(8) ランス砦へ
「……疲れた」
弱音を吐いてしまっても仕方がないと思う。夕飯を食べ終わったけれど、疲れは抜けない。昼間に二度も襲撃されて精神的につらかったというのに、明日行動に起こすということで、身なりを整えるために採寸が始まったのだ。と言っても、今から衣類を作ったのでは間に合わないので、購入した物は全て既製品である。イヴォンやアルは申し訳なさそうにしていたけれど、辺境で着ていた衣類に比べて何倍も高価な衣装が着られるので、私に不満はない。
「お疲れ様、リディ。お茶を入れて来たわ」
「マリー、ありがとう」
寝台に転がっていると、マリーが茶器を運んできた。寝台横のテーブルにそれらを置くと、お茶のいい匂いが鼻腔を擽る。跳ね起きてマリーに笑いかけると、からかうような笑みを向けられた。
「まぁ。リディったら、私の前だからいいけど、王都では気を付けてね?」
「うん。ありがと」
たしかに王都に行ったら、こんな気楽な行いも行儀が悪いことになるのかもしれない。お嬢様のマリーの言葉には素直に従うことにする。
「わぁいい匂い。マリーのお茶飲むの、何だか久しぶりね」
「うちに来た時はいつも淹れてあげていた物ね」
軽く頭を撫でられて気分がよくなった私は、マリーの淹れてくれたお茶を楽しむ。お茶は結構高価な品だけれど、マリーと友達だった私は平民としては比較的嗜んだ方だ。ポールも村を出る前は一緒だったけれど、ここ数年はすっかり二人きりだった。また三人で楽しみたいと思い、ポールを呼ぼうかと思ったけれど、嫌なことに気が付いた。彼は仕事中だ。
「うん、やっぱり美味しい……」
それを誤魔化すように、私は笑顔でお茶を喉の奥へと流し込む。マリーは私がお茶を飲む様子を、近くに立ったまま微笑み見守っている。一緒にお茶を飲むつもりはないのだ。マリーの中で、明確な身分が出来上がっているようで、少し寂しく思う。
「ねぇ」
と、マリーが口を開いた。優しい微笑みが、少し寂しそうにも見える。
「どうしたの、マリー」
「……リディのことは、隊長さんもポールも守ってくれるけど、やっぱり心配でね。さっき、大人げなく隊長さんに突っかかってしまったけれど、思ったよりも真剣だったから……余計に、リディがつらくなったりしないかって……」
「そ、れは……」
マリーは私を心配してくれていた。たとえ身分が変わっても、マリーはその身分をわきまえた範疇で、今までと同じように私のことを気にかけてくれている。だというのに、寂しく思うなんて、マリーにすごく失礼かもしれない。
「……ねぇ、リディはどうしたい?」
「私? 私は……」
私がどうしたいか。身分に隔てられて、やがて私はポールやマリーとの関わり方を見直すことになるかもしれない。だというのに、どんどん騒動の渦中へと足を踏み入れている。マリーの心配はもっともだ。だから、私の考えを知りたいのだと思う。
「私は、王都に行ってみたいの。こんな大変な危機の中で、私が加わってどんなことになるのかわからないけれど、何だか……行ってみたいって思ったの。必要とされたことも、実は少しうれしかった。それに、王妃様は福祉方面に多く投資している方だから、辺境の孤児院も成り立っているって話は、少し聞いたこともあるし……」
