(12) 地下牢へ潜入

 私達潜入班は先に移動する。潜入は二回行うのだけれど、私はその両方に班分けされている。まず、私達少人数が谷の抜け道を通って、王都へ入る。地下牢にとらわれている王族の開放が重要任務だ。その間に人数を多めに編成した別働隊が、谷に潜む敵を掃討し、どこかで潜入班と合流する。どこかと言うのは私が知らないだけで、誰かの屋敷と言うことが決まっているらしい。

 一度そこで、王都に潜伏している者達と打ち合わせを行い、彼らは城下町を。私たちは城を奪還するという手はずだ。作戦の流れは把握しているけれど、私は潜入の方に集中するように言われている。……把握したからと言って、初心者の私はいることが肝心なのであって、できることなんてないからね。

 谷の近くまでは馬で移動し、谷が見えたあたりで馬を降りた。蹄の音が響いて、潜伏している敵に気付かれてしまうからだ。昨日の騎士のうちの一人が案内役を務め、残りの二人は馬と一緒に待機してくれている。案内役もあくまで案内役で、谷を出たら彼だけ引き返すことになっている。一人で大丈夫なのかと心配していたけれど、谷の抜け道は本当に獣道で、誰かが潜伏した形跡もなかった。おまけに抜け道も、木々の間をすり抜けて、獣道を突っ切ったところにあるため、簡単には見つからなかった。時折不思議な匂いがしたので、おそらく薬草の群生地を通っていたのだろう。谷を出た私たちは、案内役の彼に礼を言って見送った。谷まで着いてくれた彼らは、このまま別働隊に合流して掃討に参加するのだ。ここからの行動は、しばらく私とポール、イヴォン、アル、フレデリックお兄様のみとなる。

 谷を越えれば森林地帯が広がり、私たちはしんとした森の中を、突っ切った。途中、何度か人の気配を感じたのだけれど、イヴォンがナイフを投げて黙らせていた。敵かどうかは確認していない。夜明け前とはいえ、平民の可能性はゼロではない。私はそう思ったけれど、彼は容赦なかった。迷ってはいけないのだと、肌で感じた。


「あれが見えるか?」

「あれ……」


 囁きながらポールが指をさすのは、王都をぐるりと囲む壁だ。外壁の扉近くにはやっぱり見張りがいる。暗闇だけれど、辺境育ちの私は夜目が利く。六人だろうか。


「どうするんですか?」


 私が傍にいたフレデリック殿下に尋ねたのだけれど、答えたのはイヴォンだった。


「大丈夫ですよ、リディアーヌ様。……行けますね?」


 イヴォンが尋ねると、アルとポールが頷いた。二人共無言で背中の矢筒から弓を取り出し、それぞれ矢を番えた。ポールが弓を得意とすることは知っていたけれど、アルも使えるようだ。


「俺は右だ。合わせろ」

「はっ」


 アルの言葉に、ポールは小さく返事して、左の外壁に立つ者に矢を向ける。アルは私に話すときは一人称が“私”だったけれど、いまポールに話すときは“俺”と言った。こちらが素なのだろうか。

 弦をはじく音が聞こえる。そうして、二人が同時に矢を放つたび、見張りに立っている敵兵が倒れる。海外のサスペンスだっただろうか。不意の攻撃に対して、人々の気付くタイミングについて語られていた。それで使われていたのはライフルだったけれど、一人目が倒れ異変を察知する。二人目が倒れ、それが攻撃であると理解する。そして三人目が倒れた時に、周囲の人がパニックを起こすと。

 ポール達の攻撃も同じだ。一人目が倒れると、おそらく様子をうかがうだろう。二人目が倒れて、異常を察知する。重要なのは三人目を攻撃するタイミングだ。今回は気付かれてはいけないので、二人目が倒れた時点で、何らかの伝令が走る可能性がある。だから、アルとポールは攻撃のタイミングを合わせるのだ。

