(3) 野薔薇の君のこと
私の頼みを快く引き受けてくれたイヴォンは、楽しそうに人差し指を立てた。
「まず、陛下が今後学ぶんベきことは、大きく三つです」
イヴォンはそういって指を増やして言って、三本立てて見せた。マリーが用意してくれた羊皮紙にペンで文字を書いていく。
「まず、帝王学。といっても、陛下には今のまま、ご自身の望むままに振舞っていただきたいと思いますので、気負わなくて結構です。王とはこうあるべきというようなことを、陛下に強要するつもりはありません」
それを聞いてほっとする。私は勉強は嫌いじゃないけど、強制されるのは好きじゃない。
「次に、地理。これは最低限は学んでいただきましたが、王族の知るべき最低限ではありません。各地の領主含め、貴族の名もある程度学ばなければ、王族としての地理を学んだとは言えません」
「そうね。一週間後に会う予定のマルチノン伯爵の名前も、薬草のことを提案してから知ったことだもの。ちゃんと知っておきたいわ」
私の考えたことを実現するために動いてくれたのはイヴォンだ。老子の格言で“
「最後は?」
すでに二つ目の重要度が高すぎる気がする。なのにあえて最後に持ってきたということは、イヴォン的にはこちらの方が重要度が高いということだろう。私は一度息を吐いて、改めて姿勢を正した。長椅子は板に綿を詰めて布を貼っただけのものなので、あまり座りが良くない。日本のソファは大きなバネが効いていてふかふかだった。せめてスポンジくらいは詰められないだろうか。浴場に天然のスポンジはあるけど、あれってソファに使えるのかな? そのまえに大きさが合わないしぐちゃぐちゃに潰れそうな気もする。
「王族についてですよ。帝王学ではなく、陛下の身内について」
「身内? クリスお兄様たち?」
「それだけではありません」
イヴォンの言葉で、すでに私にとって兄と扱う人がクリスお兄様になっていることに気が付いた。この場には他に兄が二人いる。それも、襲撃中ずっと守ってくれた人だ。
「……陛下、あなたには、血縁として、兄弟姉妹だけでも十人もいるのですよ」
「……っそう、だね……」
確かに、私には先代の国王の子供という、兄弟姉妹が十人いる。フレデリックお兄様や、ギュスターヴお兄様以外にも、私と入れ替えられたベアトリス王女も。ギュスターヴお兄様以外の第二王妃の子供も、第三王妃が抱いていた、あの赤ん坊も私の兄弟なのだ。けれども私の中にそんなこと馴染んでなかった。でも、今イヴォンに指摘された通り、周りから見ると私は彼らの兄弟なのだ。
「……私が、王妃の行く末も、兄弟たちのことも、決めなきゃいけないのね」
不意に、私の肩に後ろから手が触れた。マリーの手だ。ああ、心配してくれてるんだなあと思うと、自然と私の心があったかくなる。
「マルチノン伯爵との会合を終えたら、少しずつ取り掛かっていただきたいと思っています」
「でも……」
私の行動で、王族の進退が決まるのに、それを今、後回しにしていいのだろうか。考えることはたくさんあるし、いっぺんに考えることはできない。できたとしても、きっと手が回らなくなる。
「でも……」
……でも、どうしよう。せっかく王になったのに、できないなんて、口に出せない。出したくない。いずれは手を出すのだから、そんなこと、そもそも言う必要もない。でもじゃあ、どうしよう。
「陛下、だから、一つずつです」
「イヴォン……」
イヴォンは笑ってくれる。フレデリック殿下の方を見ると、やっぱり笑ってくれた。ギュスターヴ殿下の方を見ると、小さくうなずいた。当の本人である、殿下方がうなずいたのだから、今はマルチノン伯爵との会合に集中していいのだろう。それでも、考えるのをやめないようにしなければ。
「失礼」
そう言って、長椅子の後ろに立ったギュスターヴ殿下が手を上げた。私が振り向くと、何やら発言を求めているようだった。
「……この場にいるのは身内でしょう。正直、かしこまった態度で発言を出し惜しみしないでください」
「了解。んじゃ、好き勝手言わせてもらうな」
途端にギュスターヴ殿下はこれまで正していた姿勢を崩し、立ったままではあるけれど楽な姿勢をとった。これまでは動画で見た皇居の警備をしてる人みたいだったのに、途端に全校朝会の男子高校生みたいだ。
「フレデリック殿下もですよ」