なんていうか、うまく言えない。確かに最初にイヴォンとアルを見たとき驚いたけれど、アルと話した時の推測で、私はゴダールとクロケが手を組んだのだと思った。それが事実なのか、確認したいと思っている。でも、それだけじゃない。たしかに里穂は好奇心が旺盛で、知的好奇心を満たすことにかけては貧欲だった。でも私はリディアーヌだ。
「やっぱり、行きたいっていう言葉でしか言えないの」
「そっか」
マリーが私の頭に手を伸ばして、再び撫でてくれる。
「私はリディの味方だから、どんな状況も関係ないわ。でもやっぱり、聞いてみたかったの。リディが無理していたらいやだもの」
頭を撫でてくれるマリーの手に身をゆだねる。抱きしめてほしくてすり寄ってみると、「しょうがないんだから」と言って、ギュッと抱きしめてくれた。マリーの心配はもっともだけれど、大丈夫。私は間違いなく、自分の意志でボドワンを旅立ったのだ。きっかけはイヴォン達が来たからだけれど、私は私自身で選んだ道を歩んでいる。
『これをお持ちください』
「イヴォン……?」
「リディ? また、予知なの?」
私はマリーの問いに頷くことで答える。今一瞬、イヴォンが見えた。何かを差し出していたようだけれど、いったいなんだろう。と、そんなことを考えているとノックの音が聞こえた。私が返事をすると、顔を出したのはアルだった。
「ポールとイヴォンは?」
「二人は馬を見繕いに行きましたよ」
……馬? そうだ、この街に立ち寄った最大の目的は馬だったのだ! 今日一日でいろいろあったのですっかり忘れていたけれど、もうイヴォンと一緒に乗る必要がなくなるのだ。馬は好きなので純粋にうれしい。
「……何かあったのですか?」
「リディがまた、予知を使ったみたいなのです」
「……予知ですか!?」
……隠すことではないけれど、マリーったら簡単に言い過ぎだと思う。
「何が見えたのでしょうか?」
アルはやっぱりそういうのが気になるらしい。この予知が王族の証と言うのなら、アルが気になるのも仕方がないのだろうか。
「何が……イヴォンが、何かを差し出していたの」
「軍師殿が……?」
「うん。そんなにはっきりしたものが見えるわけじゃないから、何を差し出しているのかまでは、一瞬でわからなかった」
「そう……ですか……」
アルが何か考えるような仕草をしたところで、マリーの様子の変化をより顕著に感じた。彼女は彼らにどこかよそよそしかった。だというのに、アルに対してはその警戒が溶けたように思う。先ほど大人げなくアルに絡んだと言っていたけれど、やはりそれが関係しているのだろうか。
「さあ、もう寝ましょう。明日から忙しくなるのですもの。リディにはもう休んでもらわなくちゃ」
マリーに促され、私はお茶を飲んで温まった体を布団にうずめた。
「ん」
目が覚めた。カーテンの隙間から入って来る光は青白くて、まだ外は暗く、月が出ているのだろうことがうかがえた。柱時計を見ると、時間は二時くらいだ。扉の傍の長椅子には、毛布にくるまったポールが寝ている。長椅子は仮眠に使うと言っていたので、今見張りをしているのはイヴォンとアルなのだろう。身を起して、テラスの方に目を向ける。昼間、私が眠っている間に角部屋に移ったから、この部屋にはテラスがあるのだ。廊下に一人、テラス、つまり外に一人見張りがいる状態で、部屋の中で一人が仮眠を取る。その状態が続いているはずだ。
(イヴォン……?)
