(13) 一時離脱

 地下牢は相変わらず薄暗くて、妙な臭気が充満している。お城の地下牢なはずなのに、おおよそ管理されているように思えない場所だ。それもそのはずで、フレデリックお兄様が言うには、今ではもう使われていないらしい。有事の際のために数年に一度、設備を点検するだけで、あとは放置されているのだ。城に地下牢があったとして、王族の傍に犯罪者を置くわけにはいかないと判断した物が大昔に存在したのだという。確かに皇居に刑務所があったらと考えると疑問に思うので、妙に納得してしまう。

 扉の外の様子をうかがうサンクの視線の向こうを見れば、突き当りに人の影が見えた。突き当りは曲角まがりかどになっていて、人の姿は見えないけれど、影からすると一人だろうか。


「うぅ……!」


 倒れた男が長時間戻らなければ、あの影がこちらに来てしまうかもしれない。そう思った時に、第四王子のエミリアン殿下がうめき声をあげた。


「だい……」

「しっ」


ポールが応急処置だと言っていたので、もしかしたらまだ体がつらいのかもしれない。そう思い声をかけようとしたけれど、フレデリック殿下に後ろから口をふさがれた。突然のことで目を瞬かせていると、エミリアン殿下の口元が笑みを浮かべていることに気が付いた。拷問を受けたふりをしているのだ。そう気づいた瞬間に、幼い少年が機転を利かせていることにひどく切ない気持ちになってしまった。孤児院の同じ年頃の弟妹達は好きに笑っているのに、彼には責任が付きまとっている。


「……いいもんだよなぁ、俺も鬱憤ぐらいは晴らしたいぜ」

「はは、まぁ、次は変わってもらおうぜ。我慢強いガキを喚かせるのも楽しそうだ」


 二人いる! 見取り図の通りなら、あの曲がり角の向こうには階段があるはずだ。その階段の前に見張りが複数人いるとなると、こちらから出ていくには分が悪いように思う。


「サンク……危ないかもしれないけれど……」

「心得ました、リディアーヌ王女殿下」


 私がサンクに声をかけると、彼は何が言いたいのか、全てわかっているというように返事をした。先ほど入ってきたところから上に上がると、すぐに天井裏へと消える。あの影が揺らめく瞬間が、こちらの動く時だ。


「にしてもあいつの声が聞こえねえなぁ。いつもは煩いくらいに笑ってるってのによ」


なんてやつなのだろう。相手はまだ成人していない子供だというのに、少年を嬲りながら笑うなんておおよそ正気の人間とは思えない。怒りがふつふつとわいてくる。


「おい、お前、どうした……?」

 

不意に、影がグラリとよろめいた。


ひあいや……。らんらあなんだかりゅうい急にれううねむく……」


 ポールとフレデリックお兄様が駆け出した。足音は未だ靴を履き変えていないこともあって鈍い。サンクが影の主に睡眠薬か何かをけしかけたのだろう。しかし急激な眠気でここまで口調がおぼつかなくなるのだろうか。もしかしたら、麻酔の様な物を使ったのかもしれない。里穂がそんな物を常用するミステリーを見ていた気がする。……花岡流で全身麻酔の実験台になった人は失明してしまったので、麻酔なんて絶対に常用するものではないと思う。


「お前……グァアア!」

「なんだ……グゥ!」


聞こえる断末魔に、自分の着ている服の袖を強く掴んだ。怖いけれど、耐えなくてはいけない。私は国を取り返すためにいるのだから。


「……リディ、あった」


 ポールは角から顔を出して鍵束を見せてくれる。これで牢屋の部屋を調べることができそうだ。返り血を浴びたのか、ポールの袖口に赤い染みができていた。


「エミリアン殿下、もう大丈夫みたいです」

「ガァ……あ……うん」


 私がエミリアン殿下に手を差し出すと、彼は戸惑ったように私の手を取った。その時一瞬足がバランスを崩しかけた。おそらくずっと歩けない状態だったから動かしにくいのだろう。リハビリをして、しっかり動けるようになればいいけど。


