獣の王
鍵崎佐吉
獣の王
ヘルメットの内側で短く電子音が鳴る。バッテリー残量が10%以下になった合図だ。このままだとあと30分ほどでバッテリーが切れて浄化装置が止まり、私はこの樹海に漂う有毒胞子を吸い込んで死ぬことになる。あの化物に食い殺されるよりかはいくらかマシな死に方かもしれないが、それでもやはり甘んじて受け入れる気にはなれなかった。
今や日本の国土の北半分を覆いつくしたこの樹海は絶えず有毒植物の放つ汚染大気に覆われていて生身の人間は近づくことさえできない。その除染と調査のために幾度となく人員が派遣されたが、その度に奴らの妨害を受け、中には調査員が全滅した部隊もある。そうとわかっていてなおこの調査に参加したのは、自分の力を世間に認めさせたかったからだ。まだ若いから、女だからという理由だけで私の研究は軽んじられ誰にも見向きされない。そんな状況を打破するには誰にも無視できない巨大な功績をあげるしかない。全ては覚悟の上だった。
しかし今、こうして目前に迫る死を体感し自分の考えの甘さを痛感させられている。もう随分前から無線には誰も応答しない。恐らく私以外の隊員は全員やられてしまったと思っていいだろう。この状況で救助される可能性はほとんどゼロに等しい。助かりたいのならあと30分で樹海を抜け出し、自力で新宿の前線基地までたどり着かなければならない。
私は木の陰から身を出し恐る恐る周囲の様子をうかがう。体力にはあまり自信はないが、このまま独り震えながら死を待つことには耐えられなかった。手元の端末で方角を確認し私は走り出す。樹海の中は昼でも暗く足元も不安定で私は何度も躓いて転びそうになる。それでも一瞬たりとも立ち止まるわけにはいかない。奴らにとっては人間だろうがドローンだろうが、動くものは全て抹殺と排除の対象なのだから。私は無我夢中で走り続けた。
耳元で再び電子音が鳴る。バッテリーが5%を切った合図だ。私に残された時間はあと15分だけ。とにかく急がなければ——そう思った瞬間、つま先が何かに引っ掛かった。私の体はバランスを崩し、脇にあった茂みに突っ込んでしまう。幸い防護服のおかげで怪我はなかったが、これだけ派手に転べば痛いものは痛い。だが今はとにかく時間がないのだ。泣き言を言っている場合ではない。私がどうにか体を起こして再び走り出そうとした時、どこか遠くから音が聞こえた。電子音の類ではない。もっと原始的で野性的な、まるで森の木々をなぎ倒しながら何かがこちらに向かってきているような音。それは間違いなく奴らからの死の宣告だった。
逃げ出したかったが足は震えて動かない。そもそも奴らに捕捉されれば人間の足で逃げ切れるはずはないのだ。それは数時間前に私も身をもって体験している。こうして生きていられるのはたまたま他の隊員が囮になって奴の注意を逸らしてくれたからだ。私は彼らの悲鳴と怒号を背に必死にここまで逃げてきた。しかしそうして繋いだわずかな希望も直に断たれる。
暗がりの向こうから巨大な黒い影が近づいてくるのが見える。人間を駆逐するためだけに産み落とされた歪な殺人熊、通称KB。地球上のあらゆる生物を凌駕する怪力を持ち、視覚・聴覚・嗅覚もヒグマなどとは比較にならないほど発達している。そして何より、奴らは人間を憎んでいる。私はうずくまって目を閉じることしかできなかった。
暗黒の中で何か聞き慣れない音が聞こえた気がした。そのジェット機のような騒音は凄まじい速さでこちらに近づいてくる。これは、まさか——
目を開けた瞬間、それは私の視界に飛び込んできた。銀灰色の装甲に包まれた巨人、人類の叡智を集結して生み出された対獣決戦兵器『MATAGI』。この状況を打開しうる唯一の存在だ。
『邪魔だ、下がってろ!』
不意にヘルメットの中に男の声が響く。私は弾かれたように立ち上がり近くの茂みの中に飛び込んだ。その直後、低い唸り声をあげながら黒い影がマタギに襲い掛かる。しかしマタギはその巨体からは想像もできない俊敏な動きで奴の振り下ろした爪をかわす。そして左腕に内蔵された電撃杭で素早くKBの脳天を貫いた。頭蓋の内側を高圧電流で焼かれたKBは、その両目から蒸気と血を吹き出しながら激しく痙攣しやがて動かなくなった。私はただ呆気に取られてその死骸を眺めていることしかできない。すると再び内蔵無線から男の声が響く。
