【コミカライズ】もらわれっ子の悪役令嬢は、ただ猫と貴方を愛でる

木山花名美

もらわれっ子の悪役令嬢は、ただ猫と貴方を愛でる

 

「セリーヌ様が愛らしいかすみ草なら、カルディナール様、貴女は刺だらけの薔薇みたい。まるで小説に出てくる悪役令嬢ね」


 級友のご令嬢から放たれた言葉が、刺となって突き刺さる。

 ……仕方ないじゃない。生まれつきこんな顔なんだから。


 陶器のように真っ白な赤みのない頬。その顔を余計に強調する真っ黒な髪。

 珍しい深紅の瞳と、それを不気味に縁取る長い睫毛。

 その上には気の強さを強調するかの、つり上がった眉。

 他のご令嬢より頭一つ分高いこの身長も、彼女らに威圧感を与えてしまう理由らしかった。


 対して私の妹セリーヌは、白い肌に桃色の頬。その顔を柔らかく包むふわふわした金髪。

 誰が見ても美しい真っ青な瞳と、それを可憐に縁取る長い睫毛。

 その上には優しさを表すような、なだらかなアーチの眉。

 華奢で小柄で、同性でも守ってあげたくなる身体つき。


 私が近付くだけで、ビクッと身体を震わせ、その青い瞳を潤ませる彼女。

 ────どちらが悪役令嬢かなんて、一目瞭然だ。




 というか!悪役令嬢って大体何さ!


 傷付けられた心は次第に怒りに変わり、令嬢らしからぬ大股で、学園の廊下を闊歩する。

 令嬢達が引き波の様にささっと道を空けるのが視界に入るれど、もうどうでもいいわ。


「ですの」も「ですわ」も言ったことないし、誰かを貶したり見下したこともない。(多分)

 それに第一……私は本物のご令嬢ではないのだもの。



 ◇


 十年前、私は孤児院から、現在の父母であるアンリ侯爵夫妻に引き取られた。

 娘を病気で亡くし、次の子も望めなかった侯爵夫人は、喪失感を埋める為新しい娘を探し回っていたのだ。


 親戚筋など、身分の高い家から養女をもらう手段もあったが、夫人がこだわっていたのは目の色だった。

 亡くなった娘と同じ、珍しい深紅の瞳────

 それに当てはまったのが私。赤ちゃんの時、カルディナールと書かれた紙だけを手に、川岸に捨てられていたらしい子供だった。


 侯爵夫妻から多額の寄付を受け満足げな院長。その日から私への態度はガラリと変わった。

 行く理由もないが断る理由もなく、少ない荷物をまとめていると、大して話したこともない子供が急にすり寄って来た。


『カルディ、あなた……本当に言ってしまうの? あなたが居なくなったら、私淋しくて死んでしまうわ』


 ……誰?


 うるうると自分を見上げる青い瞳。

 そう、これが現妹セリーヌだ。


 私と離れたくないと涙を流すセリーヌに同情し、侯爵夫妻は彼女も養女に迎えることにしたのだ。

 流石、高貴な方は懐も深いわ。



 侯爵夫妻……父と母はとても人間性の高い方で、姉妹となった私達に平等に接してくれた。

 セリーヌが欲しがる物は私にも、私へと選んでくれた物は必ずセリーヌにも用意された。


 朗らかで人当たりの良いセリーヌと違い、無愛想で印象の悪い私。折角養女に迎えてもらったのに、申し訳なく思ったこともある。

 だけど、自分を見ながら「大丈夫よ」と愛しげに髪を撫でてくれる母が、私は大好きだ。

 例えそれが、私の瞳を通し実の娘を見ているのだとしても。



 噂というものは、時に曲がって伝わるもので……

 いつしか令嬢達の間では、私がアンリ侯爵家の本当の娘で、セリーヌだけが養女ということになっていた。


 健気な養女の妹を、実の娘である冷たい姉が苛めているという構図が見事に出来上がってしまったのだ。


 