 二人が矢を放つたびに、人が倒れる。声を上げようと口を開いた者が、矢を受けて倒れる。私は隣に立つ、少し高い位置にある、真剣な顔をしたポールの横顔をただ眺める。

 ……私の隣にいる人は、いったい誰なのだろう。あの優しくてぶっきらぼうな、私の幼馴染なのだろうか。私が熱を出したら、野菜と一緒に薬草を届けてくれて、マリーが怪我をしたら背負って運んでいた、私たちのポールなのだろうか。


「流石、騎士団一の射手だね」


 あっという間に六人を殺傷し、フレデリック殿下が感心したように声を上げる。イヴォンもそう言っていたし、私だって、ポールの弓の腕前は知っている。どうして、こんなにも私の知る彼は食い違うのだろう。こんなに違和感のあるポールが、フレデリックお兄様にとっても、イヴォンにとっても、アルにとっても、それからたぶんギュスターヴお兄様にとっても、当たり前なのだ。王都に近づくたびに、辺境の平和な日常から一歩ずつ離れていることを、実感せずにはいられない。


「……行きましょうか」


 イヴォンのその言葉に顔を上げる。見張りの六人は倒れているようで、ピクリとも動かない。ポールとアルが倒したからだ。促されるままに走ったけれど、死体を直視することは出来なかった。これが私の選んだ選択肢なのだと、わかっていたつもりでも、やっぱり怖かった。覚悟を決めなくてはいけないのに、いくら覚悟を決めても足りない気がする。

 ……ポールは、騎士団に入って弓の腕を上げたみたいだ。今私たちがこうして動けるのは、ポールのおかげなのだから、恐がってはいけない。

 倒れる見張りを後目に、私達は排水路から王都へと入る。薄暗い排水路は意外にも手が入っているようで、埃っぽいけれど苔むした様子もなく、歩きやすい石造りの道が続いていた。……ちょっとくさいけど。

 入り組んでいて暗い排水路を、アルを先頭に進む。アルは常に片手を上げた状態で、その手が光っている。おそらく光を使っているのだろうけれど、何の力なのかはわからない。不意に、何かが光を反射した。


「出口……?」


出口が見えたのだと思ったけれど、水が排水路に流れる場所には、当然とでもいうべきか、鉄格子が駆けてあった。格子の感覚も狭く、とても人が出入りできる場所には思えない。


「……出口は、どこにあるんですか?」


鉄格子の向こうには人の気配がない。ここから出ることができればよかったのに……と思ったところで、何故かポールがマッチを取り出した。それから懐から枝と布切れも取り出すと、枝の先端に布をかぶせてから、くるりと紐で結んで、蝋燭ろうそくみたいな大きさの小ぶりな松明たいまつを作り上げた。ポールはマッチで、松明に火を点ける。


「え?」


 ポールが鉄格子に松明の火をかざすと、鉄格子を構成する鉄棒のうちの一本がわずかに下降する。同じように隣の鉄棒に火をかざし、またわずかに下降する。見た目は変わらないけれど、下降した鉄棒は他の鉄棒より少しだけ深く刺さった状態だ。


「ポール、これは?」

「抜け道だよ。この鉄格子は特殊な蝋で固定してあるけど、蝋を取り払ったら、かなり上の方まで持ち上げられるようになってるんだ」   


 ポールは松明の火を踏みつけて消すと、腕を交差させて鉄棒をつかみ、それを持ち上げるとくるりと翻るようにして向こう側に出た。鉄棒を下ろすと、それが出入りできるようになっているようには見えない。


「すごい!」

「王都には要人の逃げ道として、こういう仕掛けが多くあるんだよ」


 ポールが周囲を見回し、こちらに頷くのを確認すると、フレデリックお兄様もポールと同じように鉄格子の向こう側へと出た。けれども彼は鉄棒を持ったままだ。


「こちらへおいで」

「あ、はい。ありがとうございます」


通れるようにしてくれていたらしく、私は恐る恐るとその鉄棒の下をくぐった。二人とも難なく持ち上げているけれど、太い鉄棒は随分と重そうだし、熱そうだ。手袋なしじゃ握れないだろう。


