11/3 お題「だんまり」
「街歩いてるとさ、ひとりでボソボソ喋ってるひといるじゃん? うわ、やべえ変なひとだーって思うじゃん?」
トランクから響く
「聞いてる?」
「聞いてるよ、何だよ」
「でさあ、すれ違うとき見たらワイヤレスイヤフォンしてて、電話してただけかー悪いこと思ったなーってことあるじゃん?」
「そうだな」
「でもさあ、たまに結局そのひとイヤフォンしてなくて、やっぱり変なひとだったかーって思うこともあるじゃん?」
「何の話だよ」
「
俺は膝頭でトランクを蹴った。無人のバスロータリーに玉舎の悲鳴が響いた。
昨夜、スマートフォンに依頼人からの指令が届いた。とある植物園に迎え、とだけ。
宿を取るのも面倒だったから、夜十時から高速バスに乗って、車中で一夜を過ごした。その間、玉舎には一言も喋らせなかった。
バスを降りた途端、その反動からか、玉舎はずっと喋りっぱなしだ。動き続けないと死ぬ魚のようだという例えはあるが、こいつは既に死んでいる。喋り続けないと首が腐るのかもしれない。
午前五時半、周囲にに人影はない。俺以外の乗客は、まだ開いている店もないのにいそいそと去っていった。
無人の狭いロータリーはどこか自動車免許の教習所に似ている。
錆びた緑のフェンスの向こうに、封鎖された待合室と、雲海を全身に映した高速バスが並んでいた。
俺は衝立に囲まれた喫煙所に向かった。
トランクを引き寄せ、色褪せた水色のベンチに腰掛ける。煙草に火をつけると、白に藍色を一滴混ぜたような夜明けの空に煙が溶けた。
トランクを開けると、玉舎が飛び出した。
「おっ、喫煙者? よかったー。同行が吸わないひとだと気遣うもんね!」
「お前も吸うのか。というか、吸えるのか?」
「吸うし吸える! 蕎麦と違って、煙は首から出てこないからね」
俺は煙草の箱から一本取り出し、玉舎に咥えさせた。
「いやー、もらってばっかりでごめんね!」
煙草を吸わせれば少し黙るかと思ったが、期待はできなさそうだ。煙草の先端に火をつけると、風に煙が煽られて、玉舎が目に涙を滲ませた。俺は少し笑う。
生首をベンチに置いて煙草を吸わせていると、ひどく死体を冒涜しているような気持ちになる。
玉舎の目蓋の青痣はまだ色濃い。こいつは何故生首になったのだろう。
俺が尋ねる前に、玉舎が口を開いた。
「閑田くんは、何でこんな仕事しようと思ったの?」
首の切断面から溢れた煙がドライアイスのように舞い上がった。
「閑田くんってちゃんと大学出てそうじゃん? 裏バイトに手を出すタイプじゃないよね」
俺は指で煙草を叩いて灰を落とす。
「まあ、確かに大学は出てるけどな。潰しの効かない文学部だよ」
「文学部? めちゃくちゃ頭いいじゃん!」
「そう言われると余計馬鹿そうに思える」
玉舎はにゃははと笑った。
「閑田くん、就職はしてたの?」
「少しの間な。どうでもいい広告会社だ。でも、親父が知り合いの連帯保証人になって、借金作って蒸発して、お袋が心労でくたばっちまった。そこから、まともな仕事じゃ稼ぎが追いつかなくてこっち側に来た」
「ありゃー、大変だったんだ。嫌な話させてごめんね!」
「別に、よくある話だろ」
「そっか。今は借金返すために頑張ってるんだ?」
「いや、もう返済した」
玉舎は咥え煙草で目を瞬かせた。
「じゃあ、何で続けてるの?」
「何でだろうな……」
俺は短くなった煙草を捨て、二本目に火をつける。
「俺は元々夢も目標もなかったんだ。両親が心配するからまともに生きておくかと思ったけど、それがなくなってタガが外れた」
「そうかそうかー。でも、この仕事だとお金貯まるでしょ? 何かに使わないの?」
「本と映画。つまんないだろ」
「全然つまんなくないよ! めっちゃいいじゃん!」
玉舎は心底そう思っているとわかる声で言った。首から下があった頃はモテたんだろうなと思った。
玉舎の咥えた煙草は半分が灰に変わって火が消えそうだ。指で払ったら火傷する。
俺は玉舎を持ち上げ、灰皿の上で二度振った。灰が落ち、新しい火が煌めいた。
「ありがとー」
玉舎は少し黙ってから言う。
「確かに、本とか映画が好きだと現実つまんなくなっちゃうかもね!」
「そうか?」
「だって、頭のいいひとが作った話と違って、おれらみたいな馬鹿が作ってる現実は大したことないじゃん?」
俺は何も答えず、再びベンチに玉舎を置いた。
「おれ閑田くんみたいなタイプと話すの初めてかなー。高卒でフリーターだったし。カラオケとか居酒屋でバイトして、定番コースだよね!」
意外だと思った。生首になって運ばれるくらいだ。もっと波乱に満ちた人生かと思っていた。
俺は無意識に口に出していた。
「お前、何でこんな死に方したんだ?」
玉舎が目を見開く。傷ついたような驚いたような顔で、思わず面食らった。
玉舎は煙草の湿ったフィルターを噛む。
「何でだろうねー。まあ、しくじっちゃったって言うかね!」
「ただしくじっただけでこうはならねえだろ。何で生首になっても喋れんだよ」
「呪い? みたいなもんかな。そうなっちゃうこともあるし、そういうの作っちゃうひともいるんだよね」
「呪い?」
「おれといて変なことたくさんあったでしょ? おれがアンテナみたいになって引き寄せちゃうんだ」
玉舎が笑うと、左目蓋の青痣が歪んだ。
「殺されて呪いまでかけられるって相当だろ。何かやらかしたのか?」
「おれ自身はやらかしてないよ!」
「じゃあ、誰かのせいでこうなったのか?」
沈黙が流れ、冷たい風が灰を巻き上げていった。
玉舎は首を傾けて俯いた。
「誰かのせいでこうなったって言ったら、そうした奴のことクズだと思う?」
「そりゃそうだろ」
「じゃあ、言わない。ごめんね」
玉舎はそう言って黙りこくった。続きの言葉を待ったが、何もなかった。
俺は玉舎の唇から火の消えた煙草を抜き取って捨てる。唾液が糸を引いただけだった。
ロータリーに一台のバスが滑り込み、俺は玉舎をトランクにしまう。
喫煙所を出ると、入れ違いで学生の集団が灰皿に向かっていった。
騒がしい笑い声が聞こえた。玉舎は黙り込んだままだ。
ロータリーを抜けて静まり返った街に出た。玉舎が何も言わないと、生首を運んでいる状況が信じられなくなってきた。トランクを持ち上げると、確かな重みがゴロリと応える。俺はこいつのことを何も知らない。
車もないのに横断歩道の信号は律儀に赤くなる。
俺は交差点の前に立ち、トランクを揺すった。
「玉舎、今まだ誰もいないから喋っていいぞ」
答えはない。俺は溜息をついた。
「今までの仕事で一番クソだった客の話合戦しようぜ。勝った方が次買う煙草の銘柄を選べる」
「いいね!」
トランクから響いたのは底抜けに明るい声だった。
「閑田くんの煙草ってメンソールだよね?」
「悪いかよ」
「男として終わるって聞かない? おれはもう終わるものないからいいんだけどさ!」
俺はトランクをめちゃくちゃに振った。
玉舎の悲鳴の残響を聞きながら、俺は青になった信号を渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます