第04話 迷い猫、水族館、温泉

 「ミャー、ミャー」という、掠れた声が聴こえてくる。まるで助けを求めている様な──

窓を開けて下を覗き込んでみると、引っ越しの際に母猫と逸れてしまったであろう、茶トラの子猫がアパートの裏で泣いていた。

僕は以前の自分を思い出し、自然と涙が溢れた。そんな姿を見たミキさんが言った。


「お母さん猫が探しに来るまで、ウチで面倒見よっか──」

「うん……っ!」


 何日、母猫を探して泣き続けたのだろう。声が酷く枯れてしまっている。

野良猫は、たまに一家で引っ越しをする。その際に子猫が逸れる事がある。

それは運命のイタズラだったり、人間からの誘拐だったり──


 目的地に着いた母猫は子供の数を確認する。そこで数が足りなくなっている事に気付くと探して周る。

喉が潰れて声が出なくなるまで子供を呼び続け、長い時間が経つと諦めてしまう。

 母猫が狩りやパトロール等で縄張りから離れている間に子猫を攫って行く人間も多い。

田舎では良く見られる光景だ。


 猫の家族は基本的に、子は無償で母に愛され、母を愛した子供達が居る。

そんな家族が、心無い人間に因って引き離されてしまう。

他人事とは思えない、とても悲しい事だ。自分の立場で考えれば解る筈なのに──


 僕は命の値段を決めて、命を売買するペットショップというものが嫌いだ。

良くある無責任な譲渡もそうだ。そういう動物達がどんな運命を辿るのか、譲渡した側は考えもしないだろう。

 動物虐待というのは、無償で手に入れた雑種の犬猫に多く見られる。

逆に正規購入した血統書付きの犬猫は虐待が少ない。人間が付加価値を決めた為だ。


 色んな思いが胸中を血液の様に廻り、ミキさんが問いかけた。


「この子の名前、どうしよっか?」

「──ねこまる……」

「えっ?」

「ネコ丸!」

「こ、個性的なネーミングセンスだね、ソラ君……。でも、可愛いね!」

「うんっ!」

「私、コンビニでキャットフードと猫砂買ってくるね。お留守番お願いね」

「はーい」


 暫くの間、家にあったスーパーボールでネコ丸と遊んだ。

嬉しそうに、ボールを追いかけてピョンピョンと跳ねている。

少しは、寂しい気持ちが紛れたかな──


 ガチャ──

ミキさんが大荷物を持って帰って来た。色んなオモチャもある。


「ふぅ……重かったぁ」


 ネコ丸は興味津々で、スンスンと匂いをチェックしている。


「ミャーー!」

「お腹空いたかな? ちょっと待ってね~」


 ミキさんは買ってきた二つのお皿を洗って、猫缶と水を入れた。

ネコ丸は余程お腹が空いていたのか、唸り声を上げながらガツガツ食べている。

 僕も2、3ヶ月食べられなかった時期があったから、良く解る。

人間の場合は1ヶ月も断食すると慣れて何も感じなくなるけど、きっと猫は違う。生存本能が強いからだ。


 きっと、この子とは短い付き合いになると思う。

それから毎日、喉を枯らしながら歩いてる成猫が居ないか、窓からチェックするのが日課になった。


「お母さん猫……生きてるかな……」

「ミャーー」


 ネコ丸との出逢いから、一週間が経った。

僕達は毎日、玄関でミキさんの帰りを待った。


「ただいまー。あはは、今日も可愛い子猫が二匹で待ってるね」


 帰って来たミキさんは疲れを隠しながら、僕のネコ丸の頭を同時に撫でてくれた。

3人でご飯を食べた後、色んなオモチャでネコ丸と遊んだ。

 すっかり元気を取り戻した様だ。あんなに瘦せ細っていたのに、今では少しぽっちゃりしているくらいだ。

お母さん猫、元気にしてるかな──


 それからまた一週間が経ち、まだ来ない、今日も来ない、明日は来るかな──と、ネコ丸と一緒に窓を眺め続けた。

ある日曜日のお昼時、いつもの様にネコ丸が猫じゃらしを咥えて持ってきた。遊んでほしいらしい。

僕が猫じゃらしを手に取った時だった──


「に゛ゃ゛ー! に゛ゃ゛ー!」


 アパートの近くで、潰れた喉で鳴く成猫の姿が窓から見える。