「かしこまりました」
フレデリック殿下は口調は丁寧だけど、茶化すように肩をすくめてみせた。イヴォンは仕方がないという様子だけど、笑ってくれているので怒られたりはしないだろう。
「野薔薇の君の処遇だけは、早めに決めてもらいたい」
「ギュスターヴ」
ギュスターヴ殿下の発言に、フレデリック殿下が咎めるように、名を呼んだ。第三王妃である野薔薇の君は、国の崩壊を招いたのだ。本来であれば、裁かれるべき人間なのかも知れない。けれども赤ん坊への拷問に口を割ったことを、私は責めるべきとは思わない。卑劣なのはどう考えてもクロケだ。
「いや、兄上。そもそもリディが王になったのだって、野薔薇の君が原因だろ。野薔薇の君が口を割らなきゃ、クリスもエミルも王になれたじゃねーか」
「抵抗もできないアンリに手を出したんだ。野薔薇の君が口を割るのはしょうがないよ。お前だって、目の前で妹たちが拷問にかけられたら喜んで首を差し出すくせに」
「騎士の俺を引き合いに出すなよ。命なんかくれてやるが、まず戦う」
「野薔薇の君は女性だ。息子を人質に取られて、何ができるというんだい?」
突然フレデリック殿下とギュスターヴ殿下の間で兄弟喧嘩が勃発してしまった。二人は仲がいいと思っていたので、突然眼の前で一触即発の空気を醸し出している。間に座って板挟み状態だ。なんというか、孤児の喧嘩とは、度合いが違う。
「ちょ、ちょっと……?」
私も思わず声をかけるが、その後の言葉が続かない。なんと言ったらいいのだろう。
「何かできるとは思ってない。だから裁きが必要なんだろ」
「その結果はどうなるんだ。怖い思いをして、幼い息子が拷問を受けて、終いには罪に問われるのかい?」
二人はにらみ合っていて、イヴォンは気分を害したらしく、いつもの微笑みがなく無表情になっている。
「ねぇ、イヴォン」
「はい、陛下」
イヴォンに声を潜めて話しかけたけれど、二人はピタリと発言をやめた。こっそり聞こうと思っていたので、こちらを気にしなくてもいいのに、そういうわけにも行かないということか。さすが騎士というべきか。
「私、野薔薇の君についてよく知らないの。アンリ王子が傷つけられたみたいだし、悲しい目にあってほしいとは思わないんだけど、どう思う?」
「……陛下は野薔薇の君に重い罰を望んでいないのですね?」
正しいかどうかが分からなくて、おずおずとうなずいて答えると、イヴォンの表情は、いつもの微笑みに変わる。
「かしこまりました。そうですね。フレデリック殿下は、野薔薇の君は被害者なので、裁きを受けるべきではないとお考えのようです。一方でギュスターヴ殿下は、裁きを望む声が上がるので、先手を打って罰を与えることで、野薔薇の君を庇護することを考えておいでです。私はギュスターヴ殿下の案を推しますよ」
フレデリック殿下が目を白黒させている。ギュスターヴ殿下の方へ振り返ると、視線をそらしている。図星ということだろうか。
「野薔薇の君には、罰が必要なの?」
「ええ」
「そう」
こういう時に責任が重いと感じる。私は修道院にいた時に、赤ん坊の世話をしたこともある。危ないので夜泣きが酷いからと言って外に連れ出すこともできない。防寒が発展しているわけではないので風邪で命取りになる。王侯貴族なら、温かい生活ができるだろう。乳母という人がいるのかも知れない。それでも――。
薄暗い牢の中で、ずっと子供を抱き続けた姿を思い出す。エミルやクリスお兄様の悲鳴を聴き続けながら、秘密を明かした罪悪感を抱えていたのだろう。マリーが実際に野薔薇の君と話したと言っていたが、ずっと泣いていたらしい。それを、私は裁かなければならないのだろう。
「野薔薇の君は、アンリ王子のお母さんなのよね」
「ええ。野薔薇の君は結婚に色々事情が絡んでます。彼女の父上は複数の貴族を巻き込んで起こした大々的な事業が、政敵にはめられて失敗しそうになったのですよ」
野薔薇の君の実家である、ランドロー侯爵家は、当時複数の貴族と一緒に、直轄地の街道整備を任されたのだという。農村などを通る道の整備は大きな事業となり、多くの金品と人が動いた。
「少し聞いたことあるかも。ねぇ、マリー」