「ポール……」


またポールって言ってしまった。フレデリックお兄様の前ならばいいだろうか。すでにポールと呼ぶことが癖になっていて、意識していないときにポロリと出てしまう。


「これです……」

「ハイ……あ」


鍵を受け取るときに、ふと下を見れば、そばに寝そべる一人が荒く呼吸を繰り返していた。肩から胸にかけて血が出ているけれど、即死できなかったらしい。何度も、何度も、荒い息を繰り返す……。


『呼吸が荒いでしょう……?』


だいぶ昔に、看護師さんがお母さんに説明していた。


『亡くなられる人は最後に……』


それは祖父じいちゃんが亡くなった時だ。


『息を、飲み込むんです』


倒れた男の人の口が閉じて、喉が動いた。


『まるで、吐き出すことをやめるように……』


―――男の人の呼吸が止まった。まるで、言いたいことを言わずに飲み込むみたいに……。


 また、こめかみの辺りが冷たく感じて、そばにあった何かに縋り付いた。


「リディっ……」


それは、私を傍で見守ってくれていたポールだった。そばにあれば布切れでも、飾り鎧でも、なんでもいいと思って手を伸ばしてすがりついた。しがみついた彼が暖かくて、思わず泣きそうになる。泣いてはいけないと、その思考が一番私の涙腺を刺激していた。


「まだ、見なくていいから……」


抱きしめてくれるポールは、やっぱり昔とは違う人のようだった。確かにポールはボドワンにいた頃から強かった。けれどいつもどこか複雑そうな顔をしていて……。とてもぶっきらぼうで……。


「リディ?」

「だい……じょぶ……ごめんなさい」


 私は騎士団の士気を高めるために来たのだから、こんなところ見せちゃいけない。大丈夫だ。ポールがいるから大丈夫。砦ではマリーが待っているのだから大丈夫。絶対的な味方がいるのだから、大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。何度も、何度も、私は大丈夫だと言い聞かせる。落ち着かない思考を、ポールやマリー、ボドワンのシスターのことを思い浮かべて、無理やり落ち着かせる。


「……無理、させているね」

「違うんです。大丈夫、行きましょう。早く他の部屋を見ましょう」


フレデリックお兄様が申し訳なさそうに言うので、慌ててポールから離れた。離れようとする私の顔を覗き込むポールの優しさが嬉しい。それから、心配かけていることが申し訳ない。


「自分は見張っています。王女殿下、お急ぎください」

「ハイ」


私は一度頷くと、ポールから受け取った鍵束を見つめる。どれがどう違うのかはわからない。一つ一つ確認してみるけれど、どれだろう。


「犯罪者は王宮に収容していないから、どの扉を開けても敵は出てこない。だから怖がる必要はないよ」

「ハイ」


 フレデリックお兄様の言葉にわずかにほっとして、私は近くの扉に近づいた。扉ののぞき窓からは、レースのついたドレスの裾が見えた。おそらく女性が収容されているのだ。


「これ……ちがう、これ……」


一つ一つ差し入れてから回してみるのだけれど、全く合わない。二十個くらいあるだろうか。何個目かを試した時、カチャンと音を立てて鍵が回った。


「あい……た……」

「だれ……?」


中にいたのは長い髪の女性だった。外傷はないが、体力は著しく低下しているようだ。薄暗い中でも、警戒する様子ははっきりとわかる。いわゆる座敷牢になるのか、室内はエミリアン殿下がいた場所とは違ってきれいだけれど、それでもどこかかび臭い。こんな部屋、本来身分の高い女性がいる場所ではないだろうに、彼女はずっと耐えていたのだろう。