テラスのシルエットは長い髪を揺らしていて、髪型からイヴォンだろうと思われた。アルの髪は後ろだけ長く、前は短いので除外する。ポールは中で眠っているのだから、イヴォンとしか考えられない。私は寝る前の予知で、何を見たのだろう。
「イヴォン?」
テラスに出て声をかけると、イヴォンは対して驚いた様子もなくこちらを振り向いた。昼間の襲撃の時の様子を思えば、私が起きてテラスに近寄ったことに気配で気付いたのかもしれない。
「リディアーヌ様、目が覚めたのですね」
髪を下ろしたイヴォンは綺麗だ。女の人の様とはいかないが、こういう人を眉目秀麗というのだろう。優しく微笑みを浮かべるこの人は軍師だというけれど、一見荒事に縁のあるようには見えない。
「うん」
「こちらへ。この時間にその格好では寒いでしょう」
イヴォンは大きな毛布を肩にかけていて、そこに私を招く。私はというと、夜着に肩掛けを羽織っただけの状態だ。確かに外は冷える。
「お邪魔するわね」
「邪魔なんて。ようこそ」
私はイヴォンのすぐ横に密着して、一緒に毛布を羽織った。三日間ともに馬に揺られていたせいか、すっかりイヴォンと密着しても平気になってしまった。慣れとは恐ろしいものである。
「退屈じゃない?」
「慣れておりますよ。それにこれを磨いておりましたから」
そう言って差し出したのは、イヴォンの短剣だった。襲撃の時に投げたナイフとは違う。繊細な装飾の鞘に収めた綺麗な短剣だ。時々、イヴォンの衣装の隙間から覗く綺麗な輝きはこれだ。一緒に馬に乗っていると背中に柄が当たることもあったし、実際に磨いている所を何度も見かけた。
「綺麗ね。大切な物なの?」
「ありがとうございます。……そうですね、大事な物ですよ」
空を見上げるイヴォンの前髪が、月明かりを透かして幻想的な光を見せている。
「イヴォンって、髪綺麗よね」
「そうですか? リディアーヌ様の髪はもっと、美しいですよ。東の民が作った極上の絹のようです」
「ありがと」
お世辞だと思うけれど、髪が平民にしてはきれいなのは、間違いなく私の髪を整えるのが好きなマリーのおかげだろう。馬に揺られている間、イヴォンとは常に一緒だったというのに、こうしてゆっくり話をしたのは初めてかもしれない。からかうような口調は相変わらずだけれど。
「砦って、どんなところなの?」
「我々はランスと呼んでいますが、正式な名ではありません。砦が建てられた頃の隊長の呼び名という説が有力ですが……。その者がランスを使っていたのではないかとも言われています。最も綴りが違うので、何とも言えませんが……」
砦の名前が
「そっか。ねぇ、イヴォン。ポールって、王都ではどうしていたの?」
「おや、妬けますね」
「イヴォン!」
からかうような口調に軽く睨むと、彼は愉快げに笑みを深めた。ポールについて尋ねるのは、彼が王都へ旅立った空白の三年間をただ知りたいという好奇心だ。
「すみません。私は軍師で、軍部全体を統括する役ですから、さすがに騎士全員を把握しているわけではないんです。フリムランならば知っているでしょうが……」
「そっか。アルはポールの直属の上司なんだものね」
「ええ。でも、噂ぐらいは聞いたことがありますよ」
噂……? たかが辺境出身の一騎士が、軍の高官の耳に入る噂に上がるとはどういうことだろう。ポールがそんなに目立つようなことをするなんて考えられないのだけれど。
……やっぱり、ここでも私の知る彼と食い違う。変わってしまったとは思わないけれど、私の知る彼と他の人と知る彼が違う。それが寂しい。王都とは、誰もが私たちを幼馴染と知る辺境ではないのだ。
「主に、武力に関してです。剣の腕はそれなりといっても、騎士団では中の上程。しかし、弓の腕は大将軍でも敵いませんし、入団直後の競い合いではそれ以前の主席を大きく引き離しての頂点に躍り出ましたからね」
「そんなにすごいのに、直接面識はなかったの?」
「ええ。フリムランほどの
確かにポールは狩りが得意だった。いつも近くの森や山で鳥や獣を追いかけていたのだ。十にも満たないような子供の頃ならまだしも、十二歳の頃には彼が的を外すところなんて見たことなかった。狩りの際は、ポールには狩りすぎてはならないと、大人が注意を促していたほどだ。
「……リディアーヌ様は、そんなに幼馴染のことが気になるのですか?」
「え……?」
