夜花火と蜘蛛と生首の旅

木古おうみ

11/1 お題「むかしばなし」

 江戸川乱歩の小説に死んだ兄の押絵と旅をする男の話があったが、トランクに入れて連れ歩くのが生首だったらスプラッタホラーにジャンルが変わりそうだ。


 絵と違って持ちばかりがするし、車窓に立てかける訳にもいかないし、何よりこの男は首から下がないのに延々と喋り続けている。一ヶ月間こいつを持ち運ぶと思うと気が滅入った。



 生首男はウレタンの飛び出た椅子に切断面をしっかりつけて座っていた。というより置かれていた。


「いやー、散らかっててごめんね! おれが散らかしたんじゃないんだけど。ほら、手も足もないのに散らかせないからさ!」

 男は目を細める。部屋は散らかっているどころの騒ぎではなかった。


 俺が待ち合わせ場所に指定されたのは廃ホテルの一室だった。

 まともな仕事じゃないから、まともな場所に呼ばれないことは覚悟していたが、これはひどい。


 部屋中に叩き壊されたベッドや机の残骸が散乱し、折れた卓上ランプが壁に突き刺さっている。薔薇を描いた壁紙には、何故かぐるりと一周するように黒い帯状の汚れがついていた。


 おまけに、俺を呼びつけた依頼人はさっきから窓の外に顔を突き出して黙り込んでいる。何度話しかけても答えはない。



 俺が仕方なく向き直ると、生首は目を瞬かせた。

「きみ、全然驚かないね! 生首が喋ってるのに」

「何があっても覚悟しとけって言われてたからな」

「助かるわ、ビビられると普通に傷つくからさ」

 生首はない喉を鳴らして笑った。


 男の顔は薄く日に焼けて、燃え滓のような黒子が散らばっていた。男にしては長い黒髪は輪ゴムで束ねられていて、耳にはたくさんのピアスが垂れていた。人懐こい笑顔に似合わない、どす黒い青痣が左目蓋にある。

 都会の飲み屋で土曜深夜に出会える、何の仕事をしているかわからない、気さくで優しいが深く関わるとろくなことにならないタイプの男だと思った。



 男の首が椅子の上でごろりと揺れた。首を傾げたつもりなんだろう。

「早速だけど何か聞きたいことある?」

 俺は少し考えてから言う。

「何で生首が喋ってんだ」

「気になる? これには長い長い昔話があって、全部喋るとすごい尺になるんだけど、何より……その九割が血生臭い話だね!」

「じゃあ、聞かねえよ」

「生首は平気なのに怖い話は苦手?」


 俺は目を逸らして、依頼人の方を盗み見る。俺と同じスーツ姿の男ということだけはわかった。壁の窓枠に頬杖をついて外を眺め続けている。生首に会話を任せてまで見なきゃいけないものがあるんだろうか。

 部屋の空気は自動車工場のように鉄錆の匂いがした。



 男はまた首を傾けた。

「それじゃあ、普通に仕事の話をしようか。内容は聞いてる?」

「一ヶ月間お前を持ち運んで然るべきところに届けるんだろ」

「そう! トランクはそこにあるからね」

 生首は視線で椅子の下を指した。引き千切られたカーテンの下に銀のトランクケースが覗いていた。


「じゃあ、約束事も聞いてる?」

「ひとつ、一ヶ月間このトランクケースを死守すること。ふたつ、今月最終日にこのトランクケースを港へ届けること。みっつ、その間トランクの中に入っている、死ぬほどよく喋る生首の男と上手くやっていくこと」

「オッケー!」


 男はあっけらかんと答えた後、少し表情を曇らせた。

「おれを運んでる間、本当に信じられないようないろんなことがあると思うんだけど、頑張ってね」

「生首が喋ってる時点で信じられねえよ。肺もないのにどうやってんだ」

「それはおれもわかんない! とにかく約束事だけはちゃんと守ってね。じゃないと、エラいことになるから!」



 俺はうんざりして廃ホテルの一室を見回し、依頼人の背に向けて言った。

「こういう話は生首じゃなく依頼人がするもんじゃねえのか」

 生首が申し訳なさそうに目を伏せた。

「ごめんだけど、それ無理だわ。あのひと、もう顔ないからさ」

「何……?」


 俺は改めて依頼人を見つめて気づいた。

 この部屋に窓はない。依頼人が首を突っ込んでいるのは窓枠ではなく、壁にかけてあった絵画の額縁だ。

 そして、壁をぐるりと取り巻く赤茶けた線は依頼人の見えない顔に繋がっていた。


 想像したくないが、してしまった。

 壁にべったりと顔をつけてズルズルと移動し、絵の具を刷毛で塗るように自分の顔面を削りながら、何度も何度も室内を周回する男の姿を。



 俺の考えを見透かしたように生首が頷いた。

「彼、君の前任なんだけどさ。いやー、だいぶ怖かったよね。おれ逃げられないし、やめなって言っても全然聞かないんだもん」

「何で、そんな真似を……」

「約束事を破っちゃうとこうなるんだ」


 俺は言葉を失った。

 下手を踏んだら俺もこうなるということだ。とはいえ、仕事だ。やるしかない。



 俺はカーテンの切れ端を蹴散らし、トランクケースの埃を払った。生首男は安堵の息を吐く。

「よかったよかった。これで逃げられちゃったらどうしようかと思ってたんだよ!」


 トランクを開けたはいいが、問題は生首の入れ方だ。椅子から蹴落として放り込む訳にもいかない。


 俺は仕方なく男の生首を両手で持ち上げた。

 髪が俺の手の甲を撫でる。肌はハリがあって硬く、生きた人間のように生温かった。


 生首男は正面から俺と目を合わせた。


「おれは玉舎たまや! 花火みたいでしょ? たまやー、かぎやーって。きみは?」

「……閑田かんだ

「どういう字? 神田駅の神田? 古本市とか行きそうな顔だもんね!」

「どんな顔だよ。閑古鳥の閑に田んぼの田だ」

「もうちょっと景気のいい例えしようぜ! 閑静とかさ!」


 玉舎が喋るたびに首の切断面から温い空気が漏れるのは気づかないふりをした。



「閑田くん、これから一ヶ月間よろしくね! 握手はできないんだけど。舌ベロとかで代用できるよ!」


 玉舎の言葉を無視してトランクに放り込み、鍵を閉める。

 俺は首を失くした依頼人の死骸を放置して、生首を連れて、廃ホテルを出た。

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