(15) 契約

 目の前には、フレデリック殿下とギュスターヴ殿下がいる。二人とも驚いたように目を丸くしていて、その様子が少し滑稽だった。その奥には銀の髪の男がいて、少し驚いているけれど、それ以上に警戒したように、こちらを見ていた。……戻って来たのだ。ここは、あのソル神と相対した空間ではなく、ベランジェールの城だ。


「リディ、それは……?」


 フレデリック殿下が胸元を凝視するので、そっと触れる。そこには紅茶のような赤い石と繊細せんさいな銀細工が美しい首飾りがあった。柘榴石ガーネットの首飾り……これは贈り物だ。


「ただいま戻りました」


 フレデリック殿下にニコリと笑いかけると、ギュスターヴ殿下も一緒になって戸惑った様子を見せた。私がソルの所に行ってから、二人が銀の髪の男と、どのようなやり取りをしていたのかはわからないけれど、剣を抜いていたことから物騒なやり取りになりかけていたのだと思える。けれども銀の髪の男は明らかに高官だ。男は戦争と言っていたけれど、私たちは侵略者から国を守っただけだ。宣戦布告もうけていないし、これは戦争にはなりえない。明らかに身分の高い目の前の男に何かあれば、それは付け入る隙になってしまう。


「あ、おい……!」


 ギュスターヴ殿下が私を止めようとするけれど、私は構わず歩みを進めた。いつの間にか乱れてしまった髪が鬱陶しくて、結い紐を少し乱暴にほどいた。男が驚いたように目を見開いているので、もしかしたら身分の高い女性らしくない行動だったのかもしれない。構うものか。たとえ育ちが悪くても、これが私なのだ。


「改めてご挨拶申し上げます」


背の高い男からすれば、私は小柄に見えただろう。それでも私は笑みを称えて胸を張った。里穂から見るとリディアーヌはとっても可愛い女の子だ。可愛い女の子が、より綺麗に見えるように。


「私はこの国の女王」


ソルは私に名前をくれた。このベランジェールの王となるべき名前を。


「リディアーヌ・ジョエル・オレリア・ベランジェール=カゾーランです」


カゾーランは王族の姓だ。王だけが、ベランジェールを名乗ることができる。王ではない者が国名を名乗れば、その身に裁きを受ける。……あの神様の言う通りになるのは、ちょっとだけ癪だけど。

 不意に、周囲が徐々に暗くなっていることに気が付いた。この場所は神の力を宿していたから明るかったのだ。玉を失い、新たな王を得たことで新たな玉が生じ、この部屋は効力を失った。徐々に薄暗くなっていく部屋は、先ほどと同じ部屋なのかわからなくなるほどに、空気が違っている。


「念のために聞いておきましょう。その首飾りは、玉ですか?」


 フレデリック殿下とギュスターヴ殿下は、ひどく動揺しているようだったけれど、目の前の男は落ち着いていた。殿下方の動揺はわかる。今まで国の礎として大事にしていた玉が壊されていて、今まで自分たちの身近にいなかった者が王になるのだから。むしろ目の前のこの男の平静さがかえって奇妙に映る。この男はこの国を落としたのに、新たな王を冷静に迎えようとしていることが、ひどくおかしい。


「いいえ。これはソルが……神が祝いに下さったにすぎません」

「へぇ……。神も女性に装飾を贈るのですね」

「なんてことを……!」


 銀の髪の男のからかいを含んだ言葉に、フレデリック殿下が声を荒げた。彼にとって、ソルは信仰する神だ。からかいのネタにされることも我慢ならないのかもしれない。フレデリック殿下の言葉に、ギュスターヴ殿下も顔を上げた。


「それは、僕たちの神を侮辱する言葉だ」

「リディが神に認められたのならばベランジェール唯一の王。王に対する侮辱は国に――神に対する侮辱と同義。覚悟しろよ?」


 二人の心境は分からない。けれども私が王である前提で、私を守ろうとしてくれていることはわかる。それは嬉しくあるけれど、私は今ここで剣を抜いてほしくない。


「お兄様方落ち着いてください。あなたは名乗らないのですか? 相手が名乗ったのに、自分は名乗らないなんて、失礼ですよ」


目の前の男は銀の髪を揺らして、愉快そうにクスクスと笑みを漏らした。行動の一つ一つ、どこか優雅であるというのに、この場では歪で、不思議な男だ。当に成人しているように見えるのに、時折妙に子供のような稚拙ちせつなしぐさが見える。