「ポール……治せる?」

「俺の治癒は怪我を治すためのものだから無理だ」

「雛菊の君!」


 私とポールが話している横から、フレデリックお兄様がすり抜けるように牢屋の中に入って行った。


「フレデリック様、無事でしたのね……」

「ギュスターヴも無事で、作戦に参加しております」

「ギュスターヴ……!」


雛菊の君は泣き出してしまった。そうか、ギュスターヴ殿下を気にするということは、第二王妃で、ギュスターヴ殿下のお母様なのだろうか。お母さん……お母さま……うーん。


「第二王妃様、喉が渇いておりませんか? このような形で申し訳ないのですが、飲んでください」


 私が水筒を差し出すと、第二王妃様はありがとうと小さく言ってから水筒を受け取り、一瞬ためらって飲みだした。


「――本当にありがとう、美味しかったわ。あなたは……?」

「王妃様、第一王女に予知クリスタが受け継がれていないことを疑問に思ったことはありませんか?」

「それは……」


 雛菊の君は言葉を詰まらせた。予知クリスタは王様と第一王妃の間に生まれた子にしか受け継がれない、それを知っているのは王室に近しい者のみ。やはり、王室にも疑問を思う人はいたのだ。


「ベアトリスは我々の妹であることに変わりはありませんが、彼女の母親は王都の民です。このリディアーヌこそが、真の母上の娘なのですよ」

「では、この子……いえ、この方が……?」


 フレデリック殿下の言葉に、雛菊の君は私とフレデリック殿下を何度も見比べる。


「今回の国の奪還作戦の要を担っています」


やはり、雛菊の君は戸惑っているのだろう。すぐに受け入れられようとは思っていない。私だって戸惑ったし、あくまで年上の親しい人という感覚でお兄様って言っているだけだし。いつかこれが孤児院の兄様たちを慕っていた時のように、心からお兄様と言える日が来るのだろうか。


「……白百合の君は、陛下を裏切ってはいなかったのですね……」

「え……」


 白百合の君とは第一王妃様だったはずだ。彼女が陛下―――王様を……? そうか。ずっと他人事だった自分の立場が少しわかってきた。周りから見れば私はていのいい存在なのだと思っていた。世界を見たくて村を出て、王族として士気を高めるためだと言うことも納得した。世界を見たいと思っているのに、イヴォンとアルを理由に着いてきたのだ。里穂の記憶は私の好奇心を刺激する。とりあえず、求められるままに王族として求められるものを演じてみた。十五年前の正妃様の懐妊や出産は、誰もが知ることだ。生まれた王女が予知を受け継がなかったということは、王の子ではない可能性が疑われる。きっと悪い噂や嫌がらせだってたくさん受けただろう。それでも妹を他国へ送り出し、王に仕え国の母として民を慈しんだ。私の存在は、白百合の君の誠実を証明する真実なのだ。


「……雛菊の君、一度避難しましょう。ギュスターヴ殿下ともそこで合流します」


 牢屋の各部屋にいたのは第三王妃様と、それぞれの王妃様付きの近衛など、様々だった。雛菊の君はエミリアン殿下のことを心配していたらしく、彼を見るなり抱きしめていた。そういえば第三王妃様は私達を見ても怯えているようだった。よくよく考えるとずっと拷問を受ける王子様の声を聞いていたのだから、怖かったのだろう。フレデリック殿下が赤子を抱きしめる彼女に何度も声をかけていた。

 王妃様方を救出したので、あとは避難するだけである。王妃様方が天井に上がれるのかと思っていたら、別の抜け道からさっきの道に出ることができた。さっきの通路は一階の床下でこの地下牢の天井裏に出る通路。これは地下牢からの抜け道。お城っていうのは抜け道だらけらしいけど、本当にそうなのだ。

 避難場所はルナール公爵別邸。砦で待っていたしっかり者のマティアスの邸だ。本当の持ち主である彼の父親は、マティアスを王宮の見取り図とともに逃がしたあとに、襲撃の混乱で殺されてしまったらしい。だから家主はマティアスと言うことになる。遺体がどこに捨てられたのかなんてわからない。人を殺して、侵略するなんて間違えている。でも、今私の選択肢は人の命に関わっている。今の自分を間違えているなんて、絶対に言ってはいけない。



