何てことのない日に

惣山沙樹

何てことのない日に

 陽太ようたとの出会いはゼロ歳のときだったらしい。当然覚えちゃいない。俺たちは同じ保育園に通う幼馴染だった。

 母親同士が仲良くなり、週末に互いの家に行き来するようになり、家族ぐるみの付き合いをしていたわけだが、それが大学生になってまで続くとは、当時の誰もが思わなかっただろう。


嵐士あらし、次の講義どうする? サボる?」


 身長がむくむく伸びて、百八十センチ以上になった陽太は、俺の頭をわしづかみにしながら聞いてきた。小学生の頃は、俺の方が高かったのにな。


「出る」

「真面目だねぇ嵐士は」

「で、お前はどうすんの」

「嵐士が出るならおれも出る」


 そうして連れ立って大教室に行った。一般教養の授業だ。人数が多いから出席も取らないし、寝ていたり内職していたりしても怒られない。加えてテストの内容も毎年同じだという噂だ。単位稼ぎだけがしたい生徒にはもってこいだった。

 しかし、俺はこの教授の授業が面白いと思っていた。度々脱線して教授の若い頃の話を聞かされるのも悪くない気がしていた。

 陽太は授業の最初から終わりまで、俺の隣で眠りこけていた。金髪頭が、かくりかくりと揺れ、寝息すらたてていた。

 ベルが鳴っても陽太は寝ていたので、俺は揺さぶって起こした。


「ん……嵐士?」

「もう終わったぞ」

「マジで? もう終わったの? 全身麻酔かけられてた気分だわ」


 陽太は足を骨折して手術したことがあった。中学生の時だ。俺は毎朝付き添って登校していた。物を運ぶのも全部俺がやった。そうやって彼の世話ができることが嬉しかった。

 その時くらいからだろうか。陽太を特別な存在として意識するようになったのは。

 周りの奴らが彼女ができたやら何やらで浮き足立ち始めたとき、陽太もそうならないかヒヤヒヤしたものだ。幸い、そんな兆候はなく、俺たちは男同士でつるみ続けていた。


「嵐士、とりあえず一服しよう」

「はいはい」


 俺は陽太につられてタバコを吸うようになっていた。最初は嫌いだったのだが、彼と少しでも一緒に居たくて喫煙者になったのだった。

 火をつける様子を盗み見る。二重まぶたで少し垂れた人懐っこそうな目。すっと通った鼻筋。この顔で女の子と縁がないというのは奇跡的だ。

 紫煙を吐き出し、陽太が聞いてきた。


「これからどうする? メシ食って帰る?」

「そうだな。ラーメンでも行くか?」

「いいよ」


 何てことのない毎日。陽太と一緒の日々。それを続けていけるのならそれでもいい。でも、いつか終わりが来る。彼にもいつ好きな人ができるかわからない。それか就職で離れ離れになるか。

 それならば、いっそ今日言ってしまおう。何てことのない普通の日に。そう思いながら、俺はラーメンをすすっていた。そのうちに、日はとっぷりと暮れていた。

 電車に乗り、それぞれの家までは歩いて十五分といったところだ。その途中に、遊具のないベンチだけの小さな公園があった。


「陽太、もう少し話していかないか」

「別にいいけど」


 自販機でホットコーヒーを買い、爽やかに吹き始めた秋の風を受けながら、俺は切り出した。


「なあ、陽太。ずっと黙ってたことがあるんだけど」

「えっ、マジで? おれに?」

「うん。言ったら友情が壊れると思ってたから今まで打ち明けなかった。俺、陽太のこと好きなんだよね」


 陽太は大きな目をぱちくりとしながら、俺の瞳を射抜いてきた。


「……おれも好きだけど?」

「俺の言ってるのはさ。その、男として好きだってこと。友達としてじゃなく」

「そういうこと?」

「うん」


 今日が二人でいられる最後の日かもしれない。それでも良かった。くすぶった想いをぶつけられたのだから。もう俺は断られることを前提に身構えていた。

 陽太はタバコに火をつけ、飲み終わったコーヒーの缶を灰皿代わりにし始めた。何も答えない。俺もならって自分のタバコに火をつけた。沈黙に耐えきれなくなり、俺は言った。


「ごめんな。気持ち悪いよな。友達だと思ってた奴にそんなこといきなり言われてさ」

「気持ち悪くは……ないよ。ただ、びっくりしただけ」


 とても陽太の顔は見られなかった。俺は深く呼吸した。二人分の煙が、夜空にとけていった。俺はそれを見つめていた。陽太も深く息をついた。そして、謝ってきたのだ。


「ごめんな。頭いっぱいいっぱいなんだ。さっきも言ったけど、おれは嵐士のことが好き。でも、その好き、ってどういう好き、なんだろうって……考えると、自分でもわかんなくなっちゃった」


 俺は思い切って言った。


「じゃあさ、俺とキスできる?」

「えっ……」


 ようやく視線が絡み合った。陽太は眉を下げ、叱られた大型犬のような表情をしていた。俺は口角を歪に上げた。


「できないだろ? そういうことだよ」


 そして、立ち上がった。さようなら、大好きだった幼馴染。もう俺たちは友達じゃいられない。俺は足を踏み出した。


「待てよ!」


 陽太が俺の腕を掴んだ。


「離せよ」

「離さない」


 そして、俺はぐっと陽太の身体に引き寄せられた。


「……できるよ」


 唇を、奪われた。俺は陽太を突き飛ばした。


「陽太っ……!」

「ほら、できた。やっぱり、柔らかいんだな、キスって」


 俺は握りこぶしを作り、陽太を見上げた。


「バカ。何も本当にしなくても」

「おれさ、やっぱりまだ、自分で自分の気持ちがよくわかんないの。だから、確かめていい? もう一度、キスしよう?」


 こうなりゃやけだ。俺は陽太の服の裾を掴み、舌で奥へとこじ開けた。さすがに嫌がるだろうと思っていたのに、陽太の舌は応えてきた。ちゅぱちゅぱと音をたて、長いキスは続いた。


「……ぷはっ」


 離したのは、俺からだった。陽太は目をとろりとさせ、今にも膝から崩れ落ちそうだった。俺はさっと彼の身体に手を添えた。


「なんか、思い出すな。おれが足の骨折ったとき」

「……そうなのか?」

「よくこうして支えてくれたよな。めちゃくちゃ嬉しかった。嵐士を独り占めできた気分だった。松葉杖が取れるの、ちょっと寂しかったんだぞ?」


 陽太は俺の背中に手を回し、胸をくっつけてきた。


「おれさ、嵐士への好き、がなんなのか、まだちゃんと答えは出てない。でも、さっきのキスは気持ち良かった。嵐士とじゃないとあんなことできないって思った。なあ、もう少し時間、くれないか。頭が整理できるまで」

「ああ……いいよ」


 そっと身体を離すと、陽太はまばゆい笑顔を見せた。


「嵐士。手、繋いで帰ろう。子供のときみたいにさ」

「それはちょっと……恥ずかしくないか?」

「誰も見てないって。いいじゃない」


 まだ確かな答えをもらったわけじゃない。でも、この胸の奥に宿った熱は。手と手の温もりは。ここに、確実に存在している。

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何てことのない日に 惣山沙樹 @saki-souyama

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