「たしかに、このような美人を目の前にして名乗らないだなんて失礼ですね。ですが僕も名前を出すことを禁じられているのですよ。代わりにこれを差し上げます」

「あ……」


男は私の手を取り、右手を差し出した。―――一瞬のうちに、二本の剣が男の喉元に突き付けられていた。私の左右に立つ殿下方が、私の手を取る男に剣を突き付けて睨みつけている。おかしなことをすれば、すぐにでも切るというように。

 私が王になったことを、二人は受け入れていないかもしれない。それでも、二人は騎士として最善を尽くそうとしてくれている。私を守ろうとしてくれている。それが少しうれしかった。


「……やれやれ、無粋ですねぇ。馬にでも蹴られてしまえばいいのに」


男は殿下方を睨みつけて警戒しながらも、何かを私に握らせた。受け取った瞬間にギュスターヴ殿下が私の肩を引き、フレデリック殿下が前に出る。

 私はそっと手のひらを開いて、男が握らせたものを見つめた。手のひらには紅茶のような赤い石と繊細な銀細工のピアスがあった。少し意匠は違うけれど、私がソルにもらった首飾りと一緒に着けても似合いそうなデザインのものだ。見た目からして女性向けの者だろうけれど、なぜ神の首飾りと似合いの物を異国の男が持っているのだろう。


「それがあれば、いずれ僕の名は分かるでしょう。それではベランジェールの女王陛下、またいつか」

「いつかなんてあるか!」


 ギュスターヴ殿下が怒鳴りつけ、フレデリック殿下が剣を振るうけれど、男はすでに消えていた。消えてしまったということは、レヨンを使ったのだ。


転移クーツォ……?」


 あの男か、すでに姿が見えなくなっていたけれど、男の側近の様な者たちのうちの誰かのレヨン転移クーツォだったのだろう。


「まだ結界が安定していないから、レヨンを使えたんだ。余裕だと思ったら、いつでも逃げることができたようだね」


フレデリック殿下が剣を鞘に戻しながら溜息を吐いた。いいようにあしらわれたことが不服らしく、平時の穏やかさよりも不機嫌さが際立っている。


「リディ、何を渡された?」


ギュスターヴ殿下は私の肩から手を離し、警戒したように顔をのぞかせてくる。けれども私が手のひらを広げると、二人とも微妙な顔をして見せた。どうやら装飾品に詳しくないらしい。


「これがあれば、ね。一応何も仕掛けが施されていないか検査したいな。預かっても構わないかい?」

「ハイ」


 私がうなずくと、フレデリック殿下はピアスを手に取り、何度か手のひらにころがし、見分してから丁寧にハンカチで包んだ。


「あの男……一応警戒しておこうか」

「それよりとっとと出ようぜ。女王の誕生を宣言しないと、他国に付け入られる」


ギュスターヴ殿下が複雑そうな顔でそう言って、フレデリック殿下も苦笑を浮かべた。玉は国が国であるための大切な要だ。玉が壊されてしまった以上、王族は既に権威を失い国も滅びてしまっている。けれども私がもう一度神と契約し王になったのなら、国はこの場所にあることができる。玉の崩壊を確認した以上、二人は私が王であることに賭けるしかない。本当は、王族と言っても今まで関わったこともない者に国を任せるなんて不安なのだと思う。けれども、今はそれしか許されない状況になってしまった。


「……後でちゃんと説明します」


私の言葉に二人はゆっくり頷いてくれた。




 私たちは今まで玉を安置していた、かつての祭壇の間を後にした。私は新しい玉がどこにあるかを知っているけれど、それをお兄様方に教えることは出来ない。この玉は私が自ら選んだ伴侶と、自分の血を継ぐ者に教えなければならないからだ。残念なことに、亡くなった国王の子供は対象外らしい。


「クリス!」


 中庭に出ると、そこにはすでに複数の騎士の人たちが集まっていて、マティアスが指示を出している所だった。第三王子はマティアスの傍で騎士の介抱を受けていて、肩に毛布を掛けられていた。フレデリック殿下がそんな第三王子に駆け寄る。


「フリック兄さん……ご心配をおかけして申し訳ありません」

「無事でよかったよ、クリス。今は回復に専念するんだ」


フレデリック殿下は第三王子を諭すように笑いかけた。そんなフレデリック殿下に、第三王子は一瞬頬を緩めたけれど、すぐに私に気付いて、また警戒するような様子を見せた。


「……殿下、治療いたします」


そう言ってポールと同じ治癒エルドの使い手と思われる騎士が近づいてきた。私はポールではないことに少し残念に思いながら、第三王子が治療を受ける様子を眺めていた。……ポールは何処に行ったのかな。


「……応急処置ですが、これで動けますでしょう。あとは自室で継続的に受けることがよいかと思われます」


治療を終えた騎士は一瞬フラリと疲れたように頭をふらつかせ、私と第三王子の様子を気まずそうに見てから去って行った。空気を図りかねていたのだろう。私は王になったけれど、まだこの国を掌握したわけではない。


