(14) 再び潜入

「ここ、だな」


 ギュスターヴお兄様がそう言って階段を上がる。階段はあるけれど、一番上の段からは天井があまりに近くて、立つことができない高さになっている。階段があるというのに天井が近いのは、そこに扉があるからだ。


「ここは城の庭の一角に通じてる。物置小屋があって、そこに繋がってるんだ」


 ポールがそう言って、背中で天井の扉を開けようとする。どうやら重量があるらしく、ポールが背中で押す天井の扉を、ギュスターヴ殿下が無理やりこじ開ける。扉の上に物が乗っていたのか、ガタンと音がした後は比較的軽く開いたように見えた。もっとも、男の人が二人掛かりで扉を開けたことに違いはないので、私一人でその扉を開けることができるかは疑問が残る。


「大丈夫、誰もいません」


 先に上がって外を確認したのはポールで、私もギュスターヴ殿下に手招きされたために階段を上がった。ポールが私の二の腕辺りを掴んで、上に上がるのを手伝ってくれる。少しくすぐったかったけれど、手首をつかまれると痛くなるのでありがたい。その後にギュスターヴ殿下が、ひょいと上がって来る。


「ここが物置小屋ですか」


上がった先は畳三枚くらいの広さの物置だ。置いてある道具は、どれもこれも辺境で使っている物と何ら変わらない。城には高価なものがあると思ったけれど、こういうところはあまり変わらないようだ。


「上にこれが載っていたから重かったんですね」


そう言ってポールが見ているのは、大量のふるいが入った箱だ。いくつか箱から落ちているので、物音の正体もこれだろう。これより大きい物があったら、二人がかりでもきつかったかもしれない。


「物置だからな、大概は物で溢れかえってるだろ? 扉の上に騎士が空けることができる程度の重さの物を置いて隠してるんだ。」


 ……それで背中で開けていたのか。力、込めやすいものね。

 ギュスターヴお兄様は騎士団の仕事で、地下の道を覚えたらしく、あちこちの抜け道に詳しいようだ。話によると私たちが城に入る時に使った排水路とは別に、下水道もあるらしい。


「妙だな。外に人の気配がない……。城門の襲撃鎮圧に駆り出されたんでしょうか?」

「かもな。とりあえず行こうぜ」


 罠かもしれないけれど、人の気配がないことは功を奏している。目的は王位継承権を持つ者の救出だから、できる限り交戦は避けたい。私は逃げ回ることくらいはできるけれど、高専の場ではお荷物だから、上手に立ち回らなければ。



「わぁ……」


 お兄様方と一緒に馬房へと向かった。馬房にはたくさんの馬がいて、しっかり世話がされているのか、おかしな匂いはしなかった。思わず周囲を見回すけれど、人の気配はない。馬を世話している人に見つかってはいけないと思ったけれど、どうやら今は近くにいないようだ。


「クリスの馬がいないな……」


 馬房はいくつかあって、今見ているのは王族の馬専用の馬房だ。よく手入れの行き届いた綺麗な馬ばかりで、毛並みのいい馬は、思わず頬ずりしたくなるような美しさだ。


「ギュスターヴお兄様?」


ふと見ればギュスターヴ殿下はしゃがんで、地面の足跡を見ていた。いくつか人の足跡もあるけれど、馬の蹄の跡はおそらくひとつだけだ。


「いくぞ!」


 ギュスターヴ殿下の言葉に従い、私達も走り出した。クリスの馬がいないと言っていた。クリスと言うのはおそらく第三王子のことなので、第三王子の馬がおらず、それを連れ出した足跡を追っているのだ。追いかけると、第三王子を見つけることができるのかもしれない。


「……この方向だと、裏門でしょうか!」

「たぶんな!」


 ギュスターヴ殿下とポールの二人は、会話する余裕があるようだが、私は二人の後をついていくのが精いっぱいだ。


「だったら、近道を知っています」

「さっすが! 案内しろ!」


ポールがギュスターヴお兄様を追い越して先陣を切る。……だから二人共、どうしてそんなに速いのよ! 昔はポールより私のほうが速かったのに!