直轄地なんて、辺境からすれば遠くの話だけど、道を整えるという話は、辺境の民にとっても興味がある話だ。ボドワンはシャノン辺境伯のお陰で、大きな困りごとは少ない。けれども多くの人材が必要とされたので、ボドワンからも出稼ぎの人が何人か向かったはずだ。そして帰ってこなくなった人もいて、その中には便りもない人が多かった。
「ええ。かなり多くの家が関わっていた話ですわ。たしか、横領があったって……」
「正確には盗難ですよ。横領に見せかけられて、予算が足らず物資の供給がうまく行かなかったのです」
王に任された事業である以上手を抜くことはできない。盗難にしろ、横領にしろ、管理不行き届きは責められることになる。責任者であったランドロー侯爵は身銭を切った。けれどもそれさえも妨害があった。
「念の為言うけど、ランドロー侯爵はとても優秀な貴族だよ。複数の貴族が関わるなら、多くのことを想定して動くものだし、実際そうしていたんだ」
「なのに、裏をかかれたんですね。犯人は……」
「捕らえたが、大本の犯人じゃねえ。おそらく捨て駒だし、捕らえた後に自分が犯人だと自白して自害した。盗んだ金のことも吐かず」
こういうのをきな臭いというのだろう。捕らえられていないのなら、まだ、これから私に近づいてくる人の中にいるのだろうか。私は王だから、そういう人たちを警戒しなければいけない。
「結果として、ランドロー侯爵は破産一歩手前まで追い込まれました」
フレデリック殿下が、イヴォンの言葉に拳を握っている。ギュスターヴ殿下の方を見ると、彼も眉を寄せていた。犯人の目星はついているのだろうか。あとで、当時の事件の資料をクリスお兄様に見せてもらおう。
「ですが、動き出した事業を止めるわけにも行かず、失敗すれば多くの貴族の家を取り潰すことになったでしょう」
多くの貴族というのは、事業に関わった貴族ということだろう。それでは国力が傾いてしまうと、イヴォンの口から淡々と語られる。王はなんとしても、その事業を成功させる必要があった。けれども、すでに投資をした状態で、新たな投資をするというのは、明らかな贔屓であった。王は決断し、ランドロー侯爵の娘に野薔薇を贈った。
「花?」
「そ。国王は求婚する際に花を贈るのよ。といっても、なんの根回しもなく行われたわけだから、これは実質、娘を差し出せって命令になるのかしらね」
これにはマリーが教えてくれた。それで王妃たちは花の名前で呼ばれるのだ。白百合の君、雛菊の君、野薔薇の君。
「要するに……贔屓するために、親族になったってことですか?」
「ああ。野薔薇の君の婚礼は、王妃とは思えない、かなり性急な式だったぜ。衣装や小物はきちんとしたものだったけどな」
それはあまりに可哀想だ。けれども彼女が嫁いだだけでうまくいくだろうか。突然の話であっても、それなりに妨害は多そうだけれど。
「政略結婚な上に、事業が成功するまで、何度も暗殺されかけてね。野薔薇の君は元々おとなしい気質だったけど、余計臆病になってしまった。……って、話らしいよ」
そんな人の罪を問わなければならないのだろうか。やりたくない。可哀想な人を、不幸に追い詰めるようなこと、やりたくない。
「陛下、お逃げになることはできませんよ」
「うん。野薔薇の君の逃げ道になるような、罪に問えばいいのね」
正直、国が新しくなったのだから、古い王族の罪なんて知らないと言ってしまいたい。でも歴史を紐解くと、王権が入れ替われば、古い王族は処刑されることが多い。フランス革命とか代表的だろうか。ロシア革命はどうだっけ。
「野薔薇の君と話せないかしら。どんな人なのかわからないから、判断ができないの。どちらにいるの?」
「……野薔薇の君は自室におりますが、難しいですね」
イヴォンが口元に手を当てた。考える仕草だけれど、難しいということはすでに考えているのかも知れない。イヴォンはよく、答えを用意した上で教えてくれないことがある。私が自分で答えを導けるようにしてくれているのだ。
「どうして難しいの?」
「野薔薇の君が陛下とお会いしたら、何らかの取引を疑われます」
内密に会わなければならないということだ。
「変装とかは?」
「陛下の容姿は目立ちます。黒髪で赤目。容姿が知れ渡っているクリスチャン殿下や白百合の君とそっくりですからね」
白百合の君に合ったことはないけれど、私はよく似ているらしい。クリスチャン殿下とは実際に会って自分と似ていると感じた。おまけに先代国王と同じ黒髪に赤い目なので、すれ違ったら今のが王様だと気づかれてしまうらしい。