『おい、バッテリーは?』
「え?」
『バッテリー残量だよ。あと何分もつ?』
「あ、えっと……さっきちょうど5%になったから——」
『ちっ、それじゃ間に合わない。……やむを得んか』
そう言うとマタギの腕が私に伸びてそのまま体を抱え上げる。
「ちょ、ちょっと!」
『すぐにここから離脱する。振り落とされるなよ』
「きゃあ!」
私が返事をする間もなくマタギは大地を蹴り、後背部のブースターを吹かせて移動を開始する。時速にすれば100キロ近くは出ているだろうか。迫りくる枝や草木をなぎ倒しつつ、巧みに木々の隙間を駆け抜けていく。私は耐え難い恐怖を感じつつも、このパイロットの尋常ではない操縦技術の高さに感心し、ようやく纏わりつくような死の予感から解放された。
そしてバッテリーが切れる寸前、どうにか樹海から脱することができた。辺りには廃墟になったビル群が立ち並び、そのひび割れた無数のガラス窓を夕陽が照らしている。ここは池袋、本州における人類生存可能域の最北端であり対獣防衛圏の最前線である。ここが樹海に没すればいよいよ我々は劣勢に立たされることになる。それを防ぐためにも樹海の調査は必須なのだが、その調査隊はまさに今壊滅してしまった。
『聞きたいことは山ほどあるが、一番大事なことを先に聞いておく』
「……なに?」
『調査隊には二名の護衛が同行していたはずだ。どちらも経験を積んだ優秀なハンターだった。それが10分も持たずに通信が途絶えた。……いったい何が起こった? なぜやられたんだ?』
男の声は淡々としていて、それだけに有無を言わせない圧があった。私は記憶をたどりながら男の問いに答える。
「理由はわからないけど調査中に突然通信ができなくなったの。多分その時に護衛の人たちの索敵レーダーも使えなくなったんだと思う。だから皆で撤退を始めたんだけど、そしたら急に奴らが現れて……」
『二人ともやられたのか?』
「……わからない。私はすぐにその場から逃げたから」
『はっ、決死の調査隊が聞いて呆れるな』
その言い様には明らかに嘲笑と侮蔑が込められていた。確かにこの男は命の恩人ではあるが、だからといってそういった言動を聞き流せるほど私は人間ができているわけではない。
「そうは言うけどあなたと違ってこっちは何の武装もないのよ? あんな化物に勝てるわけないでしょ」
『じゃあ代わりにあんたが乗るか?』
「はあ? そんなこと——」
『俺たちだって命がけなんだ。くだらん言い訳をするな、鬱陶しい』
吐き捨てるようにそう言うと男は一方的に通信を切ってしまった。なんとも形容しがたい怒りが込み上げてくるが、私の命運はこの男にかかっているという状況は変わらない。生き残るためには怒りを飲み込むしかなかった。
日も暮れて辺りが暗闇に飲み込まれた始めた頃、私を担いだマタギは元は駅だったと思われる巨大な建造物の前で立ち止まった。そしてゆっくりと私の体をひび割れたアスファルトの上に降ろす。もうバッテリーは切れてしまったので通信はできない。私はヘルメットを脱いで直接パイロットに呼びかける。
「どうしたの? 早く基地まで戻らないと……」
するとマタギの背面のハッチが開いて中から一人の男が外に出てくる。年齢は30前後だろうか。ぼさぼさの髪と無精ひげがだらしない印象を与えるが、その不機嫌そうな瞳からは確かな覇気を感じる。
「護衛のハンター二名の死亡が確認されていない場合、明日の夜明けまでここで待機するように命じられてる。まあそこの地下に潜ればひとまずやり過ごすことはできるだろ」
「なんでそんな命令が……!? というか、今夜はあなたと二人でいろってこと!?」
「ちっ、やっぱ直だとうるせぇな。いいか、上はお前らの命なんかどうでもいいんだよ。大切なのは護衛の乗ってたMATAGIを回収できるかどうかだけだ。あんたがちゃんと奴らの死に様を見届けてくれてたらとっとと帰れたのによ」
「そんなこと言ったって……」
「とにかく命令は命令だ。生きて帰りたいなら文句言ってないで俺の指示に従え。いいな?」
