第5話 玲奈とレス
私は三ヶ月と一週間をかけて自分の血を集めた。毎日注射器を使って血を抜き、パウチパックで冷凍保存した。悠真は料理をしないので殆ど冷凍庫を確認しない。怪しまれることもない。
最初は問題なかったのだが、しばらくして貧血症状になり、食事改善をして鉄分を多く摂るようにした。特にきつかったのは生理の時だ。いつも以上に腹痛と頭痛が酷くなり、何度か仕事を休んだ。
「よし」
私は冷凍庫に入っていたパウチパックを並べた。すべて私の血液だ。全部で102パックある。余裕をもって集めたので、1Lは超えるはずだ。
今日は平日だ。血液の解凍が完了する時間帯に悠真は帰ってこない。私は有給をとってある。
「ふふふ」
私は笑っていた。すでに魔法陣は赤く染まっている。私の血液で染めた。同じように、悠真も私色に染めあげるからね。
「プッザイラ」
ろうそくに火をつけ、呪文を唱えた。いつもの暗転が訪れた。
ジイイイという音で闇が無くなった。タイムリープ完了だ。
「問題は、いまがいつか……」
私は街中に立っていた。周りの服装を見るかぎり、季節はタイムリープ前と変わっていないようだ。
私はスマートフォンを開いた。にやりと笑った。
2023年2月と表記されている。私が初めてタイムリープしたのは11月で、血液を集めてタイムリープを実行したのは2024年2月だ。
私は一年前へのタイムリープに成功したのだ。
考えをまとめようと思い、私は近くのカフェに入った。
「ご注文はいかがなさいますか?」
張り付いた笑顔のような店員が聞いた。私はホットのドリップコーヒーとスコーンを注文し、カウンターに座った。
タイムリープできたものの、問題は山積みだ。まず、セックスレスの原因になったのは今より三ヶ月前、2022年11月の出来事だと思われる。次に、夫が不倫を始めたのはセックスレスになってから半年後、つまり、現時点から約二ヶ月後のことと思われる。
果たして阻止することはできるのだろうか。どこで出会ったかわからないので、当分は悠真を尾行する必要があるかもしれない。
「そうだ」
私は斉藤玲奈のSNSアカウントを覗いた。他愛もない呟きばかりだが、目を引く内容があった。
『4月のブルーパイナップルのライブ、楽しみだな』
ブルーパイナップルとは、十代二十代の若者を中心に人気のあるロックバンドだ。悠真も好きなはずだ。
「そういえば、同じ月にライブに行っていた」
思い返せば、その後から女の匂いがするようになった。出会いはライブ会場で間違いないだろう。
「だとすれば、二人が出会わないようにすれば」
私は首を捻って思案した。
二人が出会う日、ライブがある2023年4月になった。その間、私は注射器で血液を抜いて貯めていた。2022年11月に戻る分は確保できていた。
ライブ会場で待ち伏せする必要はなかった。私は風邪をひき、無理やり彼を引き留めたのだ。
「ごめんね。行きたかったのに……」
私がしおらしい態度をとると、
「大丈夫」
と言ってくれた。
タイムリープで色々と根回しをしているおかげか、彼は元の世界よりも優しい。
翌日、斉藤玲奈のSNSを確認したところ、呟きの内容が変わっていた。悠真と出会わなかったことによって、帰りの電車内で痴漢被害にあったようだ。
私は「ざまあみろ」と笑いながら、魔法陣を用意した。
次は2022年11月にタイムリープした。セックスレスの原因となってしまった月だ。
ある日、私は仕事が終わり、疲労困憊で自宅に戻った。いつも以上に業務トラブルが多く、相変わらず血を抜いている私には心身共に厳しかった。
「ただいま」
「おかえり」
悠真はにこやかに声をかけてきた。彼は定時に帰れたようだ。珍しく、夕食も用意してくれていた。
悠真はカルボナーラパスタを作っていた。タイムリープ後、何度か料理を教えてはいたが、自主性がでてきたようだ。
「あのさ、今日、しない?」
食事後、彼が言った。私は驚いた。求められたのが久しぶりだったこともあるが、これが最後の性交渉の日だったことを思い出した。
「いいよ」
快諾した。
私、悠真の順にシャワーを浴びた。ベッドの中で胸の鼓動が高鳴っていた。失敗しないように、セックスレスの原因を作らないよう願った。
「お待たせ」
悠真が寝室に現れた。不倫女と出会っていない彼はとても素敵に見えた。私だけの悠真だ。
彼は気持ちがはやったのか、すぐにむしゃぶりついてきた。私は大げさなくらい感じたフリをして、彼のプライドを傷つけないように細心の注意を払った。
しかし、肉体のせめぎ合いはすぐに終わってしまって、私は拍子抜けした。ものの10分も経っていない。その時、私は、
「これ――」
言いかけて、口を閉じた。そうだ。私は前の世界で「これで終わり? たったこれだけ」と言っていたのだ。この言葉がプライドを傷つけたに違いない。
「よかったよ。ありがとう」
私は彼の頬にキスをした。悠真の顔はほっと安心した表情をしていた。
翌日も、彼は私を求めてくれた。
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