一章 エピローグ (マリアンヌ)

 王都の奪還が成功した。辺境から帰還した第一王女が王となった。私のもとにその知らせが届いたのは、ルナール公爵の王都の屋敷で、采配を振るっている時だった。采配を振るうといっても、私は侍女の経験があるわけではないので、作戦の要であるリディの都合に合うよう、侍女頭に指示を出していただけに過ぎない。先ほどまでは公爵のご子息であるマティアス卿が采配を振るい、王妃様方の相手をしていた。けれど彼は野薔薇の君と話した後に、慌ただしく駆け出していったので、采配を任されたというわけだ。私は王妃様の元へも、届いた知らせを伝えに行く必要がある。

 マティアス卿はおそらく、野薔薇の君から情報を得たのだろうけど、そのあとに王都の奪還が成功したから、きっと奪還作戦に役立つ情報を仕入れたのだろう。内容はわからないけど、リディに不都合がないのなら、私は何の文句もない。


「失礼いたします」


 扉を叩き、王妃付きの侍女に取り次いでもらう。ルナール公爵邸は、さすが公爵家というだけあって、王族を宿泊させることができる客室が複数あった。客室は広く、調度品も素晴らしいものばかりだ。今回作戦を成功させるための拠点として申し分ない。


「あなたは確か……」

「はい。わたくしはシャノン辺境伯爵パトリックの兄、イシドールの娘、マリアンヌです」


貴族の正式な挨拶は、一族の長と家長の名前を言わなければならないので面倒くさい。お父様は家を継ぎたくないと言ったので、叔父様が仕方なく跡を継いだのだ。つくづく私は貴族に向いていないなと思いながら、膝をつこうと姿勢を低くする。けれどこの部屋の主は私が跪かないよう、手で制した。


「初代王に辺境を任されたシャノン家の忠義を得るのが難しいことは存じております。わたくしは王族ではありますが、死んだ王の妻。シャノン家の者が忠義を尽くすことはないでしょう」


 丸テーブルでお茶を飲んでいるのは、私と同じくベランジェールで最も一般的な特徴と言われる、金髪碧眼の女性、第二王妃の雛菊の君だ。一見淑やかな女性だけど、気が強くて、今も寝ていられないと気丈に振舞っている。もちろん彼女たちは作戦への参加は禁止されているけれど。リディが王族と認められるためには、彼女たちに目立って欲しくないし、消耗しているはずの王族には休んでもらいたい。何より、体力を消耗した女性にできることなんて何もないのだ。


「恐れ入ります」


 私は完璧な淑女の姿勢でそう言った。私も辺境伯の姪なので、一通り淑女教育は受けている。とは言っても、実際には私の身分なんて、王族を前にするとかなり弱い。貴族の子が貴族になるには、王族に生まれるか、騎士団に所属して見習いを終えて、騎士の位を得る必要があり、それがあれば貴族だ。ポールは騎士の見習い期間を最低三年と言っていたけれど、貴族の子供は、二年で見習いを終えることもできる。貴族の土地を継承するには貴族にならなければならないので、父はもちろん貴族だけれど、私は貴族の子に過ぎない。そうは言っても、シャノン家の辺境伯爵位は貴族としての力が強い。伯爵ではあるけど、国境を守り、隣国とのやり取りを一手に引き受けることから、王族も公爵をはじめとする高位貴族も気を遣う。シャノン家はかなり好みにうるさい家で、王族への忠義もそれが反映されているのだけど、いつのまにか周囲にはそれも誇りと認識されているらしい。


「何か連絡があるのでしょう」

「はい。王都の奪還が成功したと報せが届きました。それから――」


 私がリディが王になったことを告げると、雛菊の君は寂しそうに笑みを見せた。


 私は雛菊の君のその様子に少しだけ同情する。王族は王でない限り王の臣下であり、貴族に過ぎない。当然王の決定に従うので、その進退の全てがリディに左右されることになる。リディは今の王族と何の接点もないので、国の奪還を喜ばしく思っても安心できないのだろう。……リディが人の不幸を望むわけはないんだけど。