「ギュスターヴ!!」

「母上!」


 地下通路をしばらく移動すると、ようやくサンクがここだと教えてくれて、扉を開けてくれた。出た先は階段の裏のようだ。王妃様方がいたので何度も休憩をとったのだけれども、一応計算のうちなので問題はない。それでも気がせいていたので、休憩のたびに私は少し挙動不審になっていたように思う。タイムスケジュールはイヴォンが考えてくれたので、問題ないと思っていても、気になってしまったのだ。


「まぁ……顔をよく見せてください」

「母上、俺は大丈夫です。……エミルも無事だったんだな、よく耐えた」


ギュスターヴお兄様は既にたどり着いていたらしく、すぐに出迎えてくれた。雛菊の君は一度ギュスターヴお兄様を抱きしめ、エミリアン殿下も彼に駆け寄った。そんなやり取りに、当たり前のことながら少しだけ疎外感を感じてしまった。そういえばサンクはもう一度城に戻ると言っていた。地下牢に人が来てもいいようにいじるらしいけれど、何するのだろう。


「王妃様方、部屋を用意しておりますので、どうぞお休みください」


この屋敷のメイドと思しき女性が声をかけて来た。王妃様方がお休みできるように、部屋を準備してくれていたらしい。


「ええ、わかったわ」

「……はい」


雛菊の君はしっかりとしておいでだけれど、第三王妃様はまだ元気が出ないようだ。赤ん坊を抱きしめ、フレデリック殿下に肩を支えられながら震えている。ずっと冷たい地下にいたのだし、霜焼けや凍傷になっていないといいのだけれど。……ってメイドさんの顔に見覚えがあるのですけれど?


「マリー!」

「リディ、心配したのよ」


……いやいやいやいや。心配したのよ、じゃなくて……いや、心配かけてごめんなさいだけれど。


「どうしてここに!」

「あのね、私はリディの侍女なのよ? そばを離れるわけ無いでしょう?」


 マリーの言葉に胸の内がじんわりと温かくなる。やっぱり彼女はお姉さんだ。私にとって大切な優しいお姉さん。


「ポールも一緒だったのね? ポール、リディを危険な目に晒してないでしょうね」

「今が危険なのに、どうしろって言うんだよ!」

「そこをなんとかするのが男ってもんでしょう!」

(……うわ、なんか言い争いに発展しちゃったよ)


マリーが怒って、ポールが言い返していて……いいなぁ。


「リディ、ポールの働きはどうだった?」

「え……?」


羨ましがっている間に何故か矛先が私に向いていた。マリーはポールに指さしていて、ポールは余計なことは言うなと言うように首をブンブン振っている。


「ポールは、私のことしっかり守ってくれたよ?」

「へ~えぇ」

「っば……」


……あ、馬鹿って言いそうになったのを押しとどめた。マリーの背中しか見えないけれど、どんな顔をしているかくらいはわかる。幼馴染だもの。きっとポールをからかうように目を細くしているのだろう。それで、ポールが決まって真っ赤になるのだ。


「あれ、お前らまだいたのか?」

「え?」


ふと見れば階段の手すりから身を乗り出してこちらを覗き込むギュスターヴ殿下のお姿が……。周りを見てみると、誰もいなくって、私たち三人だけだった。どこか行くなら声をかけてほしかった。


「ギュスターヴお兄様はどちらに?」

「ああ、一度食堂に。緊急時の会議室だ」


 食堂が会議室のようだ。でもたしかに、お金持ちの食堂というのは広いイメージだ。机の端っこに座って、対面の人が見えないような……。さすがにそれはない。マリーの家でご飯を食べたこともあるし、何なら孤児院の食堂だって広かった。けれども対面が見えないような広さではなかったし、そんな部屋宴会場所でもない限り扱いづらいだろう。


「じゃあご一緒させてください」

「ああ、来いよ」


ということで、私たちは階段裏から廊下に移動した。ちょうどギュスターヴお兄様も階段を下りきったところだけれど、見えなかっただけでエミリアン殿下もご一緒だったようだ。ポールが怪我を治したのだけれど、指先にはまだ爪が生えていないので痛々しい。あとで包帯をもらってきて差し上げようかとも思ったけれど、おそらく治療する手はいくらでもあるだろう。


「あの、あなたはギヴ兄様のことを……兄と……」

「はい?」


 ……兄と、呼んでいるかということ?