 そうそう、養女の話を断る理由はなかったけれど、気掛かりなことは一つだけあったわ。


 孤児院で仲良くなった年下の女の子、キティ。

 くるくるした黒い巻き毛に、綺麗な緑の瞳。


『あなた、子猫みたいに可愛いのね』


 彼女にそう言ったのを覚えている。確かキティは私が付けたあだ名で、本当の名は何と言ったか……忘れてしまった。


 私達は二人とも猫が大好きで、孤児院の裏の野良猫達と、よく遊んでいた。

 自分達の食事やおやつの中から食べられそうな物を残し、痩せた猫達にあげていた。

 私と、キティと、猫。

 今思えば、普通で、平凡で……だけどかけがえのない時間だった。


 孤児院の門をくぐり、侯爵家の馬車に乗り込む時、キティの姿はなかった。

 子猫みたいに寂しがり屋だもの。きっと何処かで隠れてわんわん泣いていたに違いない。


 セリーヌみたいに泣いてくっ付いてくれたらよかった。そうしたら父と母は、キティのことも引き取ってくれたかもしれないのに。



 ◇


 さて、学園を出ると、私は馬車である場所へ向かう。

 嫌なことがあっても、必ず穏やかな気持ちになれる場所。


 路地を抜けた所にひっそり現れる小さな原っぱ。そこには……


 ニャー ニャーン


 かっ……可愛い……!

 小さな子、ふてぶてしい子、この間までシャーシャー威嚇してたくせにゴロゴロ甘えてくる子。

 みんな、みんな……可愛すぎる!!


 私はエプロンを締めると、鞄から猫達の食事を出す。どれも自分で猫達の月齢に合わせて調理したものだ。


 どの子もみんな可愛いけれど、私が今、一番気になっているのはこの子。

 痩せた小さな身体をひょいと抱き上げる。黒い少し癖のある長毛に、緑の綺麗な瞳。それはあのキティを思わせた。

 まだ生後一ヶ月ちょっとだろうか。少し前からよちよちと現れ、近くに親猫の姿はない。

 親なしで自然界で生きていくにはまだ小さ過ぎるし、カラスに襲われでもしたら……


 家で引き取れれば良いのだけど、セリーヌが猫アレルギーの為難しいだろう。

 ただでさえここへ来た後は、屋敷に毛を持ち込まないようにと気を遣うのだ。


 魚とミルクのペーストを食べさせ顎を撫でてやれば、私の手にすりすりとよじ登る。

 ああ……このまま連れて帰りたい。


「どうしようかしらね、キティ」


 

 その時だった。

 カサリと草を踏み締める音に振り返ると、そこには背の高い……自分が座っているからそう見えるのではなく、本当に背の高い、一人の男性が立っていた。


 柔らかなウエーブの黒髪、きめ細かな肌に鼻筋の通った顔。そして何より……その幻想的な美しい瞳に、しばし見惚れてしまう。

 右目が緑で、左目がオパール色。

 そう、確かこんな瞳の猫を見たことがある。ええと……何と言うのだっけ?


「オッドアイ」


 形の良い唇から放たれた低い声に、はっとする。

 そう!左右の目の色が異なるオッドアイ!

 ……って、私ったら相当失礼だわ。不躾に人の顔をじろじろと。


「……申し訳ありません」

「いえ、構いません。珍しい瞳でしょう?」


 男性はすっとしゃがむと、私の手の中を見る。


「ところで……キティというのはこの子ですか?」

「はい」

「可愛いですね」


 男性が撫でれば、ゴロゴロと喉を鳴らす。

 ところでこの男性ひとは何だろう?


「私も猫が好きで……こうしてよくおやつを持って来るんですよ」


 なるほど、よく見れば彼の手にも袋が。

 ……猫が好き……猫好き仲間!

 一気に親しみが湧く。知らぬ間にニヤニヤしていたらしい私を見て、彼はふっと笑う。


「変わっていませんね。貴女のその表情かお


 ……変わっていない?


「何処かでお会いしたことがありましたでしょうか?」

「……さあ、気のせいかもしれません」


 変な人。

 いえいえ、いけないわ、猫好き仲間に。猫好き仲間……そうだ!


