飛ばした。

 青木の身体が勢いよく吹っ飛び、地面に叩きつけられる。女が持っていた空のトランクが、がばりと開いた。


 まずい、と思う間もなく青木が絶叫した。偽物の鳥の声と川のせせらぎを掻き消して、女がのたうち回る。

「絶対! 絶対こっちの方がいいのに!」

 青木はバネのように跳び上がり、開いたトランクを持ち上げ、自分の顔を突っ込んだ。

「ほら、こんなに快適!」


 言うが早いか、青木は固いトランクの両側を思い切り押した。自分の首を挟むように。

 バン、バンと硬い音が温室に反響し、グジュリ、グジュリと柔らかい音に変わる。



 俺は玉舎の入ったトランクを抱きかかえて後退り、振り返らずに温室から駆け出した。


 鐘撞堂と東家と赤い橋を通り抜け、薔薇のアーチを潜り、植物園から飛び出す。振り返ったが、青木は追ってこなかった。

 他の人影もない。



 俺は呼吸を整えてトランクを開く。

 玉舎が申し訳なさそうに顔を覗かせた。

「何か、ごめんね。同級生だったのにあんなことになっちゃって……」

「お前のせいじゃねえし、同級生でもねえよ」

 玉舎が俺を見上げた。


「三年二組六番も、図書委員も、修学旅行の話も合ってる。でもな……」

 俺はやっと深く息を吐いた。

「俺の高校、男子校なんだよ」


 玉舎は難しい顔をして黙り込んだ後、わざとらしいほどの笑顔を浮かべた。

「すげえイメチェンだったね!」

「馬鹿かよ」


 俺は玉舎を押し込んでファスナーを閉める。

 居心地の悪そうな銀のトランクを引きずり、宿に急ぐことにした。


 もうたくさんだ、できるだけ自然の少ないところを選びたい。

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