突然聞かれたので少し驚いた。それはそうだ。だって私は、マリーとポール、三人で幼馴染なんだもの。ずっと会っていなかった彼が気になるのはごく自然なことだ。
「日が昇れば砦に向かい、砦には他の騎士も多くいます。王族として振舞わなければならない中、デュノアに親しくするというのはいらぬ誤解を招くかもしれませんよ」
「それは……っ」
確かにそうなのかもしれない。私は王都を奪還する上で、士気を高めるために砦に行くのだもの。それならポールとは、絶対的な身分の壁で隔てなければならない。少なくとも事情を知らない者の前では。たとえ私が庶民と暮らしていたとしても、私は王族になるのだ。
辺境では、身分なんて気にしたことがなかった。農民のポールと、孤児の私と、貴族のマリーが仲良くしていたことからもわかるはずだ。マリーは辺境伯の姪で、確か辺境伯は伯爵よりも偉いはずだ。それなら多少親しくしても問題はないだろう。でもポールは……。身分なんて気にしたくないのに、気にしなくてはならない。それがもどかしくてたまらない。
「……もうしばらくしたら交代ですね。リディアーヌ様は中へ。お休みください」
「……ええ」
私は気持ち半分で返事をして、ゆっくりと戸を開いた。中ではマリーとポールが眠っているのだ。音を立てるわけには行かない。たとえ、身分で隔てられてしまっても、私たちは大事な幼馴染なのだから。それは私の中にある確かな答えだ。
「……話、終わったか?」
「起きてっ……聞いてたの?」
ポールは長椅子に横たわって寝ていたと思ったのだけれど、どうやら起きていたらしい。声を潜めて尋ねると、上体を起こし長椅子に腰をかけたままでこちらを向いている。
「起きたのよ。ポールも私も」
「マリー!」
急に起き上がるマリーにはもっと驚いた。彼女はすぐに羽織を肩にかけると、そのままベッドに腰掛けて、ポールと向き合う形になった。
「話は聞いてないから安心しなさい」
「うん……」
私も彼女が今まで寝ていたベッドの上、彼女の横に腰掛けて、ポールと向き合う。イヴォンはもうすぐ交代の時間だと言っていた。それなら、それまで幼馴染の時間を、残り少ない時間を楽しませてもらおう。
砦についたら、きっと頑張るから、今だけは三人で、幼馴染でいさせて。
黒を基調とした衣装の上に、銀色の甲冑を纏い、白いサーコートを着て、薄手のマントをつけた。ブーツは膝上までの柔らかいもので、上質で動きやすい。
「変じゃ、ないかしら……?」
「大丈夫よ。綺麗だから安心しなさいな」
マリーの言葉で少し安心するけれど、それでもこんなに上等な服を着て外に出るということが初めてなので、いささか落ち着かない。
「にしてもこの髪飾り綺麗ね……。どうせならもう少し高い位置で結えば良かったかしら」
甲冑は軽鎧のような作りで、かなり軽い。素人が着るにはそれでも重みを感じるが、少し高いコートを着た時のようで、動きづらいほどではない。繊細で細身ながらも豪華な衣装なので、髪型はあえて控えめにしてもらった。というか普段着ている衣装よりも重みがあるので、頭は軽くしてもらった、と言うのが正しい。
「ううん。これがいいわ」
脇から編みこんで、後ろに一本の三つ編みを垂らしただけなのだけれど、邪魔にならないし、私はこれが好きだ。
「そう? まぁ、お城で暮らすことになったらもっと凝った感じにいじれるわよね!」
本当に彼女は私の髪をいじるのが好きだ。今この場でその欲求を満たしているのならば、彼女は侍女に向いているのかもしれない。……やっぱりお城で暮らすことは確定なのかなぁ。
「良くお似合いですよ、リディアーヌ王女殿下」
「イヴォン……」
現れたイヴォンと、後ろにはアルとポールがいる。
「本当に似合っている?」
「ええ。本当にお美しいです」
そう言って、イヴォンはゆっくりと跪いた。そんな彼の様子に、指先に口づけられた時のことを思い出していると、アルとポールもイヴォンと同じく跪き、次いで私の横にいるマリーも同じように膝を折った。
「本当に良くお似合いですよ、我が君。ご立派なお姿には改めて感銘をお受けいたしました」
「ちょ……ちょっと!」
イヴォンは私の手を取りその指先にくちづけた。いや、騎士の礼はいらないって。というか口元笑っているし、嫌がらせでしょ!
「私はこの国に、真の王をいただきたいと思っております」
……あれ?