「ここです」


 しばらく進むと、ポールが立ち止った。私たちは建物の陰に隠れてのぞきこむ。


「……あれだな」


尾花栗毛おばなくりげの馬が見えた。馬に隠れているが、銀髪の男と、黒髪の青年の姿が見える。そしてさらによく見ると、馬の腹部のあたりから縄が伸びて、黒髪の青年の足に繋がれていた。引きずり回されるのだと聞いていたし、間違いない。あれが第三王子だ。話の内容は聞こえないけれど、なかなか隙がないことだけはわかる。しばらくは王子様と銀髪の男が会話している様子を見ていたのだけれど、何もできなくてじれったい。銀髪の男は先程から何度も時計を見ているから、時間を確認しているのだろう。ここからはよく見えないのだけれど、それでも仕草で伺うことができた。

 銀の髪の男が時計を胸にしまい込むところで、ポールが弓に矢を番えた。少し変わった矢尻の形をしている。矢尻が刺股さすまたのようなUの字形で、内側が刃物のようになっている。ポールの目線の先は、第三王子にも、銀髪の男にも、馬にも向いていない。おそらく狙っているのは、馬の側にいる兵隊の手元だ。ポールが矢を放った瞬間、私たちは地を蹴った。これで、王位継承者を助けることができる。


「ベランジェール王国の真の第一王女はここにいる! 第三王子殿下を返していただきます!!」


 男の悲鳴が響く中で、そう宣言した。その場にいた者は一瞬視線を彷徨わせて、それから私を見つめる。目の前には銀髪の男、それから先ほどは気付かなかったのだけれど、その側近と思えるものが何人かいた。


「どういう……ことだ……?」


 第三王子殿下が警戒するようにこちらに視線を向けたけれど、口周りは瘡蓋だらけで、話しづらそうな様子が非常に痛々しかった。私はイヴォンがくれた短剣で第三王子を戒める縄を切る。周りで人の気配が次々に消えていくことが怖い。でも今目の前には第三王子がいるのだから、しっかりしなくては。


「リディ!」


名を呼ばれて反射的に避けたのだけれど、すぐに何者かに抱きすくめられた。強い力だ。視界に刃物が映り込んだ。鼻先を埃と汗と血の匂いが掠め、第三王子が私をかばっているのだとすぐに気が付く。


「……君が第一王女ですか?」


目の前には揺れる銀の髪。日の光を好かすきれいな銀糸は、後ろでまとめて肩から前に流している。第三王子が私を守るように抱きしめているので、顔まではよく見えないけれど、それでも警戒する相手には違いない。


「この国の王と王妃の血を引く者です。他の王族に認められて、私はここにいます」


第三王子の腕の中で、私はそう言った。視界の隅ではギュスターヴお兄様とポールが敵兵と睨み合っている。王子が私を抱きしめる腕から、徐々に力が抜けていく。この人はまだ治癒をうけていない。だから、今私を守ってくれているけれど、本当はエミルのように動くのもやっとなはずなのだ。……何故、私を守っているのだろう。この人は、まだ私と何も話していないのに。


「本名はリディですか?」

「答える義理は、ありません」


私がそう言うと目の前の男は笑った。


「ギャアア!!」


その一瞬に敵兵の気がそれたので、二人は目の前の敵を片付けた。やっぱりおかしい。銀髪の男は明らかにいい身分だ。側近に見える者は遠くからこちらを見ていて動かない上に、おそらく主犯であろうこの男の傍にいる兵が、たった二人の騎士にやられるなんておかしすぎる。