「軍師もどうぞ」


イヴォンが鉄格子を通り抜けると、フレデリックお兄様はゆっくりと二本の鉄棒を下ろした。


「リディアーヌ様、まだ走れますか?」

「もちろんよ」


 こう見えて私は辺境を走り回って来たので、体力には自信がある。イヴォンが口角を上げて頷くと「こちらです」と言って、走り出した。私もその後に続いて走り出す。排水路から抜けた先は、先ほどよりも空に青みを帯びているけれど、まだ薄暗い。けれども空が明るくなるのは存外に早いことを知っている。不意に、イヴォンの脚が先ほどよりも早いことに気が付いた。彼も焦っているのかもしれない。


「ここです」


暗い路地裏を進んでいると、突き当りにたどり着いた。周囲には壁があるばかりで、どこかに行けるようには見えない。イヴォンは座り込むと、道に埋め込まれた煉瓦を一枚はがした。煉瓦をはがしたそこには取っ手があって、それを引っ張ると扉が引き上げられ、梯子が掛けてあった。扉は木で出来ていて、薄く切ったレンガを道と同じように並べていたみたいだ。どうやら地下に続いているらしい。


「仕掛けが多いのね……」

「これが王都ですよ」


 説明になっていないような気がしたけれど、それともベランジェールでは当たり前のことなのだろうか。


「では、王女殿下をお願いしましたよ」

「きゃっ」


 イヴォンが扉の下をのぞき込んでそういうので、私ものぞき込もうと身を乗り出した。けれどもすぐに少年が顔を出したので、驚いてしまった。


「了解」

「イヴォン、彼は?」

「僕個人で雇っている密偵です。年は王女殿下とそう変わりませんが、なかなか頼りになると思いますよ」


 目の前にいるのは、私とそう年の変わらない男の子の姿。口元を覆っている布を下げると、そこに人懐っこい笑みが浮かんでいた。


「サンクといいます。お会いできて光栄です、リディアーヌ王女殿下」


 サンク……?


「彼に名はありません。彼は貧困街出身で、親も誰かわからないのですよ。彼とともにいた者のおかげで歳だけ知っている状態です」


 名前が、ないなんて……。首をかしげている私に、イヴォンが説明してくれたけれど、今度は眉をひそめてしまった。それを見てサンクが苦笑を浮かべる。


「自分には名前の無い方が都合いいんです。ですから王女殿下は気にしないでください。デュノア殿、噂はかねがね聞いております。どうぞ、よろしくお願いします」

「お、おう」


 急に話を振られたので、ポールは少し戸惑ったようだった。ここからは部隊を分けることになる。私、ポール、フレデリックお兄様が“地下牢攻略隊”。イヴォンとアルは少数の騎士を率いて、義勇軍の組織だ。夜明け前とはいえ、大通りにはクロケの軍人が見張っていることもあって、眠れない者は多い。そういう者と、騎士の家族、あるいは非番の騎士で家にいる者を中心にあたるらしい。ちなみにギュスターヴ殿でん―――お兄様には、別働隊を率いてもらっている。あとで合流予定だ。


「それじゃあ行こうか」

「気をつけろよ?」

「ハイ」


 ポールはフレデリック殿下の前なのに、素が出ている。殿下は気にしていないようだけれど、いいのだろうか。この隠し通路がどうなっているのか、私は全く分からないけれど、彼らは戸惑うことなく梯子を下りていく。


「イヴォン、アル、気をつけてね」

「私は大丈夫ですよ」

「お心遣い、ありがとうございます」


 私は一度イヴォンとアルを振り返ってから、隠し扉の中に入った。



「すごい」


 地下の通路は暗いけれど、先ほどのアルのように、サンクが手をかざしてレヨンを使っているために、周囲は確認できる。地下にこんな通路があったなんて、驚きだ。


「これを」


 サンクが布を取り出し、私達に渡す。砦で履いていたブーツの靴底は木製だったけれど、今履いているのは靴底が革製で踵のないものだ。そこに布を巻いて足音が出ないようにするらしい。