「……エミル。お前は俺らと違って、継承権があるんだからわかるだろ? 外が団結するには継承権を持った王族が必要だったんだ。お前が頑張っていたように、リディも今まで縁のなかったことをやる羽目になった。お前も協力するよな?」

「にい……さ、ま……」


エミリアン殿下はなにか言い返そうと思ったようだったけれど、ギュスターヴ殿下と目が合うと口をつぐんだ。今のは私でも意味がわかった。この団結の時に士気を下げるようなことだけは言うなと、ギュスターヴ殿下が釘を刺したのだ。


「……わかりました。兄様たちが認めているのなら、僕もそれに習います」

「改めまして、リディアーヌです。親しい人は皆リディと呼びます」


本当は名乗る時にいつも悩んでいたりする。王族のつもりで動くのに王族の姓を名乗らないわけにはいかないからだ。けれども、王族の名前には、装飾のようにいろいろな名前がくっついているし、それをどのように考えるのかもわからないし、でっちあげることもできなかった。だから、リディアーヌと名乗るのだ。


「僕はエミリアンといいます。どうぞエミルとお呼び下さい。それから口調もかしこまる必要はありません。僕は、弟、ですから」


まだ幼いのに、彼には王族としての自覚があるらしい。けれども彼は、継承権を未だ保持したままの王族だ。内心では私のことが気に入らないかもしれない。


「わかったわ、エミル。よろしく」


それでも私はエミリアン殿下に、親しみを込めて“エミル”と呼ぶことにした。


「ハイ、リディ姉様……とお呼びしても?」

「ええ、喜んで」


 これでいいのだ。村を出るときにこうなることも想像していた。それでもだんだんと引き返せない場所へ向かっていると感じる。


「エミリアン殿下」


 マリーが少し前に進み出て、胸に手を当てて、エミルの名前を呼ぶ。


「誰?」

「リディアーヌ王女殿下の侍女のマリアンヌと申します。よろしければ、包帯をお持ちしましょうか?」

「あ、うん。お願いするよ」

「ハイ、では失礼します」


 マリーは頭を下げてどこかへ去ってしまった。私たちはそんな彼女を見送り、それから食堂へと向かった。私も包帯が必要だと思った。マリーも同じように思ったのだろう。



「イヴォン、アル!」


 食堂には見慣れた顔があった。思わず気が緩んで、二人に駆け寄る。奥にはフレデリック殿下の姿も見える。本当に置いて行かれたんだなぁと思えば、気付かなかった自分自身に少しだけ呆れてしまう。周囲を見るだけの余裕が欲しい。


「リディアーヌ様!」

「殿下方もご無事のようで何よりです」

「あれ、マティアス? 誰と……」


フレデリックお兄様に隠れていて見えなかったのだけれど、マティアスの姿もあった。よく考えるとマリーが来ていたのだから、マティアスが来ていてもおかしくはない。ここは彼の邸なのだから。でも、マティアスが話しているのはいったい誰なのだろう。壮年といったふうで、マティアスどころか、アルやイヴォンよりもずっと歳が上のように見える。


「無事で何よりです。エミル様も無事で良かった」


 マティアスはこちらに気がついたようで、今まで話していた男の人から離れて、こちらに歩いてきた。エミルのことを心配していたのだろう。


「うん。ところで、リディ姉さまはフォルクレ軍師のこと……名前で呼んでいるの?」


 ……あれ、なんか急に寒くなった? さっきよりも気温が低くなった気がする……。食堂の中を見渡せば、皆が冷や汗を流しているし、奥の騎士たちは青ざめている。


「ええ、そうですよ」


あれ、なんでエミルまで青ざめて……?