「別に偽名でも構わないんですけどね。脅してしまって申し訳ありません」


男の言葉に、私は身じろぎして、第三王子の腕の中から顔をのぞかせる。銀の髪の男が私たちに刃物を向けている様子が、はっきりと見える。


「あなた、何を考えているの? まるで、兵を殺させるために配置しているみたい……」

「フ……」


男はまた控えめに笑う。胸にはゴダールの紋章があるから、間違いなくゴダールの者なのに、どこか違和感がある。


「……聡明なお嬢さん―――お姫様でしたね? 実にお美しい」

「どうしてはぐらかすの? 何か……」

『―――不束者ですが、よろしくお願いします』

「―――あるの?」


今のはなんだろう。いつもの、予知であることは間違いないのだけれど、今までで一番、曖昧にして、意味不明のものだ。あの、たくさん肖像画を飾った廊下を歩くより、もっともっと、意味がわからなかった。今のは、誰だったのだろう。一瞬しか見えない光景は、影のようにしか思い出せないことがある。


「……そう、ですね。あると言えばあるのですが……」


男は短剣を下ろさない。殺そうとしているのではなく、ポールたちを近づけないつもりなのだろうか。これまで怖い思いをしたこともあったけど、彼からはそれとはまた違う、異質な空気を感じる。……プロじゃないから確信はないけれど、それでも、目の前の人を怖いとは思わない。


「僕は、いつも退屈しているんですよ……」


突然男が短剣をしまい私から離れた。第三王子の腕から力が抜け、ポールは私が怪我をしていないかを確認し、そのあとに第三王子に治癒をかけた。ギュスターヴお兄様は剣を構えて、今にも切りかからん勢いだ。


『そんな……』

『嘘、だろ?』


また、予知だ。今のはギュスターヴお兄様と、フレデリックお兄様だった。それから、今度ははっきりと、壊れた彫像が見えた。何を予知したのだろう。


「本当に、予知くりすたを……?」


第三王子の声がした。彼の目の前で王族と宣言しただけだから、レヨンまではわからなかったのだろう。私が今予知を見ているのだと気づき、間違いなく王妃様と王様の血を継いでいるという認識になったのだ。……この人も、私の兄なのか。


「へぇ……。思ったよりも血が濃いのですね。残念だな」

「え?」


……残念って、何が? 銀髪の男はにこりと笑っていて、口調ほどに残念そうには見えない。そう思ったら、突然城の中へと駆け出した。開かれた扉の向こうで、左に曲がったことがわかる。今の余裕の持ち方から、逃げたようには思えないけれど、どこに行ったのだろう。


「―――ア……ヌ……ま。リディアーヌ様!」

「え……?」


 自分の名が聞こえて振り向くと、マティアスがこちらに向かって馬で駆けてくるところだった。慌てた様子に、胸騒ぎを覚える。何かあったのだろうか。


「マティアス!」


彼はまるで落馬するように馬から降りると、さらに自らの足で駆けてくる。出会ってからずっと礼儀正しかった彼のことを思えば、明らかに様子がおかしい。後ろのほうには、フレデリックお兄様達の姿も見える。


「どうしたの?」

「大変です。玉の在り処が既に知れています!」


玉とは国の要ではなかっただろうか。その場所が知れているって、どういうことだろう。その玉の在り処がわからないから、王子達が尋問を受けていたはずだ。すでに、玉のありかを知っていたとは。


「野薔薇の君が、子供のために言ってしまったんです!!」


野薔薇の君、とは第三王妃様のことだ。マティアスは急いだせいか、荒い息を吐き出すように話してくれたので、やや聞き取りづらいけれども、話自体は伝わってくる。


「待て、どういうことだ!? なんで野薔薇の君が……」

「そんな……いやでも余興って……」


ギュスターヴ殿下も第三王子も混乱しているが、おかげで私はいくらか冷静になれた。


「野薔薇の君が脅されたのです。末の王子を拷問にかけると言い、王妃の目の前で足の裏を叩いたのだと」


 足の裏を叩く―――……。里穂の記憶によるところ、それは拷問方法であり、つまりは実践したということらしい。昔少し大きめの木靴を履いていた時に、足の裏を木靴で打ち付けて非常に痛かったことを思い出す。足の裏は大事な神経があるらしく、刺激に繊細なのだとか。……里穂が書籍で得た拷問の知識を思い出してぞっとする。記憶も感情も全部自分自身だと感じているのに、こういう一面が意味不明で、リディとして別の意味で怖くなってくる。なんでこんなの知ってるんだろう。