「改めて、ご挨拶申し上げます。私はリディアーヌです」


けれども今この場所で、自分が王だと宣言していいものなのかわからなかった。改まった自己紹介に、第三王子は無理やり作ったような笑顔を浮かべた。


「私はクリスチャン、ベランジェール王家の第三王子だよ。……君の、兄なのだろう?」

「……はい」


 クリスチャン殿下の目の前で予知を見た。だから私が国王と第一王妃の血を引いていることは間違いないということになる。血縁上妹だということは認識してくれているのだと思う。けれども、彼はそれを認識したというだけで、受け入れているかどうかは別だろう。


「……クリス、リディは王になった。国は無事だ」

「ギヴ兄さん……?」


 ギュスターヴ殿下が私の前に出た。まるで守るような構図だと思った一瞬後に、守っているのだと納得した。私は王だから、守らなくてはいけない。クリスチャン殿下は継承権を持つ王子だったから、私を害さないようにする必要があるのだ。


「……ご安心ください。今の私に女性を害するような体力はありませんし、そのつもりもありません。説明は欲しいと思っておりますが」


 クリスチャン殿下はギュスターヴ殿下を寂しげに見つめ、ギュスターヴ殿下も少し悲しそうに見えた。私の存在は、二人の兄弟の絆に亀裂を入れる存在になっているのかもしれない。


「……ギュスターヴお兄様。私……」


何か言葉をかけようと思ったけれど、何の言葉も出てこなかった。


「リディ、君が王になった以上、行動には気を付けてくれるね? 君が王族をどう扱うかによって、周囲の動きが変わるのだから」


フレデリック殿下はクリスチャン殿下を支えながらも、私を諭す。フレデリック殿下はおそらくクリスチャン殿下をかばっているのだと思う。私に、王族を守るように言っているのかもしれない。


「……私は、一人で王になるわけじゃありません」


否定も肯定もできず、そう言った。この言葉を好きに受け止めてくれればいいと思う。神はリディアーヌと里穂の二人で王になるように仕向けた。だから、私は一人で王になるのではない。けれども他の人はそれを理解できないだろう。私はたくさん考えるから、それを叶えてくれる臣下が必要だ。それを欲していると思ってくれないだろうか。そして、その地位を欲してくれないだろうか。そうすれば私は、彼らを守るだけのつながりができる。


「リディ――」

「伝令!!」


 ギュスターヴ殿下が何かを言おうとした。けれども、それは伝令を伝える兵の声にさえぎられてしまった。私は騎士の方を向く。騎士は私達の集団を見つけ、フレデリック殿下とクリスチャン殿下の前に跪いた。私が王になったとまだ公表していないのだからしょうがない。


「どうしましたか?」


問いかけると、伝令役は一瞬訝しげな顔をしたけれど、すぐにハッとして私に向き直った。この作戦は私が要なのだ。私のことを知らない者が義勇軍にいてもおかしくはないけれど、話くらいは聞かされていたのだろう。すぐには分からなかったに違いない。伝令役は胸に手を当て、それから大声で報告した。


「はっ! 伝令でございます! 刑務所を制圧し、反抗的な囚人の始末及び、収容された騎士の救出成功! 城下に潜伏及び闊歩する敵兵の闘争完了! 潜伏場所の襲撃完了!」

「イヴォン達がうまくやってくれたのね!」


城下町や刑務所の襲撃はイヴォンやギデオン達の役目だった。それが成功したのならば、国の奪還作戦は成功したということだ。私たちの完全勝利である。


「よく知らせてくれた。では、これより伝えることをすべて知らせてくれるね?」

「はっ!」


伝令の騎士はフレデリック殿下の言葉に、胸に手を当てた。フレデリック殿下は伝令役の態度を確認してから私に頷く。この先は私が宣言しなくてはならないのだろう。


「神と人の契約が再び交わされ、ここに新たな王が誕生しました。リディアーヌ・ジョエル・オレリア・ベランジェール=カゾーランの名を持って、ベランジェール王国、王都奪還作戦の成功を宣言します!」


 私の発言に、連絡役は一瞬目を丸くして、それから伝達内容叫びながら駆けだした。驚いたことに、彼は私の長い名前を間違えることなく叫んでいる。そう。この日、この国に新たな王が誕生したのだ。私は今後、歴史あるベランジェールの後継者であり、生まれ変わったベランジェールの最初の王として、歴史に刻まれることとなるのである。けれど、大変だったこの作戦も、私の治世の導入部分に過ぎない。


 私は、大変な立場になってしまったのだ。大変なのは、きっとこれから。

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