「王子達もご立派ですが、彼らは王族の常識に染まっております。民の立場を知り、周囲の声に耳を傾ける方にこそ、王位はふさわしいと考えております」
その微笑みはいつもの冗談ではなかった。柔らかくて、愛おしむような、優しい笑みだった。絶対揶揄っているのだと思っていた。でも、彼は本当に私を王にしたいのだと、そう思わせるような笑みだ。
「姫の御身には剣は慣れないと思いますが、身を守る手段が何一つないというのはなりません。どうか、これをお持ちください」
「これって……」
イヴォンの短剣だ。投げるために使っているものではない。昨夜も大事そうに磨いていた、いつも服の裏側に大事そうにしまっている、あの短剣。大事なものだと言っていたのに……それを今、私の目の前に差し出して入る。
(そうだ。私は昨日、これを見たんだ)
予知が教えた、イヴォンの信頼。私はこれに応えたいと思う。
(ん?)
ふと見れば他の三人が目を丸くしている。イヴォンが立ち上がると、ほかの三人も立ち上がったけれど、なんだか尋ねたいことでもあるように彼を見つめている。何事だろうか。
「それから、こちらがあなたの馬です。どうぞお受け取り下さい」
「わあ!」
おそらく軍の詰所の人だろう。その人が
「主人が分かるんだな」
「そうなのかしら」
馬を撫でているとポールがそう言った。そういうポールの馬は
「そういえば、この子の名前は?」
「名前はありません。リディアーヌ様が付けてあげてください」
「うん」
名前、か……。確かに頭の良さそうな子だし、褒める時に名前が無いと困る。そうだなぁ……。
「イリス……」
思い出したのは、大好きな丘の上。楓みたいなあの木の名前が、本当に楓なのかはわからないけれど、あの丘からは綺麗な花畑が見えて、わたしは菖蒲が好きだった。
「花の名ですか。女性らしくて良いですね」
ちょっと照れくさい。そういえば日本では菖蒲っていうんだっけ?
「イリス、これからよろしくお願いするわね……」
「リディ、姿勢が悪いぞ。顎を引くんだ」
「あ、はい」
長時間馬に揺られていると流石に疲れる。しかしそろそろ砦が見えてくるので、姿勢を正さなければならない。フランセルに入るまでは森林地帯だったのだが、今歩いているのは街道だ。そのおかげなのか、開放感がある。私はこの国が好きだ。王族なんて興味の欠片もないのだけれど、もしこれが東から攻めてきていたらどうだろう? 真っ先に潰されるのは力のない民だ。きっと北や西の民は酷い目にあったのだろう。だったら私も覚悟を決めなければならなかった。寝る前にイヴォンにも釘を刺されたのだもの。
「あれが……」
「ええ。連中もなかなかに頭が回るおかげで助かりましたが」
イヴォンの話によると、西と北はどこも制圧を受けていて、国内の勇士はこの砦に集まって来ているらしい。実は仰々しい名前のついた砦は大した機能を有していないのだとか。改装というのは名前もついていないような砦から、地下に手をかけているらしい。公式に名前のない砦の方が守りは堅牢というのだ。今から向かうランスという砦は、それこそ由来が不明な上に非公式のものだ。地図にも名前は載っていないので、手書きで加えられているほどである。お陰でこの砦はクロケのマークから外れていた。国内の砦では一番機能が充実しているらしいので、まさに不幸中の幸いだ。これから私たちはこの砦で夜を明かすことになるのだ。
「ご苦労ですね」
「は! おかえりなさいませ、軍師殿!」
イヴォンは門番に声をかけ、門番は右手で敬礼を返した。大きな門だけれど、砦としてはこれでも小さな門だという。奥にある砦も、石造りで、かなり堅牢な作りと見える。これが小さいというのなら、大きな砦というのはどのようなものなのだろう。
「変わりはないか?」
「ハイ! 軍師殿から鷹文が届いたと聞いておりますが、それ以降で変わったことはございません!」
門番の人は活き活きと答えるのだけれど、イヴォンとアルの態度はそっけない。上下関係ってこんなものなのかな? というか、イヴォンが連絡を取っていたなんて知らなかった。
「そちらの方が……?」
「ええ。第一王妃と国王陛下の血を引く、正当な第一王女ですよ」
「正当な……? では、まさか……」
王妃様が妊娠していたことは誰もが知っているだろう。それなら、王妃様がもう一人子供を産んだとは思わないはずだ。「正当な」と言えば、当然現在の第一王女の出自を疑うはず。
「そういうことになりますが、あなたの考えているような理由ではありませんよ。今王城にいる第一王女も陛下の血を引いております。年は同じですが、リディアー……」
「イヴォン……!」