「フリック兄さん、ギヴ兄さん、彼女が王族であると言うならば急いでください。私は誓いを立てた以上、他者に場所を教えるようなことをするわけには参りません」

「―――わかった。ジャン=ポール、ここは任せたよ!!」

「来い、リディ!」


フレデリック殿下とギュスターヴ殿下が第三王子の言葉を受けて動き出す。


「は……ハイ!」


私も思わず返事をしたのだけれど、皆が混乱しているようで、イマイチ要領を得ない。整理すると、玉は国と神の契約の証。国の礎であり宝でもある玉はどこかに安置されている。そしてその場所が暴かれてしまった。……つまり、国がくなるということだ。大変なことになっているじゃない! そりゃあ王子様方だって慌てるに決まっている! 私たちは先ほどの銀髪の男が駆けていった方へと急いだ。



 城の中に入ってから、私は前を走るフレデリック殿下とギュスターヴ殿下の後ろをついて走っている。いくつも角を曲がったので、道を全く覚えていない。


「ここだよ」

「扉が開きっぱなしじゃねーか!」


突き当たりに差し掛かったところで、壁が扉のように開いているのが見えた。大事な玉が安置されているのに、入口が開きっぱなしなんてありえない。あの向こうに、銀の髪の男がいるのだ。二人はそのまま扉の向こうへと走り、私もそれに習った。扉の中に入るとすぐに右を向いたので、私も同じように右を向く。中は不思議なことに、光が入りそうにない作りなのに明るかった。奥には豪華な石造りの祭壇があって、その中心には人影がある。


「あ……」


 銀の髪の男が口元に笑みを浮かべて、こちらを見ていた。その横には、崩れた赤い色の彫像。紅茶みたいな、私やフレデリックお兄様たちの目と同じ色の石。柘榴石ガーネットだ。里穂が天然石とか好きで、よく調べていたからわかるけれど、あの紅茶みたいな、私の目と同じ赤い色は間違いない。この彫像が、玉なのだ。


「そんな……」

「嘘、だろ?」


 フレデリック殿下とギュスターヴ殿下は跪いて、その崩れ落ちた彫像の一部を手に取る。これは、見た覚えがある。先ほど見たのだ。


「ここへは、いらないモノを処分するために来たんです」


 ……え?

 愕然とする二人とは裏腹に、銀の髪の男は愉快げだ。何を、処分すると言っただろうか。


「実は国内の治安が悪くなってしまいましてね。まあ、そういう原因であるゴロツキを軍で雇って、ある程度は管理するんですけど。今度は軍人であることを理由に悪さに走るんで手に負えないですよね」


 同意を求めるような言葉に、今まで男に感じなかった恐怖が沸き起こる。


「彼らに戦い死んだなんて名誉を与えるのはどうかとも思いますが、おかげで随分と多くの者を処分できました」

「敵の配置がおかしいとは思ったけど、まさか自分の国の民を殺すための配置なのかい?」


フレデリックお兄様の口調はいつも通りだけど、語調はどこか固くて、怒っていることがわかる。彼は継承権を辞してはいるけれど、本来なら一番王位に近い位置にいたのだ。そんな人が今の話を聞いて、怒りを覚えないわけがなかった。


「善良な民に狼藉を働く者は、民ではありません。国を落としたのはそれを望む者がいたからです。邪魔者を処分できて、土地が手に入れば一石二鳥でしょう」

「そんな理由でこんなことしたのかよ!! 俺らの弟たちは何のために誇りをかけて尋問に耐えたんだ!?」

「余興です。楽しませていただきましたよ」


 この国がなくなってしまった……? 馬鹿げている!


