11/2 お題「食事」
夜明けと同時に廃ホテルを出て、鬱蒼とした山道を下り、コインパーキングと精米所だけがある鄙びた道路を眺めながら「どうしたもんかな」と、俺は思う。
この生首を港に届けるのは一ヶ月後だ。
それまで俺には襲撃犯なりもっと得体の知れない何かなりが絶えず襲いかかってくるらしい。
場所が割れると面倒事が増えそうだ。すぐ港に向かうのは得策じゃないだろう。
俺は一ヶ月かけてゆっくりと目的地に向かうつもりだった。
依頼人も大方同じ考えだろう。壁のシミになった前任ではない。月末、港で俺が生首を受け渡す相手だ。
動機も顔も得体も知れない連中だが、俺の考えるべきことじゃない。
支給されたスマートフォンを通じて、指令と一緒に宿代や食費がその都度振り込まれるらしい。画面を見たが、まだ何の通知もない。
足を進めていると、トランクの中から声がした。
「今喋って平気?」
「平気じゃなかったらどうする気だよ」
呆れながらトランクの鍵を開けると、
「いやー、久しぶりに移動できたからさ! 外の空気はいいよね! トランクの中だとわからないけど!」
また鍵を閉めてやろうかと思ったが、玉舎の左目蓋の痛々しい青痣が目に留まってやめた。
「
「とりあえず飯は食わなきゃな。朝も食い忘れた」
「不摂生だなー、食うことは生きることだよ。死人に言われても何だろうけど!」
玉舎が笑って揺れると、トランクがゴロゴロと鳴る。俺はふと思った。
「お前は飯食うのか? というより、食えるのか?」
玉舎はろくでもないことを思いついたように口角を上げた。
「気になる? じゃあ、行きますか。やっぱり初対面で手っ取り早く仲良くなるには飯だよね!」
「いちいちうるせえよ」
俺はトランクを閉めて持ち上げた。玉舎の「髪の毛挟まってる!」という叫びは聞こえないふりをした。
文明が滅んだ直後のような民家と森林が半々の道を進むと、寂れた蕎麦屋が現れた。
飯を食うのは好きじゃないから選ぶのも面倒だ。俺はトランクを引きずって店に入った。
灰色に汚れた暖簾をくぐると、店主らしき中年の男が現れた。
「お待ちしていました。どうぞどうぞ、まさか貴方のような方がうちの店なんかに……」
店主は俺を見ると、忙しなく何度も頭を下げ、厨房に華やいだ声をかける。
「
誰かと勘違いしてないかと尋ねるのを堪えて、俺は奥の席に座った。ざる蕎麦を頼む間も、店主は俺の一挙一動を目を輝かせて見守った。
注文を取り終えると、店主は厨房に駆け込み、さっきとは打って変わった声で怒鳴った。
「美奈子、馬鹿野郎! お前、あんな方に一番安いもんなんて頼ませやがって!」
昔気質の亭主関白な蕎麦職人といった雰囲気だ。田舎じゃそういうのもアリだろうが、俺としては気が滅入る。
ふと厨房に視線をやると、湯気の中に茫洋とした姿の女が立っていた。調理の最中だというのに髪はボサボサで、布のマスクに血が滲んでいた。見てはいけないものを見たようで、俺は目を逸らした。
間もなく蕎麦が運ばれ、店主が去ったのを確認してから、俺は机の下のトランクを引き出す。
店に入るとき確認したが、この席は籐の衝立とベタついた観葉植物に阻まれて店主たちからは見えなくなっている。
俺はトランクを膝に乗せて鍵を開けた。玉舎は飛び出すなり小声で囁いた。
「店のひと、俺たちのことミシュランの審査員だと思ってるのかな?」
「聞こえてたのかよ……余程客が来ないんだろ」
俺は玉舎の置き場所に迷って、結局両膝で挟むように固定した。自分が今しがた男の首を切断したような気分になる。
「お前、飯食えるんだよな?」
「やってみて!」
俺はネギと溶かしたワサビを蕎麦に絡めてから箸で掬う。玉舎が薄く唇を開けた。どうしようもない違和感が襲う。
俺は店主の視線を気にしつつ、自分の足の間に蕎麦を捨てるような構図で箸を下ろした。
玉舎の歯に箸の先が当たり、小さな呻きが漏れる。舌を挟まないように箸を捻じ込み、唇から溢れた蕎麦を指で押し込む。次の瞬間、俺の膝が冷たく濡れた。
思わず箸を投げ捨てて玉舎を持ち上げると、首の切断面からぞばあっと麺が溢れ出した。ネギと溶けたワサビと麺が俺の手首を濡らす。玉舎は声を上げて笑った。
「びっくりした?」
悪戯が成功したガキのような顔だった。俺は玉舎をトランクに押し込み、思いきり振った。
「ごめん、ごめん! もうしないから! ちょっと驚かせようと思ってさ!」
俺はトランクを床に置き、爪先で蹴る。玉舎が情けない声を上げた。
「閑田くん、悪かったって! 生首にも飯食わせようとしてくれるから嬉しくなっちゃってさ! 笑わせようと思って滑っただけなんだわ!」
「ふざけんなよ……」
俺が汚れた袖を布巾で拭っていると、衝立から店主が顔を覗かせた。
俺は平静を装い、わざとらしくスタートフォンを出す。
「すみません、仕事の電話が急に……」
「いえ、お気になさらず!」
店主はよく響く声で叫び、へつらうように俺に歩み寄ってきた。
「あの、よろしかったら……」
差し出されたのは、白い器に載ったコロッケだった。
「頼んでませんが……」
「サービスです! ざる蕎麦だけじゃ申し訳ないんでね」
店主は揉み手をしながら去った後も、厨房から身を乗り出して俺を見ていた。
不気味な店だ。
俺は卓上のコロッケを見下ろす。べったりと油ぎった衣は剥がれかけ、奇妙に黒ずんでいた。
店主の視線を感じながら、俺は箸でコロッケを突き刺す。剥がれた衣の中からぞばあっと黒いものが溢れ出した。現れたのは、針金のような黒い塊。毛髪だった。
俺は唖然としながらコロッケを解体する。箸先に硬いものが当たり、つまみ出すと、小石に似た欠片が現れた。所々茶色く汚れて石臼のような形をしている。人間の奥歯だ。
俺はトランクを掴んで席を立った。
慌てて駆け出してきた店主に、釣りはいらないと千円札を突きつけて店を出る。
灰色の暖簾をくぐると、店主の怒声が聞こえてきた。声にならない叫びが啜り泣きに変わる。
「何だよ、残しやがって……汚いもんでも見たように……なあ、美奈子、お前の身体は汚いもんじゃねえもんなあ……せっかく折ったのに、可哀想になあ……」
思わず振り返ると、曇りガラスの戸にマスクの女がベッタリと顔をつけて俺を見ていた。俺というより、俺の持っているトランクケースを。
マスクから滴り落ちた血が、女のシャツに垂れていた。
トランクの中から玉舎の声がした。
「悪いけど、おれを連れてる間こういうことしょっちゅうあるからね……」
「慣れろってことかよ」
俺は何も見なかったように背を向け、再び歩き出した。
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