「……迷子にならないように、しっかりついてきてください」


 サンクはそう言って走り出すので、私達も慌てて後を追う。加減しているのだとは思うけれど、それでも速い。


「……デュノア殿、武器をもう少しきっちり持って走ってください。音が鳴っています」

「悪い」


 久々に聞いたポールのぶっきらぼうな返事。確かにカチカチ小さな音を立てているけれど、それほど大きな音には思えない。けれどもサンクにとっては気になることらしい。よほど耳がいいのだろう。


「この通路、本当に城まで続いているのか?」

「3代目の国王陛下が作ったものと言われております。迷路のように入り組んでいますので、自分から離れないでください?」


 迷ったらと思うと怖い、怖い。流石に騎士なだけに、ポールもフレデリック殿下も、走るのが速い。私も辺境で走り回ってきたから、運動には自信があるつもりだったのに、着いていくことに精一杯で喋ることもできない。


「地下通路があることは知っていたけれど、こんなふうになっていたなんてね……」

「迷路のようって言ってたんですから、フリック殿下が城を抜け出す時に使わないでください?」

「ばれたか」


 なんでそんなに余裕があるのかがわからない。愛称で呼んでいる所を見ると、ポールは本当に王子様方と仲がいいようだ。


「ここ曲がりますよ。本当に迷わないでくださいね? 運がよければ出れますけど、迷ったらほぼ間違いなくここをさまよい続けることになりますからね」


こわっ。ますます喋ることもできずに追いかける私。ポールは時々心配そうにこちらを振り返ってくれている。それが少し恥ずかしくて、すごく嬉しい。

 サンクはある扉の前で立ち止まると、壁のほうに近づいて、扉を開ける。そこには大きな段があり、天井には大きな扉があった。サンクは段を上がってその扉を開けると、私達に上に上がるように勧めた。


「軍師からの命令です。ちょうどデュノア殿の武器の調整が終えたとのことで、受け取ってから行くようにと」

「わかった」


 まず、最初にポールが上がり、フレデリックお兄様は、私に先に行くように促した。私はその言葉に従い、ポールに腕を引っ張られる形で、上へと上がる。


「ここは……」

「武器屋だよ……よっと。騎士団の中でも、騎士以上の位になると自分の武器を持つことが許されるんだ。ポールは自分の武器をつくって、最終調整の途中だったんだよ」


 どうやらポールはこの武器屋に武器を依頼したらしい。そういえばイヴォンはポールのことを書類上で知っていると言っていた。騎士団に所属する者が武器を作るにも書類を出す必要があるだろうし、それでイヴォンから取りに行くように指示が出されたのだろう。武器屋と言うだけあって、石造りの店内には、いたるところに剣や槍が飾られている。私が初めて見るような武器まであって、本で知っていても実物は全然違うのだと感心してしまう。


「よ、兄さん。依頼の品、出来てるぜ」


 店主と思しき壮年の男性がポールに片手をあげる。カウンターには布にくるまった何かが置かれていて、それがポールの武器なのだと思えた。


「あんがと」


 ポールはぶっきらぼうにお礼を言って、武器に駆けられた布をはぎ取り、それから腰に下げていた剣をカウンターに置いた。


「騎士団の借りものなんだけど、預かっといてくれ」

「ああ、お安い御用さ」


 店主は時折こちらに視線を向けるけれど、私たちには話しかけてこない。ぶっきらぼうなのだろうか、それともお客しか相手にしないタイプなのだろうか。


「長さは指定したとおりだな。こっちの重さは……」


 ポールは剣を腰に下げて、矢を矢筒に入れる。どうやら矢も作っていたらしい。


「少し離れとけ」

「え、あ、ハイ」


 ポールに言われて戸惑っていると、フレデリックお兄様に後ろに下がらせられる。なんだろうと思いポールを見ていると、あの襲撃を受けた時と同じような構えをとった。居合をするのだ。この世界でも居合と言う技術があるのだと、今更ながらに考える。村では見たことがなかったから、きっと騎士団で覚えたのだろう。それにしてもポールの持つ剣は倭刀に似ている。この世界にも日本のような国があるのだろうか。