「あの、猫がお好きな貴方にご相談したいことがあるのですが……このキティを育てて頂ける方がお知り合いにいらっしゃいませんでしょうか? 親猫の姿がなく、心配なのです。あいにく我が家には猫アレルギーの家族がおりまして」


「確かにその月齢では心配ですね。……分かりました。私が引き取りましょう」

「本当ですか!?」

「ええ。我が家には幸いアレルギーの家族もおりませんので」

「ありがとうございます! 何とお礼を申し上げたら良いか」

「お礼なら、言葉以外のもので下さい」

「……は?」


 何を要求されるのだろう。猫好きに悪い人は居ないと勝手に決めつけていたけれど……

 身体を守るように、さっと身構える。


「また、こうして一緒に猫達と遊んで下さい。一人より二人の方が楽しいですから」


 ……やっぱりいい人だったわ!

 だあっと涙が溢れそうになる。


「申し遅れましたが、私はセドリックと申します。以後お見知りおきを」


 仕立てが良く、生地も上等だがシンプルなシャツ。貴族の身なりではないから……何処かの裕福な商家の子息と言ったところか。

 ……嫌だわ。自分は捨て子のくせに、人を品定めするみたいに。貴族として育てられた癖でつい。

 猫好きならそれでいいじゃない! こういう所が悪役令嬢と言われる所以ゆえんなのよ。

 眉をしかめぶつぶつ呟く私を、じっと見つめるセドリック。はっとし、慌てて自分も挨拶をする。


「私はカルディナールと申します。よろしくお願い致します」

「……よろしくお願い致します。では、また一週間後にお会いしましょう」


 キティを腕に抱き、にっこりと微笑むその姿に、不思議な既視感を感じた。




 ◇◇◇


 ……くしゅん!

 小鳥みたいなくしゃみを連発し、大げさに身体を震わせるセリーヌ。


「セリーヌ様、大丈夫ですか?」

「ええ……申し訳ありません。私の身体が弱いばかりに皆様にご心配をお掛けして」

「何を仰るのですか! 元はと言えば……ねえ?」


 令嬢達が、近くを通りすがる私を見て、ひそひそと囁く。


「お姉様は悪くありません! いつも猫様の毛が付かない様に、私に気を配って下さいますし」

「猫アレルギーの方が居る家で、猫を飼うのがどうかしているのです。大体猫様って……」

「お姉様の猫様は、お姉様も同然ですから」


 涙を湛え睫毛を伏せるセリーヌに、皆が同情を寄せる。


 ……くだらない。

 いつもなら黙ってやり過ごすのだけれど、何故か今日は黙って居られなかった。

 猫に関わることだからだろうか。


「セリーヌ」


 私が呼び掛けるやいなや、いつも通り、ビクッと身体を震わせる彼女。


「私は家で一度も猫を飼った覚えはないけど。外で猫と触れ合うことはあっても、貴女の為に毛の一本も持ち込まない様にしているつもりよ。第一、猫様なんて私だって呼んだことないわ」


「もっ……申し訳ありません!」


 わあっと泣きながら、地面に頭を付けるセリーヌ。泣きながら、ゴホゴホと咳をしてみせることも忘れない。

 ……本当に器用だわ。


「……ちょっと、幾ら血は繋がってないとはいえ、一緒に育った妹でしょう? もう少し思いやりを持って接することが出来ないのですか!?」


 令嬢達がセリーヌを支えながら、きゃんきゃん喚く。


「……貴女方の仰る思いやりとやらが分かりませんが、あまりにも事実と異なる妹の発言に黙って居られなかっただけです。……セリーヌ、家では元気そうですが、気になるならお医者様に診てもらいなさい」