いくらなんでも話しすぎだ。私はそんなこと望んでいない。これではもう一人の王女が批判されているようではないか。
「お気に触ったのであれば申し訳ありません、我が君。機嫌を直してくださいませんか?」
「……怒ってはいないけれど、城にいる王女様には何の罪もないと思うから、めったなことは言わないで」
生まれたばかりの赤ん坊に選ぶことも策略も無理だもの。と、そんなやり取りをしていると、何故か門番はじーっと私を見ていた。何かおかしなところでもあるのだろうかと内心冷や冷やとしている。そういえばイヴォンが手紙を出していたと言っていた。つまり、この人の中で私は王族で、非常に気になっているということだろうか。
「……初めまして」
……恥ずかしすぎる! とりあえず変な顔で笑ってしまわないように、頬を緩めてみたのだけれど、上手く出来ただろうか? これ以上その顔を維持できるとも思わなくて、門番に顔を見られないように馬を降りた。ふと見るとポールも馬から降りたので、これでよかったかと視線で問う。するとポールは少し頬を緩めて目を伏せた。
……そっか。彼と私は、もう身分で隔てられてしまったんだ。砦についてしまった以上、私たちは王族と騎士という、それだけの関係なんだ。
「……ジャン=ポール。私の馬をお願いね」
「ハイ」
ポールは私が差し出した手綱を受け取った。すこし。ううん、すっごく寂しかったけれど、もう後には引けない。私は王族の一員として生きていくんだ。今は少しでも早く、王都と王城を取り返して、自分の時間を作れる環境を作るしかない。そうすればもう一度、幼馴染という関係を送ることができる瞬間はやってくるから。
マリーは私に続いて馬から降りると、胸に手を当てた。
「シャノン辺境伯の……!」
ちょっとだけ、イヴォンが教えてくれたのだけれど、辺境伯というのは辺境を預かる特別な爵位で、特にマリーの叔父のシャノン辺境伯爵というのは、なかなかの人格者らしい。辺境住まいなのに、会ったこともないんだけど。
「それでは殿下、参りましょう。どなたか案内をお願いします」
マリーも、もう私のことをリディって呼んではくれない。少なくとも事情の知らない人の前では無理だ。
「は、はい。奥に門番とは別に、扉番がいるので、そいつに命じてください!」
「わかったわ。ありがとう」
私たちは砦の門をくぐった。ここをくぐってしまってはもう戻れない。私は王族として、第一王女として生きていくのだから。
「なぁ、王女殿下見たか!?」
「ああ! 王妃様そっくりのお美しい方だったぞ!」
「本当か? どんな方なんだ?」
「それが優しげな面差しの方で……」
時々耳に入る声に、思わず眉が寄ってしまう。
「なんだかすごいことになっているんじゃないかしら?」
「そのようで」
イヴォンは席を外していて、ここに残されたのは私とアルとマリーだけ。
「……随分と大きいのね」
どうやってこの部屋にたどり着いたかは覚えていない。ただ階段をたくさん降りて角を何度も曲がった。おそらく地下に作られた部屋なのだろうけれど、作りがしっかりしているからなのか、息苦しくはない。
「この砦は地下に広がっておりますので。換気口もいくつも設けておりますし、一万人は収容できる施設となっております」
そんなに……。と考えて、ふと思う。それは多いのか少ないのかと。砦と言うのは、小さな城の様な物でもある。おそらく地下に広がっているという意味では多いのだろう。一般的に、講堂が地下に広がっているようなものだろうか。それならば広すぎる。
「実は、第一王子と第二王子があなたへの面会を希望しておりまして……」
「王子様が……!」
うわぁ。私まだ身分がかたいたかと会ったことないのに……って、よく考えたら、庶民ってポールだけ? マリーはシャノン辺境伯のご親戚。イヴォンは侯爵家のご長男で、アルは男爵家って言っていた気がする。この中で、貴族に関わりのないのって、やっぱりポールだけだ。切実に一緒にいてほしいと思ってしまう。
「お……王子様ってどんな人なの?」
「王位を継がないと決めておりますから、害意を持つことはないでしょう。紳士然とされた方ですし、心配には及びません」
「第一王子のフレデリック殿下は物腰の柔らかい方で、第二王子のギュスターヴ王子殿下はとてもおおらかな方と聞き及んでいますが」
マリーも聞いたことがあるらしい。こうして話しているとマリーってば本当に貴族のご令嬢なのね。
「大らか……大雑把ではなく、ですか?」
「え、大雑把?」
「いえ……っ!」
大雑把って何。でもそういえばポールが王子殿下と話したって言っていたっけ? あのポールが気位の高い人と一緒にいるなんてってちょっと思ったけど、大雑把……?