「ガッハッハッハ! どうやら王女殿下はなかなかに大物らしいですな」


 豪快な笑い声を上げたのは、先ほどマティアスと話していた男の人だ。


「初めまして、王女殿下。王室の武術指南役も兼ねていますが、騎士団にて大将軍の位を授かっております、ギデオン・バラスコと申します」

「バラスコ、大将軍……。なんとお呼びすればいいですか?」

「ではキデオンとお呼び下さい。王女殿下」

「……わかったわ」


 私がそう言うと、やっぱり大将軍のギデオンは愉快げだった。なかなかに豪快な人物のようだ。おかげで冷えた空気が温まった気がする。


「それでは、状況の確認をしましょうか」

「あ、ハイ」


イヴォンに急かされて、私たちはそれぞれ席に着いた。会議を始める前にマリーが入ってきて、エミルの手当を始める。


「ちょっとおかしな自体に気づいたのだけれど、いいかしら」

「お願いします」


あ、私は確認する必要はないのだった。根っからの庶民なものだから、やっぱり身分の高い人の振る舞いは苦手だ。


「なんだか敵の動きが鈍すぎる気がするの。罠ではないかしら」

「それは僕も思っていたところですよ。見張りの者も、なんというかガラが悪いんですよねぇ」


 やっぱりイヴォンも気づいていたらしい。地下牢でもおかしいと思ったのだ。誰も駆けつけてこなかったし、ポールが見張りを射殺した時もそうだ。今日処刑が行われるのなら、残党が動くということに気づかないわけもない。むしろ警戒しているはずなのに、ことはあっさり運んだ。人員不足で第三王子の処刑に人員を固めているのだろうか。その場合は私たちが侵入した際に犠牲になった人が捨て駒ということになる。いくらなんでもそれはあんまりだ。


「捨て駒でしょう……。我が国では理解しがたいことですが」


 私が否定しようとした考えを、あっさり肯定したのはアルだった。私が眉をひそめたのに気づいたのか、さりげなくフォローを入れてくれる。……お風呂で襲われた時のフォローはひどかったのに。


「相手の策だったとしても十分に警戒する他ないわ。ここでためらっていたら危険なのは王子殿下だもの」


たとえ策略であってもそれに乗る他ない。


「イヴォンとアルは義勇軍をお願いね。フレデリックお兄様は城門をお願いします」


 あらかじめ決めていた通りに動き、対処していく。そうすることで、相手の狙いを導き出さなければ、国を襲いながら捨て駒を配置する等、理解できない。


「僕に何か手伝うことはありますか?」


話に入り込んだのはエミルだ。彼は未だ継承権を持つ王族だが、まだ体力が回復しきっていない上に指の爪も再生していない状態だ。はっきり言って応急処置を受けただけの少年では、扱いは怪我人と何ら変わらない。


「エミル、お前は安静にしているのが仕事だよ」

「ですが、僕も王族です。兄様や姉様の助けとなりたいのです!」


フレデリックお兄様がやんわりと反対するが、食ってかかった。この場合の姉様とは、私ではなく第一王女なのだろうか。エミルの気持ちはなんとなく察することができる。それでも賛成はできない。


「お前は、この屋敷で休んでろ」

「ギヴ兄様!」

「俺はまた母上たちから離れないとだからな。お前が俺の代わりに母上のそばについていてくれ。野薔薇の君のことも気になる」


 エミルはそれ以上何も言えないようだった。たしかに弱っている王妃様方を残していくことは心苦しいので、一人残ってくれれば心の支えにもなってくれるだろうし、安心できる。


「では、もう九時を回ってしまいました。もう一度動かなければいけません。私に力を貸していただけますか?」


 私の問いかけに、食堂にいた騎士たちがうなずいてくれた。

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