 一層声を上げ泣き出すセリーヌと、まだ喚き続ける令嬢達を背に、私はふんと鼻息荒く歩き出した。

 どうせ私が何を言っても信じてもらえないけれど。


 今日は可愛い猫達と触れ合う日。嫌なことは全て忘れてしまおう。





「みんなあ、元気にしてたあ?」


 ニャーと甘い声で寄って来る猫達。ああ、本当に可愛いわ。

 きっと私、ニヤニヤと相当不気味な顔をしているだろうけど、構わないわ。誰に見られている訳でもないし……


 いや、見られていたわ。

 はっと視線を感じれば、セドリックがこちらを向き、同じくニヤニヤと笑っている。思わず顔がひきつった。


「……何か?」

「……いえ。本当に猫がお好きなんだなと思いましてね」

「ええ。そのお顔からして、貴方もそのようですね」

「……はい。でも私が好きなのは猫だけでなく……いえ、何でもありません」


 美しい瞳をキョロキョロと泳がせる。


 ……変な人。

 だけど、何だかとても楽しいわ。


 私達は猫に食事をあげながら、あっという間に仲良くなっていった。互いの名前と、猫好きということ以外は何も知らなかったけど。

 まるで古くからの友人のような、そんな安心感があった。




 ◇◇◇


 一緒に猫と触れ合うようになって、何回目かのある日。彼は唐突に言った。


「暫く……一ヶ月くらいここには来られないかもしれません」

「そうなの?」

「ええ。少し忙しくなるもので。猫達をよろしくお願い致します」

「……寂しいわね」

「えっ?」


 私ったら何を……口を押さえ恐る恐る見上げれば、彼の顔が耳朶まで真っ赤に染まっていく。

 それを見て自分の顔も、かあっと熱くなっていくのが分かる。

 ……何? 何なのよ、これ。


 猫の鳴き声だけが、二人の間に響く。

 彼は沈黙を破るように、ゴホンと咳払いをした。


「私も寂しい……ですが、もしかしたら……思わぬ場所で、お会いするかもしれません」


 思わぬ場所?


「それは一体……」

「では、楽しみにしています」


 彼は顔を赤らめたまま去って行った。



 ◇


 ここグリフィナ国では、間もなく皇妃が産んだ皇子が15歳の成人を迎え、正式に皇太子に即位する。

 その為宮殿では、盛大な夜会が開かれることとなった。


 皇太子には既に婚約者が決まっている為、令嬢やその親達の関心は低いが、今回注目されているのが、弟の皇太子即位を機に離宮から戻って来るという18歳の皇子だ。

 亡き第二側室が産んだ皇子で、今まで公式行事など表には出なかった為、その素顔はベールに包まれている。


 だが皇室関係者から広まった噂によると、頭脳明晰で大変見目麗しい青年とのこと。

 招待された令嬢達が、婚約者の座を勝ち取ろうと、躍起になるのも無理はなかった。



 妹、セリーヌももれなくその一人。いや、他の令嬢よりも、その野心は凄まじいかもしれない。


「ああ、もうどの色にするか迷ってしまうわ」


 色とりどりの布や装飾品を並べては、仕立て屋にあれこれ注文をする。


 皇室の正式な招待を断る訳にいかないので、仕方なく私もここに居るが……正直、皇子にもドレスにも興味がない。

 こんな暇があるなら、猫を愛でていたいわ。

 想像しては、手をいやらしくもふもふと動かす。


「お姉様はやはり、こちらの系統のお色ね」


 はいはい、赤、紫、黒に濃紺ね。どうせ貴女みたいな淡い色は似合わないわよ。勿体ないから去年仕立てたドレスでも構わないけど……仮にも侯爵令嬢だもの。そういう訳にはいかないわよね。

 だったら今年は……


「こちらの黒い生地でお願い。出来るだけ装飾なしで、シンプルにね」

「かしこまりました」


 ……と注文するにも関わらず、何故か毎年悪役令嬢に相応しい、贅を尽くした豪華絢爛なドレスに仕立てられてしまうのだ。

 きっとセリーヌが後から手を回しているに違いない。

 まあいいわ。黒は子猫のキティと……そしてセドリックと同じ毛の色だもの。


 セドリック……


 何で私!