「ふざ――」

「ふざけないで!!」


 ギュスターヴ殿下も同じことを言おうとしていた気がしたけれど、気にしていられない。


「あなたがどんな人物かは知らないけれど、治安が悪くなった? 治安が悪くなるのは国の責任でしょう!! 民が犯罪をせざるを得ない状況を作るから、大きな犯罪が増えてしまうのよ!! それなのに処分? 一つの国を犠牲にして、民を処分したというの!?」


里穂がいた日本という国は平和だった。でも地球にも平和ではない国もたくさんあった。小さい犯罪を見逃すことで、大きい犯罪につながると聞いたことがある。壁の落書きを消さずにいると、そこにごみが捨てられるようになり、人が寄り付かなくなり、やがて危険な場所になる。


「民は必死に生きているのに、それを搾取してきた者が、統治が面倒になって匙を投げて、国内じゃ問題になるから国外で処分!?」


 ―――ふざけている。辺境の民は僅かな施しで種を買い、作物を育てて苦労をしながらも助け合い生きてきた。それをなんだと思っているんだ。


「……傑作だわ。国を取り返すために、民が搾取されないために、国が見てみたくて王族になったのに、既に国がないなんて……」


皆の頑張りはどうなると言うのか。王都の民も怯えただろうし、ゴダールとの国境付近に住む民はどうなっただろう。この国には悲しい思いをした人がたくさんいるのに。


「本当に可愛らしくて、愉快なお嬢さんですね」

「ゆっ……!?」


 言うに事欠いて愉快!?  フレデリックお兄様も、ギュスターヴお兄様も怒っているけれど、それでもそれ以上に怒りを見せる私を呆然と見つめている。


「たとえそれが真実であったとしても、僕らの国にはそれができる人間はいなかったんですよ。そんなことを言っては、命がありません」

「ハッ。とんだ国だな」


正しいことも言えないなら国としてどんな秩序を守るのだろう。この国がもうないなんて、私たちはどうやって秩序をこの人に問えばいいのだろう。



 ……国が、ない? ちょっとまって。玉が壊されたら国がなくなる。それはわかるけれど、辺境の教会や修道院はどうなるのか。教会や修道院は結界の役目を担っていて、玉はその機能の要だ。結界は神に誠実を表すことで―――神を祀ることで機能する。現在辺境の修道院や協会はソルを祀っている。たとえゴダールやクロケが玉を壊したとしても、自国の神に誠実を働いたということにはならない。それなら、この国は滅んでしまったけれど、乗っ取られたというわけではないのではないか。彼らはまだ、国を掌握したわけではない。国がなくなるというから、すっかり失念していた。地球では国がなくなるということは、戦争に負けて属国や植民地になり、革命が起きて全く違う国になるということ。フランスは革命が起きて、国王が皇帝になった。ロシアは王朝が滅びてソ連になり、崩壊してロシアになった。このアンベールという世界ではその常識は当てはまらない。誠実を働かない限り、国土は増えないのだから。

 つまりこの国の跡地たる広大な敷地は、誰の支配も受けないていない、多くの国が取り合ったと言う南極のようなものなのだ。初代の王様はどうやって建国したのだろう。神様と契約したと言っていた。それなら……。


「……フレデリックお兄様、もう一度神様と契約することって、出来ますか?」

「え……?」


 私が急にそんなことを言ったものだから、皆目を丸くしている。銀の男も同様だが、すぐに愉快気に目を細めてしまった。


「ちょっと待て、神と契約できるのは神に気に入られた者のみだ。契約がなくなった以上、ただの子孫である俺らにその権利があるとは思えない」


 ……それはおかしい。だって私、思い出した。誰かが私に手を伸ばして、王になれって言った。私は王になることにすがったんだもの。それはいつだった? 最近のこと? ずっと前のこと? 現実だった? 夢だった? 王になれと聞いたのは、言われたのは、そしてすがったのは……確かにだった。