「っふ」


 少し息の抜ける音がして、ポールが剣を鞘から抜いた。その時に柄飾りがアルの物と一緒だと気づいた。そういえばフレデリックお兄様の剣も同じ飾りが付いている。騎士団の剣である特徴だ。


「抜くときに違和感はねぇかい? なんせ、その形の剣は今まで一人しか注文しなかったからなぁ」

「問題ない。柄の部分も前より細くなって使いやすいし、借り物よりしっくりくる」


 武器を選ぶポールはやっぱり別人だ。これほどまでにたくさん別人の彼を見てきて、ようやく彼が本当に騎士になりたいのだと、今更ながらに気が付いた。


「僕も今度調整をお願いするよ」

「ええ、殿下もよろしく頼んます」


 殿下って呼んだことはフレデリック殿下が王子って知っててこの態度のようだ。身分が騎士だとは聞いているけれども、この店主も意外と大物だ。


「……頼んますよ」


 店主がもう一度、頼むと言った。神妙なその表情で、頼むという言葉の重みに気が付いた。


「ああ」


 この人は、作戦のことを知っているのだ。だからこそこんな明け方に武器を準備していてくれた。この人の為にも、作戦を成功させなければならない。



 私たちは再び暗い地下通路を進んだ。ずっと走りっぱなしだったので、さすがに息が上がって来たけれど、ポール達はまだ平気そうだ。何となく悔しい気持ちになった時に、サンクが立ち止った。壁を叩き、耳を当てる。それから思い立ったように壁を蹴りあがり、梯子にぶら下がった。少し高い位置に梯子があることに、彼が跳躍するまで全く気が付かなかった。梯子を上った先は上がれるようになっており、サンクが何かゴソゴソと操作すると、梯子の位置が下がった。


「リディ、上がれるね?」


フレデリックお兄様に促され、私はゆっくりと梯子を上がる。鉄でできた梯子は足をかけるたびに、その固い感触が靴底から直接に伝わる。別に梯子を上がるだけなら、体力を要する者ではない。けれども私はすでにたくさん走ったからか、足が重く感じていることに気が付いた。ポール達は大丈夫なのだろうか。そう思ってから考え直した。きっと騎士は、たとえこんな状態になっても、戦うことが仕事なのだ。私と比べるのは、何だかすごくいけないことのような気がする。梯子を上り終えて、ポール達が上って来るのを見ると、二人の足取りが軽くて、私は自意識過剰な自分を恥じる。


「王女殿下」


 サンクに小さな声で呼ばれ、そちらを振り向くと彼は小さく手招きしていた。


「大丈夫、誰もいません」


壁には足場に張り付くように通気口のようなものが取り付けられていて、サンクはそれを取り外していた。


「入口だけは狭いですけど、中は広いです。地下牢ですので、上は王宮の一階の床です。狭いですけど頭をぶつけたら台無しですからね」


お城の床なら頭をぶつけても響きはしないと思うのだけれど、口には出さなかった。城の構造なんて知らないし、そういえば上の階の音と言うのは響くものなのだから、下の階の音も聞こえることくらいあるのだろう。今私たちは、ちょうどお城の一階と、地下の間を通ることになるのだ。サンクは通気口の扉をそっと床に置く。


「それから王女殿下、これを持っていてください。ただの水ですので」

「え?」


 手渡されたのは水筒だった。彼は先に換気口をくぐってしまったので聞くこともできず、仕方なく受け取った水筒をベルトに括り付けて、サンクに続いた。


『―――さんが亡くなってしまえば、あとは君だけですよ』


 声が、聞こえる。これは王子の声だろうか? それとも……。


『たとえ、クリス兄様が殺されてもっ! 他の兄様たちに助けていただいて、僕が王になるんだ!! お前たちなんかに国を渡して……あああああ……』


 肩がはねる。かすれているけれど、幼い子供の声が悲鳴を上げている。だというのに、誇り高い声の主は、暴力に屈していない。思わず体が縮こまってしまう。声を聴いただけで、何が起きているのか、想像もつかないのに目がじんわりと熱くなる。泣いたらダメだ。頭の中を巡る思考にとって、地下通路の薄暗さは最大の味方だった。兄様と言っていることから、彼はおそらく、第四王子だ。私より年下の王子だったはず。私よりも幼い子供が大変な目にあっている。