 最近気付けば彼のことを考えている気がする。

 これは猫好き仲間への友情? それとも……


 ぶんぶんと頭を振る私を見て、セリーヌはくすりとわらう。


「どうなさったの?変なお姉様」


 そう言いながら鏡の前で当てている布を見て、私は思わず叫ぶ。


「貴女! まさか、そんな色を来て行くつもりじゃないでしょうね?」


 彼女が手にしている白い絹、それはこの国では、皇族か花婿花嫁しか身に付けてはいけない特別な布だからだ。


「大丈夫よ。少し他の色を混ぜれば問題ないわ」

「貴女ね……自分が恥をかくだけなら構わないけど、お父様方の顔に泥を塗らないでよ」


 セリーヌはたちまち不機嫌になり、口を尖らす。

 この顔を是非、取り巻きの令嬢達に見せてやりたい。


「そうね……そりゃあお姉様みたいな悪女が着たら非難を受けるかもしれないけど、私なら問題ないわ」


 そう言うとセリーヌは、鏡の中の自分にうっとりとする。


「ほら……見て。私が白を着たら、天使にしか見えないわ」


 ……駄目だこりゃ。

 知ったこっちゃないと言いたい所だけど……恩を受けたこの家が笑い者にされるのは我慢が出来ない。一応お母様に相談しておこうかしら。




 ◇◇◇


 そして夜会当日。

 やはりね、今年も宝石が散りばめられた、ギラギラの派手な黒のドレス。大きく開いた白い胸元、黒い髪には、真っ赤な薔薇の飾り。

 赤、白、黒のコントラストが何とも悪役令嬢らしいけど……我ながら似合っているんだから、嫌になっちゃうわ。


 対してセリーヌは……本当に白い絹を着てきたわ!! 薄い桃色が多少混ざっているとはいえ、一見白にしか見えない。

 ここまで馬鹿だとは……妹の愚かさに首を振る。


「セリーヌ様……白……ですか?」

 これには流石に令嬢達も引いている。……と思いきや、


「お姉様にどうしてもこの色を着ていけと……何とか桃色を少し入れたんですけど」


 ここでもか! お得意のうるうるが始まる。


「まあ! お気の毒に! 私達が傍に付いておりますわ」

「そうですよ! セリーヌ様でしたら、白を着られても嫌味がありませんもの」

「本当に……まるで天使か聖女のようですわ」


 ────もう呆れて言葉が出ない。私はドレスを翻しその場を後にした。




 ファンファーレが鳴り響き、皇族方が登場する。

 そしていよいよ……ベールに包まれていた皇子が姿を現す時が来た。


「第二皇子、セドリック・グランデ殿下の御成です」


 カツンカツン……


 ん? セドリック?

 長い足が、大理石の床を颯爽と歩く。

 その姿に……私は思わず扇子をポロリと落とした。


 柔らかなウエーブの黒髪、きめ細かな肌に鼻筋の通った顔。

 そして何より……右目が緑、左目がオパール色の、美しいオッドアイ。


 広間中が、その幻想的な美貌に息を呑む。


 他人の空似? いえ、あんな美しい人、この世に二人と居ない。


 スラッとした身体を黒い礼服に包んだセドリック……第二皇子は、そのまま歩いてカツカツと何処かへ行く。

 あら……何だか私に近付いて来ているような……

 頭がぼんやりして、思考回路が正常に働かない。


 気のせいではなかった。彼は私の前でピタリと止まると、膝を屈め、小説の王子様みたいに私にすっと手を差し出した。

 まさか……この後の台詞は……


「カルディナール・シフォンヌ嬢。私と婚約してください」


 まさかが本当に来たっ!!!

 目の前が真っ白になり、くらりとする。


「カルディ! 大丈夫ですか?」

 長い腕に咄嗟に支えられる。


「貴方……あの、猫の人よね?」

「はい。セドリックです。セディと言えば、何か思い出して頂けますか?」

「セディ……」


 ああ、何だろう。何か思い出しそうな。霧の中に点が幾つか見えて来たその時、


 ミャア!


