さよならマキさん4/4

 どれ位の時間が流れたのかは、よく覚えていない。


 僕は雨に打たれて、ホテルの前で動けなくなっていた。


 シャワーを浴びたように全身びしょ濡れになって「ああ、今日が大雨でよかった」と思いながら泣いた。


 暫くすると後ろから来た車がクラクションを鳴らし「早くどけよ」と怒鳴り声が聞こえた。


 怒鳴り声が聞こえた方に頭を下げて、僕は車を走らせた。


 その日どうやって家に帰ったのか、よく覚えていない。


 明け方ずぶぬれで帰った僕に、母親が色々と言っていたが、何を言われたのか良く聞こえなかった。


 シャワーを浴びながら、これが夢じゃない事に絶望して「真実を知る事がこんなにつらいなら、僕はスパイになんかなれない」と口ずさみながら、また泣いた。


 もともと試験勉強で寝不足気味だった僕は、ベッドに倒れこみそのまま眠りに落ちた。


 目が覚めると夜の20時を過ぎており。喉にわずかな痛みとけだるさを感じた。


 多分熱があるだろうと思ったが、どうしてもマキさんに会いたくて、僕は起き上がった。


 バイト先に電話をかけ、今日もバイトのマキさんに、バイト終わりにどうしても会いたいと伝えた。


 最初僕の声が明らかにおかしいのを心配していたが「どうしても今日、会いたいんです」と言うと「うん、分かった」と言ってくれた。


 いつか告白した公園でマキさんの事を待った。


 これから訪れるかもしれない恋の終わりを思って、あの日と随分趣旨が変わったもんだなと少し笑えて来た。


 しばらくするとマキさんがやって来て「いきなりバイト先に電話してくるから、ビックリしたよ~」と言って、いつもの様にニコニコしていた。


 「すいません、無理言っちゃって……」


 「それはいいんだけど、どうしたの?」


 色々な言葉が頭を巡った。


 聞きたい事は沢山あったはずなのに、マキさんを前にすると何も出てこなくて、絞り出すように「昨日。店長と会ってたんですね」と伝えた。


 少し沈黙があってから。


 「そっか……ゴメン」それだけ言うとマキさんは、大粒の涙を流して泣き出した。


 泣いているマキさんを見つめながら、マキさんが海で言った「10年後も20年後もこうして海が見たいね」という言葉を思い出していた。


 あの日、夜の海を見ながら交わした会話は、約束と呼べるようなものじゃなかったけど、僕はまだマキさんと二人で歩む未来がある事を、心のどこかで信じていて、それに縋り付くように「僕達の恋は、これで終わりですか?」と聞いた。


 すこし沈黙があって……。


 マキさんは泣きながら「本当にゴメンね……ゴメンなさい」と呟いた。


 マキさんの「ゴメンなさい」の中には、僕と歩んでいく未来が何処にもなくて、恋の幕が静かに下りていくのを感じた。


 泣いているマキさんを抱きしめる事は……もう出来ない。 


 マキさんは、店長と歩む未来を選んだのだから……。


 涙が溢れ出す前に「マキさん。今まで本当にありがとうございました」とそれだけ伝えて、僕はその場を後にした。


 これ以上その場にいて、マキさんの事を罵る言葉が出てしまうのが怖かった。


 去りゆく月日に逆らえる者は存ないように、もう戻れない。


 それが終わってしまう恋ならば、せめて最後は綺麗なままで。


 綺麗な思い出のまま……この恋を終わらせてあげたかった。


 …………


 その日家に帰ってから熱が上がり。


 僕は三日ほど寝込んだ。


 …………


 四日目やっと熱が下がり。家でおかゆを食べていると、バイト仲間のT君から電話があった。


 内容は早く元気になってバイトに戻って来いという事と、マキさんが新規オープンする店に移動になったという事だった。


 T君からの電話を切ったあと『もうマキさんに、会えないんだな』と現実の波が押し寄せてきて……また少し泣いた。


 …………


 それからマキさんとは、一度も会っていない……。


 …………


 マキさんと別れてから10年以上の月日が経った。


 今こうしてマキさんに思いを馳せながら物語を書いていると、マキさんと付き合う前。二人で交わした手紙のやり取りが、鮮明に思い出される。


 当時は本当に辛くて。思い出すたびに泣けてきて。前を向いて生きるために、無理やりタイムカプセルの中に閉じ込めた思い出だった。


 錆付いたタイムカプセルの蓋をこじ開けて、マキさんの事を思い出しながら書きだした今回のお話。


 気付けば泣いたり笑ったりしながら。何度も何度も書き直して。どうしても文章が出てこなくて。こんなにマキさんの事が好きだったんだと、あらためて思い出すことが出来た。


 そしてこの恋の話を物語に出来て、本当に良かった。


 マキさんが今ドコにいて、何をしているのか僕は知らない。


 調べれば分かるかもしれないが、それはしたくない。


 マキさんは僕の中ではずっと。


 永遠の二十歳で。


 洋楽が好きで。


 Sing Like Talkingが好きで。


 お酒が弱くて。


 いつもしっかりしているのに時々ドジで。


 年下男子の告白を断れない、優しい人のままでいてほしいから……。


 マキさんとの思い出を再び。タイムカプセルにしまい込みながら。


いつかマキさんにどうしても会いたくなったら、この物語を読み返そうと思う。


 また会う日まで、さよならマキさん。

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さよならマキさん アカバネ @akabane2030

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