「リディ」


 小声で名前を呼ばれて、また肩がはねた。耳元で囁くようなその声は、幼馴染の者だと考えることもなくわかる。名前を呼んだその声がどこか気づかわしげで、子供の頃のように何も考えずに縋り付いてしまいたい衝動に駆られる。そこで、ポールの方を振り向いたとき、歯を食いしばるフレデリック殿下の姿が目に映った。


「殿下」


 もう一度サンクに小さく名前を呼ばれ、そちらに目を向けると、彼は床の一部を外していた。下が覗けるようだ。恐る恐る、口の中に湧き出る唾液を飲み込んで、サンクが外した床の穴を覗いた。

 それを見た私が叫ばなかったのは、声を出してはいけないとわきまえていたからなのか、それとも声を失ったからなのか。天井からのぞく光景は、ひどい有様だった。少年の指が変な方向に曲がっていて、その指先から血が出ている。足も血まみれで、顔がところどころ黒く見えるということは、きっとアザだらけなのだろう。黒く汚れた衣装からはひどい臭気が漂い、もしかしたら衛生環境もよくないのではないかと思われた。


『では、もうしばらくお願いしますね』

『ハイ』


身分の高そうな男が、地下室を出て行った。この者が第四王子を拷問にかけていたのだろうと思ったけれど、どうやらもう一人いたらしい。影になっていたので気が付かなかった。けれども、体の大きな男を見て、どうしてこれほどに体格差がある相手に痛めつけられなければならないのかと、また体が震え始めた。がちがちと音を立てる歯を必死に食いしばる。

 男の影が動いて、ジャラリと音が聞こえた。金属の擦れるような音だ。男は麻袋の様な物を持っている。あれは本で読んだことがある。麻袋に硬貨や砂、金属を詰めた鈍器だ。あんなもので、殴ったというのだろうか。少年を、傷つけて、楽しそうな様子の男が心底憎たらしい。


「ッグ!!」


そんなことを考えていたら、くぐもった声をあげて、男が倒れた。私の祈りが通じたのだろうかと目を瞬いていると、いつの間にかサンクが下に降りていた。今まで近くにいたのにと、敵が倒れたことを怖がるよりも呆気にとられる。イヴォンが頼りになると言っただけのことはあった。私たちも気がつかないうちに、敵を確実に仕留めて動くなんて……これがプロなのだ。


「俺が先におります。……受け止めるから」


 ポールがそう言い、最後の言葉は小さく私の耳元でささやかれた。私が下に降りることを心配してくれているのだ。高い所から降りるくらいなんでもない。けれども、今は王族だから、私はきっと怪我をしてはいけない。ポールが心配しているのは幼馴染なのだろうか。王族なのだろうか。


「よ……っと」


 とっ、と小さな音を立ててポールが降り立ち、こちらに腕を広げる。私もポールめがけて降りることにした。高い所から降りるなんて何でもないと思ったけれど、思ったよりも薄暗さが高さの認識を鈍らせているらしく、床に降り立とうと考えたら足がすくんでしまった。


「っ」


 降りる衝撃でそのまま彼に抱きつく形になる。よろけもせずに難なく受け止められて、ポールは強いというマリーの言葉を思い出した。ぶっきらぼうな幼馴染は、いつからこれほど頼もしくなったのだろう。


「エミル!」


 フレデリックお兄様が第四王子に駆け寄る。声を潜めてはいるけれど、まだ敵がいるかもしれない。幸いなことに、黒服の男が中にいたためか、牢屋の鍵は開いているけれど、外の様子を確認していないために、いつ仲間が駆けつけるのかと冷や冷やしてしまう。


