第9話 ホームレス少年

チェンは、出来るだけ遠いところへ行こうとした。


誰も僕のことを知らないような……

誰も分からないような……

そんな所へ行きたい……


チェンは遠くへ遠くへ、とにかく遠くへと向かった。


もはや見慣れた場所ではないところで、チェンは当てもなく彷徨い、その日は路上の端で寝た。


チェンはその日、また夢にうなされた。


光が世界を包み込み、全てが業火に焼かれる…

このシナリオはどうやら変えようがないらしい。


しかし、この頃からチェンの夢は分岐するようになっていた。

夢に中で何度も場面が変わり、何度も別の筋書きが現れるのだ…


並行世界…

別の可能性の世界…


チェンはもちろん、そんな言葉は知らない。そして知っていたとしても、そのような事の物理的意味が分からなかったであろう。


一つだけ分かったことは、チェンの行動と、もたらされる結果には多少なりとも相関性があり、それはまるでチェンだけが未来の出来事に干渉できるようだった。


実際、ミシェルの一件は、あれ以来もう夢に出てこない。チェンの行動がミシェルを救ったのだと確信できていた。


チェンにとっては、それで十分だった。彼女は、幸せに生きるべき人間だ。その幸せを守ることが出来たのならば、もうそれでチェンは満足だった。


チェンは遠くへ遠くへと歩いていった。


ある時は公園で、またある時は路上で、またある時は別に場所で野宿をした。

転々としながら、やがて訪れる終焉に絶望し、自分がなぜ生きようとしているのかさえ分からなくなっていた。


ただ一つ、チェンにとって不可解な事があった。


終焉の先の世界で、自分が爺ちゃんになるまで歳を取っている未来がかろうじて存在するのだ。それは分岐する中でもほんの一握りの未来の話だ。


終焉の未来は不可避のように思われる…なのに、爺さんになって生きている未来もある…?


もしかして、この終焉ははるか先の未来なのだろうか…?


いや、そんな事はない。この終焉の未来では、自分が知っているような世界と比べてそんなに時間は経っていない…


その証拠に、夢の世界では、おおよそ二十年以内に完成すると言われていたヘブンリーボディに次ぐ新たな巨大建造物の建設は終わっていないようだった。


この終焉は、少なくとも20年以内で起こる事だという確信があった。


どうせ死ぬなら、自分が爺さんになる謎をどうしても解いてから死にたいと思っていたチェンは、ゴミを漁ってでも生き延びた。


何度も繰り返した未来に、チェンの神経は擦り減っていくが、同時に、様々なシナリオの中で、気になる人物が浮上してきた。


その人物は、紫色に染めた髪を綺麗なボブカットにしているハツラツな様子の小柄な女性だった。


この人が一体何者なのか、どんな役割を果たすのか、チェンには不可解だったが、なぜかこの女性が関わる未来に希望があるような気がしたのだ。


―この人に会わなければいけない。


なぜかは分からないが、これは強い衝動としてチェンに刻まれた。


夢に出てくる背景を頼りに、その女性がいそうな場所へ向かわなければ…しかし、この場所に関しては検討もつかない。


しかしこの頃、チェンには心強い味方が付いていた。

周辺で生活しているホームレスたちである。


この人々は幼くして家のないチェンの事を可愛がってくれて、チェンが身内がそこに住んでいるかもしれないが、風景だけしか覚えていなくて場所が分からないと言ったら、必死になってその場所を探してくれた。


ホームレスたちのネットワークはなかなか凄かった。


あの人たちも色々な場所を転々としているので、そこら中で知り合いがいるのだ。


街を北へ五つほど超えた区域にチェンが記述するような形の建物があるという噂を聞きつけた。


他に何の手がかりもないチェンは、そこへと旅立つことにした。


ホームレスたちは、なけなしの金を集めて、チェンがその区域までの電車に乗れるように工面した。それでも、そこの到達するまでの二駅前までしか乗れなかったが、チェンはそこから歩くことにした。


ホームレスたちにお礼を言って、チェンはその場所を後にする。


考えてもみれば、チェンが生まれて以来、こんなにも人に温かくしてもらった事はなかった。


失いかけていた生きるためのエネルギーを、この人たちから貰った気がした。


電車から降りると、目当ての場所は二駅とはいえ、かなりの田舎で、一駅ずつがかなり離れていたようだ。


チェンは線路沿いに歩いて行ったが、子どもの足ではなかなか時間がかかり、すぐに靴擦れになり足が痛くなってヒョコヒョコと変な歩き方になった。


小汚い子どもが妙な歩き方で歩いているものだから、さぞかし人目を引いたが、チェンは構わずに北へ向かって進んだ。


一駅を越えたところで野宿し、目的の駅まで次の日にたどり着いた時には、チェンは精も根も尽きていた。


考えてもみれば、夢で見た場所に似ているからって、この場所とは限らないではないか。

いや、そもそも夢の中で見たからって、だから何だと言われればそれまでじゃないか。


ホームレスの仲間たちは、確信がない情報でも真剣になって探してくれた。


「満足したら戻ってこい。」

「いや、もう二度と戻ってくるような事が無い方が良いわよさ。」

「寂しいよう。」

「まあまあ、気持ちよく送り出してやろうぜ。」


口々に色々な事を言って、チェンを送り出した。チェンは、それに応えようと思った。


チェンは気力を振り絞り、夢で見覚えがあるような、建物の前にある公園らしき場所でその日は野宿した。


目を開けると、そこには紫の髪をボブカットにした女性がチェンの顔を覗き込んでいた。


「はぁ〜い、かわいい僕。こんなところで何してるのぉ〜…え、私!?私はここの研究所の主任よ〜。びじかわ?かわびじ?いや、どうでもいいわね!よろしくねぇ〜ん!」


やけに愛想を振り撒いてその女性は自己紹介をした。


胸には〈水菜〉と書かれたバッチが光っていた。







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