 可愛い鳴き声に、頭が一気に覚醒する。

 そちらを見れば、侍従の手に抱かれた一匹の子猫。


「キティ!」

「そう、きっと会いたがっていると思いましてね」


 セドリック……皇子は、キティを受け取り頭にキスをすると、私の腕に置く。


「キティ……大きくなったわね」


 子猫の成長は早い。私はその重さを確かめながら、すりすりと頬を寄せた。



「まあ! 可愛い猫様ですこと! 私にも抱かせて下さいませんか?」


 白いドレスをふわふわと膨らませながら、セリーヌが微笑む。

 返事も待たずに私の手からキティを奪おうとするも、シャーッと威嚇され、ひっと声を上げながら手を引っ込める。


「……貴女、猫アレルギーでしょ?」

「この猫様は平気みたいですわ」


 しれっと言ってのけるセリーヌに、令嬢達はいぶかしげな顔をする。


「じゃあ……はい、どうぞ」


 セリーヌの腕に渡されたキティは、またもや威嚇しながら暴れ出す。


「きゃあっ」


 白いドレスをガリガリともてあそんだ後、その天使か……はたまた聖女のような顔に飛び乗り、シャッと爪をひと振りした。


「ぎゃあ!!!」


 キティは満足したのか、ピョンと私の元へ戻って来る。

 大丈夫かしら……流石に慌ててセリーヌの顔を覗き見ようとしゃがむも、肩をドンと押される。


「何すんのよこのクソ猫!! どっかにやってよ!」


 辺りがしんと静まり返る。

 ……今のは空耳だろうか。とてもあのセリーヌ嬢の口から出た言葉だとは……


 セドリック皇子は、顔を押さえたままキティを睨み続けるセリーヌを見下ろすと、冷たい声で言った。


「猫は人の心が読める。醜い人間には決して懐かない」


 そして私の手を取ると、キティと共に立ち上がらせてくれた。さりげなく私の腰を抱いたまま、彼は話し続ける。


「そして昔、酷いことをした人間も絶対に忘れない。嫌がる男の子に無理やりスカートを履かせたりね」


 男の子……スカート……

 指の隙間から、セリーヌの目が見開く。


「まさか! 貴方は、女男のセディ」


 思わず大声を上げたセリーヌは、はっと口をつぐむも時既に遅し。

 皇族方をはじめ、明らかに辺りは不穏な空気に包まれていった。


 セディ……キティ……セディ……キティ……

 もしかして!


 霧がぱっと晴れ、ようやく点と線が繋がった。



 ◇


『ねえ、あなた、どうして泣いているの?』

『僕のっ……ズボン……セリーヌにっ……スカート……』

『うーん、よく分からないけど、ここで全部吐き出しちゃいな』


 しゃっくりが落ち着いた後、涙を拭いてあげると、綺麗な緑色の瞳が現れた。


『あなた……子猫みたいに可愛いのね。お名前は何と言うの?』

『セディ』

『セディ! お名前も子猫のキティみたいね。ねえ、一緒に猫におやつをあげない?』



 ◇


「……貴方があのキティだったのですね」

「はい。なかなか気付いてくれなかったので、少し悪戯してしまいました。驚かせてしまいましたね」


 あの後、別室に移動した私とセドリック皇子は、こうして答え合わせをしている。


「ずっと女の子だと思っていましたから。それに年下かと。まさか男性で同い年だったとは」

「当時は痩せていて小柄でしたから。セリーヌは私のズボンを隠してスカートを履かせただけでなく、おやつや食事もしょっちゅう抜き取っていたのですよ」

「……酷い!」


 手を握り締め、怒りを露にする私。皇子の優しい眼差しに気付くと、恥ずかしさのあまり手をそっと下ろした。


「女男と苛められていましたからね。実際気が弱かったですし。でも貴女と仲良くなってからは、苛められることが減ったんですよ」


「何故ですか?」


「貴女はとても芯が強かったから。自分をしっかり持っていた。私も……あのセリーヌでさえ、貴女に憧れていたのだと思いますよ。まあ、アンリ侯爵家では貴女のことも散々虐げてきたらしいですし、彼女を許すことは到底出来ませんが」


「あの……何故貴方は皇子なのですか?」


「ああ……」

 皇子はくすくすと笑い出す。


「一番大事なことをお話していませんでしたね。実は私は、3歳の時に宮殿から誘拐されたのです」


「誘拐!?」


「犯人は皇子の出生を妬んだ第一側室です。私の母……第二側室は、私を産んだ時に亡くなっておりましたので、その妬みの矛先は全て私へ向けられました」


「ですが、どうして……」


「孤児院に居たのか、ですよね。誘拐した後、本当は私を殺害する予定だったらしいのですが……どうやら詰めが甘く、逃げられてしまったようです。3歳のくせに、我ながらなかなか賢い子供ですね」