「んー? 拷問中なのに叫び声がしないなあ……」


 聞こえた声に、全員が一瞬顔をこわばらせる。すぐに後ろから口を塞がれたと思ったら、そのまま扉から死角になる壁に張り付いた。私の口を塞いでいるのはポールだ。見上げるとそこには真剣な顔で扉を見つめるポールの顔があった。やっぱり少し彼が怖い。けれどもこうしていると、守られているという安心感もあった。


「あっ、おいどうし……ガッ!」


まるで鼾でもするみたいに、息を漏らして声の主は倒れこんだ。ふと見ればフレデリックお兄様が剣の柄の部分を突き出している。どうやら首の後ろをどついたらしい。ベランジェールの騎士の服は身軽で動きやすさを重視したコートタイプ。対してこの男が着ている物は、鎧だ。鉄を多く産出するというクロケのものに違いない。


「ポール、第四王子様が……」


 ポールは私から離れると、すぐに第四王子様に手をかざした。ポールのレヨン治癒エルドなのだと知った私は、王子様方の前でポールと呼んでいることに全く気が付かなかった。


「あっ……ぅう~」


 第四王子は何事か言おうとしたけれど、口の中を切っているのか痛そうに顔をゆがめた。私はそれを見ただけで怖くて泣きたくなっているのに、彼はただ苦痛に眉を寄せているだ。


「……エミリアン殿下、足の応急処置は終わりました。口を癒します」


ポールはそんな第四王子、エミリアン殿下を気遣って、彼の顔に手をかざす。痣が薄くなっていく様子は、コマ送りの動画を見ているようだった。


「……騎士に指示を出すなんて、あなたは……?」


 頬か、もしかしたら口の中かもしれないけれど、痛みが引いたらしいエミリアン殿下が口を開いた。ただ、ポールが第四王子を運ぶのに適していると思ったから、声をかけただけなので、指示を出したわけではない。けれども、彼の目には私がポールに命じたように見えたらしい。私は今、ずいぶんと偉くみられているようだ。


「私はリディアーヌと申します。リディとお呼び下さい」

「え、あ、うん……」


恐らく望んだ解答ではなかったのだろう。エミリアン殿下は戸惑ったように瞳を揺らし、フレデリック殿下を見つめた。……私も王族だなんて言葉で言い切ることは出来ないし、かといって孤児なんて口に出すことは、この作戦中にできない。


「彼女はシャノン辺境伯爵の治めるボドワンと言う村で育ったんだ。ベアトリスと同じ年齢で、予知クリスタを持っている。意味は分かるね?」

「……たしか、なんですか?」


 エミリアン殿下は、私とフレデリックお兄様を何度も見比べる。ふと見れば指が正常に動き、指先の出血も止まっているようだった。いまポールは足に治癒を使っている。今回の作戦で、ポールがメンバーに選ばれたのは私の幼馴染と言うだけの理由ではないのかもしれない。……もちろん、弓の腕もあるとは思うけど。


「場所が場所ですので、足は少し長めにかけましたが、応急処置だけです。無理はしないでください」

「あ、うん……」


 エミリアン殿下は相変わらず、戸惑った様子を見せている。予知クリスタは継承権を持つ者の特徴だと言っていた。だから、彼は戸惑っているのだろう。当然のことだと思う。王都にいる王族が全員捕まって、王は死んで、継承権を辞す者まで出る始末。そこに私と言う継承権を持つ者が新たに現れたのだ。必死に耐えていた第四王子からすれば、外にいたフレデリックお兄様のように納得はできないだろう。


「エミリアン殿下、これを飲んでください。お水みたいです」

「うん……」


 ゆっくり、少量口付けて唇の乾きを癒し、また少量口に含んだ。そして口の中でぬるくなった水を、ゆっくりと飲み込む。相当喉が渇いていたらしく、数回口の中になじませてから飲み込んだあとに、ようやくコクコクと喉を鳴らし始めた。


「申し訳ありませんが、急いでください。他の部屋も見なければならないのですから」


 扉の近くで外を見張っていたサンクは、一瞬こちらに視線を向けたのだけれど、すぐに扉の外に注意を戻した。いけない、急がないといけないのだった。


 国の奪還作戦は、まだ始まったばかりなのだ。

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