きっとあの猫が、ネコ丸のお母さんだ──

僕はネコ丸を抱えて、急いで連れて行った。


「ソラ君、何処行くの!?」


 只事ではない様子を見て、ミキさんも慌てて付いて来る。

外に出ると鳴き声が鮮明に聴こえる様になって、呼応する様にネコ丸も泣き始めた。


「ミャー! ミャー!」


「に゛ゃ゛ー! に゛ゃ゛ー!」


 僕は少し離れた位置から、ネコ丸を送り出す。

オモチャを追いかける時以上の速度で、お母さん猫の下へと走って行った。

 お母さん猫がこちらをチラッと見ると、警戒心の中に安堵が見える。

その後も2,3回こちらを振り返りながら、猫の親子は去って行った──


「良かったね……ネコ丸……良かった──」


 ミキさんの涙声が震えてる。

やっぱり、愛し愛された親子は一緒に居るのが一番だ。


「そういえばネコ丸──女の子だったね」

「……うん」


 ネコ丸は、将来どんなお母さん猫に成るんだろう。

身勝手な人間に捕まって、子供を埋めない身体にされない事を、僕は只管に願った──


 ──ネコ丸との別れから数日が経ち、僕の胸の中はポッカリと穴が開いていた。

そんな僕を見て、ミキさんとマヤさんは『茂加水族館』という小さな水族館に連れて行ってくれた。


 水族館には、蒸発した父親との思い出がある。

長い時間をかけ、新潟市の水族館に連れて行ってくれた父親。

 ヒトデを触れる空間があって、幼少期の僕はヒトデを持ち上げた。

結構ずっしりとしていて、硬かったのを憶えてる。


 昔を懐かしんでいると、あっという間に一周してしまった。

僕はクラゲを眺めているのが好きだ。クラゲには脳も血管も心臓も無いらしい。

神経の刺激だけで泳いでいるそうだ。不思議だ。

 何も考えずに生きられたら、どれだけ幸せだっただろう。

もしあの時、痛みを感じなかったら──


 でも今は、脳を持っていて良かったと心から思える。

ミキさん達と出逢って、人の温もりを肌で感じる事が出来たから──



 ──気が付くと僕は車の中で寝てしまい、目が覚めると『山古閣』という、物語に出て来る様な素敵な旅館に居た。

マヤさんが予約してくれていたらしい。僕達は、ご飯の前に温泉に入る事にした。

 時間が無いからと言われて、僕達は三人で一緒に貸切風呂に入る事になった──


「はぁぁ……気持ち良いね~」

「肩凝りが解れるわ~」

「…………」

「どうした、少年? のぼせたか?」

「ソラ君、顔真っ赤だよ!?」


 僕は鼻血を出して、気絶してしまった──


「ソラ君っ!」

「少年っ!」


 意識が遠のいて行く────


 ──目が覚めると、温かくて柔らかい枕の上で目が覚めた。

マヤさんが団扇で扇いでくれている。


「おっ。目、覚めたか?」

「ソラ君っ!」


 視界が良好になると、目の前にはミキさんの顔がある。

枕だと思っていたのは、どうやら太腿だった様だ。

慌てて飛び起きたら、ミキさんに思いっ切り頭突きをしてしまった。


ゴッ──


「いたぁっ!?」

「いっ!」


「──っぷ……くく……そんな、漫画みたいな……」



 マヤさんが必死に脇腹を押さえながら笑っている。


「あははっ! ほんと!」


 ミキさんも楽しげに笑っていた。

僕もつられて笑ってしまった。何年振りの事だろう──

最後に心の底から笑ったのは、父親が居た4歳の時だ。


「あははっ」


「「あっ!」」


「ソラ君が笑った!」

「笑ったとこ、初めて見た……」

「あっ……ごめんなさい……」

「もう、何で謝るの?」

「そうだぞ、良い事じゃないか」

「……はい」


「早くご飯にしよっ! お腹ぺこぺこだよ~」

「私もだ」


 二人とも空腹を我慢して、僕の目が覚めるのを待ってくれていた。

また幸せを感じられた。ネコ丸は、家族と幸せでやってるかな────




「ミャー!」


「ニャー」

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