「それで、それで!?」


 今まさに目の前で、幼いセディが追手から逃げている気がして、胸が苦しくなる。


「私はどこかで頭をぶつけ、セディという愛称以外の記憶を一旦失いました。倒れていた所を保護され、あの孤児院に引き取られたのです。父……皇帝陛下は私を必死に探し回り、国内外の孤児院の記録も調べてくださった様ですが、私を見つけることは出来ませんでした。何故なら私は、何の手違いか女の子として記録されていましたので」


 スカートの件なしにしても、確かにセディは女の子と見紛う程可愛かった。

 単純に当時の記録担当が間違えたのかもしれない。


「どうして見つけられたのですか?」


「陛下は布令を出していたのです。片目が緑、片目がオパール色の子供が居たら、直ちに宮殿へ連れて来る様にと。オッドアイの子は他に居るでしょうが、この色だけは皇族の何割かのみに見られるものなのです。いわば皇族の証ですね。生まれつき目が緑色の皇族は、後天的にこの目になりやすいと言われていましたので」


 私の記憶の中のセディは、確かに両目とも緑だった。


「では……私が孤児院を出た後に?」

「はい。その一年後くらいでしょうか。左目がオパール色に変化し、私は宮殿に戻されました。記憶を戻す治療も行い、それにより第一側室の悪事が明るみに出たのです」


 第一側室は確か、九年前に病で亡くなった筈だ。


「……表向きは」


 何かを含んだ皇子の物言いに、私ははっとする。


「民心に混乱を招かない様、第一側室は秘密裏に処刑されました」


 背筋がゾクリとした。


「気が弱く宮殿の暮らしに馴染めなかった私は、陛下の判断により離宮で暮らすことになりました。第一側室の死後も大臣達の間に蔓延はびこる権力争いから、私の身を守る目的でもあったのですが。今回弟が無事に皇太子に即位したので、こうして宮殿へ戻って来たのです」


 孤児院から戻った後も、色々苦労したのね。


「貴女に再会したのは、宮殿が落ち着きを取り戻し始めた、12歳の頃です」


「……え?」


「再会したと言っても、私が貴女をこっそりと見ていただけですが。宮殿で催された建国記念の宴で、真っ赤なドレスを着て社交界デビューした貴女を」


「まあ! お声を掛けて下されば良かったのに」


「その時私はまだ、公の場には出ないように配慮されていましたので。でもそれから、実は何度も貴女を盗み見ていたのですよ」


「何だか恥ずかしいわ……粗相をしていなかったかしら」


「いえ、いつも貴女が一番綺麗でした。凛としたあかの瞳はそのままに、女性らしいたおやかさも加わって。婚約者になっていただくのが、待ち遠しくて仕方ありませんでした」


「あの……」


 無意識に吊り上がっていた私の眉に、怒っていると勘違いしたのか。皇子は突如しゅんと眉を下げてみせた。


「……申し訳ありません。勝手にお話を進めてしまいまして。貴女は私の初恋ですし、一緒になるのが当然のことと。でも、貴女のお気持ちを訊いていませんでしたね」


 彼の頭に猫耳が見え、幼いセディと重なった。

 ……可愛い……

 だっ……駄目よ、カルディナール! 流されちゃ駄目!


「あの……猫達の場所はどうして分かったのですか?」


「あれは全くの偶然だったのです。侍女から野良猫が多い場所を聞いて行ってみたら、貴女が先に居たので……内心非常に驚いていました」


「そうだったのですか……猫達が私達を引き会わせてくれたのかもしれませんね」


「ええ……あの原っぱで貴女に会うと、子供の頃に戻ったみたいで、とても楽しかったです。でも、それではいけなかった」


 皇子は不意に、真面目な顔で立ち上がった。


「私達はもう大人なのですから、きちんと手順を踏んでから婚約の申し入れをすべきでしたね。自分の想いばかりが先走って……私のことを愛してもいない貴女に、公の場で失礼なことを」


 ……ん? この流れは?


「申し訳ありません。婚約の話は一旦白紙に」


 やっぱり! 何でそうなるのよ!