 不意に辺りが暗くなって、殿下たちも銀髪の男も、崩れた玉も、祭壇も消えていた。誰もいない。辺りを見回しても真っ暗で、立ってるのか、浮いてるのか、自分がどこにいてどういう状況なのかもわからなかった。突然のことに怖くなって、手を伸ばしてみる。何かに触れないかと必死にばたつかせてみる。


「あ……」


すると私の目の前に、まるで蛍みたいな小さい丸い光が集まって、人型を形成した。


『よくやったな……』


聞き覚えのある声が聞こえた。大丈夫。この場所は怖くない。


「あなたは……」


 赤と青のオッドアイで、黒い髪。見覚えある気がする。見たことがあるってわかる。それはいつだった?


『やはり、記憶にないか?』

「見覚えあるけど、いつかわかんない」


 そう、いつだっただろう? 間違いなく彼に会ってる。里穂だったか、リディアーヌだったか。


『死んだ直後、お前は誰と話した?』


 義務的な口調。でも、彼はベランジェールを愛してる。私が呼ばれたのは、王になるため。王になれって言ったのはこの人だった。


「マリー、だったと思う」

『本当にそうか?』


 なんだろうこの不遜な態度。ちょっと頭にくる。でも死んだ直後って、里穂……のことだよね? 私は、リディアーヌ、でしょう? なのに、なんで里穂のことを覚えているのだろう。

 今流行りのラノベにある転生と言う物を自身で経験したのだろうか。……いや、それはない。生まれてからあの瞬間まで、リディは里穂を感じたこともなく、記憶も突然思い出したというような感じではなかった。あの瞬間まで、私と里穂は交わったことはない。そして、里穂を感じたあの瞬間、リディは間違いなく、異質な何かを感じていた。

 里穂は妹みたいに思っていた親友の紗奈に、腕を強く引かれた。トラックが近づいていて、でも間に合わなくて、頭から直撃したのだ。当然即死。その時、私を助けようとした彼女も巻き添えを食らって……。首がガクンってなってた。首はわからないけど、腕は折れてたと思う。死んでは、いないと思う。思いたい。それで、真っ暗なところで……。そう。ここでお前は死後も苦しみ続けるとか言われたんだ。


「マリーじゃなくて……あなた?」

『思い出したか』


 そうだ。思い出した。助けてやるって、言われたんだ。頭から血を出して、変な方向に首が回った私の死体を見て、怖くなったんだ。そしたら助けてやるって……。


《私の国に滅びの危機が迫っている。王となるのならば助けてやろう》


 やっぱりいきなり死ぬなんて思わなかったし、すごく怖くて……。それで王になるから助けてってすがったんだ。……我ながらなんて情けない。


『人とはかくも愚かな者。私が与えた国を蔑ろにするとは……』

「王様のこと?」

『私は多くの王を見てきたが、愚かな王など掃いて捨てるほどいた。私が国を与えたあの者に比べるべくもない』


最初の王様は、神様がお気に召したのだ。ベランジェールの最初の王様……。


「なんで、私を王にするの? 他の人じゃダメなわけ?」

『裏切り者がいたのだ。それ故お前を選び、異界から魂を呼び寄せ、お前の魂と混ぜ合わせた。記憶が流れ、二つの魂が馴染めば、記憶の混乱もなくなるだろう』


 魂が混ざり合うってすごい言葉……。


『……もう数千年、国造りの儀式はなかったが、そなたは認められたのだ。お前は死に、頼る甲斐無き今の王族とは比べるべくも無き知識がある。厳しい環境で育ったそなたは判断力も申し分ない。知恵ある聡明な者を求めていた』


 私がそうだって判断されたってこと? 聡明って、たしかに里穂は天才だと言われることもあるような人だったけど、国王なんて今まで経験したこともない、権力なんて縁のない一般家庭に生まれたというのに、なんということを任せるのだろう。