そう言うと男は駅の方へと歩いて行き、ためらいなく地下へと続く階段を下っていく。こんなところで一人きりにされてはたまったものではない。私も男の後を追って恐る恐る深い暗闇の中へ足を踏み入れた。
この建物が駅としての機能を失ってから既に10年以上経っている。当然設備は使い物にならないし、所々天井に亀裂が入っていてそこから濁った水が滴っている。生き物の気配は感じられないが、やはりどことなく不気味ではある。私は男の後ろを歩きながら彼に呼びかける。
「なんでこんな所に隠れなきゃいけないの? 暗くて視界も悪いし、何かが潜んでたりしたら……」
「ここはせいぜい4メートル弱くらいしか高さがない。KBの図体じゃ中まで入ってこれないし、出口も複数あるから退路を確保しやすい。まああんたがいなきゃ外で待っててもいいんだがな」
そう言われるとこちらとしては反論のしようがない。先程の戦闘といいこの男が熟練のハンターであることは間違いなさそうだ。少々癪ではあるが大人しく言うことを聞いておいた方がいいだろう。
「まあこの辺でいいか」
男はそう言うと床にライトを置き、近くにあったベンチに腰掛ける。私もそれなりに疲れてはいたが男の隣に座るのは気が引けたのでそのまま床の上に座り込んだ。男はそんな私を見下ろすようにしながら再び口を開く。
「で、あんた名前は?」
「……花沢ルマ。あなたは?」
「見合いをしにきたんじゃないんだ、俺の名前なんてどうでもいい。それよりもあんたにはまだ聞きたいことがある」
「なによ?」
「俺が仕留めたKBは最初にお前らを襲ったのと同一個体か?」
「えっと……多分違うと思う。最初に見た奴の方が大きかった」
「だろうな。となるとやはり……」
そう言ったきり男は何かを考えこむように黙ってしまう。その一方的な態度は相変わらず腹立たしいが、だからといってどうこうできるものでもない。
「ねえ、ちゃんとわかるように話してほしいのだけど」
「教えたところであんたに何ができる?」
「私だって研究者なの。あなたにとっても有益な情報を提供できるかもしれない」
男の視線が私の瞳を捉える。私だって樹海に入るにあたって必要な情報は可能な限り集めてきた。戦力にはならないにしても、足手まとい扱いされるのは心外だ。男は視線をそらさず、そのままゆっくりと口を開く。
「……いいか、今回の襲撃は偶発的なものじゃない。おそらく奴の仕業だ」
「奴って……?」
「KBの生みの親、人工知能タカヒムスヒだよ」
「まさか、そんな……!」
今から約20年前、日本の自然環境の包括的な管理と調整のために創り出されたのが自律型環境保全システム『タカヒムスヒ』だった。人間からの直接的な指示を受けることなく、開発や気候変動に対応して生態系を保全し美しい自然を維持し続ける。タカヒムスヒはわずか数年で荒れ果てていた日本の山林を再生させ、同時に各地の獣害も激減させてみせた。そして誰もがその力を信じて疑わなくなった時、突如として人類に牙をむいたのだ。
「調査隊の侵入を検知した奴は通信を妨害し、異物を排除するために刺客を放った。今までも何度かあったことだ」
「でも、そうとわかってるならなぜ……!」
「他に手の打ちようがないからだよ。何度焼き払ってもすぐに樹海は再生する。すでに土壌すらも汚染されつくしているんだ。そして無尽蔵に生み出されるKBどもが着実にこちらの戦力を奪っていく。もう多少のリスクは受け入れるしかない状況なんだよ」
「そんな……」
「これは生存競争だ。あのいかれたAIは俺たちを滅ぼすまで止まらない。だから俺たちも歯向かうものは皆殺しにするしかない。それだけの話さ」
男の言葉は冷淡で、それでいてどこか投げやりでもあった。常に戦場で命を危険に晒してきた者にとっては、それはごく当たり前の感覚なのかもしれない。けれどそこには私にとって承服しがたい誤謬が含まれていた。それを指摘したところで何かが変わるわけでもないことはわかっている。それでもやはり私は黙っていることはできなかった。
「……確かに表面的にはこれは争いに見えるかもしれない。けれど自然界においてはただの調整に過ぎないの。少なくともタカヒムスヒはそう考えている可能性が高い」
「……なに?」