 訳の分からない焦燥感に駆られ、思わずがしっと皇子の服を掴んでしまった。


「そんなに眉を吊り上げて怒らなくても……」

 ぽつりと呟きながら、また悲しげに眉を下げる皇子。


「怒ってなんかいませんよ!こういう顔なんです!……その、別に白紙には戻さなくてもいいって言ってるの」


「ええっ、そうなんですか?」


 皇子の口元が、ニヤッと歪んだ気がする。


「ですが……私は欲張りなので、自分が愛しているだけでは嫌なのです。やはり白紙に」


 ああ、また猫耳が見える。

 もう……駄目……


「好きよ! 貴方のこと。今はまだ、ちゃんと愛しているかは分からないけど……大好き。……失いたくない、ずっと一緒に居たいって……」


 気付けば皇子の広い胸に抱かれていた。


「それだけで充分です」


 忘れていた……猫はしたたかだったんだわ。


「ですが私は、侯爵令嬢とはいえ親の顔も知らない孤児ですし、とても貴方と釣り合う様な人間では……」

「構いません。陛下にはお許しを頂いております。私こそ、皇位継承には全く興味のない一介の皇子ですが、それでも?」


 私はふふっと笑う。


「貴方……猫はお好き?」

「はい。とても」

「だったら私達、きっと上手くやれるわ」



「……ねえ、セディ。私が孤児院を出て行く時、何処かで泣いていたの?」


「うん。この世の終わりみたいに悲しかったよ。でも、君が幸せになるなら、涙を見せちゃいけないと思ったんだ」


 胸が一杯になる。

 幼いセディも、今のセドリック皇子も、全てひっくるめて愛したい。


 背伸びして彼の黒髪を撫でてあげると、その手を取られ掌に唇を落とされた。

 温かなそれは一旦離れると、私の黒髪、涙が滲む目尻、頬を伝い……やがて唇へ。

 甘く、柔らかく重なった。




 手を取り合い、再び現れた二人に広間が沸く。


 幻想的なオッドアイの瞳と、燃える深紅の瞳は、互いだけを見つめている。

 寄り添い、優雅にダンスを踊る姿に、令嬢達はほうっとため息を吐いた。


「……カルディナール様って、あんなにお綺麗だったかしら」



 ◇


 キティに顔を引っ掛かれたセリーヌは、全治一ヶ月と診断された。痕が残らなかったのが不幸中の幸いだったが……


 あそこまで“素”を露にしたのだ。今度こそ令嬢達にはそっぽを向かれ、更には……家も追い出されてしまった。


 今回のことには両親も目を瞑れなかったみたい。

 セリーヌの本質を早くから見抜いていた両親は、彼女を正式な養女にはせず、暫く様子を見ていたという事実を知り驚いた。

 けれどやはり優しいお父様方のこと。育ててきた情は捨てきれないようで、ただ放り出すのではなく、親切に働き口を用意してあげたらしい。親戚の伯爵家の下女としてね。

 この先どう生きるかは彼女次第だわ。




 ◇◇◇


 一年後、私とセディは、今日もお忍びで店に立っている。


「こちらのビスケットをあげると、毛玉を上手に吐けますよ」


 ここは手作りのキャットフードを販売する小さな店。

 皇子の妃という立場から諦めようとした夢を、彼がこうして叶えてくれたのだ。


 第二皇子と妃の愛を猫が結んだという噂が広まり、今この国は空前の猫ブームだ。その為なかなかに繁盛している。

 ここで得た収入は、孤児院への寄付と野良猫の保護活動に当てていた。


 看板猫は、もちろんあのキティ。


「カルディ、これはどこに並べる?」

「それは新作だから、こっちの目立つ所にね。リボンをもう少し可愛くしようかしら」


 ぶつぶつ悩む私を大きな手が抱き寄せ、熱の籠った甘い声で囁かれる。


「カルディ」


 もう……また猫耳が……


 ショーケースの裏は、キスをするのに絶好の場所。



 カランコロン


「……いらっしゃいませ!」


 ドアベルが鳴り、慌てて立ち上がる二人。

 顔を上気させニマニマ笑みを浮かべる私を、悪役令嬢だなんて呼ぶ人は、もう誰も居ないでしょう。


「すみません。歯の生え変わりにいいおやつありますか?」

「はい。それでしたら、こちらがお勧めですわ」



  ~完~

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【コミカライズ】もらわれっ子の悪役令嬢は、ただ猫と貴方を愛でる 木山花名美 @eisi0922

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