瓦礫に咲く
わちお
第1話
『お母さん!今の見た?!逆上がりできたよ!』『うん、見てたよ。すごい!』『えへへ、やった。はじめてできた』
ここへ来ればいつも思い出すのはこの記憶だ。とある小さな公園。あるのは鉄棒とブランコと滑り台だけ。しかし幼かった私にとっては充分すぎる遊び場だった。今やこの公園からも、かつての和やかな雰囲気は消え去った。枯れ果てた植物、ひび割れた土、腐敗して切れているブランコの鎖、そして私が逆上がりをした鉄棒は苔で覆われている。
もうこの街には誰もいない。人の姿は消え、代わりに自然が人の営みの痕跡を少しずつ覆い、分解していった。私の家族も、友達も、そうやって自然の脅威によって分解された。あの日、あの時間、私達の前に当たり前にあった平穏は突如発生した巨大地震によって壊され、押し寄せる海水によって全て流されて私の前から消えた。お父さんやお母さん、友達もみんな建物に潰され、海にさらわれた。その日から私は独りのままだ。きっとまだ私はその現実を受け入れられていない。だから頻繁にこのからっぽの街に訪れては思い出の場所を巡っていた。こんなことをしても、傷つくことしかないのはわかっているのに。何も考えずしばらく歩いた、足は自然とここへ私を導いていた。とある建物の屋上。私だけの秘密の場所。そこからは見下ろす街も、見上げる月や星も、私が日々神経をすり減らしながら惰性で生きている世界と同じとは到底思えないほど綺麗に映った。だから私はここにいる時間が大好きだった。どんなに冷たく汚い世界でも、ここから見れば美しく見えたから。ふと、屋上の脇にある花壇に目を向ける。そこにあったのは綺麗な花だった。これ、確かアネモネという花だ。
『お母さん!ここに植えよ!ここ!』『そうね、そこに植えましょう。ほら、あなたの分も』『あ、ありがとうな。アネモネ、か。聞いたことなかったな。写真を見たところ綺麗な花じゃないか』『ねえ、おはながでたらまたこよう?』『もちろんよ。忘れちゃだめよ?』『うん!』
私はそんな記憶に耐えることができなかった。我慢して、感情に蓋をして過ごしていたが、限界だった。涙で歪む視界の中でアネモネの花の色だけが鮮明に映った。
「お父さん、お母さん...」
もうわからなかった。前を向く方法も、どちらが前なのかも。だから今は、せめて今だけはここで泣いていたかった。もう戻らないはずの思い出に身をうずめて、嫌でも過ぎていく日々に取り残されていたかった。震災の後を思わせるようなガラスの破片がそこら中に落ちていた。そこに汚くこびりついていた海水の跡、その上から流れてきた綺麗な涙によって、ガラスの破片は少しずつ洗われていった。
瓦礫に咲く わちお @wachio0904
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