第3話
今、我輩は『 段ボール 』の中にいる。『 ひろってください 』とぎりぎり読めそうな文字が書かれた我輩の『 仮 』寝床の中でいかにも悲惨な結末を迎えたヒロインのように、上目遣いで通りがかる人間共に媚びて鳴く。
人間はそれを見て慈悲な目で我輩を見る。適当に撫でては立ち去り、時折戻ってきたかと思えば到底猫が食べるには匂いの強いイワシ缶の中身をぼとぼとと箱の中に落とす。
ああ、せっかく用意したふかふかのベットが一瞬にして臭くなる。威嚇して引っ搔き回したいところだが、通報され保健所に連れていかれるのは勘弁だ。だから我輩はそのエゴに付き合い足元に寄り添ってやる。もちろん、体にそのイワシ缶の液をつけてからだ。
頭のない人間は触ってようやく服が魚の匂いにしみたことに気が付く。距離を置こうと身を引くが我輩の気は収まらない。
「 にゃー 」
我輩は貴様に懐いているのだ、なんてそんな様を演じる。そうすればエゴな人間は抵抗のしようがない。なされるがままそこにいるか、諦めたようにその場を立ち去るかだ。要はどちらに転んでも嫌がらせとしては大成である。
結局その人間は中身のなくなった缶をそのまま地面に放ってどこかに立ち去った。まったく、自分の『 正しい 』行いにしか目がない愚かな人間だ。ごみ箱なら先のコンビニにだってあろうに、もし真に『 猫 』を想うなら缶の開け口で傷を負う可能性を考えないものだろうか。
やはり人間はダメだ。依存すべき対象にあってはならない。あくまで利用すべき道具であり下僕であるべきだ。
だから我輩は『 猫 』になったのだ。
自前のベットの上に転がったイワシを口に頬張り、染みたシーツを舌で掃除する。猫の我輩がこの一式を準備するのにどれだけ苦労を要したか人間は知らず、猫が文字を書くのがいかに難しいのかも知らぬのだ。
『 口 』だ。口に筆を加えて頭を動かし『 文字 』を書くのだ。
人間でそんなことをしようものなら嘲笑の対象に違いない。でも我輩は猫だ。そうせざる得ないし、それ以外の方法は存在しない。
まあ、かつての我輩がその準備を怠ったのが原因ではあるが。
「 にゃー 」
仮の寝床を掃除したついでに体をなめる。それまでは元の家で染めたタオルに体をこすりつけて毛づくろいしていたものだから、本格的にそれをしたのは初めてかもしれない。
もっとも、これこそ『 猫 』そのものだろう。それを裏付けるように、気分が落ち着くような気がしないでもない。
「 あ! ね、猫が捨てられてる! 」
「 ほんとだ。全く人間の勝手だな。…ふかふかの毛布を入れて優しいアピールか? そもそも買う余裕がないなら買うんじゃねーよって話だろ 」
人間が通りかかる。我輩を見て的外れの怒りを抱いている。全く人間は愚かだ。自分こそ正しいと思い込み、所詮『 他者 』を見下しているのだから。どうせこのもの達も捨てられた我輩を可哀想とは思いつつも、自分の心の檻に閉じ込め無意識に見下しているのだ。
所詮は『 猫 』なのだと。
「 ねっ、どーする? ひろってくださいって書いてる。拾う? 」
「 ……ああ、ここにいたら保健所に連れてかれるだけだろうし、一度連れて帰るか 」
連れて帰るだと?
一端に生計も立てられないような若造が?
「 いやだ 」
それだけは勘弁だ。ガキのエゴより身勝手なものは存在しない。こいつらのような奴は無責任に正義を振りかざし『 他 』に迷惑をかける害虫でしかない。本人たちは『 正義 』に乗っといて行動するのだからたちが悪い。
「 え!? 猫が喋った!? ねっ、今の聞いた? 」
「 ……そんなまさか。いや、だが今はっきりと―――― 」
危ない。つい本音が零れてしまった。
「 にゃー 」
喉を震わせ鳴いて誤魔化す。
「 にゃー にゃー にゃー 」
いつもより多く鳴き顔色を伺う。
「 うーん、気のせいか。ねっ 」
「 …ま、そうか。ただ何かそう聞こえるような偶然の産物だろうな。飼い主がそう言って欲しいと思っている言葉に聞こえるってやつか 」
「 え、でも『 いや 』って言って欲しいなんて思ってな――― 」
「 知ってる単語が鳴き声と重なっただけだろ。ほら、『 にゃー 』って、少し濁ったら『 いや 』に聞こえなくもないだろ 」
人間は『 信じられない 』ものを目のあたりにすると、『 信じられる 』ものに変換しようとする生き物だ。
胸を撫でおろす、なんて人間らしい仕草は今は出来ないが内心ほっとしていた。
今は猫を『 演じている 』に過ぎない。いつか真に猫になるまで油断してはならない。
その時には多分、かつての我輩は存在していないのだろう。
「 にゃー 」
また鳴いてみる。
我輩は猫になったのである。 物書きの隠れ家 @tiisana-eiyu
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