最終話 二人
時は十一ヶ月たち、2023年10月になった。私の誕生月だ。
「おはよう」
私がキッチンから声をかけると、悠真は大きな伸びと欠伸をした。
「あ、誕生日おめでとう」
彼はリビングのソファーに座りかけたが、思い直し、すぐに私のもとに寄ってきた。
「お皿、運ぶ?」
「お願い」
私は目玉焼きの皿とご飯茶碗を渡した。
セックスレスを回避し、斉藤玲奈との出会いも回避し、二人の関係は良好だった。仕事から帰宅後、背広や靴下も放り投げたりしなくなった。
「本当に、誕生日プレゼントはいらないのか?」
悠真が聞いてきた。彼はアクセサリーや指輪を購入しようと提案してきたが、私は断った。
「いいの。もっと大切なもの貰うから」
「え、なんだよ。それ」
彼は苦笑した。
「変なことじゃないよ。二人がもっと仲良くなるおまじないみたいようなもの」
私は笑顔で誤魔化し、お味噌汁をリビングのテーブルに運んだ。
「そうか。わかったよ」
夫はまた大きな欠伸をした。
「今日は営業先から直帰する予定」
「わかった。私は色々あるから、少し遅くなるかな」
私が言うと、悠真は、
「了解」
と応答した。
夕方、私は予約していたケーキを取りに行った。自宅マンションとは別に私個人で契約しているアパートに寄り、必要な荷物を運ぶ。
「ただいま」
私が玄関のドアを開けると、既に悠真は帰ってきていた。
「おかえり。お、なに、その荷物?」
私がもっているキャリーバッグを見て、彼は言った。
「これは私の大切なもの」
私は満面の笑みで答えた。
「俺よりも?」
悠真は冗談めかした。
「あなたのほうが大事に決まっているでしょ」
私はバシバシと彼の肩を叩いた。
「さ、夕食の用意しよう」
荷物を寝室に置き、私と悠真は部屋着に着替えると、共にキッチンに立った。惣菜を買ってきているので、お皿に盛りつけるだけで済む。
「なあ、そろそろ、いいんじゃなか?」
お皿を置き、テーブルに座ると、彼が切り出した。
「そろそろって?」
私はとぼけた。
「子供だよ。ずっと避妊しているけど、そろそろ欲しいなって」
悠真は目を伏せた。
「誕生日にその話? お義母さんに何か言われたの?」
私が見つめると、ばつが悪そうに彼はサラダを食べた。この話はもう止めた方がよさそうだ。
「このチキン、美味しいね」
私はタンドリーチキンを咀嚼した。
「うん」
悠真は力なく頷いた。
「ひじきもどうぞ」
私は彼に勧めた。鉄分は大切だ。これは昨夜の作り置きで、しっかりと鉄鍋で調理してある。
食事を楽しみ、惣菜が少なくなってきたので、
「そうだ。ワインも呑もう」
私はケーキと赤ワインを出した。彼がキッチンからグラスを持ってきてくれた。私はアルコールが強い方だが、悠真はそれほど強くない。誕生日ということで飲酒に付き合ってくれるようだ。
赤ワインを注ぎ、
「乾杯」
グラスを高く掲げた。口内で転がしてから飲む。
「ところで、悠真、浮気していないでしょうね?」
私は探るような目で彼を見た。
「しているわけないだろ!」
彼は心外そうに唾を飛ばした。タイムリープ前の彼は不誠実だったが、今の彼はまだ不倫の傾向はなかった。
「美味しい」
ワインはお互いに注ぎあい飲んだ。私が頻繁にワインボトルを傾けるので、悠真はあっという間に酔いが回ったようで、目がとろんとしていた。
そろそろ頃合いだと思った私は、彼の外したネクタイを手に取った。
「ねえ。お願いがあるの」
私は悠真の後ろに立った。彼は眠そうにリビングの椅子に座っている。
「な、なに?」
彼は呂律の回らない声で聞いた。
「プレゼントなんだけど、私、欲しいものがある」
「うん」
いまにも寝てしまいそうな感じで彼は目をシパシパしていた。
「私たちが結婚する前の、付き合って一年くらい、つまり四年前くらいに戻って、イチャイチャラブラブしたいな」
私は笑顔で言った。
「うん。それはいいかもね」
彼は首を傾げて答えた。
「約束ね。私だけ、これからも愛してね」
私はネクタイを悠真の首に巻き付け、最大限の力で締め上げた。
悠真は「どうして」というふうに目を剥き、私を凝視する。手を緩めず、バタバタする足が止まるまで絞め続けた。止まってからも念のため一分ほど待った。
実際には数分の出来事だが、私には何時間にも思えるくらい長く感じた。
呼吸も脈も止まっているのを確認すると、私は次の作業にとりかかった。夫を風呂場に移動し、用意していた魔法陣とろうそくをリビングに置いた。
悠真は身長175cmで体重は74kgある。単純計算すると、血液は約5.5~6リットルほどあるはずだ。夫が四年前に遡るには充分だ。
*
悠真のタイムリープ処理が終わり、私は彼をリビングのソファーで横にした。次は私の番だ。
寝室に置いたキャリーバッグをリビングに移動し、新しい魔法陣とろうそくを準備する。中の荷物は私の血液だ。十一ヶ月分なので、3.3リットルほどの量はあるが、四年前に戻るにはまだ足りない。
キッチンから果物ナイフをもってきた。魔法陣を置き、四隅に立てた蝋燭に火を灯した。準備は万端だ。
私はソファーで横たわる青白い彼を見ながら言った。
「今から行くからね。たっぷり、愛し合おうね。私が、あなたをちゃんと調教してあげるから――」
浮気夫をタイムリープで調教します むらた(獅堂平) @murata55
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