『都合のいい魂を見つけたので、二人の魂を混ぜ合わせた。混ぜてから時も経過した。だいぶ安定しておろう』

「意味わかんないしっ! 魂を混ぜたって、その場合私はどうなるの!? 里穂なの? リディアーヌなの!?」


二つの魂を持つ、私はいったい誰なのだろう。


『魂は混ぜ合わせたから一つだ。今はもう異界の少女の記憶も自然と溶け合っておろう。そもそも個人は何を持って特定される? 見た目か中身か声か?』


無駄に高説で腹が立つ。確かに実際に自分を特定するのって、深く考えると難しいけど。興味惹かれるテーマだけど。


「……今、私はどうなってんの?」


不意に、先ほどの祭壇の前が気になった。フレデリック殿下たちは大丈夫だろうか?


『ちょうど消えたように見えたであろう。戻るか?』

「……私が皆を動かしたんだもん。手ぶらじゃ帰れないよ」


この変な空間に流されて、また里穂だかリディアーヌだかが曖昧になったけど。里穂はいない。死んだ里穂を見たんだから、リディアーヌであるしかない。どっちが私かを考えたらまた混乱する。


『なかなか上手く王族を振舞っていた』

「行こうって言って、先頭に立っただけ。私は何もしてないよ」


 マリーがついてきてくれた。ポールが守ってくれた。サンクやギュスターヴ殿下が案内してくれた。イヴォンとアルは義勇軍を組織したし、フレデリック殿下が城門を襲撃してくれた。私がその場にいないことのほうが、国の開放には重要事項だ。私は何もしてない。


『王とはそういうものだ。守られることを許容し、人を使ってことをなす。今回お前は騎士の士気を気にしていた。それも重要な仕事だ』


 たしかに私はそれを気にしていた。士気が下がったら国がなくなっちゃうから。私の大好きな村がなくなっちゃうから。国を取り返すには私が王族でなければならなかった。王族と認められるには、王族を演出して士気を高めるしかなかった。


『忘れるな。王は決断する者であって、動く者ではない。前線に出る王もいるが、地盤が固まればそれもなくなる』


持ち上げられていることがわかる。だって目の前にいるこの人は、私を王様にするために呼んだのだから。


「選択肢、ないんだよね」

『選択肢はある。王になるか、里穂として死を選ぶか。今なら後遺症は残るが、魂を解離も分離もできよう。その場合は契約をこなしておらぬ故、王とは認めぬ。ただの辺境の娘など、お飾りの王になるのが落ちだ』


そうだろうなぁ……。というか、それは選択肢があるとは言わない。


「なんで、リディアーヌだけじゃダメなの?」

『契約だからだ。私には最初の王との契約がある。できればこの国を守りたかったのだ。……私の力を引き出すには、契約に誠実である他ない』


要領を得ない。言ってることが理解できなくてまた苛立ってしまう。質問しているのに、一番知りたいことが知れないなんて、じらされているようだ。


「私の知りたいことは知れるかな……?」


 私にとって一番重要なことだ。最大の原動力の好奇心があるからこそ、私はここまで来られた。


『王となれば身動きは効かぬが、出来ることは増えよう』


目の前の者の黒髪が揺れる。片目は私と同じ色の目だ。……そういえば、ソル神は男神なのか、女神なのか。リディが小さい時に聞いた気もするけど、思い出せない。目の前の存在は神というだけあって、本当に綺麗だ。声は中性的で、見た目も同様。細身の男と言われれば納得できるけど、女にしては体格がいいというほどではない。シスターミモザは、何か言っていただろうか。


「……辺境を守ることも?」


 私がそう尋ねると、目の前の者は頷き、また黒髪を揺らす。今まで辺境は第一王妃様のおかげで、貧しいながらもやってこれたのだ。私が王になったら、もっとこの国の民が豊かな暮らしをできるようになりたい。隣国とも国境を隔てているから、騎士をなくすなんてことは多分できないだろう。日本にだって自衛隊はあったから、国を守ることにこそ誇りを持つ騎士にしたい。


『お前次第だ』


 その言葉が頭の中に響いたとき、周囲はとうに明るくなっていた。

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