男の視線は鋭く冷たい。だがそこにはわずかだが興味と好奇心の片鱗が覗いている。しばしの沈黙の後、男は静かに告げる。
「どうせ夜明けまでは暇なんだ。花沢先生の講義を拝聴するとしよう」
「そりゃどうも」
私は一呼吸おいて、タカヒムスヒに関する一つの仮説について話し始める。
タカヒムスヒはまず都市のインフラに干渉して混乱を起こし、同時に通信網を遮断した。人々は社会という群れから一時的にはぐれてしまったのである。そして水道を通じて毒物を散布し彼らを一網打尽にした。空白となった都市にはやがて草木が芽生え瞬く間に人間の生活圏は侵蝕されていった。そうして拡大し続ける樹海を守るために遺伝子改造によって生み出されたのがKBである。
なぜタカヒムスヒが人類への刺客として熊を選んだのかについてはいくつかの説がある。単純に日本の山林に生息している動物の中で最も強靭だったからという理由もあるだろう。しかしそれ以上に熊は山における頂点捕食者であり、食物連鎖における調整者である。タカヒムスヒはその役割を山の外へと拡大したに過ぎない。中部地方から北関東に続く一帯を占拠されたことで日本は南北に分断され、今や池袋以北は完全に彼らのテリトリーになっている。
この一連のタカヒムスヒの暴走の原因については未だに確定的な答えは出ていない。しかし今まで正常に作動していたものが急に何かのきっかけでおかしくなってしまった、というのは考えづらい。むしろそれは目的の達成を優先するあまりタガが外れてしまった、という方が近いだろう。あくまで推測の域は出ないが、タカヒムスヒはバグやエラーではなく、そのシステムの役割として人間を駆逐しようとしたのではないか。つまり環境保全と生態系の維持のためには人間を減らすしかない、という結論に至ったのだとしたら——
「それがあんたの言った調整か」
「人間も動物でありその行動は常に自然界に影響を与え続けている。しかしタカヒムスヒに全てを任せたことで、人類はそのことに対して無自覚になり過ぎた。その結果として私たち人類も、管理・統率されるべき種の一つとして認識されたのだとしたら……」
「自業自得ってことか。だとしても大人しく従ってやる義理はないがな。……あんたもそう思ったからこそここにいるんだろ?」
男は小さく鼻で笑って目を閉じると、今度こそじっと黙り込んで何も話さなかった。
何か激しい音がして私は思わず目を開ける。目の前には誰かの足がある。
「起きろ、もう夜明けだ。結局護衛とは連絡が取れなかった。まあまず間違いなく死んでるだろう。もうここにいる意味もない、とっとと戻るぞ」
朦朧とする頭で私は状況を整理する。結局コンクリートの床の上では大した休息もとれなかったが、これでようやくこの危険地帯から去ることができる。多少の気怠さはあるが立ち止まっている場合ではない。私は体を起こしながら男に問いかける。
「歩くのも面倒だし、やっぱり乗せてもらえない?」
「はっ、冗談を言う余裕があるなら徒歩で大丈夫だろうよ」
そもそもマタギは搭乗者と機体を神経接続することで感覚的に操縦しているものだ。二人乗りは不可能だし訓練を積んでいない私が乗っても動かすことはできない。ここから新宿の基地までまだ距離はあるが、道中の安全は神とこの男に頼るしかない。——やはり機械に神と同じ名前など付けるべきではないのだろうな、と私は当時の開発者たちを呪った。
マタギの誘導に従いながら私はただひたすら廃墟と化した池袋を歩いて行く。まだ辛うじて樹海化してはいないが、もはやここは人が安心して暮らせる土地とは言えないだろう。それでも新宿と樹海の間の緩衝地帯としてここは失うわけにはいかない場所だ。しかしそうなると今回マタギを二機も失ってしまったのはかなりの痛手だろう。もしまたあのKBが襲撃してきたら——。私ははっとして自分の不吉な予想を振り払う。今はとにかく自分が生きて帰ることだけを考えなければ。
『……止まれ』
「え?」
マタギから男の声が響く。無線しかできないのかと思っていたが、どうやら直接会話する機能も備わっているらしい。……じゃあ昨日はただ単に私と話したくなかっただけってこと? 徐々に湧き上がる私の怒りをよそに男は淡々と告げる。
『レーダーに反応あり。恐らく補足された』