 リディが王になったのなら、私はリディが一番心配だ。今まで辺境にいたあの子が王族になるだけでも大変なことなのに、王になったらさらに責任が付きまとう。ランス砦で怖がり泣いていたリディが、また人の生き死にを左右する立場になってしまう。……辺境にいれば、何も考えずに幸せにしてあげられたのに。

 実はポールが王都に向かったとき、リディをお父様の養子にでもとって、騎士の位を得たポールをリディに婿入りさせて、幼馴染を確実に近くに確保しておきたいと考えたことがあった。ポールが離れて、私達はすごく寂しかったのだ。けれどお父様は、リディを可愛がりながら、何故か養子にしようとはしなかった。王族だと知った時はすぐにでも後見人になったくせに。


「……これからわたくしも忙しくなるのでしょう。野薔薇の君にも教えて差し上げてください。あの子は若い妻。多くの事情が重なって嫁いだあの子は、とても臆病なのです」

「かしこまりました」


 私は雛菊の君に従い、部屋を後にする。少し室温が下がっていた気がするので、侍女には暖炉に薪を足すように指示を出しておいた。

 雛菊の君の言ったとおり、私は野薔薇の君にあてがわれた部屋に向かう。王妃たちは皆花の名前で呼ばれる。王に捧げられた花だからだ。王以外が王妃の名を呼ぶことが許されず、王都にきたことがなかった私は王妃様の名前も知らない。どうせ呼ぶこともないのだから、知る必要もないだろう。

 ……そういえば、リディが王になったのなら、伴侶の呼び名はどうなるのだろう。花は女性を表すので、男性を表す言葉もあると思うけど。とりあえずリディの隣に立つ男なら私の眼鏡にかなう男でなくては許さない。リディを守れる男でなければ、リディの伴侶にふさわしくないだろう。


「失礼します」


 私が野薔薇の君の部屋に取り次ぎを願うと、侍女は少し困った様子を見せていた。亡くなった公爵の奥方は領地にいるらしく、この場の采配は私が代理を任されている。客の私に采配を任せるなんて、本来ならありえないことなので、あとで公爵家から実家に補填が届くことと思う。采配を任された私は、王妃の様子がおかしいのなら、様子を把握しなければならない。私は侍女を言いくるめて、部屋に入れてもらった。


「野薔薇の君、連絡があるのですが……どうなさいましたの?」


 寝台で体を起こして、野薔薇の君は泣いていた。下ろされた赤い髪が肩からこぼれ、青い目は涙に潤んでいる。色合いだけなら大きな特徴はないけど、泣いていてなお美しいのだから、やはり王妃というだけのことはあると思う。すぐ横に用意された揺り篭には、半年ほど前に生まれたという王子が安らかに眠っていた。たしかアンリ王子だ。眠っているので目の色は見えないけど、母親譲りの赤毛はくせ毛でくるんと毛先がうねっている。


「いえ、何でもないのです。何でも……」


 何でもないのなら泣くはずがない。そうは思っても、相手は第三王妃なので、貴族の子として失礼を働くわけには行かない。何でもないと言われた以上は、追求するわけには行かない。


「何でもないというのなら、涙を拭いて、お休み下さいませ。お疲れでしょう」


 手巾を差し出すと、野薔薇の君はおとなしく目元を拭わせてくれた。王妃の目元が腫れてはいけないので、冷やすための水を持ってくるように、部屋付きの侍女に指示を出す。こんな時にポールの癒しがあれば便利なんだけど、ポールは作戦に参加中だ。


「ありがとう、ございます」


 お礼を言えるのはいいことだけど、王妃というには腰が低い。雛菊の君の言う通り、本当に臆病なのだろう。若いと言っていたが、歳は私より上に見える。たぶん、フレデリック殿下と同じくらいで、二十歳前後だと思う。貴婦人にしては爪は短いけれど、柔らかそうな指先から、私みたいに泥だらけになんてなったこともない、深窓の令嬢という感じがした。


「連絡がございますのよ。そのままお聞きくださいませね」


 私は王都の奪還が成功したということと、リディが王になったという知らせが入ったことを伝えた。野薔薇の君は大きく目を見開き、それから安堵したようにまた泣き出した。声も立てずに泣く姿はやっぱり綺麗なんだけど。


 ……本当に泣き虫な王妃だこと。

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