「そう……」
電話とか無いものなぁ。あ、でも、
「うん。普通にお招きしましょう」
「は?」
イヴォンはもっと違うことを想定していたらしい。けれども冷静に考えると、犯罪者との任意面接くらいはあるのだから、私が裁くのなら、会って何の問題があるというのだろう。むしろ――。
「だって、野薔薇の君って、今は自室で謹慎中なのよね? 外で会うことができないなら、いっそ堂々としちゃいましょ。取引を疑われるなら、いっそのこと何らかの取引を持ちかけちゃいましょう」
私がそう言い切った時、イヴォンが盛大に吹き出した。
「くっ……クク」
「イヴォンったら、そんなに笑わないでよ」
フレデリック殿下も突然後ろを向いたし、後ろの方からも笑い声が聴こえたので笑われてる。マリーもくすって笑っているけど、これはいつもの笑い方だ。
「申し訳ありません。内密に会う方を想定していましたから。まさか、取引を疑われると注意した後に、取引を行うなんて想像しませんよ」
「だって、私は王族のこと何も知らないんだもの。だったらいっそのこと、好きにするわ。開き直ります」
なんとなく、先程の尖った空気が霧散したように思う。とりあえず、野薔薇の君とアンリ王子の今後を考えた策を考えなければならないだろう。
「かしこまりました。それで、取引とは、どのようなことを行うつもりですか?」
イヴォンは何か準備をしてくれるつもりなのだろう。けれども、すでにイヴォンはオーバーワーク気味なはずだ。今回は自分で頑張りたいと思う。
「野薔薇の君とは、面会という形を取るつもりだから、実際に話して決めるわ。イヴォンは忙しいんだもの」
「大丈夫ですか?」
あからさまに心配されると少し照れくさい。けれどもここでイヴォンに便りきりなのも良くないと思う。
「うん。マリーもいるし、明後日には一度お会いしておきたいな」
「任せて、リディ」
マリーの方をチラリと振り向くと、外が真っ暗な窓が目に入った。すっかり話し込んでしまったと思ったところであくびが出る。恥ずかしいけど、そろそろ寝る時間のようだ。
「申し訳ありません。すっかり長居してしまいました。どうか、お休みください」
「私こそ、引き止めてごめんなさい。あ、そういえば、アルは全然見かけないけれど、元気かしら?」
イヴォンが立ち上がり退室しようとするので、見送りに立ち上がる。そこでふと、アルのことを思い出した。アルには全然会っていない。
「ええ、フリムランは元気にしておりますよ。ただ、親衛隊の選抜などで、執務が増えておりますからね」
「事後処理が大変だからね。聖騎士である以上、僕たちもそれなりにあるけれど、隊長のフリムランはかなりの執務量だと思うよ」
どうやらイヴォンだけではなく、フレデリック殿下も大変のようだ。特に顔色に出てはいないけれど、騎士団は体を動かす人達の場所だと思うから、デスクワークは嫌いな人が多いのだろう。
「ギュスターヴ殿下は、忙しくないんですか?」
「ああ、俺は、俺じゃなきゃいけない書類は、フリムランに……あっ」
私が話を振ると、ギュスターヴ殿下はにっこり笑顔でとんでもないことを暴露した。それから、イヴォンを見て一瞬で表情が変わる。
「ほう……その執務を振り分けているのは僕の前でそれを言えましたねぇ」
「いや、あの……」
もしかして、アルが大変なのって、ギュスターヴ殿下のせい……? うわぁっ。イヴォンの笑顔がなんとなく怖い。一人称も僕に変わっている。
「陛下、今日は失礼いたしました。こちらの殿下は私が責任を持って執務をさせるのでどうぞ、ご安心くださいね」
あ、私になった。
「いててててててっ。フォルクレっ!! 耳っ! 痛いっつの!!」
「自業自得でしょう」
ギュスターヴ殿下の耳を引っ張り、そのままつれていくイヴォンの姿にあっけにとられながら、私は皆を見送った。軍師とはいえ、王子に対して随分と容赦ない。みんなイヴォンのこういうところが怖かったのかしら。
残された私とマリーは顔は顔を見合わせて、思わず苦笑を漏らした。
ベランジェール・サーガ 水晶柘榴 @thezakuroishi
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