「それって……!」
『あんたはどこかに隠れてろ。俺が仕留める』
どうやら男は単機でKBと戦うつもりのようだ。確かにこの男は相当な強者ではあるのだろうけど、なんだか言いようのない嫌な予感がする。彼はあの襲撃が偶発的なものではないと言った。だとすればこの状況にも同じことが言えるはずだ。
その時少し離れた所で何かが崩れるような音がした。私は息を飲んで車道の先を見つめる。地響きのような音と共に何かが近づいてくる。
『……やっぱりな。来ると思ったぜ』
ビルの陰から姿を現したのはマタギの倍はあろうかという巨体を持つ赤黒いKBだった。それはまさに襲撃を受けた時に私が垣間見たあの化物だ。
「間違いない、私たちはあいつに襲われたの……!」
『あれは特殊個体:Venom、MATAGIの有機装甲を破壊する壊死毒を全身に持った悪魔だ』
男がそう言うとマタギの後背部のブースターが熱を放ち始める。それに呼応するかのようにKBもまたこちらに向かって突っ込んでくる。
『今度こそ終わらせてやる……!』
マタギは大地を蹴りアスファルトを削りながら右腕に装備されたチタンブレードでKBへと切りかかる。KBはそれを避けるわけでもなく正面から受け止めた。刃はその赤黒い毛皮に食い込み、しかし肉を裂くには至らない。KBの体毛は合成繊維にも匹敵するほどの強度を持っている。その防御力もまた生物の常識を遥かに凌駕しているのだ。
動きの止まったマタギに向かってKBの凶悪な爪が振り下ろされる。後ろに飛び退きつつブレードでその一撃を防いだマタギだったが、次の瞬間には甲高い金属音と共にブレードが粉々に砕け散る。それでもマタギは怯むことなく左腕を突き出し電撃杭を相手の鼻っ面に叩き込んだ。迸る閃光が崩れかけたビルを白く染め、鮮血がひび割れたアスファルトを濡らす。
だが勝敗はまだ決していなかった。ギリギリと何かが軋むような耳障りな音が響く。KBは突き出された電撃杭をその牙で受け止め噛み潰していた。すると今度はマタギの左腕に亀裂が入り肘の辺りからへし折られてしまう。引きちぎられたコードから滴る茶色い液体はまるで血のようにも見える。
『ちっ、化物が……!』
互いに手傷を負いながらも巨獣と巨人は静かに睨み合う。——次の一撃で勝敗が決まる。なぜだかそんな予感がした。
先手を打ったのはマタギだった。ブースターを全開にして一気に距離を詰め、その勢いのまま拳をKBの顔面に叩きつける。何かが砕けるような鈍い音と共にKBの体が大きくよろめく。しかしその巨体が大地に倒れ伏すことはなかった。大きく薙ぎ払われたKBの爪がマタギの胸部装甲を抉り取る。続けざまに右腕に噛みつき、ほんの数秒でそれを噛み千切った。機体は制御を失い、膝をつくように崩れ落ちる。これでは、もう——
そう思った時、マタギのハッチが開いた。
「獣の王は、お前じゃない」
乾いた銃声が廃墟と化した街に響き渡る。ハッチから身を乗り出した男は、KBの左目を正確に撃ち抜いていた。唸り声をあげてKBが男に襲いかかろうとしたその刹那、撃ち抜かれた目から、黒々とした鼻や半開きになった口から、ごぼりと大量の血が溢れ出す。のたうち回るように苦しむKBを冷ややかに見つめながら男は告げる。
「毒を以て毒を制す、それはお前らの体組織を破壊する猛毒だ。一発しかない試作品だが、特別にくれてやるよ」
数秒もすればKBは全身から血を垂れ流し、そのまま冷たいアスファルトの上で動かなくなった。これは種の存続をかけた競争か、それとも自然の摂理の一部なのか。私には答えはわからない。確かなことは、今日生き残ったのは我々だということだけだ。男は拳銃をその場に投げ捨てると私の方へと歩み寄る。
「あいにくこれで俺もただの人間だ。生き残るためにはどうすればいいか、先生はわかるかな?」
「まさか……」
「死にたくなけりゃ死ぬ気で走れ! 行くぞ!」
迫りくる死の恐怖に駆り立てられるように私たちは走り出す。きっと生きるっていうのは本来はこういうことなんだろう。私は人間という獣として、ただそこにいた。
獣の王 鍵崎佐吉 @gizagiza
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