「お兄さん……ね」
里穂に兄はいなかった。私は孤児院にいたから、大家族は慣れている。今はもう孤児院や村を出ていってしまったけれど、兄や姉もいる。でも、どんな態度をとればいいのだろう。
「殿下方は騎士です。女性の扱いは慣れておいででしょうから、任せればよいのですよ」
「その……お兄様、とか、言ったほうがいいの?」
流石に何年も会っていなかったどころか、初めて会うっていうのに、そう言う言い方ってちょっと気まずい。
「それは人それぞれです。現在軟禁中の第一王女は、公式の場では殿下と呼んでいましたが、お二人とも王族である前に騎士であることを望んでおりますので、殿下でも問題はありません」
「そう……」
殿下でも問題ないのなら、その方が呼びやすそうだ。けれど私がここに来た理由は士気を高めるためだし。うーん……。
「第一王女様って、なんていう名前なの?」
「ベアトリス王女殿下ですよ」
「あら素敵な名前」
マリー、ちょっと口調が刺々しい。王女殿下と国王陛下はご評判が悪かったようだ。庶民の私はあんまり知らないのだけれど。
「国王陛下が三日ほど悩んだ名前だという噂です」
……それはなんだか複雑。
「アル、ポールは?」
「デュノアですか? デュノアは騎士の中では下端ですからね。今頃下の者に捕まっているのでしょう」
騎士の中にも序列があるのか。
「隊長さんよりも下なのは当たり前だけど、騎士にも序列が?」
マリーも同じようなことを考えたらしい。私は口に出さなかったのだけれど、彼女はしっかり尋ねた。
「ええ。騎士団という組織は、大きく三つに分けられます。見習いの準騎士隊、正式に騎士となった者が所属する騎士隊。一般の騎士が所属していて、デュノアはこれに上がったばかりです。最後に聖騎士隊、これは私や殿下方が所属していて、これの隊長は騎士団長も兼ねます」
「アデラール隊長さんは?」
「私は一介の聖騎士で、騎士隊を率いております。デュノアは私の隊の所属で、さらに三つの位の中でも三つの序列があります」
聖騎士でも一介のって言うのか。というか隊長って時点で一介じゃない気が……。突っ込んじゃダメなのかな。それはマリーも思ったみたいで、あえて名前を言ったってことは、からかいも含めているのかもしれない。えっと、三つの序列があるってことは、ポールは下から四番目なのかな。騎士に上がったばっかりって言っていたものね。
「そっか……うん、王子様と会うよ」
なんだか話しているうちに、緊張が解けてしまった。アルは見るからに安心しているし、マリーも口角が上がっている。
「では呼んで参ります」
「え、私から行かなくていいの? ご足労かけちゃわない?」
「リディアーヌ様は王位継承者、殿下方は継承権を持たない聖騎士。リディアーヌ様にこそ御足労をかけるわけにはいきません」
そういう物なのだろうか。何というか、解けたばかりだったというのに、また緊張が高まってしまった。
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