二章 契約者編

二章 プロローグ (フレデリック)

「母上!!」


 城が解放され、残党に投降を命じる中で、僕は万華棟へ向かった。万華棟は代々王の妻が住まう建物で、さすがに万を超えるわけではないが、それでもたくさんの部屋が用意された棟だ。一つ一つの部屋の扉には違う花が彫られていて、王が妻に最初に送った花の部屋に住まうことになっている。国母となる第一王妃の部屋だけは、場所が決められていて、王が送った花のモチーフで部屋が飾られ、最後に花のモチーフを彫られた扉がはめられて、部屋が完成するようになっている。

 僕の母であるエブリーヌ・ルナールは父王から白百合を贈られて、白百合の君となった。同じようにギュスターヴ達の母親であるローレリーヌ・デュノワールは雛菊の君になり、アンリの母親である、ヴァレリー・ランドローが、野薔薇の君となった……。色が入るのも、第一王妃の特徴である。


「フレデリック?」

「母上、無事でよかった……」


 白百合の間を尋ねると、そこにはシンプルな足首までのワンピースだけを身にまとった母上が絨毯の上に跪いていた。どうやらずっと祈っていたらしい。おそらくは国か、あるいは僕たちか、それとも全ての無事を。犠牲が少なくあれと。すこし疲れているように見えたが、目立った外傷はなく、無事のようだ。それに心底安心する。まだ幼い侍女見習いが泣き崩れたため、母上と同じくらいの年齢の侍女がなだめている。その侍女二人も髪を下ろして、母上と同じ意匠のワンピースを身にまとっていた。室内に争った形跡はないが、壁際の花瓶がなくなっていて、カーテンもすべて取り払われている。髪留めさえも、男の僕では思いもよらない凶器となりうるかもしれないという、高貴な女性を軟禁する時によく使われる手法だ。服はワンピースを一枚。たとえリボンや飾り紐であっても、自害に用いる可能性のあるものは取り払われる。靴はかかとのない柔らかな布靴が一足。先のとがったピンヒールは凶器となりうる。金属でできた指輪は凶器となりうる。コルセットは窒息の可能性がある。野蛮な国は首を絞める手段と考え髪も切ると言うが、母上や侍女の髪が長いことに安堵する。

 母上には祈りの必要が無くなったので、椅子に座っていただく。ずっと床に座っていたのなら、足を痛めていないといいのだが……。


「フレデリック、よく母を救ってくれました。わたくしは貴方を誇りに思います」


力強くて美しい、兄弟の中でベアトリスだけが受け継いだと思っていた緑の目が細められる。母上を救ったのは、決して僕ではない。僕がいたところで、今回の作戦が成功したとは思えない。騎士となり、家族を守る力を手に入れたと思っていたはずが、僕は悔しいほどに無力だった。


「クリスも、エミルも……他の王妃も。全員無事です」


僕が続けて報告すると、母上はカタンと椅子の音を立てて立ち上がる。母上はとても厳しい人なので、小さくとも音を立てて立ち上がるということが珍しい。驚いたのだろう。


「フレデリック、お前は本当によき兄ですね」


母上に褒められて非常にくすぐったい気持ちになるが、同時に複雑な心境となる。母上は装いをシンプルにしていることもあって、今は髪を下ろしている。髪の色は茶色だが、癖のないまっすぐの髪を揺らして笑っている様子は、年を経たリディを彷彿させるのだ。まだ彼女にはあどけなさが残るが、こうしてみると血のつながりを疑う者はいないだろう。


「……それから、報告があります」


人払いをすべきか悩んだが、すぐに発表されることだと思い、僕は口を開いた。リディのことを報告しようと思ったのだ。何も知らない状態で、リディと知り合う母上のことを思えば、せめて心の準備ができるようにしてさしあげたい。


「秘宝が壊されてしまいました」


僕の報告を聞いた母上や侍女達の表情は絶望に染まる。宝玉の崩壊は、この国の崩壊を意味する。王と王妃の他、宝玉の在処を知るのは第一王妃の子と、成人した王子に限られる。また、他国へ婿入りすることが決まっている王子も、宝玉の在処を知ることは許されない。玉の在処を知った者は、国外に婿入りすることもない。


「……ですが、すぐに新たな王が立ち、国は守られました」


僕はもう、秘宝の在処を知らない。


「新たな王……契約者が現れたというのですか?」


初代王は神と契約を交わすことで、国主と認められた。国の誕生はいつでも神の承認がある。だから王族は、神と契約を交わした特別な王を、契約者と呼ぶ。


「……軍師自ら辺境に迎えに行った、陛下の娘が王となりました」


その言葉を聞いた母上は、くしゃりと顔をゆがめて涙を流した。僕はこの時の母上の様子を、おそらく一生忘れないことだろう。

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